菊池 寛著「真珠夫人」(青空文庫)を読んだ、菊池寛(1888-1948、59才没)は小説家、劇作家、ジャーナリスト、実業家としても文藝春秋社を興し、芥川賞、直木賞、菊池寛賞の創設に携わった

 

 

菊池寛の小説は「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」(新潮文庫)という短編集を読んだだけだが、この短編集が実に面白かった、特に「恩讐の彼方に」「俊寛」などが強烈な印象を残した

 

 

Amazonで真珠夫人を検索すると青空文庫電子版がKindleで無料で読める、これは作者の死後70年が過ぎて著作権が消滅したためであり、青空文庫は著作権が切れた名作をデジタル化してネットで公開するボランティアの集まりである、菊池寛だけでなく漱石、樋口一葉、芥川龍之介などもあり、海外の翻訳ものも同様でありカフカなども無料で読める、自分も過去にいくつか無料でダウンロードして読んだ

 

「真珠夫人」は長編小説で、1920年(大正9年)6月9日から12月22日まで『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に同時連載された菊池にとっての初めての新聞小説であり、初めて試みた通俗小説でもある、発表当時から2000年代に至るまで、数度にわたり映画、テレビドラマ化もされている

 

この小説は、没落しかけた家や父を守るために望まぬ結婚を強いられたヒロイン瑠璃子が、初恋の相手への純愛を胸に秘めながらも、男たちを翻弄していく波乱万丈な愛憎劇である

 

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読んだ感想など

  • 菊池寛の短編集を読んでなかなか人を感動させる小説を書く作家だなと思ったけど、長編小説「真珠夫人」も大変面白く、最初から最後までどんどん話に引き込まれ、もう次を読みたくて仕方がない心持になり、一気に読めた
  • これが面白いのは、話が一本調子ではなく、時間の過去への逆戻り、全く異なる登場人物を軸にした複数のストーリーの展開、読み手をドキドキさせるような話の展開、ある章のクライマックスで信一郎が瑠璃子をやり込めたと思ったら次の章では瑠璃子から思いもよらない強烈な反撃がなされるなどの展開の以外さなど、いろんな工夫がちりばめられているためであり、作家の能力を感じずにはいられない
  • ただ、最後の方で瑠璃子と義理の娘の美奈子が箱根に旅行に行くあたりからは、それ以前の話しに比べちょっと単調さを感じ、次の展開がこうなるだろうなと何となく想像ができるところもあったが、それでも最後まで興味は持てた
  • この小説が書かれた時代にあって瑠璃子という主人公の女性としての考えが現代でも十分通用するようなものであったというのがすごい、これは著者が女性とはどうあるべき存在なのかについての進歩的な知見を十分持っていたということでしょう、すごいことだ
  • 小説のなかには欧州の作家の話なども何か所か出てきて、そのようなところを読むと、著者は古今東西の文献や歴史にも精通しているのだろうなということが想像できる、例えば、瑠璃子が父を追い詰めた勝平に復讐を誓うとき、父に向って「お父様、私はユーディットになろうと思うのでございます、ユーディットになろうと申しますのは、私の方から進んで、あの荘田勝平の妻になろうということでございます」と述べるのである
  • この小説の中で描かれている瑠璃子やその父親の人生が大きく狂うきっかけとなったのは事業に成功してのし上がった荘田勝平が主催する園遊会に招待された唐沢男爵の娘、瑠璃子と恋人の杉野子爵の息子直也との会話である、勝平がシャンパンを飲み過ぎたため雑踏を離れ二人のすぐ近くで休息しているのも知らずに、直也が園遊会を成金趣味の俗悪なもの、主催者はすべての物事を金でしか判断しない奴だと批判し、それを全部勝平に聞かれてしまったことにある、ここからが悲劇の始まりで、その後に続く話にぐいぐいと引き込まれる、人への批判というものほど怖いものはない、他人の批判は必ず本人に伝わるものだ、陰で他人の批判はすべきではない、それがこの本の一番の教訓かもしれない
  • 小説の中で、これはちょっとどうかな、無理があるのではないかなどと感じたことが少しあった、第1に、瑠璃子の復讐が達成されたとき、同時に彼女は自分は本当に勝平に勝ったのだろうかという心持になったことだ、あれだけ復讐を誓ったのにいざ達成してみれば自分が負けたのではないかと思う気持ちになるストーリー展開に、自分だったらそうなるかなと感じた、こればかりは自分で体験してみなければわからないけど
  • そして、その時以来、瑠璃子は荒んだ心と、処女としての新鮮さと、未亡人としての妖味とを兼ねそなえた美しさと、その美を飾るあらゆる自由とをもって、何時となく、世間のあらゆる男性の間に、孔雀の如く、その双翼を拡げて行く・・・真珠夫人になる大転換点であるが、そこに話の飛躍がありすぎるのではないかと思った、そこには書かれていないが恋人だった直也を捨て、家のため親のために勝平と結婚し、目的は達成したが、元恋人の直也は海外で活躍して別の女性と結婚もしていることを知り、もう元の自分に戻れないというショックを受けたことが大きな要因となったのではないか、というのが最後の方で何となくるけど、そのようなことをこの大転換点のところで書いてあれば、より説得力のあるものとなったのではないかと感じた
  • もう一つ、信一郎が2度目に瑠璃子と会った音楽会、終わった後で信一郎が最寄りの駅まで瑠璃子の車で送ってもらうことになるところが不自然すぎると思った、あまりに地位と立場が違い過ぎる2人がいとも簡単にこんなことになり、さらに帰宅を遅らせてまで食事をすることになってしまう展開に「ちょっとあり得ないな」と思った
  • 小説中、信一郎が瑠璃子のサロンに初参加し、そこにいた上流階級の知識人たちと明治文学の議論をして熱くなる、信一郎は尾形紅葉「金色夜叉」が最高傑作と言うと人気作家の秋山正雄がそれを批判し、では誰が時代を代表する作家であるかとの問いに対し、樋口一葉と答えた、自分が読んだ作家が出てきたのでうれしくなった
  • 小説の最後には最初の方に出てきた瑠璃子の兄の光一に関係した話がまた出てくる、兄は華族の跡取りであるにもかかわらず親の反対を押し切って画家になることを決意して親と衝突して家を出て音信不通となっていた、その兄が最後にやったことが悲しいが感動する、しかし、ここで疎遠になっていた兄を登場させ読者を感動させるような物語にするところが著者のたぐいまれな作家としての才能だと思った

良い小説でした

映画「ハワの手習い」を鑑賞した、2024年、85分、フランス・オランダ・カタール・アフガニスタン合作、原題:Writing Hawa、監督ナジーバ・ヌーリはアフガニスタン出身の女性ジャーナリスト

 

 

場所はポレポレ東中野という座席数96席のミニシアター、知ってはいたが行ったことがなかった、このシアターは2003年、閉館したBOX東中野を引き継いでオープンした映画館、前劇場の特色であったドキュメンタリー作品を中心に、自主配給の作品、新人作品などを上映している、トークイベント、独自企画のオールナイト上映、テーマや俳優別に企画した旧作の特集上映などをしている、この日は平日、半分以上の座席が埋まっていた、若い人もけっこう来ていた

 

 

この映画は、幼少時に教育の機会を奪われ13歳で結婚させられた監督の母ハワにカメラを向けたドキュメンタリー、アフガニスタンの首都カーブルで、30歳上の認知症の夫を世話しながら暮らすハワ、結婚を強いられたときハワはまだ13歳で、父は幼い彼女を教育から遠ざけ、母は出産について何も助言してくれなかった、6人の子を産んだ彼女は、娘たちが同じ道に進まぬよう教育の機会を与え、次女ナジーバはジャーナリストになり母の味方になることを決意した、ナジーバは彼女にカメラを向け、夫の愚痴や秘密の恋、そして“やってみたかったこと”について話を聞いていくが、2021年8月にタリバンが復権すると、報道の自由を封殺する動きが強まり・・・

 

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鑑賞した感想など

  • 85分の短い映画だが、観ていて眠気を抑えるのに苦労した、女性の人権が著しく無視されている国の実情を余すことなく伝えており、内容的には非常に深刻なものであるが、監督の母ハワの日ごろの生活を追う映像が延々と続き、舞台も生活している家の中の描写が大部分なため、どうしても眠くなる
  • この映画を通じて大切だと強調されていたものの一つは「教育」でしょう、読み・書き・そろばんとは良く言ったもので、こういったことが曲がりなりにも実施されないと国はいつまでたっても貧困や混乱から抜け出せないのだと改めて感じた、その意味で主人公のハワは勉強の意欲があり立派だと思ったし、そういう母だからこそ6人の子供は立派に育ったのでしょう
  • もう一つはアフガニスタンにおける女性蔑視だ、特にタリバン時代がひどい、映画の中の一つの例として女性の献血は受け付けないというのがあった、血が汚れるからだという我々の常識では理解できない理由からだ
  • さて、この日は映画の後、フォトジャーナリストである安田菜津紀氏(Dialogue for People副代表)と佐藤慧氏(Dialogue for People代表)によるトークイベントがあったので、残って聞いてみた、トークではタリバンによる女性蔑視や人権軽視などについていろんな角度から説明があったので有意義であったが、その勢いで、日本におけるいくつかの動向について批判的な意見が述べられていたのには驚いた
  • 例えば、女性の扱いについて先ごろ成立した皇室典範改正において女性天皇や女系天皇を認めなかったことをまるでタリバンの女性蔑視と同列に述べたり、アフガニスタンから日本に非難してきた人たちを日本政府が体よく追い返したとか、日本で移民や難民に対する排他的な動きがあることを批判的に述べた点などである、これらの点はそんなに簡単に断じられないことで、一つの意見である、だからそうではないと思っている人もいる、このような政治的な主張がこういう場においてなされるというのは如何なものかと思った

アフガニスタンというのは本当に大変な国であるということが分かった

松岡美術館に行った後、白金台で昼食をとり、その後、まだ時間に余裕があったのでどこかカフェに行ってみようと思い、グーグルで検索したら30分くらいで行けるブルーボトルコーヒー豊洲パークカフェがあるので行ってみた

 

豊洲あたりにはほとんど来たことがない、車で近くを走ったことはあったが、豊洲駅で下車するのは初めて、地下鉄の駅から地上に上がってみると高層ビルが多くてびっくりした

 

 

そこから7、8分歩くと豊洲公園に出て、お目当てのブルーボトルコーヒーはその公園の中にあった

 

 

正面の入口から入り、座席を確保し、レジカウンターで注文をする方式、この日は30度くらいの暑さであったのでアイスコーヒーにした、671円

 

 

コーヒーをもらい、自席に行き、外の景色を眺めながらいただいた、目のまえは公園だけどそんなに広くない、その先には海が見えた

 

 

その後はKindleで読みかけの面白い小説があり、それを30分くらい夢中で読んだ、コーヒーの味は酸味がきつかったがアイスコーヒーであったため、何とか飲めた

 

来ているお客さんをみると若い人が圧倒的に多い、シニアなんかいない、そういう雰囲気の店だったが居心地は良かった

 

店内はそれほど広くないので週末などは行列ができるのでしょうね、ご馳走様でした

 

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さて、この日は有楽町線の豊洲駅のホームに降りてびっくりした、ここは「2面4線」の駅だが、現在使われているのは外側の1番線・4番線だけで中央の2番線・3番線はホームの一部として塞がれていた、歩いてもかまわない、こんなのはじめて見た

 

 

AIに聞いてみると、豊洲駅開業の1988年当時、有楽町線を豊洲で分岐させて住吉・押上方面へ延伸する構想があったが延期になり、一方、利用者が多くなり混雑緩和のためホームとして利用するようになったとのこと、この延伸は現在まだ計画があり、2030年開業目標で建設を進めているそうだ、「こんなのを見れるのも今のうちですね」

 

 

豊洲駅は新橋から出ている「ゆりかもめ」の終着駅にもなっているが、こちらも当初延伸の計画があったけど立ち消えになっている、ビルの谷間にある駅から飛び出した曲がりかけた延伸路線の軌道が目を引いた

 

お疲れ様でした

東京の白金台にある松岡美術館に行ってきた、平日の午前中、この美術館は開館以来、創立者である松岡清次郎氏が蒐集した所蔵品のみで展示を行っている、それは、「私立美術館は美術品を蒐集した館の創立者の美に対する審美眼を、その一つひとつの美術品を通して、ご覧いただく方に訴えるべきところ」と考えた創立者の意志によるもである、一つの立派な見識でしょう

 

 

この日は「風そよぐ情景 ヴィクトリア朝絵画・フランス印象派」展の他、「五窯響宴 宋から元までの中国陶磁」展、「いにしえのエトルリア 小企画展」展を開催中であったが、最初の「風そよぐ情景」展(10月12日まで開催)を観たいと思って来た

 

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「風そよぐ情景」展は、イギリスのヴィクトリア女王の治世(1837-1901)の時期の美術と、1800年代後半のフランスにおける印象主義の美術に焦点を当てた展覧会、イギリス絵画からは美しいイギリスの自然を描いたベンジャミン・ウィリアムズ・リーダーの風景画や、チャールズ・エドワード・ペルジーニの清楚な女性像を、フランス印象派からはモネやピサロ、ギヨマンらの作品などを館蔵作品より19世紀後半の作品を中心に併せて30点余りが出品されている

 

展示は2階展示室、作品リストと照らし合わせながら、展示作品をじっくり鑑賞した、前回訪問した時にも感じたことであるが、この美術館は鑑賞する人の立場に立っていかに展示作品をよく理解してもらうかを考え抜いた展示をしている、例えば、作品近くにある作品の説明書きは大きな字でシニアにも読みやすく、内容も作品鑑賞に必要な情報を簡潔に洩れなく書いてある、また、作品リストの作品番号が展示作品のところに必ず書いてあるので何か印象に残ったことなどを記録しやすい、他の美術館に見られないのは、それぞれの作品がその作家の何才の時の作品かが書かれていることだ、たいへん参考になる

 

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鑑賞して特に良いなと感じた作品を紹介したい、なお、当館では絵画・陶磁器作品などは展示室のガラスで仕切られた中のスペースに展示してあるため、写真を撮ると背後の景色が反射してしまうので若干観にくいものがある

 

(ヴィクトリア朝絵画より)

 

ロバート・ブルーワー、廃墟のそばに人物のいる風景、19世紀初め、当時、産業革命による工業化のなかで失われる景観である廃墟がブームとなった

 

ベンジャミン・ウイリアムズ・リーダー、北ウェールズの穏やかな午後、1885年、工業化のなかで郊外の自然が郷愁を喚起し、好まれた

 

チャールズ・エドワード・ペルジーニ、束の間の喜び、描かれている妻ケイトもロイヤル・アカデミー会員であり、かつ、ディケンズの娘である

 

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(フランス印象主義より)

 

ブータン、海、水先案内人、1884年(60才)ブータンは空の王者と言われた画家、18歳のモネの才能を感じ取り熱心に油彩画の勉強を勧め、戸外での制作に誘った、そこで風景画のすばらしさに開眼したモネは画家になることを決意した

 

モネ、サン=タドレスの断崖、1967年(27才)

 

モネ、ノルマンディの田舎道、1868年(28才)

 

モネ、エトルタの波の印象(未完)、1883年(43才)

 

シスレー、麦畑から見たモレ、1886年(47才)

 

ピサロ、羊飼いの女、1887年(57才)

 

ギヨマン、イル=ド=フランス、1886年(47才)、今までギヨマンにはあまり注目してこなかったが、素晴らしい絵を描く画家だと思った

 

ギヨマン、アゲーの岩場、1893年(52才)

 

展示されているイギリスとフランスの絵画を鑑賞してくると、どうも自分はフランス絵画の方に好きな絵が多かった

 

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このあと、中国の陶磁器を展示している「五窯響宴、宋から元までの中国陶磁」展をざっと見て、特にこれは良いなと思ったものを紹介したい、この展示は、宋時代から元時代に五つの窯で製作された時代を代表するやきものを所蔵品から展示している

 

三彩劃花詞文枕、金時代、緑が鮮やかだ

 

三彩劃花花鳥文小盤、これも緑が鮮やか

 

青花魚藻文大盤

 

この美術館は写真撮影OKであるが、シャッター音の鳴るスマホなどは使えないため、あらかじめシャッター音のしない写真アプリをインストールしておく必要がある、ある美術館でも同様な対応をしているところがあり、その美術館では、その注意書きのところにシャッター音無し写真アプリのQRコードが表示されていた、当館もそこまでやってくれたら有難い、私は既にインストールしているので大丈夫だった

 

 

ここまで観てちょうど入館から1時間、他の展示室は本当にざっと観ただけ、全部詳しく見ていたら1日つぶれるでしょし、疲れてとてももたない

 

楽しめました

新国立劇場「バレエ・アステラス2026」を観劇した、日曜日、開演14時、終演17時15分、座席は8割くらい埋まっていた

 

「バレエ・アステラス」は、世界のバレエ団で活躍する日本人ダンサーを、毎夏、新国立劇場に迎えるスペシャルガラ公演、人気の古典バレエの名作から日本初演の現代作品まで多彩なプログラムを演じるもの、今年で16回目、「アステラス」とはラテン語とギリシャ語の造語で「星たち」の意味

 


演目と出演者

 

(オープニング)

オーケストラの演奏とともに後方画面に本日の演目と出演者を映し出す

 

第1部

『Three Preludes』より 第1楽章、第3楽章

振付:ベン・スティーブンソン

音楽:セルゲイ・ラフマニノフ

ピアノ演奏:巨瀬励起

出演:畑戸利江子 (テキサス・バレエ・シアター)、アンドレ・シルバ (テキサス・バレエ・シアター)

 

『コンクール』より 裸足のパ・ド・ドゥ

振付:モーリス・べジャール

音楽:アルフォンス・ツィブルカ

出演:大橋真理 (ベジャール・バレエ・ローザンヌ)、クウィンテン・ギリアムス (ベジャール・バレエ・ローザンヌ)

 

『ドン・キホーテ』第1幕より キトリの登場とヴァリエーション

振付:マリーナ・ヴィアヌエヴァ

音楽:レオン・ミンクス

出演:石井杏奈 (レ・グラン・バレエ・カナディアン)

 

『サタネラ』より パ・ド・ドゥ

振付:マリウス・プティパ

音楽:チェーザレ・プーニ

出演:小森世楽(ポーランド国立バレエ団)、ジョージ・エドワーズ(ポーランド国立バレエ団)

 

『グラン・パ・クラシック』

振付:ヴィクトル・グゾフスキー

音楽:フランソワ・オーベール

出演:東 真帆 (新国立劇場バレエ団)、李 明賢(新国立劇場バレエ団)

 

第2部

『道(La Strada)』より ソロとパ・ド・ドゥ

振付:マリオ・ピストーニ

音楽:ニーノ・ロータ

出演:ミラノ・スカラ座バレエ・アカデミー

 

『En Bateau』

振付:デヴィッド・ビントレー

音楽:クロード・アシル・ドビュッシー

出演:新国立劇場バレエ研修所

 

『ロッシーニ・カード』より ソロとデュエット

振付:マウロ・ビゴンゼッティ

音楽:ジョアキーノ・ロッシーニ

ピアノ演奏:巨瀬励起

出演:ミラノ・スカラ座バレエ・アカデミー

 

第3部

『眠れる森の美女』第3幕より パ・ド・ドゥ

振付:マルシア・ハイデ

音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

出演:奥村 彩 (チェコ国立バレエ団)、フェデリコ・イエヴォリ (チェコ国立バレエ団)

 

『ハムレット』第1幕より ハムレットとオフィーリアのパ・ド・ドゥ

振付:レオ・ムジック

音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、カミーユ・サン=サーンス

ヴァイオリン独奏:川田知子

出演:エミリー・タシナリ (スロヴェニア国立バレエ団リュブリャナ)、山本健太 (スロヴェニア国立バレエ団リュブリャナ)

 

『ジゼル』第2幕より パ・ド・ドゥ

振付:ジョゼ・マルティネス

音楽:アドルフ・アダン

出演:丸尾麻日花 (クロアチア国立劇場)、吉岡遊歩 (クロアチア国立劇場)

 

『ロメオとジュリエット』第1幕より バルコニーのパ・ド・ドゥ

振付:ケネス・マクミラン

音楽:セルゲイ・プロコフィエフ

出演:吉田合々香 (クイーンズランド・バレエ)、エディソン・マニュエル (クイーンズランド・バレエ)

 

〈フィナーレ〉

出演者全員、音楽は組曲「バレエの情景」よりポロネーズ

 

【指揮】アレクセイ・バクラン(ウクライナ国立歌劇場指揮者)

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

 

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観劇した感想など

  • バレエはあまり詳しくないので知っているダンサーは一人もいなかったけど、演技の内容は十分楽しめた、素晴らしいバレエであったと思う
  • 世界の劇場で活躍する日本人バレエダンサーが多いことを改めて感じた、たいしたものだ、先日もNHKでROHの「ジゼル」を放送していたが、タイトルロールを務めたのは日本人の高田茜であった
  • バレエだけではない、私の好きなゴルフでも先週末にイギリスで開催されたメジャートーナメント全英女子オープンで23歳の桑木志帆がプレーオフの末、優勝した、昨年も山下美夢有が優勝し、以前渋野日向子が優勝した、いろんな分野で日本人の能力の高さが出て素晴らしい、勝利者インタビューで自分を支えてくれた人への感謝の気持ちとともに熊本地震への想いも語っていたから人間的にも立派な女性であり誇らしい
  • この日のバレエであるが、どの演目も素晴らしかったけど、自分が良かったと思ったのは第2部の新国立劇場バレエ研修所ダンサーたちによる『En Bateau』である、舞台後方の壁にはスーラ「アニエールの水浴者たち」の絵が大きく映し出され、舞台の前方にはそのスーラの絵を再現したセーヌ川をイメージした水色のピニールシートのようなものが置かれ、その絵に書かれている水辺で楽しむ人たちをダンサーたちが演じていた、衣装も通常のバレエ衣装ではなく、絵のなかと同じような普段着や水着に身を包んで踊るのであった、これは非常に粋な演出であると思ったし、ダンサーたちの踊りも良かった
  • 今回、残念だったのは、公演直前の7月下旬に石井杏奈とともに『ドン・キホーテ』第3幕より パ・ド・ドゥを踊る予定であったマーセル・グティエレス(レ・グラン・バレエ・カナディアン)が体調不良のため出演取りやめとなったことだ、演目を同じ『ドン・キホーテ』の第1幕より キトリの登場とヴァリエーションに変更して、石井杏奈が一人で踊った、石井杏奈は二人で踊れず残念だったろうが立派に踊って大きな拍手を浴びていた
  • この日のアレクセイ・バクラン指揮による東京フィルの演奏、ピアノ演奏の巨瀬励起、ヴァイオリン独奏の川田知子の演奏は良かった、ただ、第1部の『コンクール』より 裸足のパ・ド・ドゥの演奏はオーケストラではなく録音音源を使用していた、想像するに、6月19日に上演作品を『突然変異X』から今回の『コンクール』に変更することが発表されたことが影響しているのではないか、仕方ないことなのでしょう
  • 今回の公演では「カーテンコール時の写真撮影も含めて写真撮影は禁止です」と張り紙が出ていたが、どんどんカーテンコールなどの写真を撮ってSNSでアップしてもらい世の中にもっとこの公演の存在やバレエの面白さを伝えてもらうメリットの方がデメリットを上回ると思うけど、ROHでさえカーテンコール時の撮影はOKである
  • 年に一度の祭典なのでホワイエの装飾はもっと派手さや華やかさを出しても良いのではないか、やはり豪華さや非日常感が欲しい、具体的にどうしろというアイディアはないけど、この劇場自体が欧州の歌劇場のような豪華さを求めるよりは日本的な簡素の美や上品さを重視した設計思想だと思われるので、そんなことしたらちぐはぐになるということかもしれないけど、ホワイエくらいは豪華さを出しても良いと思うがどうだろうか

楽しめました

映画「偶然と想像」を観た、土曜日、座席は8割方埋まっていた、2021年、121分、監督・脚本:濱口竜介

 

 

濱口監督初の短編オムニバス、2021年ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した作品

 

親友が「いま気になっている」と話題にした男が、2年前に別れた元カレだったと気づく「魔法(よりもっと不確か)」、50代にして芥川賞を受賞した大学教授に落第させられた男子学生が逆恨みから彼を陥れようと女子学生を彼の研究室を訪ねさせる「扉は開けたままで」、仙台で20年ぶりに再会した2人の女性が、高校時代の思い出話に花を咲かせながら、現在の置かれた環境の違いから会話が次第にすれ違っていく「もう一度」、それぞれ「偶然」と「想像」という共通のテーマを持つ

 

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感想など

  • 「ドライブ・マイ・カー」の濱口監督の作品を特集しているというので観に来たのだが、最初の何分か観て、「はて、これは以前観たことがある映画ではないか?」と思った、話が進んでいくと、やはり「これは観たことがあった」と気づいたが面白い映画なので最後まで観た
  • 濱口監督が脚本まで自ら書いている、それぞれの話についてはよく考えられており、よくこのような作品を書けるなと感心した
  • 観終わってから振り返ると、それぞれの小話の「偶然」というのはわかりやすいが、「想像」というのがちょっと分かりづらい、物語の最後の場面に出てくるところだと思うのだけどどうだろうか
  • 第1話の「魔法(よりもっと不確か)」の最後は主人公の女性(古川琴音)と親友の女性が喫茶店で話をしていると、窓の外にその親友といい関係になりかけている元カレが通りがかり、3人で話す場面、これが2通り出てくるので、最初の方が想像か? また、第1話の題名が何を意味するのかが後から考えてもわからなかった
  • 第2話の芥川賞を受賞した大学の中年男性教授から落第されられた彼氏がその教授に復讐するため、付き合っている同じ大学の既婚女子学生を使ってハニトラを仕掛けるが、その女子学生が教授に会うと想像もしない展開になり、その後の行動が意図しない結果をもたらすが、この話の「想像」が何かわからなかった、女子学生が読み上げた芥川賞受賞作にあるエロい部分が教授の「想像」であるということを指しているのか?
  • 第3話の「想像」も分かりにくかった、最初に主人公が久しぶりに出席した同窓会で話をした唯一の女性が後で仙台で遭遇した女性と同じなのかが分からなかったし、仙台で偶然に出会った女性を同窓生と間違ったのは本当で、一番最後で「もう一度、偶然に出会った場面を再現しよう」と言って、二人が同じことを繰り返した後の部分が「想像」なのかわからなかった
  • 3話とも二人の登場人物がじっくりと話をする場面が長い、ここで少し退屈になるが、その会話の内容で勝負している映画なので、これは仕方ないと思った、これは映画というより演劇に近いと感じた、そして3話とも主人公は女性であるところが興味深い、濱口監督がよく女性心理を理解して、そこを深くえぐっていくような映画を作れたものだと感心した
  • 登場人物について、第1話の元カレと別れた女性(古川琴音)は元カレに「あなたは本当に私に向き合っていたの?」と鋭いことを言うが、自分の浮気が原因で別れたのに亭主に責任転嫁するような言い方を平気でするところが好きになれなかった、第2話の既婚の女子大生(森郁月)の乱れた私生活は妻を持つ男性として好きになれないし、そのセックスフレンドの落第生(甲斐翔真)も許せない、大学教授(渋川清彦)には同情した、第3話の主人公の独身女性(占部房子)、同窓生の既婚女性(河井青葉)とも良い女性だと思った、それぞれ観た人にそう思わせるのは脚本家の腕と俳優の演技力でしょう、たいしたものだ

楽しめました

映画「新凱旋門物語」を鑑賞した、2025年製作、106分、フランス・デンマーク合作、原題:L'inconnu de la grande Arche(大アーチの異邦人)、監督:ステファン・ドゥムースティエ、原作ロランス・コセ

 

 

パリのランドマーク「新凱旋門」誕生の舞台裏で国家プロジェクトに翻弄された建築家の運命を実話をもとに描いたドラマ、ジャーナリストのロランス・コセによる著書「新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ」が原作

 

1983年、ミッテランは大統領就任後初の大規模プロジェクトとして、フランス革命200周年を祝う新モニュメントの建設を構想、国際設計コンペで選ばれたのは、キューブのように角張ったアーチ型の建物と、そのふもとに雲のような屋根が浮かぶ大胆なプランで、設計者はヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン (クレス・バング、Claes Bang、1967、デンマーク)という無名のデンマーク人建築家だった、スプレッケルセンはフランスで一躍時の人となるが、完璧を追い求める彼の前に予算や政治的圧力、周囲の思惑が次々と立ちはだかり・・・

 

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感想など

  • 映画の冒頭に、実話をもとにしているが、妻とのやり取りは創作である旨のテロップが流れた、そうしないとあまりに単調な映画になるからでしょう、これはそれで良いと思った、しかし、この奥さん、よく煙草を吸う人だ
  • この新凱旋門には訪問したことはないけど、パリに旅行で行ったとき、凱旋門に昇り、そこから360度見渡すと、確かにエッフェル塔と反対側の高層ビルが立ち並んでいる中に大きなアーチ状の門のようなものが見えたのを覚えている、それが何なのかその時は気にならなかったが新凱旋門であった
  • この映画はフランス映画らしさが出ている映画だと思った、派手なところが全くないが、人間世界でありがちな物語であり、自分だったらどうするかを観る人に考えさせる映画だと思った、だから最後の場面もハッピーエンドではなく、中途半端な終わり方で、少しの光も差し込まないある意味救いのない映画であるが、そこがハリウッド映画と違って少し捻くれたる欧州映画らしい大人の映画だと思った
  • 主人公の無名の設計家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンは芸術家のようなものだ、コンペだから自分の設計思想を存分に取り入れた図面を書いたのでしょう、そこに妥協はなく、実際、新凱旋門をみればそのユニークさがわかる、芸術とは漱石が言うように本来ビジネスと両立が難しいものであるが故の悩みが常にあるのはたびたびこのブログでも述べてきたところである、自分の主張を貫き通そうとすると種々の軋轢が生じ、作品も世の中から評価されず経済的に苦しくなる、そこで自分の芸術家としての信念を少し曲げて、ある程度の妥協ができる世渡りのうまい人が経済的に成功することになるわけである、この映画での主人公は芸術家肌の強い性格であり、それがゆえにまわりとの軋轢が生じて行き詰まったのであろう
  • ただ、救われるのは、時の大統領でこのプロジェクトを推進してきたミッテランの理解を得らえたということでしょう、これはすごいことでしょう
  • コンペの受賞記者会見のときに主人公がデンマーク人なのにフランス語が流ちょうなのはたいしたものだと思ったけど、これも実話の通りなのでしょうかね、確かにそうでもないとコンペのときのプレゼンなどでは苦労するでしょうね
  • この主人公に絡む登場人物、奥さんのシセ・バベット・クヌッセン(Sidse Babett Knudsen、1968、デンマーク)は芯の強い女性であり、時に国家相手にエージェント並みの交渉力を発揮する凄腕ぶりで亭主をびっくりさせるが、亭主が行き詰まって彼女に当り散らすと怒って家を出ていく西欧の女性らしいところも見せる、その演技はうまかった
  • また、一緒にプロジェクトを進めていく建築士アンドリューを演じたスワン・アルロー、Swann Arlaud)、政府の窓口の官僚シュビロン役のグザビエ・ドラン(Xavier Dolan、1989、カナダ)もうまい演技をしていたと思った
  • 映画を観ていると、どうも1989年に完成した新凱旋門は当初ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンが設計したものからはかなり乖離したものとなったことが想像される、新凱旋門の横に立てる小さなモニュメントや新凱旋門内に見える雲を表す構築物は無くなり、壁の材質もイタリアの塩分を多く含んだ白い大理石で、夕日が当たるとオレンジ色に輝くものは使用されなかったのでしょうね、今度パリに旅行に行く機会があれば是非訪問したくなった
  • この新凱旋門の正式名称は 「グラン・アールシュ・ド・ラ・デファンス (Grande Arche de la Défense)」 で、「デファンス地区の大アーチ(大凱旋門)」という意味ですとAIにでた、また、日本語に翻訳した題名よりは原題の方がこの物語をよく表しているような気がした

楽しめました

(承前)

 

 

第9章 歴史を超えて

 

日中関係のゆくえ

  • 大日本帝国時代、日本国民の多くは軍部を支持していました、中国が、日本国民が軍部に騙され戦争を強制されたというのは戦後作られた嘘の物語です
  • 日中戦争に関しては日本側の責任が大きいと思いますが、中国側にも責任がないわけではなく、日本側にもいくらかの正当性はあったはずです
  • 日清戦争以後の近代日中関係の歴史を顧みると、日中が敵対したのは主として日本側に責任があるように見えます
  • 近代においてともに劣等感に凝り固まった中国と日本が改めて顔を合わせたのです、ともに劣等感を補償するため、おたがいに相手をおのれより下に見ようとしているのでは協力などできるはずもありません
  • 日清戦争と義和団の乱以降、日本が中国に対して優位に立ち、中国を侮辱し侵略し続けたことは否定できないから、日中が協力できなかった責任の大半は日本にあると思いますが、それ以前、欧米がアジアを侵略しはじめたころ、日中が協力できなかった責任は半々ではないかと思います
  • かくして、日中は、侵略する欧米にとっては好都合なことに、いがみ合ったのです

(コメント)

日中関係悪化の原因の大半が日本側にあるとの主張であるが、そう簡単なものではないと思う、合法的に駐留していたわが国軍隊に対する挑発や停戦協定破り、日本人居留民に対するかずかずの嫌がらせや殺害があった、今のかの国の行いを見ていれば、彼らのやり口は今も昔もまったく変わっていないことが分かろう、当時は今以上にひどかったのだ、もちろん、わが国の側にも張作霖爆破事件のようなひどい行為はあった

 

韓国の反日感情の精神分析

  • 朴槿恵大統領が韓国の歴史認識をそのまま正しいと思っている限り、日韓の和解はあり得ません
  • 日本が韓国にひどいことをしたのは確かで、とくに関東大震災のときの何のいわれもない朝鮮人虐殺はひどかったですが、今の韓国が桁外れに反日的なのは、日本の植民地被害に比例してのことではなく、植民地であった間に日本人に気に入られようとして一部の韓国人が日本人以上に日本人になろうとし、自ら進んで卑屈に迎合した屈辱の記憶がぬぐいがたく、その苦しさから逃れられないことが主な理由です、この韓国人の屈辱感を理解しないで、どれほど謝罪や賠償や援助をしても、反日感情を鎮めるには何の効果もありません、とくに、日本の植民地化によって韓国の近代化が進んだなどと言われると、それが事実であるだけになおさら韓国人は怒り心頭に発します
  • 慰安婦問題で当時の官房長官河野洋平や何の根拠もないにもかかわらず、日本軍の強制連行を認めました、彼は韓国のことをあまりに知らな過ぎました、外交官として致命的失敗でした、日本が韓国の下位の国であることを承認したサイン、慰安婦問題に関して日本側に対し強い要求をしてよいサインと解したのです
  • 朝鮮統治は日本が悪いことは言うまでもなく、日本にも責任がありますが、朝鮮もその判断と行動次第では直ミンチにならずに済んだはずで、朝鮮にも責任の一端はあります

(コメント)

韓国が日本の占領や戦後補償により近代化したという不都合な真実について日本に触れられると民族の誇りを傷つけられることを理解しなければならない、というのはもっともなことでしょう、日本人も戦後の驚異的な経済成長はアメリカや中国の援助や好意、いくつかの偶然(引揚げによる人口増、360円固定為替相場、米対日戦略の転換)が重なって達成したものだ、と言われたら不愉快になるでしょう

ではそのような韓国に対して日本はどう対応すべきなのかという肝心な点についての著者の見解を知りたかった

著者も言う通り韓国が事実を曲げてまで日本を非難したり、二国間の約束を守らないなら、日韓友好は幻想となるだけで、日本は韓国とは距離を取って付き合った方が良いでしょう

 

戦争当事国が和解するなどは幻想であり、そんなことはあり得ないものと考える現実主義が歴史の知恵である、停戦後、交渉の上、双方が妥協して国交回復条約を締結して手打ちをし、それ以後、謝罪だ戦争責任だ賠償だなどと蒸し返さないのが世界の常識であり、人類の知恵である、それがわからないような国家とは距離を置いて付き合うべきであろう

 

日中、日韓の国交回復後、両国はこの常識に従って付き合っていたが、それをブチ壊したのはいずれも日本の新聞のせいだと言っても過言ではない、教科書問題、靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題など日本の新聞がいい加減な情報や片寄った考えで大騒ぎして中国や韓国を不必要に刺激し、二国間の外交問題にしてしまったのである、そして、同様なことは今も続いている、徴用工問題や台湾有事を巡る高市首相の国会答弁問題などである、とにかく外国の干渉を招いてでも政府や首相を批判してやろうというねじ曲がった報道姿勢がいかに二国間関係を損ない、わが国の国益を害し、日本人の名誉を傷つけてきたことか、こんなことを繰り返しやっているから新聞は常識ある国民から批判されるのでしょう

 

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補論 日米はなぜ戦ったか

  • 敗戦は作戦の稚拙さのせいだと思っている、優秀で賢明な者の意見が通らなかった日本軍の組織の構造に問題があったのではないか
  • エリート軍人が開いた作戦会議では、勇ましいことを言う声の大きい馬鹿が議論に勝って、現実を踏まえた慎重論が引き下がった、日本軍は自閉的共同体となっているためだ、「和の文化」では無能な指揮官や参謀がクビにならないし、情報の隠蔽や歪曲、軽視も自閉的共同体の体質的特徴である
  • 他国・他民族への侵略、植民地化、支配をめぐって長く戦争を続けてきた欧米諸国と違って、日本はまだその過酷さに慣れておらず、戦場での失敗を重大に受け止める必要性を十分に学習していなかった
  • 作戦について常に観念的最善策を選び、現実的な次善策を選ばない、真珠湾でもミッドウェイでもそうだった
  • 日本政府(軍部)の要人たちが、開戦するしかないと判断した心情を検討する必要がある、その判断には当然すぎるほどの当然な正当性のある根拠があったはずである、それらに迫られても戦争に訴えないことができるだけの理論を構築しておかなければ戦争を防ぐことはできないであろう
  • なぜ戦争が起こったのかを知らずに、戦争は悪だ、断固として平和を守ろうと叫んでいるだけでは平和は守れない、それでは、戦争をせざるを得ない正当な根拠を示されると簡単に押し切られてしまうだろう
  • 日本軍を敗北へと導いた構造的欠陥は現代日本の省庁、政党、企業、大学など、あらゆる組織にそのまま温存されていて、日々、想像を絶する被害をもたらしている、そうした被害を見過ごしておいて戦争反対を呼ぶのは、開戦し敗北したかつての軍部に優るとも劣らず無知・無謀・無責任である

(コメント)

いずれも著者の言う通りでしょう、「戦争はいやだ」だけではわが国を狙う覇権主義国家をその気にさせるだけだ、戦前を全否定し、国を守るために必死に戦った先人に罪を押し付けている誇りなき国家は他国から侮られ、戦わずして他国の手に落ちるでしょう

 

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あとがき

  • もともと日本民族と言うものがあったわけではなく、あちこちで生きづらく差別され追い払われたさまざまな民族が列島にやってきて、雑居したり混血したりして最初の倭人・先住民・日本民族の基層を形成したのではないか、そのため、日本民族は基本的に劣等感・被差別感情・被害者意識が強く、同時に、我慢強い民族となったのではなからろうか
  • 7世紀後半、日本と称するようになったが、それは中国とは無関係に勝手に成立した国ではなく、始めから中国の一地方、属国だったのではないか、ところが倭国の王は中国の一機関であることに甘んじなくなり、中国と区別し始めた、聖徳太子の煬帝に送った有名な国書は日本の独立宣言である、天孫降臨神話はその正反対が事実であることを物語っている、これは中国を意識した外的自己と内的自己の葛藤である、以後、日本の歴史は内的自己と外的自己の間で揺れ動く、開国と鎖国、外国との友好と敵対の交替が繰り返される、蘇我氏、清盛、信長、明治政府などは開国派、国際派であり、中大兄皇子・中臣鎌足、源氏、北条氏、徳川幕府、軍部は攘夷・国内派であった
  • そもそも日本がなぜ中国を侵略したのか、欧米の植民地主義に対抗するため日本が東亜の盟主になって中国と朝鮮を支配し、指導せざるを得なかった、日清・日露・第一次大戦に勝って舞い上がって中国を見下した、中国を見下したのは古代に根を持つ理由もある、日本はその成立事情から中国に劣等感を持ち続けたが、近代に中国が欧米に屈服するのを見て、これまで劣位に置かれてきた恨みをはらす絶好のチャンスと捉えたのではないか
  • 20世紀に侵略され、屈辱を味あわされると、中華思想は変質して強権的な原理となった、そして、被害者や加害者の真似をするという法則通り、中国は、いまや、軍事大国となり、かつての大日本帝国とそっくりである
  • 日本人が韓国人の屈辱と怒りを理解できないのは、現在の日本人がアメリカ人に対して、かつての日本人に対する朝鮮人のように、媚びた笑顔を浮かべて自ら進んで卑屈に迎合しており、かつ、そのことを否認しているからであろう、将来、日本が対米依存から解放された暁には、現在の韓国人が日本人を恨んでいるように、アメリカ人に対する日本人の積年の恨みが噴出するだろう、その時、アメリカ人はなぜ恨まれかわからず、日本人は恩知らずだと思うであろう
  • どの民族、国家も、そのようなことはなかったことにしたい屈辱の事件・罪過の事件を過去に多々抱えており、それらのトラウマを隠蔽・否認・歪曲・正当化しようと必死にあがいている、これらの対応策として日本人は天孫降臨の神話を、ヨーロッパ人はヨーロッパ文明至上主義を、アメリカ人は自由民主主義の正義をデッチあげた

(コメント)

実にユニークな著者の主張がまとまっていて興味深い、それぞれの地域の国家成立の経緯、内的自己と外的自己のせめぎ合いの歴史、劣等感を持った国家・国民の怖さ、敗戦後の日米関係や日中日韓関係など右にも左にも偏らない著者の見識は、一部同意できないところもあるが、勉強になった

 

(完)

上野の西洋美術館で常設展を観た後、11時過ぎになったので、日本橋に移動して、久しぶりに天ぷらの金子半之助に行ってみた、到着したのは11時半過ぎ、行列は無かった、すぐ近くのとんかつ屋には炎天下にもかかわらず長い行列ができていたのには驚いた

 

 

中に入ると若干の席が空いており、すぐに座れた、メニューを見せてもうと天ぷらめしは4種類あり、上の二つは大きな穴子の天ぷらもついたものですとの説明、私はそんなに天ぷらの量はいらないので、上から3番目のものを選んだ、1800円くらいだった

 

最初に黒豆茶とお箸、おしぼり、天つゆが出される、天ぷらは2回に分けてまとめて提供される、お茶を飲んでしばし待つと、ご飯と浅利のみそ汁が出され、その後、最初の天ぷら数種類が出てきた

 

海老1尾、舞茸、鶏肉の紫蘇巻、かき揚げ、海老が少し細いが値段を考えれば上等か

 

次に2度目の天ぷら、なんと海老3尾、カボチャ、半熟卵

 

天ぷらの量は十分だったし、美味しかった、食べてみてよかったのは、天ぷらが4尾も出てきたこと、たっぷりのアサリの味噌汁、卓上にある3つの壺にいか柚子、高菜明太、つぼ漬けが入っており、お新香替わりに食べられること、天つゆがたっぷりあることなどだ

 

店内はカウンター席だけ、目の前で天ぷらを調理するところが見られる臨場感が高級店っぽく見えるが、値段は良心的でボリュームもあるので、来ているお客さんは若い女性、観光客と思われる人が多かった

 

場所がら家賃も高い一等地であるが、お手頃な値段で天ぷらを食べさせてくれるこの店はたいしたものだと思う

 

ただ、もう何回か来店して感じたことは、ここはやはり若者向きの店だなということだ、天丼金子半之助の方もそうだが、手ごろな値段でいっぱい食べさせてくれる店なので、シニアは若者の来る店を荒さず、金に余裕があるんだったらもうちょっと高い店に行きなさいということか

 

ご馳走様でした、店を出るときには店外で若干の人が待っていた

 

学校学校学校学校学校

 

さて、日本橋に来た時に定点観測している場所でまた写真を撮った

 

 

近くで見ると「東京ミッドタウン日本橋」と出ており、上の方には「野村證券」と出ていた、そして、写真を撮った横断歩道を渡った先に、また別の大きなビルが建設中であることに気付いた

 

(承前)

  • 大日本帝国の物語は大昔の天孫降臨の神話を材料にした家族の物語であったが、過去の歴史という現実の基盤から切り離されたところに建てられたため戦争に負けると簡単に吹き飛ばされた、過去の集大成として現在がある以上、過去を無視すれば現在も崩れるのです、戦後民主主義の物語も大日本帝国の物語と同じように砂上の楼閣でしかありません、「これまでの歴史は間違っていた」と過去を壊した、過去を壊せば現在は迷走するしかありません

(コメント)

戦後民主主義なるものはソ連が崩壊した時点で終わったのではないか、進歩的文化人も消滅した、しかし、この左翼全盛時代が忘れられず、いつまでも階級闘争や権力批判に明け暮れ、独りよがりな平和主義を唱えている人たちが生き残っているのがマスコミ、学校、NPOだ、戦前を何でも悪とみなして先祖を侮辱し、反権力のくせに国家や地方公共団体に寄生し甘い汁を吸っている人たちが多い

 

  • 西南戦争で勝軍のトップの大久保利通は不人気で暗殺されたが、敗軍のトップの西郷隆盛は人気がある、日本国民は何かと外国に適応しようとする現実的な政治家は嫌いなんです、この習癖のため、日本国はかずかずの失敗を犯してきました
  • 吉田松陰も西郷隆盛も征韓論を唱えていましたが、いじめられっ子が自分より弱い子を見つけていじめるようなものですね、日清戦争のときの日本は、こっちが文明開化の先輩なんだ、グズグズしているお前に教えてやる、という態度だったのでしょう

(コメント)

最初からそういう態度ではなかったのではないか、危機が迫っているのにいつまでも動こうとしない隣国を見て、このままではわが国も危ないと思った当時の先人たちの感覚を理解しないといけないと思う、今の中国のわが国に対する軍事的挑発や経済的な嫌がらせ、日本人攻撃や拘束、やくざ並みの下劣な発言などに接し、かつてないほどの対中感情が悪化し、「中国は怖い」と思っている人は多いでしょう、その感覚は正しい、当時の人たちは、西欧列強のアジア侵略、ロシアの南下に対して今の対中感情以上の大きな恐怖感を抱いていたのではないか、そこを理解すべきでしょう

  • 明治時代の法律は欧米に不平等条約を撤廃してもらうために作られました、日本の現状に合うかどうかは問題でなく、タテマエに過ぎなかった、出発点がタテマエだから、日本人にとっての法律はいまだにタテマエです、憲法改正がなされないのも、必要がないからです、空文だから改正する必要がない、憲法も神棚に祀って拝んでいればいいのです

(コメント)

山本七平「日本人とユダヤ人」によれば日本には「法外の法」があり、守れば餓死するような法律を守る必要がないとの考えがあり、法律は「人間性を無視しない範囲内」では厳然として存在し、それを犯せば罰せられるのである、と同じようなことを書いていた、そして、空文の憲法を大事にしているのが左派勢力である、隣国の覚え目出たい人たちでしょう

  • 義和団の乱のとき、もし日本が中国との連帯意識があれば、義和団を助けるべきでした、しかし、欧米諸国に恩を売り、気に入られるためにアジアを抑圧する側に回った、姑息な手段だが、義和団を助けて欧米諸国と戦う力がなかったのは確かです

(コメント)

著者も言っている通り、日本を根拠なく見下している中韓との連帯など無理に決まっている、それは現在でもそうだ、日中友好や日韓友好などの幻想は持たず、付かず離れずの関係が良いと思う、友好関係など理想論に傾きすぎるのは危険であるのは他の所で著者が指摘する通りであり、二国間関係は全面対決もないし全面友好もないのが普通である、それがわかっていないのが「中国との関係修復にほど遠い」などと批判じみたことを書き、結局、慰安婦問題のように日本が譲歩することばかり要求するのが新聞である、隣国の立場で報道していると言われても仕方ないでしょう

  • 日露戦争に勝ったのは、主としてイギリスやアメリカなどの外国の協力、財政と武器援助のおかげです、しかしそのことを国民に隠しました、その結果、死を恐れぬ勇敢な日本兵という神話が出来上がりましたが、その神話が、その後の日本を誤った道へと引きずり込んだ元凶であり、のちの日米戦争の惨敗の原因です

(コメント)

これは難しい問題である、本当のことを国民に言ったらロシアをまたその気にさせるからだ、どうすればよかったのか私にもわからないが、国民全体が一方向に傾きやすいことに問題があるのではないか、何事もいろんな意見を紹介して、国民に物事を多面的に検討する習慣を日ごろからつけさせるのがメディアの使命ではないか、どうすればよかったのかの著者の見解を知りたかった

 

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第7章 敗戦の原因

  • 歴史における劣等感の役割を軽く見てはいけません、劣等感は現実認識を歪めるのです、人類は歪んだ現実認識に基づいて事件を起こす、歴史においては、馬鹿げたきっかけや理由で重大事件が起こることが珍しくありません
  • ロシア革命は西欧への劣等感から逃れるために西欧より上位に立つ必要があったからです、韓国人は劣等感が非常に強いために、現実認識の歪みがいささかひどいだけです
  • 幕末にペリーに恫喝されて屈服してから、欧米人に劣等感を抱くようになった、その埋め合わせに優越感が欲しくなり、中国人と韓国人を蔑視するようになったのです
  • 日本人は中国人や朝鮮人を殴ったりしていたずらに反感を買った、でも、近代日本の指導者は日本人自身に対しても残酷だった、戦争中は「今は非常時だ」と強調されていた
  • ドイツと日本は心情的に共感があったのだと思います、ともに広大な帝国の周辺国だったのです、ゲルマン民族はローマ帝国から蛮族と差別され続けられ、日独同盟はヨーロッパの非差別民族とアジアの非差別民族が同盟したと考えればわかりやすい、ともに被害者意識に凝り固まっていたのです、日本人は、祖国の言葉と祖先からの氏姓を奪われた韓国人の気持ちに、あまりに無頓着でした

(コメント)

いまの日本で劣等感に凝り固まっているのが新聞ではないか、その意味で危険な状態である、良い大学を出て、一流の新聞社に就職したにもかかわらず、発行部数は減少の一途をたどり、会社は何度も人員整理をし、世間からは「マスゴミ」とか「オールドメディア」と蔑まれている、だから意固地になり主張がどんどん先鋭化し、国民の常識的な意識から乖離していっている、反権力思想に凝り固まったメディアが国政の足を引っ張り、国民を誤った方向に誘導してるのではないか、新聞社が事実の報道や多様な選択肢を提示するようになってほしい

  • ハルノートを承諾すれば、政治家や軍人は叩き殺されかねない危険があった、ペリー来航以来の、特に開戦前のアメリカの日本に対する脅迫と侮辱を知らない者には、なぜ日本がハルノートを受け入れなかったか、理解できないでしょうし、気が狂ったとしか思えないでしょう、日本では不愉快な現実を直視することを説く現実主義者は人気がないのです
  • アメリカは日本が折れると踏んでいたのではないでしょうか
  • 真珠湾攻撃を決定したのは、当時の日本最高のエリートです、日本は現実に立脚して戦争をしたのではなく、プライドのために戦争をした面があったのです
  • 国家は国益だけで動いているのではありません、むしろ、プライドで動いている部分が大きいのではないでしょうか、純粋な国益で動いている国がどこにあるでしょスカ、今の韓国だって反日が国益にならないのは明らかでしょう、プライドのため歴史が捏造されています

(コメント)

国や民族のプライドのために戦う道を選んだわが先祖は誇り高い民族だと思う、他の有色人種国家はそれができずに植民地にされたのだ、もし、ハルノートを受け入れていれば大恐慌になり、天皇は幽閉され、正真正銘の軍事政権ができ、本土決戦までやって、もっと大きな犠牲者が出たかもしれない、戦争に負けたのは著者が言う通り作戦のまずさであって、開戦の決断が間違っていたわけではないと思う

  • アメリカは真珠湾攻撃は卑怯だと言いますが、どの面下げてそんな厚顔無恥ことを言うのでしょうか、自分たちのことを棚に上げるのは、建国以来のアメリカの伝統ですが、それにもほどがあります、日本が卑怯だというのはアメリカ側の宣伝であって、戦争全体をみればアメリカ軍の方がはるかに卑怯です
  • 東京裁判は日本人のプライドを潰すことに重点を置いていた、東京裁判は日米戦争の継続です、終結するのは日本に米軍の基地がなくなったときです

(コメント)

大国のやることは今も昔も変わらず自分勝手なものだ、そして戦略には長け、自己正当化がうまい国々である、そういう大国が自分たちのことを棚に上げて日本が全て悪かったとして処罰したのが東京裁判である、敗戦国としては受け入れざるを得なかったが、個人は別だ、学者や新聞は真っ先にその欺瞞を正すべきなのに占領軍に迎合したのが情けない

 

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第8章 東京裁判の精神分析

  • 原爆を持ち出すまでもなく、無意味に多くの非戦争員を虐殺したのは明らかにアメリカの方です、捕虜の虐殺までやりました、日米戦争においては、道義的にはアメリカは日本に負けているのではないでしょうか
  • 日米戦争で日本のスローガンは「欧米の植民市主義からアジアを解放する」、アメリカは「自由と民主主義を日本の独裁主義から守る」でした、私はアメリカのスローガンはほとんど正当な根拠が見当たりません、日本のスローガンの方がはるかに正当性と真実性があったのではないでしょうか
  • そのため、わざわざ何年も占領して「日本は侵略者であり、悪い国だった」と大々的に喧伝しなければならなかった、自分の正義に自信がなかったからです、確かに日本軍にも愚劣だった点は多々ありましたが、それが過度に強調されたのは、アメリカ軍の愚劣さを隠蔽すためであったことを忘れてはなりません
  • 戦後民主主義とは、皇国史観の逆の極端に走ったということでしょうね、戦時中は日本の伝統に価値を置く内的自己が幅をきかせていました、ところが、戦争に負けたとたんに事態は逆転します、今度は内的自己が抑圧され、外的自己がのさばります

(コメント)

極端から極端に振れるのは日本人の悪い癖でしょう、非現実的な理想論を絶対視して国益を損ねても平気なのも悪い習性だ、平和憲法しかり、カーボンニュートラルもそうだ

この東京裁判の判決が今でも正しいと信じているのが新聞や学校の歴史の先生たちだ、占領軍の書いた彼らに都合の良い歴史観を信奉し、いまでも政治家らの発言をチェックし、少しでも日本にも大義があったなどと発言すると撤回するまで非難して言論弾圧をする、さぞかしアメリカや中国から良心的日本人として大事にされていることでしょうが、彼らは内心、自国の先祖を悪く言う日本人を見下しているでしょう

  • アメリカ兵用の慰安部につては、8月15日の敗戦の日の翌日か翌々日くらいに内務省の官僚が会議を開いて、良家の子女の貞操を守るためとかでこの問題を論じたと言います、さっそく「アメリカ兵と交際する新時代の女性」を募集した、アメリカ軍から要請が来る前に、日本政府が自発的にやったのです(占領軍にプロの女性をあてがい、素人娘を守ろうとした)、韓国の女性活動家、金貴玉と姜貞淑によれば、朝鮮戦争時、韓国政府は、韓国軍とアメリカ軍のために国軍慰安婦を用意したそうです、そのずっと後、アメリカの要請でベトナムに派遣された韓国軍の兵士にはベトナム人の慰安婦が用意されたそうです、日本のやり方をコピーしたのでしょうか

(コメント)

従軍慰安婦は戦争の不幸な一面だ、日本だけが非難されるのはおかしいでしょう、韓国人慰安婦を支援し日本政府に謝罪や賠償を求める手助けをしている日本人は偽善家の反日活動家だ、日本人慰安婦もいたし、戦後、韓国も日本と同じことをしているのにそれらの犠牲者には同情を寄せないし、その韓国政府を非難しないからだ

  • 戦後の日本は、アメリカに対して政治的には卑屈だったものの、経済的には攻撃的でしたね、内的自己は抑圧されただけで、消滅したわけではありません、抑圧されたものはいつかは必ず回帰するのです
  • メイフラワー号を理想化し先住民の大量虐殺を隠蔽して建国されたアメリカは、正義のために他民族・他国民を虐殺するという行為を反復脅迫せざるを得ません、日米戦争と日本占領の成功を日本以外でも何度でも証明しようとしました、それがベトナム戦争であり、イラク攻撃です、ベトナム戦争だってアジアの小さな国が共産化しても同ということはなかった、ドミノ理論は被害妄想でしかなかった

(コメント)

戦後のアメリカ外交は今に至るまで失敗続きだが、一番成功したのが対日占領政策ではないか

  • 日本に米軍基地があることは、日本の防衛のためには何ひとつ役に立たないどころか、逆にアメリカの敵からの攻撃を招きかねません、いつか日本が核武装してアメリカに核攻撃して来るのではないかと恐れ、それを防ぐために駐留しているのです
  • 憲法は、アメリカに押し付けられたものであることに日本人は屈辱を感じているので、いずれ改正すべきだと思っていますが、いま、いわゆる自主憲法を制定することには反対です、私は九条に反対ではありません、安保条約を廃棄した上で改憲に取り掛かり、国民的合意に基づいて、今と同じ平和憲法を作るなら、それはそれで良いと思います、その結果、他国から攻め込まれ国が滅びたとしても、日本国民自身の判断の結果だからあきらめがつきます、実質的にアメリカの属国のまま自主憲法を作れば、今よりももっとアメリカに都合の良い憲法になることは目に見えています、属国のまま九条を外せば、自衛隊員はイラクだかどこかに行かされて、アメリカ兵の弾除けに使われるだけです、第二次大戦中、日経アメリカ人の442部隊はヨーロッパ戦線に派遣され、白人のアメリカ兵よりは師匠率が高かったことを忘れてはいけません

(コメント)

安保条約や基地問題をどうするかは難しい問題であり、自分も「こうすべきだ」と言える確たる意見はない、ただ、現状は日本人から諭吉が言った「独立自尊の意識」を奪っているでしょう、その意味では現状のままでいいわけではないことは確かだ

だからと言って今、安保条約の廃棄を日本から持ち出せば、アメリカから敵視されるでしょう

もし、台湾問題や領土問題で日中が軍事衝突し、日本の自衛隊や国民に大きな被害が出ても在日米軍が行動を起こさなかったら、安保解消の世論が強くなるでしょう、結果として日本にとっては大きな犠牲が伴うが、日米が対等な関係になるのでしょう、明治政府が不平等条約の解消に多大な犠牲を払ったように、在日米軍のいない真の独立は戦って勝ち取るものだということが分かり、日本人の意識も大きく変わるでしょう

日本の核武装を防ぐために米軍が日本に駐留しているというのは違うのではないか、また、著者は米軍が何時までも駐留しているから日本はアメリカの属国であるとたびたび主張しているが、仮にそうであるとすれば、米軍は韓国やドイツやイタリアなどにも駐留している、それらの国々もすべてアメリカの属国になるのか

  • 敗戦直後の一時期、対米追従が日本の安全と国益にかなう時代があったことは確かです、今はもう違います
  • アメリカへの軍事依存はそれだけにとどまらず、不可避的に心理的依存を招き、日本人のプライドが深く傷ついています、属国の状態から脱し、自主防衛力をつけるしかないでしょうね、安保を廃棄すると言ってもアメリカと敵対関係になるわけではない、外国との関係を全面的友好関係か全面的敵対関係課の両極端しか考えないクセがある、その間あたりの位置を選ぶかを冷静に柔軟に考えるべきです
  • 自主防衛力をつけると言っても、ロシアやアメリカや中国と戦争して勝てるほどの軍事力を持てるわけないし、その必要もない、日本を攻撃すれば痛い目に遭う、と言いう程度の軍事力で良いのです
  • 日本は核アレルギーを卒業し、核兵器を製造しようとすればただちに製造できる能力を保持しながら、かつ、製造しないという原則を立てておくのが良いのではないかと思います
  • 日本が独立を志向すればフセインのイラクみたいになるという可能性は十分あると思います、でも、このままでいいのでしょうか、アメリカに屈従することによって、日本人のプライドは相当傷ついています

(コメント)

戦後の一時期、アメリカが日本を必要としたが今は違うと著者は主張するが、最近読んだ齋藤ジン著「世界秩序が変わるとき、新自由主義からのゲームチェンジ」によれば、アメリカは新自由主義から安全保障も考慮した運営に変えなければならなくなった、新たな冷戦の相手は中国であり、日本は地政学的に重要な国になり、アメリカにとって必要な国になった、として日本株投資を勧めている

 

  • アメリカは人為的な国家ですから、統一を維持するのが大変なのです、ローマ帝国も滅びたのだから、アメリカもそのうち滅びるでしょう
(続く)