その音楽に、ミュージシャンに、何を求めるのか。
ニューアルバムがリリースされる時、何を期待するのか。

もちろん、リスナーによっても、ミュージシャンによっても違うことは間違いないけれど、それはその人の自由であるし、その人とミュージシャンのつきあいや思い入れの歴史によって大きく変わり、人につべこべ言われる筋合いのものではありません。

だから好きなミュージシャンの新しいアルバムがリリースされる時、そのミュージシャンへの期待というバイアスが、大きくかかるのは当然のこと。
ニュートラルな視線で、冷静にそのアルバムを聴くなんてことは、できない。

今回の Sigur Rós のアルバムにも、旧来のファンからの賛否両論があるようだ。
期待以上のデキであり最高傑作だという意見と、こんなに醜い彼らの姿はもう見たくないという極論まで、実に幅広い。

実はそういうアルバムほど、刺激的なアルバムであることが多い。
過去創り続けてきた刺激的な音楽に比べて、ひどく平板で刺激のないアルバムをリリースしたのに、絶賛で迎えられたミュージシャンもいますけどね。

刺激が拒否反応を産むし、大絶賛を産み出す。

特に、過去からあるベクトルに忠実に、安定したアルバムリリースを続けてきたミュージシャンほど。

Sigur Rós の最新作、 "Kveikur"

Kveikur/Xl Recordings

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自分は Sigur Rós の熱心なファンであってきたわけではないし、むしろちゃんと聴いてこれは良い、と思ったのは前作からという、それなりに音楽イメージはあるものの、思い入れとは遥か遠いところにいるひとり。

だから、ここで見せる彼らの姿が醜いと言わざるを得ないほどの、過去への思い入れは理解しようがないけれど、このアルバムは確実に素晴らしいものであることは断言できます。

ここで聴けるのは、刺激的な Sigur Rós の姿。

前作 Valtari が豊穣なる静謐を体現したアルバムであるとしたら、このアルバムは、希望に溢れた陽光とデモーニッシュなダークネスの明暗がアグレッシブに交差する世界。

静謐と躍動のコントラスト。
天使と悪魔のバトル。







バトルの後の、静謐の時間。


いつものようにヨンシーはアイスランド語や造語のホープランド語で歌詞を書き、歌っているけれど、どちらの言語も聞きとれるわけはないので、歌はあくまでも声を発するためのきっかけとして捉えるけれど、まったく問題ありません。

それほどに素晴らしい、音像によるイメージの広がり。

一部のファンの期待は裏切ったのかもしれないけれど、この刺激的な音楽は彼らの音楽を評価する人を確実に増やすでしょう。

自分にとっては、これと前作というまったく性格が違う2枚があれば、Sigur Rós への欲求は満たされそうです。