\覚醒の鍵は内側にあり!!/
ツインレイの覚醒・統合に向けての
「自分との向き合い方」
「課題〜自分を生きるとは〜」
「サイレント期間の過ごし方」
「エゴの削ぎ落とし方」
などをお届けしています。
自我の物差しを
捨てるため
我を押し通してる時は
神に見放される
というお話を
先日お届けしました。
我を通してる時
というのは
思考が優勢で
さらには無自覚
である時。
そのため
人の話は入りにくく
自分では動いてるようでも
何かに阻害されている
ような感覚の時だったり。
タロットカードの
大アルカナ「吊るされた男」
の世界観のような状態が
イメージしやすいと思います。
そのため
サイレント期間や
このカードも
嫌われやすい
のでしょう。
そして
みなさんサイレント期間に
入ると同時に行うことが
あるんですね。
反省とか自責とか。
サイレント期間は
「エゴを脱ぎ捨てる期間」
とも申し上げている通り
反省とか自責とかは
エゴです。
不要ですので
されてる人は
取り下げて
くださいね。
なぜ不要か?
きっと
「私のせいで
連絡を断ったんだ」
「私が何かしたから
嫌いになったんだ」
など反省や自責を
していることでしょう。
故意に相手の大切なものを
壊してしまったなら
反省は必要です。
しかし、
心当たりないことを
自責しているのって
災害時に育ててた
野菜や家を守れなかった
と自責するのと同じなんです。
いくら大切だからって
災害相手に
不可抗力じゃないですか。
つまり、
どうにもできないことを
「あの時にこうしてれば」と
不可能なことを考えても
どうにもできないということ。
そこに対してもがけば
「吊るされた男」のように
縛られたロープはどんどん
足に食い込んで苦しく
なってしまうのです。
それに
「あの時にこうしてれば」
「私が悪いんだから」
「彼にあんなことしちゃった」
など反省してることって
お耳に痛いことを申し上げますが
自分の物差し(価値観)で
見ているだけだったりします。
実際に振り返ってみても
悪いと思っていたことが
実は全く悪くなくて
全く気付いてないことが
悪いことだったりしたことが
ありませんか?
自分の物差しというのは
思考でありエゴが大半です。
そのため
「正義」のカードも
自分の物差し(思考)で
物事を見るということが
描かれてるんですね。
もちろん思考を
使う必要があるときも
あります。
思考を上手く
扱える時だって
フラットな時です。
じゃあ、
反省や自責ばかりを
している時は
フラットな時
でしょうか?
違いますね。
ただ
サイレント期間という
孤独で辛く感じる
期間を過ごしてると
反省や自責ばかりしますが
絞り出すまで行うと
だんだん「どうでもいい」
状態になってきます。
▼二人が追って追われてを終える時