(ヒマラヤのある山の頂上で夕陽を見るわんちゃん🐶)
僕たち人間は、大きく分けて
2つの「意識活動」を行なっている。
1つ目は、
考えること
2つ目は、
感じること
だ。
「考えること」は、
「〇〇しなくちゃ」
「早く〇〇しないと」
「〇〇するべき」
「〇〇するなんて無理」
「〇〇するのが正解」
「〇〇するのが正しい」
「〇〇すれば得する」
「〇〇すればうまくいく」
といった、
脳が行う
「正解」を
求める意識活動
だ。
それに対して、
「感じること」は、
「眠たいな」
「疲れたな」
「楽しそうだな」
「氣持ちいいな」
「あたたかいな」
「〇〇したい」
「重苦しいな」
「嫌だな」
「やりたいな」
といった、
五感が行う
「身体感覚情報」を受け取る
意識活動
だ。
例えば、
イライラしている
不機嫌な人がいるとしよう。
そのときに、
「怒られるのが怖いから、
怒らせないようにしなきゃ。
ご機嫌を取らないと」
「怒られたらどうしよう。
私が何か怒らせるような
ことをしちゃったのかな」
などと反射的に思ってしまうのは、
「考えること」が優先になっている状態だ。
(もちろん、不機嫌な人に対して
考えることは人それぞれであり
これは一例にすぎない)
同じくイライラしている人を見たときに、
感覚が優先になっている場合、例えば、
「イライラしてる人のそばにいるのは
居心地がよくないな」
「この人怖いな」
「一緒にいると胸が苦しくなるな」
といったことを「感じたり」する。
何が言いたいかと言うと、
全く同じ現実に
遭遇していても
「考えている人」と
「感じている人」では
体験が全く異なる
ということ。
そして、
「考えている世界」には、
必ず「正解」と「こうするべき」があり、
「感じている世界」には、
「正解」が全くなく、
「ただ感じたこと」だけがある。
「なんとかして売上をあげなくちゃ」
「いい親でいなくちゃ」
「もっと頑張らなくちゃ」
「成果を出さなきゃ」
「ビジネスは楽しいな」
「ちょっと今日は夕ご飯作るのしんどいな」
「これおもしろそうだな」
「もっと楽に成果出したいな」
これは別に「考えること」が
ネガティブなことというわけではなく、
自らの「感覚」を無視して、
思考による「正解」を追い求めてしまうと、
自らの
楽しい・つまらない
好き・嫌い
心地いい・心地悪い
楽・しんどい
軽い・重い
といった「身体感覚」が
犠牲になってしまうから
苦しくなりやすい、ということ。
「感覚」が抜けてしまっていると、
「〇〇しなくちゃいけない」
「〇〇するのが正解だから」
という理由で、
嫌なこと、重いこと、しんどいこと、
嫌いなこと、つまらないことも、
自分に強制させて頑張って、
苦しくなってしまったり、
「どうして私はできないんだろう」
と自分を責めてしまうのだ。
本来、「思考」や「考えること」自体が
ネガティブなことなのではなく、
自分の「感覚」、
例えば、好きなことやハマってることで、
どうすればベストな結果を出せるのかを
「考えること」はものすごくパワフルだし、
サッカーが大好きな人が
どうやったらサッカーでもっと上達できるのかを
「考えること」や、
大好きな人の誕生日をサプライズで
お祝いするのを「考えること」は
本来、とても楽しいことなのである。
「感じること」と「考えること」は、
「主従」になっていて、
「感じること」が快不快、幸不幸に基づいた
「願い」を決定し、
「考えること」によってその願いを
現実化していくような関係になっているのだ。
分かりやすく言えば、
「女性性」がわがままを言って、
それを「男性性」が叶えるのである。笑
僕が、「感覚を開くこと」を特にメッセージするのは、
現代社会を生きる人は、
明らかに「考えること」に偏っていて、
「感じること」が圧倒的に減ってしまい、
「〇〇するのが正解」
「〇〇するべき」
という、
外側の正解に
自分を合わせて
感覚を犠牲にして
生きているから
だ。
それでは幸せになれるはずがない。
なぜなら、幸せや喜び、楽しさは、
「感じること」
を通してしか知覚することが
できないのだから。
ただ、これは文章や言葉で伝えるのが
難しいことで、
例えば、
誰か他の人のブログや本であっても、
今のこの記事でも、
「感覚を開くことが『正解』だから
感覚を『開かなきゃいけない』のね」
と、
「考えてしまったら」
それはあなたにとって
よい結果はもたらさないのだ。
なぜなら、その思考プロセス自体が、
あなたの「感覚(快不快)」に基づいておらず、
僕が今言っていることを「正解」として
ただ従っているだけに過ぎないから、
そのような思考プロセスを持っている人は、
日常生活のあらゆる選択の中で、
「正解」を求めて「自分の感覚(快不快)」を
犠牲にするだろうし、
感覚を使っていないから
幸せや心地よさや喜びを感じ取れないからだ。
大事なのは、
どんなときでも、
あなたの身体感覚に
意識を向けて
「感じること」によって
情報をキャッチして
いくことなのだ。
「こうやったらうまくいくから」
「こうやったら成功するから」
という「合理的な理由」ではなく、
自らの「感覚」を感じて、
「あー、この記事はなんか読んでて『苦しくなってくる』な」
「この人が言ってることがめっちゃ『ピンとくる』」
「このメッセージが今の私に『響いた』」
「このやり方は今の私に『合ってる』感じがする」
と感覚がイエスと言うものを選んでいくのだ。
この「感じること」の
トレーニングをすることこそが
本当に今大事なことなのだ。
もうほとんどの人が
条件反射で、
自分で氣付いていない無意識の中で、
「考えてしまっている」
から。
今、自分が何を感じているのか、
ことあるごとに「感じる練習」をすること。
「今私は何を感じてるだろう?」
毎日、毎朝、毎瞬、
「感じること」の練習をしていくと、
「私ってずっと疲れてたんだな」
「私ってやりたくないことをずっと
自分に頑張らせてたんだな」
「私って人のことを優先し過ぎてたんだな」
「私は本当はもっと甘えたかったんだな」
「私はもっと頼りたかったんだな」
自分の今の状態や、
自分の本音がどんどん明確になっていき、
そのうち、「感覚を使うこと」が
デフォルトになって
常に感覚情報をキャッチ
できるようになっていくから。
最初にも話したけど、
「考えること」がデフォルトの人と、
「感じること」がデフォルトの人とでは、
同じ現実に遭遇しても
体験することが
全く異なる
し、
その後の行動も選択も
全く変わってしまうから、
本当に人生が物理的に変わっていくよ。
「感覚を開く」にもいくつかの
フェーズがあるけど、
一番はじめは、
五感を使って
身体感覚を開くこと
ここから取り組んでいくのがいいだろう。
「感覚シリーズ」
④ 「考えること」と「感じること」(必読!)
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