その音楽に、ミュージシャンに、何を求めるのか。
ニューアルバムがリリースされる時、何を期待するのか。

もちろん、リスナーによっても、ミュージシャンによっても違うことは間違いないけれど、それはその人の自由であるし、その人とミュージシャンのつきあいや思い入れの歴史によって大きく変わり、人につべこべ言われる筋合いのものではありません。

だから好きなミュージシャンの新しいアルバムがリリースされる時、そのミュージシャンへの期待というバイアスが、大きくかかるのは当然のこと。
ニュートラルな視線で、冷静にそのアルバムを聴くなんてことは、できない。

今回の Sigur Rós のアルバムにも、旧来のファンからの賛否両論があるようだ。
期待以上のデキであり最高傑作だという意見と、こんなに醜い彼らの姿はもう見たくないという極論まで、実に幅広い。

実はそういうアルバムほど、刺激的なアルバムであることが多い。
過去創り続けてきた刺激的な音楽に比べて、ひどく平板で刺激のないアルバムをリリースしたのに、絶賛で迎えられたミュージシャンもいますけどね。

刺激が拒否反応を産むし、大絶賛を産み出す。

特に、過去からあるベクトルに忠実に、安定したアルバムリリースを続けてきたミュージシャンほど。

Sigur Rós の最新作、 "Kveikur"

Kveikur/Xl Recordings

¥1,664
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自分は Sigur Rós の熱心なファンであってきたわけではないし、むしろちゃんと聴いてこれは良い、と思ったのは前作からという、それなりに音楽イメージはあるものの、思い入れとは遥か遠いところにいるひとり。

だから、ここで見せる彼らの姿が醜いと言わざるを得ないほどの、過去への思い入れは理解しようがないけれど、このアルバムは確実に素晴らしいものであることは断言できます。

ここで聴けるのは、刺激的な Sigur Rós の姿。

前作 Valtari が豊穣なる静謐を体現したアルバムであるとしたら、このアルバムは、希望に溢れた陽光とデモーニッシュなダークネスの明暗がアグレッシブに交差する世界。

静謐と躍動のコントラスト。
天使と悪魔のバトル。







バトルの後の、静謐の時間。


いつものようにヨンシーはアイスランド語や造語のホープランド語で歌詞を書き、歌っているけれど、どちらの言語も聞きとれるわけはないので、歌はあくまでも声を発するためのきっかけとして捉えるけれど、まったく問題ありません。

それほどに素晴らしい、音像によるイメージの広がり。

一部のファンの期待は裏切ったのかもしれないけれど、この刺激的な音楽は彼らの音楽を評価する人を確実に増やすでしょう。

自分にとっては、これと前作というまったく性格が違う2枚があれば、Sigur Rós への欲求は満たされそうです。


浮遊系。

甘い混沌。

アナログと電子音の融合。

米アイダホ州ボイシー出身のマルチ・インストゥルメンタリスト、Trevor Powersのソロ・プロジェクトである、 Youth Lagoon

セカンドアルバム "Wondrous Bughouse"

Wondrous Bughouse/Fat Possum Records

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こういう音楽は、聴いてみて感じるかどうか。
好き嫌いもはっきり分かれるでしょう。

Flaming Lips の新作が、暗く研ぎ澄まされた浮遊感だとしたら、こちらは温かく包みこまれる浮遊感ですね。

どちらも非常に個性的で、愛聴しています。

音の出し方や時間の流れがプログレにも似ているので、プログレ好きにもウケるかもしれません。







先日、アルバム "So" のリマスターの比較試聴をレビューした、Peter Gabriel

So が大ヒットしたのは、ひとつにはスレッジハンマーという曲がPVも秀逸で評判となったこと、アルバム全体を通して強靭なリズムセクションをベースにしたノリ易い曲が多かったこと、ジャケットも含めてわかりやすいポップネスが貫かれていたことでしょう。

結果的に全英で1位、全米でも2位というセールスを記録したわけですが、それらの要因はもともとピーガブがもち合わせていたものではなく、彼のイマジネーションと共演するミュージシャンと時代が共鳴して形作られたもの。

もともと彼が得意としていたのは、おどろおどろしいポップネスというか、一筋縄ではいかない捩じれたセンスの音楽です。
それが彼の声と共鳴して、独特のロックを鳴らしてきました。

つまり、So が持つ音楽性はたまたまのものであり、いくら売れたとしても同じ方向性のアルバムが続いて創られるはずはない、というのが必定。

同時に Womad を主宰したり、リアルワールドレコードというレーベルを立ち上げて、アジアやアフリカのミュージシャンを数多く紹介したりで、彼の音楽的興味のベクトルは、自らのソロワークを極める方向には向きづらくなっていましたね。

しかしそういった活動が、彼のソロワークにどういった影響を与えるのか、そこからどれほど素晴らしいアルバムがリリースされるのか、期待が膨らんで行ったのも事実。

彼にもそういった状況がわかっていたのか、単に忙しかったのか、新しいソロワークとしてのオリジナルアルバムがリリースされたのが、6年後の1992年でした。

6枚目のオリジナルソロ、 "Us"

Us/Real World Prod. Ltd

¥1,288
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たぶん、彼の音楽が好きな人の中で比較的評価の低いアルバムなのではないでしょうか。
自分もそうです。
最近のピーガブ熱上昇がなければ、聴き返すことはなかったかもしれません。

リリースされた時、このアルバムに期待していたのは、そういった第三世界のミュージシャンとの活動と彼のオリジナリティの有機的結合が、どんな果実をもたらしてくれるか、ということでした。

それが表向きの期待とすれば、隠れた期待として、彼が So で聴かせたくれた達人ミュージシャンたちがからんでの、スレッジハンマーやビッグタイムといった、シャープで爽快なパーカッシブなロックをアゲイン、という部分があったのも事実。

いわば、パーカッシブなカタルシスをもたらしてくれるロックを強く期待していた。

ピーガブは、そんなものを6年後にもう一回創ろうとも思っていないのに。

Us は、もちろん彼が体験してきたアフリカン、アジアンなリズムをうまく取り入れして彼の音楽に昇華しています。
しかし、それらのリズムをまんま取り込み目玉として置くようなことはしていません。

あくまでも彼の音楽として、優れたボーカリストが彼のボーカルに立ち返り、それを生かすサウンドプロダクションの一部として取り入れているだけです。

ところがね、前作でツボにはまった爽快感という方向性をリスナーが勝手に望んでしまったのですね。自分も含めて。
本来のピーガブの音楽性ベクトルではなかったはずなのに。

その視点を捨てて、改めて聴いてみると、実によいアルバムです。
さっきも書いたけれど、第三世界のリズムをうまく消化して自分の歌の世界観を拡大しています。
そして彼の歌が実にいい。

スタジオ盤のYouTubeに音の良いものがなかったので、ライブバージョンです。


スタジオ盤よりもリズム強化されたライブバージョン。






アルバムには、スレッジハンマーやビッグタイム系の Steam という曲もありますが、どこか切れ味爽快感タイプの曲としては中途半端。
これもこのアルバムの評価が今一歩高まらなかった原因かもしれません。

そりゃそうでしょう。
この曲はヒットした前作で付いたファンへのサービスなんだから。
すでに彼は先の音楽を見つめていたのだから。

やっぱり、ピーガブは素晴らしいミュージシャンです。
改めて。


Vampire Weekend の衝撃的だったセカンドアルバム、"Contra" 。
これだけ明るく軽やかに突き抜けるロックを知らなかった。

跳ねる、という言葉がふさわしい。
どんな障害も突き崩しながら進むのではなく、見事な跳躍力で軽々とひらり飛び越えてみせる。

今までのフォーマットを解体して、彼らの方法論で新しいロックのカタチを見せてくれた素晴らしいアルバムでした。
そこを土台に次はどんなロックを見せてくれるのか、その期待感は大いに膨らんでいたわけで。

サードアルバム、 "Modern Vampires Of The City"

Modern Vampires of the City/Xl Recordings

¥1,568
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最初聴いたときは、なんだか地味だな、という印象。
何度か聴くうちに薄れてきたけれど、それはまず、セカンドアルバムからの期待感バイアスが正常化するために、多少の時間が必要だったのでしょう。

たしかに、サウンド面の変化も大きい。

ここではトライバルなリズムセクションも控えめで、跳ねるオプティミズムも後退。
音数もずいぶん削っています。
陽気だったところに、かすかな翳りが差し込むようなニュアンスも増えました。

意図的にか、結果的にか、エズラのボーカルに一層のフォーカスが当たっています。
そして、曲も今まで以上に丁寧に創られ、歌いこまれています。

セカンドでは自分たちのフォーマット進化を見せつけたとしたら、このアルバムでは、曲と歌のブラシアップにもう一度立ち返った彼ら。
フォーマット的には、ややオーソドックスに巻き戻した印象。
それだけに、曲には素晴らしく優れたものが多い。

いろんなアメリカンルーツミュージックの影響もあるようだけれど、それはすでに彼らの音楽として消化済みで、ほとんど気にする必要はありません。

やっぱりこの2曲が白眉。




セカンドとこのアルバムをつなぐ曲。


彼らは音を削りました。
前作で確固たる評価を得た音を。

それだけ創り上げた音を削れる人は、強い。
過去の成功に拘泥せずに、白紙からスタートして新たな高みに登れる自信があるということでしょう。

例えば、天才サッカー少年が、自分の才能とカラダの柔らかさを武器に、ドリブルとリフティングでガンガン抜いて行く派手なサッカーをしていたとしたら、その少年が成長し、世界で活躍できるサッカーを意識し、優れた戦術眼で最もゴールにつながる質の高いプレイを目指すようになってきたような。
そこでは人気のもととなっていた、見た目の派手なプレイはあえて封印しているような。

素晴らしいアルバムであることは確かです。
そこには疑問の余地はありません。

しかし、あのセカンドの延長でフォーマットを磨き続けたら、その先にはどんな景色が見えていたか。
そこを見たかった気がしないでもありません。

天才少年が、自分の思うままにするプレイするとどんな神業が飛び出すのか、楽しみなように。

今作への立ち帰りは彼らにとって重要なステップであり、次のステップでは想像を超えたジャンプアップを見せてくれると期待して。


会社のそばにある、時々ランチにいく食べもの屋。
ちょっと変わったメニューで独特の味付け。
好きでたまらないおいしさというわけでない。

昼飯に何を食べようかと思った時に、時々なんとなく思いついて、たまにはあそこに行くか、という感覚ですね。
他にうまいメシ屋がたくさんあるので、しばらく足が遠のきいつのまにか忘れてしまうけど、ある程度の周期で思いだして、そういえばしばらく行ってなかったなと、なんとなく気になる。
閉店されるとちょっと寂しい。

自分にとって Deerhunter はそんな存在です。

だから新譜が出ても、それほどは期待しないで、ゆるーい感じで聴いて行きます。
なぜか、彼らの良さがすぐにピンとこないので。

最新作、 "Monomania"

Monomania/4ad / Ada

¥1,673
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前作、 Halcyon Digest からは若干アグレッシブになった感があります。
むしろその前の Microcastle に近いイメージかもしれません。

クレジットを見ていると、ほとんどがブラッドフォード・コックスによるものです。
先日 Lotus Plaza 名義で発表したプントの曲は1曲のみ。
制作過程を見ても、コックスがひたすら大量にデモを創り貯めた中から選んだ曲たちのようなので、事実上のコックスによるDeerhunter名義のソロアルバムに近いのかも。

と言いながらも、Deerhunter そのものですね。
自分的には、ギターが強くフィーチャーされた曲が好きかも。





それとこの曲、T.H.M. 。
彼らの中でもっとも美しい曲なのではないかと思います。
中盤は Sparklehorse を彷彿とさせるところもあって、大好き。
と思ったけれど、YouTubeにはスタジオ収録版がなかったので、貼れませんでした。。

ドラッギーでサイケな浮遊感を快感と感じられるかどうかが、Deerhunter の音楽への許容度につながるんでしょうね。
オリジナリティは強く感じるものの、未だそこへの感覚が鈍い自分には、しばらくは時々聴きたくなるロックの範疇を超えることができない気がします。

パクチーが入ってる料理は、パクチーそのものが好きか嫌いかで大きく評価が変わります。
好きな人はこれでもかと入れてほしがるけど、嫌いな人はその匂いがするだけで、もう食べられません。

自分も、フォーは好きだけれども、パクチーがたくさん入っていると食べたくない。
パクチーが入っていない方が安心してバクバク食べられるけど、かといって、まったく入っていないフォーもなんとなくフォーじゃない気がして物足りない。

微かに、パクチーの香りがするかしないか、そんなフォーがいいのかも。

自分にとって、 Deerhunter はパクチー入りのフォーなのかもしれません。