田窪一世 独白ノート -16ページ目

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

 

これまでコレステロールは低い方が良いとされて来ましたが、2015年5月に、個人差はあるが少し多めが良いと全面的に転換されました。しかも卵や油などコレステロールの多い食品をいくら食べても体内のコレステロール量にないなんの関係もないことがわかりました。コレステロールが食事から反映されるのは二割程度で八割は体内で合成されるのです。

 

人間の体はすごく良く出来ていて、浅い知識でよけいなことを考えないほうが良いのだそうです。美味しいと感じる色々な種類のものを食べる。あとは体が勝手に調節してくれるのです。体内には4000以上の酵素があり、その酵素が様々な体の働きを司っています。たくさんの種類のものを食べると多種の酵素を生成出来るのです。人類が人間の体について本当のことがわかるにはあと100年はかかるのだそうです。

 

体には個人差があり、自分の体になにが合うかはそれぞれの体の反応を確認することが大事です。最近の研究では人間はDNAの組み合わせで生まれながらに最大寿命が決まっているらしいのです。つまりその中でいかに上手に生きていくかが鍵なのです。

 

癌になってしまう理由として遺伝や発癌性物質の存在など色々と言われていますが、癌の最先端研究では、癌にならない為には「辛い思いをしないこと」が一番確率をさげることがわかりました。これは頑張るとか寝ないということではなく、本人が「辛い」と感じるかどうかが重要なのです。目標があって肉体的にも精神的にも酷使しようと本人が楽しいと感じていれば癌になる確率は上がらないのです。ところが本人がちょっとでも辛いと感じるとそれが引き金になり癌細胞が繁殖しやすくなってしまうのです。

 

現代社会は複雑に組み合わさっています。辛い思いを感じていても、そこから逃げられない状況が多々あります。しかしある医師は「思い切って逃げなさい」とアドバイスします。辛いことから逃げることこそが人間の正しい生き方なのです。さらに人間は、夢を持って生きているだけで7年以上長生きすることが出来るのだそうです。しかも自分の人生に価値や意味があると思っているだけでさらにそれ以上長生き出来るらしいのです。

 

 

▶︎丸子橋

 

 

 

 

 

 

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」通称「プロ倫」近代社会学の創始者と言われるマックス・ウェーバーの著書です。宗教が経済に大きな影響を及ぼしているということを分析しました。フォルクスワーゲン社が世界一の販売台数を記録するなど経済が好調なドイツ。対して財政危機から抜け出せないギリシャ。その原因とは。

 

ドイツがまだプロイセンと呼ばれていた時代の社会学者マックス・ウェーバー(1864年~1920年)は経済的に発展している国の多くがプロテスタント信者が多い国であることに気づきました。

 

最近のヨーロッパで特に一昨年から去年にかけて経済危機というのがありました。経済危機に陥った国の頭文字を取って「PIIGS」という言い方をしました。ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインの5カ国です。特にEU内でユーロを使っている国々が経済的に破綻寸前という状況になり、ドイツやフランスが中心になってこれらの国々を救済するということになって大きなニュースになりました。これら五カ国の共通点、それはカトリック信者が多い国が占めているという事実です。厳密に言うとプロテスタントの国が入っていないのです。

 

キリスト教はパレスチナの地で生まれ、ここからローマ帝国全体へと広がって行きました。やがてローマ帝国は東西に分裂し、キリスト教はカトリックと東方正教会に分かれました。その後、カトリックに反発して生まれたのがプロテスタント。こうしてキリスト教は大きく三つに分かれます。アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペインはカトリック信者が多数を占めているのに対し、ギリシャの国教はギリシャ正教、つまり東方正教会になります。

 

プロテスタントとはいったい何だったのでしょうか。カトリック教では「贖宥状(しょくゆうじょう)」つまり免罪符を買えば罪は許され天国にいけると考えていました。ローマ教皇はなぜ贖宥状を販売したのでしょうか。当時、ローマ教皇はサン・ピエトロ大聖堂を作りたいと考えていました。現在のローマの中にあるバチカンの大聖堂です。サン・ピエトロということは「聖ペテロ」です。十二人の使徒たちの中でイエスの一番弟子だと言われています。ペテロはイエスが十字架に架けられて殺されたあと、ローマまで行ってイエスの教えを広めようとしますが結局彼も処刑されてしまいます。後にローマがキリスト教の国になると聖ペテロのお墓の上にサン・ピエトロ大聖堂が作られるのです。

 

当時のローマ教皇は大聖堂を作りたい、だけどお金がない。信者からお金を集めるために贖宥状(免罪符)を発行しました。当時の教会においては「罪を認めて悔い改めれば許される」という考え方でした。善行の中には教会に寄付をするということも、それだけ熱心に神様を信じているわけですから良い行いとなるわけです。

 

「贖宥状を買えば天国に行ける」こうしたカトリックの教えに猛反発した人物がいます。ドイツの神学者マルチン・ルター(1483年~1546年)とフランス出身のカルヴァン(1509年~1564年)です。ルターとカルヴァンによる宗教改革。中でもカルヴァンが主張し、人々に大きな影響を与えたのが「予定説」です。それまでのカトリックは良い行いをすれば天国に行けるし、悪い行いをすれば地獄に堕ちる、日頃の行いが大事ですよと言っていたのに、カルヴァンはそうじゃない「最初から決まっているんだ」という大変厳しい教えを説いたのです。つまり神様は偉大である。絶対的な力を持っているわけだから、「人間はそもそも生まれた時から将来救われるかどうか決まっている」と主張したのです。

 

ウェーバーはカルヴァンの主張についてこう記しています。「この悲愴なまでに非人間的な教説は、その壮大な帰結を受け入れた世代の信徒たちの気分に大きな結果をもたらすことになった。人間は永遠の昔からの定められた運命に向かって、一人で孤独に歩まなければならない。(中略)他の誰も助けてくれないのである。牧師も彼を助けることは出来ない。(中略)どんな教会も助けてくれない。ここにおいて世界を呪術から解放するという宗教史の偉大なプロセスがついに完了したのである」(中略)神が救済を拒むことを決意した人間に対して、神の恩寵を与えることが出来る呪術的な方法など存在しえないし、そもそもいかなる方法によってもこれは不可能なのである」

 

努力をしようがしまいが、あなたの運命はもう決まっている。これが「非人間的な教え」です。「呪術的なことなど何の役にも立たない」という教えがこれ以降確立していくことになるのです。つまりプロテスタントは一人一人が「自分が救われるかどうか」という孤独な道を歩まなければならない。「個人主義」的な考え方がここから生まれていくのです。

 

カルヴァンが主張した「予定説」は人が救われるかどうかは意思や善行と関係なく、最初から神によって定められているというものでした。こうした考え方が資本主義を生んだというのです。「カルヴァン派の信徒は、常に自分が選ばれているか、それとも神に見捨てられているかという二者択一の問いの前に立ちながら、みずからをたえず吟味し続けることで救いを作り出すことが出来るのである。信徒たちは自分が選ばれた者だと信じることが絶対の義務だとみなし、その疑いを持つことは悪魔の誘惑として退けるよう求められた。自己への確信のなさは信仰の不足を示すものであり、恩寵の働きの不足によるものだとされたのである。こうした自己確信を獲得するための優れた手段として職業労働に休みなく従事することが教え込まれたのである。この職業労働だけが、宗教的な疑惑を追い払い、恩寵を与えられた状態にあるという『救いの確証』をもたらすことが出来るのである」

 

つまり自分は、救われる側なんだろうか、そうじゃないんだろうかということを確認したくなる。確認するためにはどうしたらいいのだろうか。とりわけ当時カルヴァン派では職業のことを「ベルーフ(天職)」と言いました。自分の仕事は神様から与えられたものだ。それをきちんと成し遂げれば、自分は神様から選ばれたということになるわけです。

 

カルヴァンの教えというのは非常に厳しいものでした。努力したってしかたない。最初から決められている。だからその中で人々は自分は選ばれている側かどうかを確認したい。そのためには与えられた仕事に一生懸命邁進するしかなかった、とうことになるのです。

 

こうして一生懸命に働けば成功する確率が高くなります。しかし一生懸命に働いたからといって成功するとは限りません。そうなると仕事に失敗した上に、自分は神様に選ばれていなかった。地獄に堕ちるしかないんだとなれば、それこそ自暴自棄になってしまうかも知れない。一方で仕事が上手く行けば自分は救われているということになります。でもそこで安住しないという考えになるのです。

 

「倫理的に見て否定する必要があるのは、信徒たちが所有することによって安息してしまうことであり、さらに富を享受することで怠慢や肉欲という帰結がもたらされること、財産を所有することが、このような安息をもたらすからこそ、いかがわしいと判断されたのである。というのは「聖徒の永遠の憩い」は来世において与えられるはずのものであり、地上において信徒たちは、自分が救いの状態にあることを確証するために、「昼間のうちは、彼を遣わされた方の業をなさねばならない」のである。時間を浪費することはすべての罪のうちでも第一の罪であり、原則としてもっとも重い罪でもある。労働の意欲に欠けているということは、恩寵の地位が失われていることを示す兆候なのである。財産を持つ人も、働かずに食べてはならない。それは「財産があれば」生きるための必要を満たすtめに労働をする必要はないとしても、「働け」という神の命令には、貧者と同じように従わなければならないからである。

 

せっかく仕事を一生懸命にして成功した。だからと言ってそれで遊んでしまったのでは、けっきょく神に選ばれてなかったということになるかも知れない。仕事は天職なのだから神様のためにされに働かなければならないのである。そもそも聖徒の永遠の憩いは来世において与えられるものだからである。天国に行けばいくらでも休めるのだから現世では懸命に働きなさい、ということなのです。

 

資本主義が発展するためには「資本の蓄積」が必要です。たくさんの資本(お金)があればそれを元手に工場を作り、労働者をやとい、さまざまな機械を購入出来、商品を作り、事業を発展させることが出来ます。その基本になるのが資本(キャピタル)です。そこで満足しない。そこからさらに先に進まなければならない。こうして資本がどんどん蓄積されてくる。その結果経済が大きく発展していく。このプロテスタントの考えがあるから経済は発展して来たのです。とマックス・ウェーバーは考えたのです。

 

カトリックの国ではどうだったのか。働いてお金が貯まったら贅沢な暮らしをし使い果たしてします。そうすると資本の蓄積がなくなってしまうので、資本主義経済は発展しなくなります。あるいは来世で天国に行きたいと思う人は、稼いだお金を教会に寄付します。そういう善行を積み重ねることで来世は天国に行けると思う。その結果カトリックの教会は非常に豪華絢爛たるものが多くなります。一概には言えませんがヨーロッパのカトリックの教会は豪華で、プロテスタントの教会は質素なものが多いのは事実です。こうしてヨーロッパにおける資本主義というものはプロテスタントの国で大いに発展してきたのです。

 

余談ですが、フランスでは正式な結婚よりも事実紺が多いという現状があります。これはフランスはカトリック信者が多いためなのです。カトリックでは離婚が認められていません。だから正式に結婚する人たちが少ないのです。

 

 

▶︎日吉

 

 

 

 

 

 

日本には全部で6852の島があります。最西端は与那国島。最東端は南鳥島。最南端は沖の鳥島です。沖の鳥島には人は住んでいませんが、この島のお陰で漁業や天然資源の採掘が出来る海の範囲は想像以上のものになっています。

 

日本が抱える領土問題と言えば島根県の竹島。そして北方領土があります。竹島はれっきとした日本固有の領土ですが、現在、竹島には韓国の警備隊が常駐。北方領土にはロシア軍が常駐しています。このように他国の領土を実質的に支配していることを実効支配と言います。そのため日本人は基本的に行きき出来ません。

 

ロシアによる北方領土の実効支配のきっかけのひとつが第二次世界大戦の終戦日の違いがあります。日本の終戦の日は8月15日ですが、ロシアの終戦日は9月2日です。この違いが戦後70年ものあいだ外国に支配される事態に繋がったのです。

 

日本の領土の面積は世界61番目、世界的にみるとけっして狭いわけではない日本。さらに日本が自由に漁業や天然資源を採掘出来る海の範囲は世界第6位の範囲を誇っています。広い意味で領土には海も含まれます。陸地から12海里(約22キロ)までが領海。外国の船は許可無く渡航出来ません。陸地から200海里(約370キロ)までが排他的経済水域。漁業や海底資源を掘るなど自由に経済活動出来ます。日本は世界有数の海洋大国なのです。

 

陸地と海だけでなく空も領土です。領海の上空高度100キロまでは領空と言い外国の飛行機が勝手に飛ぶことは出来ません。ただしそれ以上高くなると宇宙となり衛星などを自由に飛ばすことが出来ます。

 

日本が抱えている領土問題は2つ。竹島と北方領土です。尖閣諸島でも領土を巡って問題が起きていますが、日本政府としては尖閣諸島に領土問題はないという立場を取っています。その違いが実効支配なのです。尖閣諸島は現在他国に実効支配されていません。だから領土問題は存在しないのです。

 

島根県隠岐の島町に属する竹島。もともとは無人島でどこの国のものでもありませんでした。19033年頃、日本の漁民がここに渡り、アシカ漁を始めました。そこで1905年に竹島がどこの国のものでもないことを確認した上で島根県に編入しました。このとき韓国からは特に抗議などはありませんでした。しかし1952年韓国が突然日本が主張する前から竹島は韓国のものだと主張。当時の韓国の大統領、李承晩が一方的に境界線を引き漁業権を主張しました。これを李承晩ラインと言います。これ以降日本の漁民がこのラインを越えると次々に拿捕されたり殺害されたこともあったのです。これ以来韓国が竹島を実効支配しているのです。

 

北方領土は国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島の四島からなります。これらをロシアが実効支配している理由が終戦の日の違いです。世界的に見ると8月15日は日本が敗戦を宣誓した日ですが、降伏したことを文章に調印したのは9月2日なのです。ロシアは8月28日から9月5日にかけて北方四島を占領したので、戦争で奪ったものは返す必要はないと考えているのです。しかし日本にしてみれば敗戦を宣誓したあとに一方的に攻め込んで来て占領したわけですからこれでは筋が通りません。うんと譲っても歯舞群島は9月2日以降に占領しているのですからこれは明らかに不法であると言えるでしょう。

 

 

▶︎日吉

 

 

 

 

 

 

もともと「君が代」は、西暦900年初め頃に編纂された古今和歌集の中に入っている詠み人知らずの和歌でした。この和歌が江戸時代になると、婚礼の席でよく詠まれるようになりました。本来歌の内容は目上の人を敬うというものですが、長寿になるまで夫婦円満で過ごしてくださいという意味にもなります。「さざれ石」というのは小さい石が石灰でくっついて長い年月をかけて大きくなる石のことで。あなたの時代がずっと続きますようにと称えていのです。

 

実は今の「君が代」は二代目で、作曲したのは外国人でした。明治維新になってイギリスと外交式典を行うことになりました。そのときイギリス側から「お互いの国の歌を歌いましょう」という申し出がありましたが、当時、日本には国の歌がありませんでした。そこで急遽作ることになり検討したところ、江戸時代から庶民のあいだで歌われていた和歌を天皇を祝う歌にしました。そこでイギリス軍の音楽隊員フェントンに作曲を依頼しました。それは現在とはまるで違うものでした。

 

 

▶︎日吉

 

 

 

 

 

 

日本の国旗と国歌は1999年に「国旗国歌法」という法律が出来て、正式に政府や国民が用いる国旗、国歌として制定されました。それまでは多くの人が国旗は「日の丸」で国歌は「君が代」だと思っていたのでわざわざ法律で決めていませんでした。ではなぜ平成になってから法律で決めたのでしょうか。それには90年代の学校教育が関係しているのです。

 

当時、文部省の「学習指導要領」(各教科の内容など国が定める指導基準)が新しくなり、入学式や卒業式では国旗を掲揚し国歌を斉唱しなさいという指導が強化されました。これに対して一部の教師が天皇を賛美する歌を押しつけるのはいかがなものかと強く反発。改めて国旗と国歌についての議論になりました。国は法律で定めれば教師たたちもこれを守るだろうと考え国旗国歌法が出来ました。

 

そもそも日の丸が日本の旗だと定着したのは1853年黒船来航がきっかけでした。国を開国し外国とつきあっていく上で、アメリカは星条旗を掲げてやって来た。日本でも国旗が必要だということで考えられました。候補になったのはそれまで武将たちがシンボルとして使用していた日の丸と徳川幕府の先祖といわれる新田氏の旗が検討されました。

 

ちなみにバングラディシュとパラオの国旗は日本の日の丸によく似ています。前者は緑地に赤丸。後者は青地に黄丸です。これには歴史的な関係があります。バングラディシュは1971年に独立戦争を経て独立しました。その際に、当時アジアで経済が発展している先進国は日本だということで日本をお手本にしようということで現在の国旗になりました。一方パラオは昔日本の移民統治領でした。戦後、日本人移民も大勢いたこともあってやはり日の丸に似た国旗が制定されたのです。しかし黄丸は太陽ではなく月、青地は海を表しています。

 

 

▶︎日吉