私の癌と、相方さんの難病と。

私の癌と、相方さんの難病と。

私は卵巣癌(2007年)と腎臓癌(2019年)の経験者。
相方さん(パートナー)は2022年4月に難病 脊髄小脳変性症(多系統萎縮症?)と...。

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2019年5月17日に腎臓がんの手術を受けて、
現在は経過観察中です。

入院中に遡って書いていきます。


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✱5月22日(水)

術後5日目。

早朝に点滴が終了してまず左手解放アップアップアップ

8時半頃にチームMの先生5人位で
ドカドカやってきて

グラサン「タクミさん!ドレーン抜くよ!今!」

と主治医。

「いま!?そんな急に?しかもここで!?」

身体切ってその穴からホース入れてるのに…
そんな簡単に抜けるのか…

若手のコードブルーコンビ(若い男女の2人)
太一君(国分太一くんに似てるから)と
美女先生が主治医のM先生が見守る中
抜いていきました。

若い人達の練習台になってる感じかな。

術後からひとつずつ色んな物が外れていき、
私すごい自由!って浮かれてた。

術後は自分じゃ何も出来なかった。

やっとシャワーもオッケーになって、
自分の傷を鏡でまじまじ見てみる。

ゲジゲジ…
なんか脇腹に
長いゲジゲジがおる…

夕方、少し歩こうかなと病室を出ようとすると
主治医のM先生がやってきて

グラサン「おっ 身軽になったねぇ~!
いよいよ退院ですか(笑)」

と、なんにも管が繋がってない
さっぱりした私を見て言った爆笑



✱5月23日(木)

術後6日目。

この頃、困っていたのは便が出ないこと。

ご飯食べだして数日になるのに
なんっにも出てこないうんち

おならはポコポコよく出るのに...チュー
食べた物はどこにいってしまったのか。

なかなか出ないですね、ということで
前日の夜からから
マグネシウム錠を飲み始めました。

出てこい!ビッグ・ベン!(笑)

この日は診察も処置も無くて1日オフ(オフ?w)。



✱5月24日(金)

術後7日目。

前日夜にマグネシウムとは違う下剤を処方されまして、朝無事に生まれました(笑)

担当の看護師さん2人が

「お~!!」👏👏👏と

拍手喝采で喜んで下さり
私も喜びひとしお😊

そして9時過ぎに抜ピン(抜鉤)。
美女先生が病室で処置してくれました。

ツンツンひきつるというか引っ張られる感じで
時々痛い。

「いてててて」と少し声に出してしまった。

ピンの止め方が、皮膚に対して真っ直ぐ直角じゃないと痛いです。

これは卵巣がんの手術した時から知ってた。

抜ピンしながら美人先生と少しお話。

おとめ座「尿道カテーテル、
入れる時痛くなかったですか?」

「まぁ、痛い…っちゃ痛いですけど。
 少しの間だけなんで耐えられる痛さですね。」

おとめ座「ホントですかー?
あまり痛がって無かったから
すごいなと思っていたんですよ。」

「その後の方が地獄でしたよ笑い泣き

傷もキレイに塞がっているという事で
次の日退院する事になりましたデレデレ
卵巣がんだと告知された次の日。


仕事中に携帯電話が鳴った。
知らない番号…キョロキョロ

…嫌な予感。
恐る恐る出ると病院からだった。

○○病院 婦人科のKと申します。
昨日の血液検査の結果
腫瘍マーカーの数値が高いので
検査をしたいと思うのですが

血の気が引くのがわかったガーンガーンガーン

とっさに

「え、あの、そんなに悪いんですか?
命に関わることですか…?」

と、聞いた。

職場のロッカールームで、
ぶっ倒れそうになる。

いや、今すぐどうのって事では無いんですが
数値も高めですし
お若いので早め早めに検査していった方が
良いと思うんですね。

来週から入院してもらって、
CTとか手術に必要な検査を進めた方が良いかと

ら、来週!?ガーン
昨日はCT撮るのも2ヶ月後って言ってたのに…

これは
ホンマにあかんやつ……ゲロー

電話で聞いた腫瘍マーカーの数値、
確か何万とかだった。


もうダメじゃん
アウトじゃん


電話を切った後、当然仕事になんかなる訳もなく。

同僚に

「私、死ぬと思う…」

と涙目で訴え困惑させショボーン

「入院の準備とかあるので、
もう午後からお休みさせてください」
と訴え

その当時の部長にすぐさま報告。

死ぬかもという不安と同時に
いつ復帰できるかも解らないので
自分の居場所がなくなるのでは無いかという不安。

「私の戻る場所はあるんでしょうか…チーン

そんな事を確か聞いた。

部長には

「仕事の事はとりあえずおいておいて、
とにかく今は身体の事を考える様にしないと真顔

と言われ。

同じ事をまた聞いて。チーン
また同じ事を言われ。真顔

なんやかんやで
翌週から入院する事になったのです。

その当時まだ30歳。

いきなり死というものが目の前に迫ってきて。

それを冷静に受け入れるには
まだ若すぎました。

2019年5月17日に手術を受けて、現在は経過観察中です。
 
入院中に遡って書いていきます。
 
 
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✱5月20日(月)

術後3日目。

今朝の体温 左37度8分 右36度2分チーン

もう何を信じていいのかわからない笑い泣き

頭を抱える私、困惑を隠せない看護師さん。


そして朝のうちにステントと
おしっこの管が取れる。

繋がってるの2本も無くなった!

気分的に全然違う口笛
そして動きやすい。お股の違和感も無いおねがい

自分で歩いてトイレにいけるってありがたい照れ

午後15時頃
背中の硬膜外麻酔が終了

からの17時半...
安静にしていても結構痛みが出てきたので
痛み止めの点滴をしてもらう。

卵巣がんの手術の時より痛いかもガーン
あの時は痛み止めの点滴なんてしなかった。

「硬膜外麻酔 様
さよならしないで欲しかった
でも私強くなるね」

Twitterでそんな事呟いてました笑い泣き



✱5月21日(火)

術後4日目。

大きな病院に入院した方なら経験あると思います。



謎の団体行動
教授回診


教授回診の意味…

教授回診の意味ーーー!!!


あんな大人数で
朝ご飯時に教授様先頭に回診する意味は?

しかも部屋の入り口開けて
そこで会釈するだけで入っても来ない笑い泣き
(担当のM先生は来てくれました)

教授様が偉いのはわかったから落ち着け。

滑稽でしかないぞ(笑)



ランニングランニングランニングランニングランニングランニングランニング



話はそれましたがニヤニヤ


背中の硬膜外麻酔を抜いてから
痛みが酷くなり

歩いてと言われるけど
まずベッドから起き上がれないゲロー

そして咳が出る様になりおーっ!
咳の度に激痛に襲われる。

(卵巣がんの手術の時もそうでしたが
手術の挿管のせいで痰が絡んだり
咳が出る様ですえーん)

筋肉を切ったり
骨を切ってるから痛いんだそうだ。

(手術の邪魔だから肋骨一本切ってます。
それはそのまま放置だそうです笑い泣き)


そしてこの日個室から大部屋に移りました

2019年5月17日に手術を受けて
現在は経過観察中です。


入院中に遡って書いていきます。




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✱5月17日(金)

手術当日、深夜

発熱キョロキョロ38度8分。高熱久しぶり。

うさぎ「ちょっと高いので解熱剤使いましょう」

と看護師さんに言われて
点滴に解熱剤注入。

その後信じられないくらいの大汗かいて
ビッショ滝汗になって
36度5分まで下がる。

(結局また同じくらいまで熱が上がり
シャワーも出来ないのにこんなに汗かくなら
解熱剤なんか使うもんかえーんと心に誓う。)



✱5月18日(土)

術後1日目。また熱が上がり始める。

特にする事もなく(出来ないし)大人しく安静。

チームMの2番目に偉いと思われる
カピバラ先生クマムシくんが来てくれた。

傷口を見て
クマムシくん「キレイな傷口じゃないですか~キラキラ

と、何やらご満悦(笑)

クマムシくん「右側(開腹した方)下にして寝ても
良いですからね~」

と言って去って行った。

いや、痛いし怖いしそんな事できませんておいで


午後、おかんと弟が面会に来てくれた。

相方さんも仕事終わりにかけつけてくれたランニング





✱5月19日(日)

術後2日目

口から水分補給してOKにおねがい

看護士さんがコップに
水道水を入れてくれたんだけど

まずくて飲めず...ガーン


ちょうど面会に来てくれたおかんが
ミネラルウォーター買って来てくれたハート


夕方相方さんも来てくれたコアラ


そして夜気づいたのだけど
左右で測った体温が違う事が判明。

左38度8分 右37度2分とか
何回試しても左が高い。

私と看護士さん困惑…もやもやもやもやもやもや

左右で体温違うってなんなん?

私大丈夫?
地味に心配なんだけど…アセアセ


結局それはしばらく続いて
検温にきた違う看護士さんに

うさぎ「左右で体温が違うって…?」

と怪訝そうな顔をされてました。


左右で体温違う件

結局理由は解らず…

未だに、ごく稀に左が少し高い時があります。

なんなんでしょ?




2019年5月17日に手術を受けて、現在は経過観察中です。
 
入院中に遡って書いていきます。
 
 
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酸素マスクみたいなものを口に当てられた。
 
「少しずつ麻酔入りますよ~。
普通に呼吸していてくださいね~。」
と言われ
 
「あ、麻酔効いてきた。。。?」
そう思いながら、瞼が重くなるのを感じた。
 
と、ふっと目が開いたキョロキョロ
 
全身麻酔から醒める瞬間は
何度経験しても不思議だ。
 
一瞬ウトウトした?という感じなのに
数時間が経過している時計
 
 
まだしっかり目が開かないけど、
近くに誰かがいるのがわかる。
 
あ、私が目を開けたことに気付いた・・・
 
喉、苦しいな。
なんか圧迫されてる・・・
・・・まだ挿管されてるのか。
 
右・・・脇腹切ったんだよね。
まだ痛み感じないな・・・
 
ゆっくり瞬きして、ボンヤリしながら
そんな事を考えてるうちに
抜管されて、オエッ・・・ゲホゲホゲロー
 
 
そこからは記憶が曖昧だけど
多分病室に移ってから母親と何時?とか
会話したと思う。
 
15時頃、手術は終了したみたいだ。
手術室に入ってから出てくるまで
おおよそ6時間。
 
そして、予定通り右腎臓の部分切除で済んだ。
 
ドクターMグラサン
上手いことやってくれたんだ。
 
少し意識がハッキリしてから、
自分がどんな状況か確認する。
 
両手の甲に点滴してる。
 
傷口のドレーンもあるんだっけ。
 
あとは尿管ステント おしっこの管。
 
「おしっこの袋、青い色してるわ~」と母親。
 
腎臓を部分切除した後に
尿管がちゃんと繋がったか
おしっこが漏れ出てないかを
手術中に確認するための液体・・・。
 
そのための尿管ステント入れるの
本当につらかった・・・
 
あー

生きてる。

良かった。

目が覚めて良かった。

 
相方さんが心配してるだろうと思い
まだ力が入らずプルプルしてる手で
「終わったー」
とだけラインをした。
 

硬膜外麻酔が外されてからが大変だろうな・・・


そんな事を考えながら眠りに落ちた。

 

だいぶご無沙汰してしまいましたタラー


今回は、12年前に罹った
卵巣のがんについて書こうと思います。


卵巣胚細胞腫瘍の中の

未分化胚細胞腫」。

比較的若年層が罹るんだとか。


2007年の8月。

便秘と下腹部痛とお腹の張りがあって
ある週末の金曜日に内科を受診。

お腹を触った先生に

みつばさん、筋腫か何か持ってる?
と聞かれ

キョロキョロ???」状態。

一応便秘のお薬出すけど、
1週間経って変化ないなら
エコーで検査しようか。

そう言われてハッびっくりと思い出す。

その半年くらい前に、
婦人科で卵管に何かある
と言われていた事を。


多い時は1週間に2回とか通って診てもらうも
ハッキリ何とも言われず

おバカな私はそのうち
通うのをやめてしまっていた。

予約制だけど
必ず2、3時間待たなくてはいけなくて
そんなのもあって行かなくなってしまい。


それを思い出した私…

その足で婦人科へ行きましたランニングアセアセ


事情を説明して内診台へ。


白くて楕円形っぽい形をした物が
エコーの画像が映る画面いっぱいに見えた。


これはさすがに
素人の私でも解る異常さ


みつばさん!
これ、便秘とかそういう類いの物じゃないよ!


え、なんですか?アセアセ

解らない。なんとも言えない。
良いとも悪いとも言えない。」 

でも明らかにおかしいという事が
先生のテンションから解る。

とりあえず
大きな病院にとばされることが決定して
紹介状書くから、と言われて待合室で待つ。


最悪の事しか考えられないガーン

相当青い顔ゲローでもしていたのか、
看護師さんに「大丈夫?」と肩を叩かれる。

大丈夫じゃないけど、
心配してくれた事が嬉しかったえーん


「何曜日でも良いけれど、
水曜日なら教授の先生が担当の日なので。」

と書類を渡され帰宅した。


週末はモヤモヤしたまま休日を過ごし
お待ちかねの翌週の水曜日に大学病院へ。


だいぶ待って診察室に呼ばれて入ると

ロマンスグレーの
白衣を着たナイスミドルが。

教授っぽい!」と心の中で思う。

ナイスミドルの診察を受けた後
ナイスミドルが一言。

おじいちゃんうん。これはほぼがんですね。


おい、ナイスミドル。

いきなり告知か?

って位、あっさり告知をされる。


…あの…それは
今すぐ命に関わる事なのでしょうか…(涙目)」

いや、すぐどうこうはありません。
手術して取れば大丈夫ですよ。
顔つきもそこまで悪く無さそうに見えるし。

ほんとか!ナイスミドル!!びっくり


少し安心して、その日は採血をして
CTの予約を取って終わり。


CTの予約の時に

「CTの予約がいっぱいなので、
早くて2ヶ月後になります。
手術もいっぱいなのでそれ以降になりますね。」

と言われて

「なーんだ、本当に慌てなくて良いんだ!
がんだって言ってたけど…ね…」

と若干モヤモヤしながら病院を後にします。

ですが、その次の日に

青天の霹靂
大どんでん返し

見事地獄に落とされるのです。


5月17日に手術を受けて、現在は経過観察中です。

入院中に遡って書いていきます。


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令和元年 5月17日(金)

早朝、主治医のドクターM猫が挨拶に来てくれた。
(4人1チームの中で1番偉いと思われる先生。
1番最初の診察から診てもらっている。)

豚「夕べは大変でしたショボーンって言ったら

グラサン「やっぱり?と( ̄▽ ̄)ニヤリッ

豚「今やっぱりって言いました!?
……でも今は大丈夫です。」
と私。
グラサン「いや、ごめんごめん(笑)
人間って慣れるんだよね。
最初はなんでこんな事に…って思ったりするけどさ。」

何をしてても無くならなかった違和感
(おしっこ我慢しまくってる感じや痛み)も
嘘みたいに無くなっていた。

ただ、管が入ってることには変わりは無いので
ベッドに腰掛けたりしていると
お股に違和感はあるあせる

両親が予定していた時間よりだいぶ早く来てしまい
手術前の浣腸をした直後に現れる滝汗

豚「今浣腸したとこだから!
バタバタしてるから今は話とか無理!」
と追い返し(ひどい)

トイレに行ったり、血栓予防の白タイツ履いたり。

そして看護師さんと
チームMの1人で頼りなさげな
ドクター太一君とか何人かでお迎えに来た。

途中まで両親も一緒に向かい
「家族の方はここまでです。」
と言われた所で握手してさよならバイバイ

患者の取り違えとかリスク管理が
12年前より厳しくなっているイメージキョロキョロ

名前 生年月日 や手術の部位など
手術台に上がるまで3回~4回聞かれて
答えた気がする。

12年前の手術の時は、病室から点滴をして
ストレッチャーで運ばれたけど
今は動ける人は自分で手術室まで歩くんだね…

そして8時45分頃 手術室に入室。

狭い狭い細い手術台に自分で上がって横になる。
(私豚が太まし過ぎるという説が濃厚。)

すると扉が開いて
颯爽とチームMが登場ランニングランニングランニングランニング

ドクターMグラサン「よろしくお願いしまーーす!」

テンション高っびっくり

グラサン「みつばさん、よろしくね!」
と言って私の肩をポンポンおいで

そばにいた麻酔科の女性が
「M先生、元気いいですよね~」と
クスクス笑ってる。

グラサン「だって俺がたまに静かにしてるとさー
具合悪いのかとか心配されちゃうんだもん!」

手術が好きなのかなぁ?と思うくらい
テンション高い。
でもその明るさに救われたおねがい

硬膜外麻酔の管を背中に入れる処置をしている最中
チームM4人ランニングランニングランニングランニング
輪になって話をしていた。

グラサン「今日はとにかく色んな事やるから
しっかり見て勉強してね!」

きっと
主にドクター太一君に言ってるんだろうな(笑
と心の中で笑ったニヤリニヤリニヤリ

事前に、ドクターMからは
ちょっと難しい手術って聞いてたけど

若い先生にとっては良い経験になるんだろう。

練習で出来ない事とか
実際やってみたり見れるチャンスなんだろうな。


5月17日に手術を受けて
 
現在は経過観察中です。



入院中に遡って書いていきます。





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手術前日の夕方、尿管ステントを入れてから
それはそれは大変だったガーン
 
激重の生理痛のMAXみたいな痛みと
右脇腹痛えーん
 
(腎臓が両脇の背中の方にあるからか)
 
そして、手術の為の下剤を飲んだので
それも合わさってどこの何の痛みなのかも
よくわからなくなってきていた。

 

 

 

 

 

ステントのせいで
常にトイレに行きたい様な違和感もやもや
 
下剤のせいで起こる腹痛もやもや
 
最初は10分おきにトイレに行っていたけど
キリが無いのでトイレに籠ることにしたニヤリ

 

 

 

 

 

そして事件!!
 
おしっこを袋に溜める管が
途中で外れる!
 
おしっこピューーーーー波
 
よくわかんないけど繋ぎ目みたいな所の
止め具が外れやすいらしい。

 

 

 

 

 

慌ててトイレ内の呼び出しボタンを押して
看護師さんに来てもらう。
 

 

 

 

 

 

あぁ…もう…
 
 
情けない…チーン
 
 
手術これからだってのに
私の心は早くも折れかけるハートブレイクハートブレイクハートブレイク

 

 

 

 

 

痛みもツラいけど
1番ツラいのはステントの違和感ドクロ
 
そしておしっこ我慢し続けている苦痛ドクロ
 
「おしっこ行きたい!あせる
おしっこ漏れちゃう!あせるあせるあせる
 
…ぐらいの違和感が延々と続くのだ。
 
 
痛み止めを飲めば、痛みは和らぐ。
でも、違和感は無くならない。

 

 

 

 

 

この時の私の心の声下矢印下矢印下矢印

 

 

 

 

 

 
腎臓を片方取っちゃうなら
ステント入れる必要無かったんだよね?
 
私の部分切除が難しい手術だから
ステント入れなきゃいけなくなったんだよね?
 
こんなに苦痛なら
部分切除なんて選ばなければ良かった…えーん
 

 

 

 

 

 

今となっては部分切除で良かったと
心から思っているけれど
 
この時は
腎臓片方無くてもいいと思ってしまうほど
本当にツラかった…

 

 

 

 

 

結局痛みや違和感がひいた(慣れた?)のは
夜中の2時近く。
 
睡眠時間は3時間程しか取れなかった。
 
 
5月17日に手術を受けて、現在は経過観察中です。
手術前に遡って書いていきます。

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令和元年5月15日
腎がん?発見から3ヶ月と半月。

ついに入院うずまき

部屋は四人部屋の通路側。
暑くなってきているから窓際では無くて助かったおねがい

そして早速先生から手術の説明があった。

2日後の朝からの手術のために
明日、尿管から腎臓にステントを入れるそう。

腎臓の部分切除をするにあたり
切った腎臓から尿が漏れてないかを確認する為
術中に色のついた液体を
腎臓に流し込むためのもの。

もし尿が漏れてしまうような事があれば
もう一度お腹を開けて手術しなければならない。

それを防ぐために
身体の外から尿管を通して腎臓に入れたステントで色の着いた液体を流し
腎臓からその液体が漏れ出てこないかをみるというわけ星

ほほぅ~。なるほどキョロキョロ

と納得はしたけど

ちょっと待っておいで

そんな事、事前に一言も言ってなくね??
腎臓までって、結構な距離じゃね!?

痛みはあるのかと聞いたら

「おしっこの通る所に入れるから
おしっこ我慢してる様な感覚になる。
人によっては、その感覚が
『 痛い』と同じ感覚になる人がいるんだよね。
ま、その程度だから!」

と、主治医。

「ふ~ん…。そうなん?えー
なーんて思っていましたが。

次の日の夕方。

透視室でお股おっぴろげて台の上に寝て
尿道口からステントを入れられる。
男性の先生2人と女性の先生1人に囲まれて滝汗

あ…、1人は入院前の検査の時に話した太一君だえー
会話を聞いていて気付く。

そして、残りの男性の先生と
女性の若い美女先生と
主治医の4人で1チームみたいな感じらしい。

太一君はステントの留置が初めてらしく
「オレは初めてやるんだよ!」とオタオタしてるけど
美女先生は冷静ニヤリ

もう1人の男性の先生は
主治医の次に偉い先生っぽく
落ち着いていて穏やかな話し方。

見た目はカピバラみたいだから
カピバラ先生としよう口笛

失礼なヤツ…

カピバラ先生
「みつばさん~、ごめんね。
本当なら麻酔してやるんだけど
今回は事前に入れておきたいものだから……
ちょっと、ガマンしてねアセアセ

そして太一君メインで処置スタート。
太一君メインで。

色んな意味で不安しかないチーン

失礼な…

まず尿道口に入れる時が痛いし
(それ以前に太一君がなかなか入れられず)
そこから尿道・尿管を通って
右の腎臓に届くまでも痛いゲロー

腎臓に届いたあたりで、右脇腹の背中寄り辺りが
ズキズキズキズキ雷雷雷

無事入った事を画像か何か?で確認して終了。

「みつばさん、お疲れ様でした照れ

カピバラ先生が優しく肩をトントンしてくれて、すごくホッとした。

不安な時に、こういう少しのスキンシップて
大事だなって思った。

そして痛みと違和感で歩けないので
車椅子で病室に戻り
ソッコーで痛み止めを要請💊

この後、ステントの入っている尿道口から
腎臓までのズキズキする痛み&トイレを猛烈に我慢してる様な苦痛に
一晩中悩まされるのでした…ガーン

次の日の朝から手術室入りなのに🚑