前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -9ページ目

なぜバスレーンなの?

1966年(昭和41年) 都市計画決定された外環道は、当初、和光市内を含めて現在の戸田市までと同じ設計で計画され、用地買収もその幅で行われました。
外環ができた当時は今と違って排気ガスがすごいし、騒音も今の車とは比較にならない。環境を心配する住民の強い反発もあり、和光市内は交通を絞ろうということにした。地域分断も課題になった。
そして、市内区間の側道は市道になった。
当時の行政の判断は当時の判断としてはいいのだけど、あの道路は交通量が多いわりに設計が市道なので補修費は市の財政に負担をかけ続けた。舗装の基盤が薄いから、すぐ波打っちゃうんですよ。とにかく莫大な予算があの道路には消費されてきた。

(これは議員として予算や決算を一定年数見てきた人ならなら理解しているはず。)
そもそも市道は市内交通が役割だからね。
もともとは国道の予定だったり、交通量的には県道という手もありの場所なのだけど…。
今回のバスレーンは、外側車線で、バスだけが走るから、騒音や排気ガスなどの負荷は相対的に低い。普通なら、過去の経緯があるから車線を増やすのは難しい。そこに時が流れて技術も進展し、だからこそのバスレーンなんだよね。バスレーンのような特別な設計としてでなければ、過去の経緯を踏まえるとあの場所の拡幅は実現できないだろう、ということ。だから今の取り組みがある。

ちなみに、ボトルネックをなくせば改善する、なんてことを言う人がいるけど、まあボトルネックって不思議なものでね。
ボトルネックは移動するんだよ。経営学の金言を知らないのかな。だから、根本から改善するには、あちこちを手直しする必要がある。 そんなに単純な話ではない、というわけです。

ちなみに公共政策の世界では常識なんだけど、渋滞が完全に解消されたら何が起こると思う?当然、交通が流入する。するとどうする?また対策するんだよ。

公共政策とは終わりのない旅なんだよね。

 

追記 せっかくなのでボトルネックがどう移動するか、経営者とか経営学の関係者には有名なんですが、補足しておきました。エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(日本語版はダイヤモンド社)は今読んでもめちゃくちゃおもしろいのと大切な概念なので、ぜひ原典をご覧ください。今売られている日本語版の完成度は非常に高いです。


出所:「自動車排出ガス規制の経緯 (ディーゼル重量車)」(国土交通省)

 

 

自動運転バスの経費には道路の整備が含まれるから高く見えますが、大切な第一歩です

和光市の自動運転バス、経費が高いから無駄という変な話に何故か引っかかる人がいる。
そりゃそこそこ高いよ。道路整備が入っているからお高いんだよね。でもね、用地は既にあるんですよ。なぜなら、外環道の整備の時の用地だから。

事業内容の一部が分かる資料をリンクしておきます。
そもそもあの場所は昔、外環道ができる時に議会がもめて、あの渋滞し、冬は積雪凍結したら通行止めになる片側一車線の市道になったんだよね。そして今もいつも混んでいる。なんなら渋滞している。
そこにバスレーンができ、バス停も新設した。もちろん渋滞しがちな箇所はまだ残るけど、バスの定時運行に向けた一歩が踏み出せた。
定時運行できる公共交通を作るのに、いきなり完成形ができればそりゃすごいけど、世の中そうはいかない。それでも、とりあえず踏み出した意義は大きい。道路整備とか都市基盤整備なんてそんなもんでしょ。そして、本来は自動運転がなくてもやらなければならない整備なんです。

 

区画整理された良い場所に住んでいる前市議会議員殿は、和光市の北側の交通課題については興味が薄いのだろうか。まあ、丸山台(や中央第二谷中)の区画整理だって、外環道の開発とセットだからあのペースで進められたんだよ。なのに、自分たちはメリットを受けて、道路網の整備が遅れている北側は屁理屈を言って事業への市民の反発を煽る。そして、なぜか北側の住民である議員もそれに加担する地獄絵図。

雨の日は特に北側の道路の渋滞があり、バスがすいすい走れれば、送迎より良い、ということになり、バス利用者も増えるだろうに。新倉、下新倉の住民は、わけのわからんことを言う人には怒った方がいい。
それと自動運転バスはホンダさんのにしろ、という意見があるんだけど、自動運転バスのシェアやバスのシェア見たことある?ホンダは確かにいくつかの自動運転プロジェクトで活躍しているから今後も連携は模索すべきだけど、今すぐホンダ製の量産自動運転バスを使え、と言われているとするなら「ちゃうちゃう」と言いたくなる。ありそうでないものを使わないとして、それは何かの罪になるん?
それと、交差点の左折が危ないとかエアリプ的にネチネチ嫌味ったらしく書いている人もいるけど、広報と現場の工夫で頑張って乗り切るべき話だよね。

 

市民は情報不足になりがちだから、補足させていただきました。引っかかると北側の道路整備がまた遅れますよ。だって見直しとか言っているんだから。

和光市長選挙開始。現職のしばさき光子候補は2期目のチャレンジ

和光市長選挙が始まりました。現職のしばさき光子候補は2期目のチャレンジです。この4年間、着実に実績を積んで来ました。

北口の土地区画整理も、自動運転など交通不便対策も、北側の新産業ゾーンの第二期の事業も進展している。第一期の倍の規模だ。
地区社協の立ち上げによる地域づくりも私が取り組み始めたが、少なくとも地区社協は全市に展開できた。さらに2期目に魂を入れてもらいたい。
窓口DXも進展している。
下水道の安全点検も実施。
本人がやはり、政治家ずれしていないということもあり、PRが不十分。ずうずうしいまでに宣伝しなければ伝わらないのだし、政策は知らせるまでが政策なのだけれど、実は私も当初はそれが得意ではなかった。これは選挙を通じて補っていかなければならない。
4年前と違って、フルタイムで普通の仕事をしている私としては、土日や仕事の後しか応援をすることができないのだが、初日はどうしてもやらなければならない仕事があり、めどがついたところで夕方のキャンペーンに合流。


また、連携している市議補選の内田あや候補の陣営の若さ、初々しさも素敵ですね。地方議員はやはり、普通の市民に立脚しなければなりません。
今回も厳しい選挙です。私も仕事と折り合いをつけながら、サポートできればと思いますが、市民各位のご支援をお願い申し上げます。
(写真を提供していただいたxさん、ありがとうございました!)

名誉棄損訴訟、その後

和光市内の男性に対して提起した名誉棄損訴訟ですが、地裁判決は勝訴でした。

その後、被告が控訴したため、控訴審が行われることになりました。控訴審は間もなく始まります。つまり、この事件は係争中であるということになります。

市民の方からご心配いただいていることでもありますので、現時点で要点をお示ししておきます。
この裁判は名誉棄損に関する訴訟ですので、相手の方の表現が私の社会的信用を低下させたかどうかがまずポイントとなります。
次に、検討されたのは公共利害性のある公益目的による真実性、相当性のある表現かどうかです。
真実性の有無、これは真実であると信じるについて、相当の理由があるか否かという検討がなされます。
これらの検討のうえで、私に対する不法行為がいくらの損害賠償に値するのかが判決として示されました。

名誉棄損の証拠として挙げたSNS投稿は多岐にわたりますが、一例を示すと、被告は私が和光市元部長の「横領事件」について、隠ぺい工作を図ったという旨、適示しました。
地裁判決ではそのような事実はないし、また、そう信ずべき相当の理由も認めることはできないとされました。
これは私の主張が認められた部分のごく一例です。

一方で、私の主張が認められなかった部分もあります。私は弁護士費用を含む110万円+遅延損害金の支払いを求めましたが、残念ながら判決は同33万円+遅延損害金を被告は原告(私)に支払え、というものでした(納得できる水準ではないのですが、過去の裁判例から見て一般的といえる水準の範囲内だそうです)。

ちなみに、和光市議会による私(と大島前副市長)に対する非難決議はこの裁判を含め、複数の裁判で係争中の事件に関係することについて、判決の確定を待たずに行ったものです。これが和光市議会の多数派の現在の体質・本質であるということになります。
もちろん、非難決議はこの名誉棄損訴訟の内容と同一のものではありません。よって、議員らは問題がない、というようなことを言うかもしれません。しかし、事実関係は多数決で決めるものではありません。

自治日報「自治」欄に100条調査の制度欠陥と誤った運用について小論を掲載していただきました

自治日報4309号「自治」欄で今話題の100条調査、100条委員会について小論を掲載していただきました。転載の許可をいただきましたので、ご一読ください。100条調査権は民主主義による行政監視の重要なツールですが、豊洲問題、猪瀬都知事の政治資金問題など、都議会での事案に代表されるように、政争のツールとして使われてきました。

そもそも議会は政治の場であり、議会で扱うということは、当然のことながら政争という側面が露になるものなのです。一方で、議会は裁判所でも専門家による調査委員会でもありません。そういう議会の本質を踏まえた運用のルールなくして民主主義の健全な運用は期待できないでしょう。

そして、今なお対立が続く兵庫県議会と斎藤元彦知事。この問題の背景にも100条調査権の制度や運用の課題が関わっています。

この問題は、以前から何度も問題提起がありましたが、地方自治法100条の一部にかかる論点であることなどから放置されてきました。今回、社会的な注目を踏まえ、あらためて問題提起させていただいたものです。

ぜひ、ご一読ください。