悲しいほどにビールが不味い。


こういうのって、大体置かれた状況が芳しく無くて、精神的に酒を楽しむ余裕が無い時の話が多かったりする様な気がするのだが…


そういうんじゃ無くて、リアルに美味しく無いんですよ最近。


あの乾いた喉に染み入る様な時の感動がね、感じられない。


純粋に飲んだ瞬間に広がる「酔い」の感覚が無くて、すぐ気持ち悪くなっちゃうんですよね。


そして、しばらく気持ち悪さが抜けなくて悶々とした後に、酔った時の高揚感も無く覚めていき、もれなく腹を下すんですよ。


何が悲しいって、習慣でつい、飲んじゃうんですけど、かなりの確率でこうなっちゃう。


おかげで前はほぼ毎日晩酌してたんですけど、そんなに飲まなくなりました。


こうなってからつくづく思うけど、食べる事と飲む事って、自分の生活の楽しみの大きな部分を占めていたのだよね。


おかげで生活にハリも無くなりました。


そしてこんなタイミングでまたまた職場での役割変更。


これまで、なんかテレフォンオペレーターの仕事してたんだけど、急に管理部門の担当者になりました。


突然、毎日電話で怒られる立場から、各センターに指示を出して管理する立場に。


これね、偉くなったから楽しそうみたいに見えるかも知れないですけど、ストレスが半端ない。


こんな時こそ、一杯やってストレス解消したいと思うのになぁ…



カテーテル問題が落ち着いて、廃液時にあまりエラーが出なくなったので、下剤と利尿剤を飲む毎日からは解放された。


しかしながら、悲しい事に利尿剤は飲み続けろという指示が出て、飲んでるけど効いてる気がしない。


そのくせ、止めたはずの下剤の効果か?下痢が止まらない。


でも、腹はグルグル鳴っていても、ある程度はコントロール出来るので、割と普通に外出して仕事したりしている。


今日は休みで珍しく予定も無い。


ふと思いついて、ちょっと出かけてみた。


何故かうなぎ が食べたくなったので、最近激増中の話題店「うなぎの成瀬」に行ってみた。


食べてみたのはこちら


上鰻重の竹 2500円のもの。


そこそこ安いのに確かに割とちゃんとしていて、美味しい。


まぁ明らかに国産鰻じゃないけど、そんな贅沢は言えないよね。


その後はその辺をブラブラして、家電量販店とかもみて回ったけど、欲しいものがない。


最近の悩みの一つがこれ、欲がなくなって、生き甲斐を失いつつあるなと実感。


仕事があるから何とか間が持ってる気がするけど、病気のせいで身体動かす系の趣味を全捨てしたので、本当に廃人みたいになってしまったなと。


仕事の内容もバリバリの運送業から今はコールセンターのオペレーターに変わったせいで足腰の弱りようは恐ろしいほどだ。


流石にヤバいからそろそろ何か身体動かす系の趣味でも始めるかな。


ま、腹のグルグルが収まってからだけど…


近所のジムでも通うかな…腹から管出てるけど入れてくれる?

居間でゴロゴロしてたら、バイト行く前に娘が「これ」とプレゼントをくれた。


照れ臭そうに「いつもありがとう」なんて言う。


ここでやっと、あー父の日かと気がついた。


うちは割と、こういうイベント事は大事にする様になったのは、きっとカミさんのおかげだよなぁと感謝。


プレゼントの中身は靴下だった、ありがたいね。


昼は探し物しに出かけたが、ついぞ見つからず、仕方なく、よく行く「西海」と言うラーメン屋さんにて昼飯。


この店長崎ラーメンのお店なんだけど、臭く無い博多豚骨みたいな作りで、結構幅広い層に人気ある。


個人的にはもう30年来お世話になってるんで、勝手にここいらのソウルフードかなと思ってます。


まあ、チェーン展開してから、なんか味変わったかなと言う気はしなくも無いけど、美味しいからこれで良いのだよね。


夜は家族で待ち合わせてしゃぶしゃぶのお店を予約して行きました。


初めて行ったお店だったので、使い勝手が分からず、システムに四苦八苦。


この手のお店は攻略法がしっかりしてると楽しめそうなんだけど、初めてはかなり不利。


まぁ何とか美味しく頂けたから良しとしますかね。


腹膜透析する様になってから、少し不便に思うのは、こういう外食とかすると帰りが必然的に遅くなるので、次の日仕事だと難しい。


今回もゆっくりしたいけど、透析の時間の関係で帰りは急いで帰りました。


APDだと機械の都合なんで、一回繋いでしまうと8〜9時間拘束されるから、出勤から逆算して、夜10時には全ての準備が出来てないといけない。


そう考えると、9時には帰宅してないと準備が間に合わなくなる。


夜遊びは出来ないな、次の日休みなら良いけど。


まあ、お酒が入ると余計な悪さをしてきた自分に対して戒めみたいなものなのかな?


そんな事をぼんやり考える父の日なのでした。