ロシア連邦タタールスタン共和国・首都カザン。2014年この町で一組のカップルの結婚式が行われた。15年の付き合いを経て結ばれたのは、新郎マキシムと新婦ベロニカ。そしてこの日を喜んでいたベロニカの母のスヴェトラーナ。ベロニカが幼い頃父が亡くなったっため、女手ひとつで娘を育てて来たのだ。彼女にとって娘の晴れ姿を見られることは最高にうれしいことだったのだ。
新婚生活は順調そのもの。仕事が忙しい夫は休日だけは妻と一緒に暮らした。そんな結婚生活を送っていたある日。夫の帰りを待ちながらベロニカは夕食の準備をしていた。しかし帰宅時間になっても夫は帰ってこない。携帯で連絡を取ろうとしてもつながらない。そして深夜、ベロニカの心配が極限まで達したとき、そこに現れたのは母スヴェトラーナだった。「マキシムが帰ってこないの」「ベロニカ、ちゃんと聞いてちょうだい。いくら待ってもマキシムは帰ってこないわよ」「どいういうこと?」「マキシムとは離婚したの」母のこの話には衝撃の理由があった。
それは結婚して一年後の2015年だった。突然、強烈な腹痛を訴えたベロニカ。すぐに病院に搬送された。「子宮内膜症です。手術をすれば痛みはなくなるでしょう」彼女は全身麻酔のもと手術を受けた。ところが痛みは治まらなかった。そこで医師は強めの鎮痛剤を投与した。その後、鎮痛剤により痛みは治まったが、彼女は次第に起きあがることや手足を動かすことが困難になっていった。そしてついには自発呼吸も出来なくなり、人工呼吸器で命をつないだ。
その後、ベロニカはなんとか意識を取り戻し、改めて詳しい検査が行われ本当の病名が判明した。「急性ポルフィリン症」この病気は遺伝性の疾患。人間の血液内には赤血球を作る課程でポルフィリンという物質が出来る。通常の人はこのポルフィリンが尿や便とともに排出され体内にはほとんど残らない。ところがポルフェリン症の人は排泄することが出来ず体の中に蓄積されてしまうのだ。ただししの時点ではポルフィリンの量が少ないのでほとんど問題はない。ベロニカは子宮外内膜症に関しては適切に処置されていた。ところが手術の際の麻酔や鎮痛剤などの投与が問題だった。このような強い薬が体内にはいることで、ポルフィリンが一気に増加。急性ポルフィリン症を発祥してしまったのだ。
このことにより中枢神経が冒され、全身の痙攣を引き起こし、やがて自発呼吸も出来なくなり昏睡状態に陥った。つまり早期に発見され強い薬を次々に投与されなければここまで悪化しなかったと思われる。日本のポリフェリン治療の第一人者、島根県済世会江津総合病院名誉院長、堀江裕医師によると「ポルフェリンということが頭に浮かばない限りは診断が出来ませんので、どんどん痛み止めを打つ。そしてまたどんどん悪くなるという負のスパイラルになって行きます。早期の診断で見極めることが大事です」
急性ポルフィリン症には症状を緩和する薬もあり、ベロニカの症状もすぐに落ち着いた。しかし深刻な問題が。昏睡状態のとき充分な酸素が脳に供給されなかったため脳がダメージを受けさまざまな後遺症が残ってしまったのだ。手足の動きが不自由になりきちんと喋ることも出来なくなった。夫は当初は必死に看病していったがやがて疲れ果て二人は離婚した。
実は彼女は短期の記憶を司る海馬を損傷していた。結婚式の記憶や新婚生活の記憶は海馬から大脳新皮質に送られて記録されていたため思い出すことが出来たが、しかし海馬を損傷してからの記憶、つまりマキシムと離婚した事実は海馬から消えてしまって思い出すことが出来なくなってしまったのだ。短期の記憶が出来ないため、昨日の記憶を無くしてしまい、毎日毎日、別れた夫のために二人分の夕食を作って帰りを待ってしまうのだ。
▶︎丸子橋