マティアス・ゲルネ&マリア・ジョアン・ピリス「冬の旅」を、サントリーホールにて。
バリトン:マティアス・ゲルネ
ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス
シューベルト:『冬の旅』 D. 911
現代を代表する名バリトンであるマティアス・ゲルネと、こちらも現代を代表する名ピアニストであり、今年の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したマリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)によるシューベルト「冬の旅」。
ピリスは2018年に引退宣言をしたがその後も演奏活動を続けており、10月には東京、名古屋、高崎でリサイタルをする予定だったがキャンセル。今年のピリスの来日公演は、このゲルネとのリサイタルのみとなった。
ゲルネの「冬の旅」は過去2回聴いているが、印象が強かったのは2014年、紀尾井ホールにて開催されたシューベルト三大歌曲集の連続演奏会だった。
https://ameblo.jp/takemitsu189/entry-11851250837.html
2017年のリサイタルはサントリーホールだったが、そのときはステージに近い席でそれほどストレスがなかった。
https://ameblo.jp/takemitsu189/entry-12321991226.html
今回の座席は2階センター最前列だったのだが…これは大失敗。声が響きすぎて、もやもやした印象しかない。歌詞もほぼ聴き取れないのだ(仮に日本語であっても聞き取れなかったと思う)。サントリーホールの2階、ソプラノやテノールのように抜けていく声ならまだいいのだが、バリトンだと厳しい。
そんなわけで、ゲルネの深々とした声の魅力がダイレクトに伝わってこなかったのだが、それでも曲ごとに表情が変化するのはそこそこ伝わってきた。
一方、ピリスのピアノ、こちらは比較的しっかりと聞き取ることができた。ピリスはいつも通りヤマハを使用、比較的硬質で引き締まった音だったので、サントリーホールの残響が加わってほどよい加減であった。曲想に応じて表情が自在に変化するのはゲルネの歌唱と同じであり、特に素晴らしかったのは第21曲「宿屋」。墓の前にたどり着き、自分もその墓に入りたいという死への願望を歌うこの曲、祈りを感じさせるピアノは心に染み渡った。
会場では歌詞対訳が配られなかったので、それぞれの曲でどのような内容が歌われているのかわからなかった。事前にゲルネの録音を聴きながら歌詞を予習しておいたので、曲ごとの題名を見て中身を思い出せるものもあり、そこはまだよかったのだが。もちろん、歌詞対訳はそれなりにコストもかかるし、無神経に音を立ててめくる輩が一定数いるのでマイナスも大きいけれど、シューベルトの歌曲で歌詞がわからないのは正直きつい。
ちなみにヴィルヘルム・ミュラーによる「冬の旅」、誤解を恐れずに言えば、自分を捨てて金持ちに嫁いでしまった元カノに未練たらたらな男の、冬の傷心旅行の話である。この主人公は、雪に覆われた冬の旅の最中に、緑萌える春や夏のきらきらした(元カノとの)思い出に浸り、氷に元カノの名前と記念日を彫ったり(第7曲「川の上で」)、元カノが住む街から来る郵便馬車に自分への手紙が入っていないかなどとあり得ない妄想をしたり(第13曲「郵便馬車」)と、かなり暗い奴なのだが男として共感はできる内容だ。しかし、曲の後半になると客観的な内容が増えていって、終曲「辻音楽師」は、誰も聴いていない音楽を、氷の上で、しかも裸足で演奏するライアー回しのじいさんを描いている。なんというニヒルで寂しい終わり方なのだろう。
今回の公演、Pブロックは販売していなかったが、完売とまではいかなかったようだ。それにしても曲間の咳がひどくてちょっとがっかりである。「冬の旅」は連作歌曲であり、全曲で一つの音楽なのだから、曲間の余韻も大事なはず。咳をするにしてもハンカチを当てるとか、もう少し配慮してほしいものだ。
総合評価:★★★★☆