靖国神社の正式表記は「靖國」で明治天皇が命名しました。「靖」は国を安んじるという意味で、国が安定するように国民が平和でいられるようにという願いを込めた呼び名です。
およそ150年前、東京都千代田区に作られた靖国神社。都心にありながら静かで神聖な場所ですが作られた当初はサーカスや競馬場などがあって非常ににぎやかな庶民の憩いの場所でもありました。
靖国神社は普通の神社とは違って祀られている神様が特殊です。神社によって祀られている神様はさまざまです。たとえば伊勢神宮に祀られているのは太陽神の天照大御神。出雲大社は大国主大神など日本古来の神様。明治神宮は明治天皇。鶴岡八幡宮は応神天皇。日光東照宮は徳川家康。太宰府天満宮は菅原道真など人物の偉功にあやかったり祟りを恐れて魂を鎮めるために祀ったのです。
日本では古来から自然のあらゆる場所に神様がいると考えられていました。死ねば神様になると考えている人たちが戦争で亡くなった人たちも神様として祀ろうじゃないかと考えて作ったのが靖国神社です。
誰でも死んだら神様になるという考え方は日本独特のもので、外国には理解されません。特にユダヤ教やキリスト教、イスラム教などは一神教といってただひとりの神様のみを信じる宗教です。日本のように八百万の神様がいるという考えは海外には理解されにくいのです。
靖国神社が他の神社と決定的に違うこと、それはなんといっても神様の数が違います。靖国神社に祀られている神様の数は246万6000余柱です。「柱」というのは神道で神様を数える単位です。どんな人が祀られているのでしょうか。そもそも靖国神社が作られる直接のきっかけは戊辰戦争でした。このとき明治政府側だった戦死者を祀ったのが最初でした。ですから坂本竜馬は祀られていますが、幕末の英雄、西郷隆盛は西南戦争で反政府側だったので祀られていません。その後日本が日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などさまざまな戦争を経験する中で、戦死した人はすべて祀られるようになりました。こうして靖国神社は兵士や遺族の心のよりどころとなって行ったのです。
この中で海外から問題視されているのがA級戦犯です。ではなぜ戦争犯罪人とされた人を靖国神社に祀ったのでしょうか。1946年、戦争犯罪を問われる極東国際軍事裁判{東京裁判}が開かれました。
ではなぜA級戦犯を靖国神社に祀ったのか、きっかけは1952年のサンフランシスコ平和条約発効でした。これによって連合国は日本の主権を承認。日本は独立を果たしました。これをきっかけに戦犯でまだ死刑にならなかったが終身刑として刑務所に収監されている人たちを釈放させようという国民運動が起きたのです。当時の日本の人口は約8600万人でしたが、半数の4000万人の署名が集まりました。さらに処刑された人たちの扱いも変わり、公務死と認められたのです。
日本の考え方としては彼らは戦争犯罪人ではなく公務で亡くなったのだから靖国神社に合祀しようということになったのです。1959年にはBC級戦犯が合祀開始され、1978年にはA級戦犯も合祀されました。これが海外からは理解されにくいのです。しかしA級戦犯が祀られた当初は中国も韓国も何も言いませんでした。
では中国や韓国はなぜ突然批判し始めたのでしょうか。A級戦犯が合祀されたあとも大平総理は3回、鈴木総理は8回、中曽根総理は10回参拝しています。実は中曽根総理大臣の10回目の参拝のときのインタビューで中曽根総理が「公式参拝」と名言したことが問題となり中国が批判し始めたのです。総理がA級戦犯が祀られている神社を参拝することは戦争の正当化に他ならないと中国は主張したのです。一方、韓国はこのときはまだそれほど反発は激しくありませんでした。中国が批判した二ヶ月後から批判を始めました。しかし「日本政府は慎重に対処して欲しい」という程度の言い方でした。日本と中国は戦争したので中国は被害者ですが、韓国は日本と戦争した訳ではありません。不快感はあるが真正面から批判するというスタンスではなかったのです。
当時、中曽根総理自身、中国の批判は意外だったと述べています。中曽根総理は当時の中国の総書記の胡耀邦(こようほう)と親密でした。総理は胡耀邦さんに迷惑がかかることを心配してそれ以降参拝に行かなくなりました。その後、胡耀邦氏は失脚しますが、そのときの罪状は「日本と仲良くしすぎたというものでした」それ以降、中国のトップはうっかり日本と仲良くすると自分の身が危ないということを肝に命じるのです。
一方、昭和天皇は明確な理由はわかっていませんが、1975年にA級戦犯が合祀されて以降は一度も参拝されていません。平成天皇も即位後一度も参拝はされていません。総理大臣の靖国参拝は現在ではアメリカやヨーロッパからも批判され波紋を広げています。わたしたち日本人が思っている以上に海外で注目されているのです。ちなみに靖国神社のことは海外では「戦争神社」と呼ばれています。
よく解決策としてA級戦犯だけ分けて祀ればという意見がありますが、靖国神社としては一度まとめた魂を分けることは出来ないと言います。これはどういうことかというと、たとえとして、大勢の人が合祀されるということは水の中に水を足していくということだ。ひとつの水になってしまったものの中から14人の魂だけを取り出すことなんか出来ないという理由なのです。
さらに解決案として、千鳥ヶ淵戦没者墓苑という名前のわからない戦没者の遺骨を埋葬している墓苑をすべての戦没者を祀る施設にしてはどうかということも検討されました。しかしその一方で「靖国で会おう」と言って戦死した人が大勢いたのだから、遺族としてはやはり靖国神社にお参りしたいと、このあたりが非常に難しいのです。

▶︎晴海