昨日、「感覚を開く」という話をしたけど、

 

 

 

これは本当に大事なことで、

 

大袈裟じゃなく、

 

感覚を開くことなしに、

 

人生が根本から豊かになったり、

 

幸福度が上がることはない。

 

 

 

 

感覚を開くことなく、

 

航路の仕組みやスピリチュアルを

 

学んでも、頭でっかちな

 

ノウハウコレクターになってしまい、

 

何を学んでも人生が変わらない状態に

 

なってしまう。

 

 

 

 

それは自分の人生の選択を、

 

自分の外側に答えを求めてしまうからだ。

 

 

 

世の中にはさまざまメッセージがある。

 

 

 

「もう頑張らなくていいよ」

 

「とにかくがむしゃらに頑張った方がいいよ」

 

「行動よりも波動が大事だよ」

 

「波動を整えても行動しないと変わらないよ」

 

「ワクワクすることをやるのがいいよ」

 

「ワクワクよりもできることで貢献した方がいいよ」

 

 

 

こうしたメッセージに正しい間違っているはなく、

 

その人やフェーズによって

 

合う合わないがあるだけなのだが、

 

 

じゃあ、その一番大事な、

 

 

「合う合わない」

 

「今の自分にとって効果的かどうか」

 

 

を見極めるのは、

 

 

 

自らの感覚

 

 

 

なのだ。

 

 

 

 

 

人生には正解も答えもない。

 

すべてが単なる体験だからだ。

 

 

 

だけどもし仮に答えがあるとするのなら、

 

それは、

 

 

 

自らの感覚

 

 

 

だ。

 

 

 

 

自分で自分を感じてみて、

 

「快・不快」

 

を土台としたさまざまな感覚、

 

 

例えば、

 

 

ワクワク、楽しさ、心地よさ、喜び、スリル、

 

重さ、窮屈さ、停滞間、息苦しさ、

 

愛、不安、憤り、悲しみ、怒り、

 

使命感、好奇心、至福、

 

 

こうした繊細な「感覚」を感じ取っていて、

 

 

自らの感覚が、

 

 

YES!!!

 

 

ならそれは自分にとっての正解だし、

 

 

 

NO!!!

 

 

 

だったら、それは自分にとっては不正解なのだ。

 

 

 

 

 

もちろん、それらのイエスノーの体験さえも

 

どちらも正解不正解ではなく、

 

単なるひとつの体験に過ぎないわけだけど、

 

 

魂がより喜び、自由、愛、豊かさに

 

向かっていく方向は、やはり

 

 

 

自らの感覚

 

 

 

だけが知っているのだ。

 

 

 

 

 

 

スポーツにしても音楽にしても、

 

アートにしてもビジネスにしても、

 

共通することがある。

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

センスがいい人は

すぐに成功する

 

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

じゃあ、「センス」とは単なる「才能」なのか?

 

生まれ持った「天才」だけが持っているものなのか?

 

 

 

 

もちろんそうした側面も間違いなくある。

 

(前世から持ち越した経験値)

 

 

 

 

だけど、その「センス」の正体は、

 

 

 

感覚の鋭さ

 

 

 

のことなのだ。

 

(そもそも「センス」の日本語訳こそが

「感性」であり「感覚」である)

 

 

 

 

 

 

感覚が繊細で、鋭いからこそ、

 

スポーツでも、

 

微妙な力加減の修正ができる。

 

 

 

野球のスイングなら、

 

あと10cm下をスイングした方がいいな、と分かったとき、

 

力加減の「感覚」が鋭ければ、

 

どこの筋肉をどのくらい使って、

 

どうすれば10cm下をスイングできるかが

 

 

自らの感覚で分かる

 

 

のだ。

 

 

 

 

 

ビジネスでもそう。

 

センスがない人は、

 

テンプレート通りの棒読みのような文章や

 

セールスライティングをする。

 

 

 

自分自身の心に対して鈍感だから、

 

人の氣持ちがどのように

 

動くかが分からないからだ。

 

 

 

 

感覚が開かれているセンスがいい人は、

 

自分自身の心の動きに敏感だからこそ、

 

どういうときに人が欲しくなるのか、

 

どういうときに人が商品を買うのか、

 

どういうメッセージや商品を人が求めているのかを

 

よーーーーく知っている。

 

 

 

 

自分自身の心の動きを繊細に感じ取っているから、

 

相手の心がどう動くかもよく感じ取れるのだ。

 

 

 

 

 

スポーツにしても楽器にしても

 

アートにしてもビジネスにしても、

 

感覚が閉じている人は、

 

言われた通りにするしかない。

 

他者の中に答えを求めるしかない。

 

 

 

自分の中に正解を示す羅針盤であるはずの

 

「感覚」が使えないからだ。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「感覚を開く」ということが

 

何よりも大事なのだ。

 

 

 

幸せとは主観であり、感じ取るものであり、

 

その幸せを感じさせてくれるのは、

 

 

 

自らの感覚

 

 

 

だけなのだから。

 

 

 

 

そして、

 

 

「感覚を開く」

 

 

ということに終わりはない。

 

 

 

 

 

すでに感覚を使えている、

 

自分の感覚は開いている、

 

という実感がある人だったとしても、

 

まだまだ先があるのだ。

 

 

 

 

一昨日、こんな記事を書いたけど、

 

 

(5つと言いながら中身は

4つしかないと噂の記事ですw)

 

 

「感覚を開く」ということにも

 

段階があり、レイヤーがあるのだ。

 

 

 

自分自身の「快・不快」「好き・嫌い」

 

感じ取れるようなフェーズは

 

「感覚を開く」という点において

 

ほんの初歩に過ぎないのである。

 

 

 

 

 

そして、感覚を開き続けた最終地点には、

 

 

 

全知

 

 

 

という領域が存在する。

 

 

 

 

ここまでいくとめっちゃ

 

スピリチュアルな話になる。笑

 

 

 

また別の機会に語るとしよう。

 

 

 

 

 

僕たちは、感覚を開けば開くほど、

 

あらゆることに氣付いていく。

 

 

 

人が幻想(思い込み、エゴ)の中で

ドラマを生きていること。

 

いつでもそのドラマを抜け出して

調和を生きることができること。

 

願いは本当に実現できること。

 

全てはベストなタイミングで起きていること。

 

あらゆることが連動していること。

 

「個」として独立して

存在しているものなど何もないということ。

 

人間もより大きな命の源と

つながってエネルギーを受け取っていること。

 

「感情」さえも単なる幻想に過ぎないこと。

 

選択肢が見えていないだけで、

幻想の中で不可能と感じているだけで、

本当はあらゆる選択を自由自在に選べるということ。

 

 

 

 

感覚が開き、氣付くことが増えれば増えるほど、

 

僕たちは本質的に自由になり、

 

深く安心し、

 

ただこの命の喜びだけを選択して

 

生きていけるようになるのだ。

 

 

 

 

 

しかし、そういう僕自身も

 

車の渋滞でイラッとする程度には

 

幻想の中に生きている。笑

 

 

 

 

感覚を開いていこう。

 

 

あなたの感覚が、あなたの人生を導いていく。

 

 

 

 

「感覚シリーズ」

 

 

① 感覚を開くと、人は自由になる

 

② 「センスがいい」の正体

 

③ ビジネスにおいて感覚が大事な理由

 

④ 「考えること」と「感じること」(必読!)

⑤ 人を幸せに導くのに、知識も理論もいらない。

 

⑥ 僕がセッションのときに「感覚」を使って見ていること

 

⑦「知識」「理論」「ノウハウ」の意味

 

⑧ あなたが「あなた」に生まれた意味はこれです

 

⑨「感覚を開く」って具体的にどういうこと?

 

⑩ 一目見ただけで人の本質がわかる仕組み

 

⑪ 感じること」は「ここ」から始めていこう。

 

⑫ 嫌っていた人を許せた個人的な話

 

⑬ ちょっと恥ずかしいけど成長を実感した話

 

 

 

 

公式LINEではさらに濃い情報や

さまざまな企画を配信しています。

 

友だち追加

(ID:@dgx0086v)

 

これまでに7,000人が受講した特別音声、

「最高純度の人生を生きるたった1つの秘訣」