「ミッドナイトタクシー」(全32話)をAmazonプライムで観た、NHKの「夜ドラ」で2026年6月1日から7月23日まで放送されていたテレビドラマ

 

作/兵藤るり

音楽/Kan Sano

演出/本田隆一、宝来忠昭、平林克理

プロデューサー/松本太一(WOWOW)、若林雄介(パイプライン)

制作統括/加茂義隆(WOWOW)、樋口俊一(NHK)

 

テレビ朝日系ドラマ「マイダイアリー」で第43回向田邦子賞を28歳という史上最年少で受賞した兵藤るりによるオリジナル作品

 

 

東京都内のタクシー会社に勤めながら深夜勤務専門でドライバーをしている蘭象子(あららぎ しょうこ、古川琴音、1996)、アフリカで生まれ北欧に引っ越し、その後は母の祖国・日本に引っ越して、小学生時代は母子二人の生活を送っていたが、ある日突然、自由奔放な母に捨てられ、その後は母方の伯母・弥生(和久井映見)に育てられた、タクシードライバーになってからは、後輩たちからも一目置かれる優秀な運転手として働くが、間もなく30歳になろうとするなか、ふとそれまで意識してこなかった思いにとらわれるようになる

 

全32話であるが、1話15分のドラマなので、1日に4話ずつ観た

 

車車車車車

 

鑑賞した感想

  • 全体としては特に感動したとか、いろいろ考えさせられたなどの感想は持たなかった、何といっても主人公の女性タクシードライバーの蘭象子のキャラクターが特徴あって、ある意味面白かったけど、何となく近づきがたい女性という印象を持った、ドラマ中では笑顔を見せる場面はほとんどなく、複雑な過去を抱えている気難しい女性というイメージが強烈に訴えてきた、一方、一癖ある乗客や友人を冷たくあしらったりしない心の優しさを持ち、他人の気持ちに寄り添うことができる女性と感じさせるところもあった、古川琴音はつい先日観た濱口竜介監督の「偶然と想像」に出演していたのを観たばかりであったが、あの映画でも、あまりいい印象を与える役ではなかったので、今度はもっと違うキャラクターを演じる彼女を観たいと思った
  • ドラマでは象子が30才を目前に控え、毎日「30才まであと〇〇日」とカウントダウンする、30才の区切に何かを見つめ直したい、或いは探し求めたいと考えている様子が映される、演じている古川琴音自身もちょうど今年の誕生日で30才になるので、役にピッタリのキャストと言えるでしょう、そして、このドラマで象子は自分の何かを探しえたのであろうか、32話の終わり方を観ると、何かをつかんだような気がする終わり方だった、はじめて優しい顔を見せたので
  • 最近観るNHKの若者が主人公になるドラマでは、上昇志向の若者が主人公になることが少ないような気がする、時代を反映しているのか、そういう方向に若者を誘導したいのか、豊かになった今の時代、苦労して成功する若者をモデルにしたドラマははやらないのだろうか、時代の空気におもねているようにも思えるがどうだろうか、もっと多様な生き方を視聴者に提案してはどうか
  • 他の出演者では、象子がタクシー運転手になるきっかけを与えてくれた元タクシー運転手で、現在は象子が仕事帰りによく寄って食事をする喫茶『つかれしらず』のマスター昼川源(竹中直人、1956)が良い味を出していた、毎回、象子が変わった料理を注文するが、その難題もことごとくクリアして何でも作れてしまう、自分も昨年から料理をするようになったので、ドラマとは言えお客さんの注文に応えて何でもできる腕前というものにあこがれと関心を持ったし、カフェ巡りを趣味としている私から見るとこの喫茶店『つかれしらず』の雰囲気が良かった、ドラマの中で源さんが「この店に来るのは疲れた人ばかりだ」と言っていたと思うが、それが印象に残った
  • 脚本は若手の兵藤るり氏であり、このような若手を抜擢するのがすごいと思った、ただ、ストーリーはちょっと単調に感じた、もう少し起伏やひねりがあっても良いのかな、と思った、以前観たタクシードライバーを主人公にした映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」は十分ひねりの効いた良い映画だった、これと比べてはかわいそうでしょうが若い兵藤氏の今後に期待したい、また、このドラマのKan Sanoによる音楽がドラマのムードにピッタリのいい音楽だった

 

楽しめました

笠間市でゴルフをした帰り、近くのカフェ「アトリエ Hana & hana/花café」に行ってみた、初訪問、車でけっこう細い道を登っていった里山の森の中にある、店の前に数台の駐車場があった

 

 

店は木造のログハウスのような佇まい、ドアを開けて入ると、玄関でスリッパに履き替える、店の女性の方がお出迎えしてくださり、店内に案内され、庭に面した部屋の4人掛けのテーブル席に腰かけた

 

 

メニューから自家製のチーズケーキと、私はダージリン、嫁さんはアールグレイの紅茶を頼む、メニューには花の写真がいくつも綴じられていたし、店の壁にも花の写真が飾ってあった

 

 

しばし待つと、笠間焼の大きな紅茶カップとティープレスに入った紅茶が出てきた、大きな紅茶カップが満タンになるほどの十分な量の紅茶を飲みながら砂糖に浸けたレモンかスダチが入ったチーズケーキをいただいた、いずれも美味しかった

 

 

店はもうリタイアしたと思われるご夫婦二人で営んでおり、先客もいなかったので、奥様とちょっと話をしたところによると、ご夫婦は20年前に日立市から引っ越してきて、当初はこのカフェのある建屋に住んでいたが、その後、カフェに改造して、住むところは別のところにした、引っ越してきてから庭に木と花を植えたとのこと

 

 

ご主人の趣味のカメラの腕前も相当なものらしく、花の写真が多いのはそのためだ、店内には地元の笠間焼の作品が多く展示されており、販売もしている、薪のストーブもあり、薪も2、3メートルの木を持ってきてもらい自分たちで切って、乾燥させて使っているとのこと、自然の中でカフェを営みながら、地元の方々と交流して穏やかな生活を営んでいるとお見受けしてうらやましくなった

 

 

店内の調度品は趣味が良いものばかりで、その雰囲気に合うジャズの静かな音楽が高そうなスピーカーから流れていた、天井が高く、外光をうまく取り入れる設計のうまさもある、すべてにわたって木のぬくもりが感じられ、ご夫婦のセンスの良さを感じる素晴らしい空間であった

 

 

帰宅してからネットで確認したら、営業は金・土・日の週3日だけのようで、開店日に偶然来て、いろいろお話も聞けて良かった

 

 

なお、このカフェは「森のカフェと緑のレストラン、茨城」(ぴあMOOK)という本で紹介されていたので、週末はきっと混雑することでしょう

河出文庫の古典翻訳コレクションから松井今朝子訳「仮名手本忠臣蔵」を読んだ、松井今朝子の作品は近松門左衛門の生涯を書いた「一場の夢と消え」を読んだことがあった

 

 

松井氏は京都祇園に生まれ、早稲田大学大学院修了後、松竹に入社、歌舞伎の企画・制作に携わり、退職後フリーとなり、歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がけ、1997年に『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー、2007年 「吉原手引草」で第137回直木賞受賞している、歌舞伎のことを相当勉強している作家であろう

 

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は今まで何度か歌舞伎座の見取狂言として各場をばらばらに鑑賞してきたところであるが、その原作を一から全部通しで読んだことはなかった、今回、その原作を現代語訳した本があるのを見つけて、いい機会だからしっかりと読んでみたいと思った、つい最近、ワーグナーの「ニーベルングの指環」という大作オペラについて山崎太郎氏の解説本を読んで非常に役に立ったので、歌舞伎の超大作である本作も読む価値が十分あると思った

 

 

「仮名手本忠臣蔵」は竹田出雲、三好松洛、並木千柳により、江戸時代の寛延元(1748)年に書かれた作品で、歌舞伎三大名作のうちのひとつ、江戸で実際に起こった赤穂浪士の討入り事件を題材に、大星由良之助をはじめとする四十七士の仇討ちまでの困難や、彼らを取り巻く人間模様を鮮やかに描き上げた全十一段の演目

 

本書では原作通りの11章だてとなっており、文章も口語体で分かりやすく、その時代にあった言葉でも現代に置き換えて書く方が分かりやすい部分は今現在我々が使っている言葉で書かれている

 

ここで、赤穂浪士の討入り事件が「忠臣蔵」と呼ばれるのは「仮名手本忠臣蔵」から来ていると言われており、忠臣蔵の名の由来は諸説あるが、「忠臣の内蔵助」の略というのが一般的である、また、仮名手本とは四十七士を「いろは仮名の47文字」になぞらえたものであり、本書の中でも出てくる、また、仮名手本忠臣蔵は討入から奇しくも47年後に書かれているなど作者たちのいろんなこだわり満載の作品となっている

 

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今回、本書を読んで、一番感動した場面を3点、書いてみたい

 

まず、「第九 山科の雪ころがし」の場面、京都郊外の山科に侘び住まいをする大星由良助のもとに、息子力弥と婚約中の加古川本蔵の妻・戸無瀬と娘・小浪が訪れ、応対に出た由良助の妻お石にとの間でのやり取りが迫力があった

 

戸)婚儀をすぐに執り行いたい

石)主君の切腹により浪人となった身、婚約は破棄したい

浪人となっても元は加古川家よりはるかに格が上である

師直にお金を贈って媚びへつらうおべっか武士の桃井家と節操を守る大星家では釣り合わない

ここで離縁でもされたら面目が立たないので母と娘と一緒に死ぬ

結婚を認めるが、その代わり用意の品を出せ

何がお望みか

加古川本蔵の首を出せ

それはどうして

殺傷沙汰の時、主君塩谷判官を止めたのは加古川本蔵、そのため切腹となった

本蔵の首を差し上げましょう

 

以下、まだまだ緊迫のやり取りが続く、手に汗握る展開に興奮する、作者のうまさを感じた、歌舞伎座の見取狂言でこの場面を観たことがないのは残念だ

 

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次に、「第十 旅たちの髪飾り」の場、これは御存知の方も多い天河屋義平が出てくる場面である、何度観ても感動する、義平は財産を持っている商人、主人塩谷家から受けた恩を大事に思い、内蔵助から頼まれた討入りのための槍や長刀などの道具一式を極秘に調達して江戸に送る準備をととのえ、店の者は難癖をつけて全員辞めさせ、妻は実家に帰し、秘密が漏れないよう万全の体制を敷いていた、その出発の日の前日の深夜、この店を大勢の捕り方が窺い、ついに「御用だ」となってしまうが・・・

 

この場は歌舞伎座で最近観た、ここも作者の腕のすごさを感ずるどんでん返しに驚く

 

 

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そして、三番目は、討入りの場面、四十七士が師直の屋敷を急襲し、騒がしくなると北隣の仁木播磨守、南隣の石堂馬之丞の屋敷で、何事が起きたのかと侍たちが提灯を持って出てくると、由良助は「われは塩谷判官の家来で仇討ちに来た、両隣り仁木、石堂様には遺懇もありませんので失礼をするはずもなく、また、火の用心は堅く申し付けておりますから、ご警戒に及びません、ただ、穏便にほおっておいて下さい」と言うと、両家の人も「ご立派、ご立派、主人を持った人間は当然こうでなければならん、我々に用があればたまわりましょう、提灯を下ろせ」と言うところである

 

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巻末の解説などを読んで

  • 全集版あとがきで著者は「仮名手本忠臣蔵」に対する誤解を解きたいとして、「忠臣蔵」のイメージは明治期に右翼的な政治結社の後援を得た浪曲で人口に膾炙し、戦前までは忠君愛国思想と結びつけられた側面がある一方、戦後は高度経済成長下において日本型組織集団の象徴的な美談として好まれたふしがあるが、初演当時に獲得した人気とは別次元の取沙汰である、「忠臣」を謳いながら、ドラマ全体は忠義よりもむしろ三組の男女の恋愛をモチーフに展開するところが当時の庶民感情に強くフィットした、それ以外にも夫婦愛や親子愛に満ちた「仮名手本忠臣蔵」は、忠君愛国とも企業戦士のバイブルともかけ離れたヒューマンドラマだった、と述べている、なるほど確かにそうだ
  • ところが、著者は文庫本あとがき「忠臣蔵の意外な現代性」になると、「忠臣蔵」という大衆性の高いドラマが広く浸透した結果、集団テロ事件そのものが美談として後世に長く伝わったとみることもできなくはないのです、と書いているが「そんな見方ができる余地は全くないでしょ」と思った、これは「戦時中の特攻隊はテロである」と言う人たちと同じで、両者の根本的な違いを理解できない人が言うことだ、全集版あとがきであれほど適切な見方を披歴していた著者がどうしたのであろうか
  • 「解題」において児玉竜一氏(早稲田大学教授、歌舞伎研究・批判)が、「仮名手本忠臣蔵」をともすると主君への一途な忠義だけを描いた作品あるような誤解があるが、戯曲としての中心が討入りによる仇討ちの十一段目にないことは明らかで、四段目の判官切腹、六段目の勘平腹切り、九段目の本蔵の死という三人の死を中心に全体が構成されている、それぞれの死には、密接に恋が関係していて、判官の死の原因となったのは師直の邪恋であり、勘平の死はお軽との恋の帰結であり、本蔵の死は娘小浪と大星力弥の清純な恋を叶えるためのものであった、そして、仇討ちは決して晴れがましい壮挙ではなく、主君の「ご短慮なる御しわざ」の後始末にすぎない、それこそが「仮名手本忠臣蔵」の後始末にすぎない、と書いているが、これこそ著者も全集版あとがきで示していた適切な解説だと思った
  • 著者は文庫版あとがきで現代語に翻訳する際に悩んだことや、従来の研究者の訳文よりも踏み込んだ解釈を施したと書いてある、その結果なのかはわからないが、現代語訳であまりに不自然に感じたところもあった、例えば、「亡きご主人のご墓所を建立しようと基金を募集しようとしたじゃないか」とか、斧九太夫が由良助に「このエロ爺ィめが」の言うところなどだ

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さて、忠臣蔵であるが、ここに紹介した歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の他に真山青果作の新歌舞伎「元禄忠臣蔵」という作品もある、また、講談や映画でも忠臣蔵がある、これらは「仮名手本忠臣蔵」といろいろ異なるところも多く、例えば「御浜御殿綱豊卿」と「南部坂雪の別れ」が「仮名手本忠臣蔵」にはない、この「御浜御殿綱豊卿」は先日歌舞伎座で上演されているのを鑑賞したばかりだ

 

 

そして、テレビや映画で観る「忠臣蔵」で一番感動するところはどこかと問われれば、それは文句なく「南部坂雪の別れ」の場面である

 

元禄15年12月14日の雪の日、大石内蔵助は討ち入りの直前に、亡き浅野内匠頭の妻で今は夫の菩提を弔う瑤泉院に最後の別れを告げに来る、瑤泉院は理不尽に死を賜った夫の恨みをきっと内蔵助たちが晴らしてくれると信じていたが、「私もさる遠方に仕官が叶い、江戸を去ることと相成り、ご挨拶に参上いたしました」と言い、「仇討など滅相もない、悠々自適、遊び惚けて暮らしてまいりたく存ずる」と言うと、瑤泉院は「内蔵助! そちがこのような卑しい男とは知らなんだ、殿はそちのような輩を無二の忠臣と恃んだまま、あの世に旅立たれたのか、もうよい、下がれ、いずこともへと行ってしまうがよい!」と罵る、帰り際に内蔵助は戸田の局に「これは赤穂城開城の折の目録でございます、折を見て必ずや・・・必ずや瑤泉院さまにお目通しいただきたい」と袱紗包み預けるのであった

 

内蔵助が去った後、戸田の局がこの袱紗の中を見ると、なんとそれは四十七士の仇討ちの血判状であった、瑤泉院は「許せ、内蔵助、浅はかな女でした、私の浅はかさゆえに、あたら忠義の侍をあしざまに罵ってしもうた」と泣き崩れるのであった

 

日本人であれば誰しも感動する最大の泣かせどころでしょう

 

勉強になりました

茨城県笠間市のPGM笠間カントリークラブでゴルフをした、このコースは以前何回かプレーしたことがあったが、ここ10年以上来てなかった、予約サイトでいつも空きがほとんどないためだ、今回は偶然、8時過ぎのスタート時間に4組くらい連続した空きがあったので申し込んでみた、平日、天気は曇り時々晴れ、最高気温は22度

 

この秋の長雨でゴルフの予定が入っている人は毎日天気予報とにらめっこ、ころころ変わる予報にやきもきしている人も多いでしょう、われわれも当初別の日に行く予定だったけど、雨のためこの日に変更したものだ

 

このゴルフ場は1992年(平成4年)10月開場、開場直前の92年6月に特別縁故2300万円(預託金2000万円、10年据え置き)の募集をした、しかし、約80口の入会があった時点で募集金額を見直し、既会員権を2分割し93年に改めて1450万円(預託金1200万円)の募集をした経緯がある、平成17年に経営母体の佐藤興業が破産申請し、同年9月にローンスターに売却され、平成23年にPGMに経営権が移った

 

コースは18ホール、ベントのワングリーン、バックで7036ヤードある林間コースで、アップダウンはほとんどなかった、グリーンが大きく、この日の速さは9.0ftと出ていた、バンカーが多く、これがコースを難しくしている、池が絡むホールもいくつかある、気候条件が合えばカートのフェアウェイ乗り入れも可能であるが、この日は秋雨が続いていたため乗り入れ不可であった、これは仕方ない

 

この日は早い時間のスタート、そのスタート時間よりも10分早くティーオフした、前半はスイスイ回れて、2時間、昼食時間が1時間20分と長いが、予定より10分早くスタートしたので実質1時間10分の休憩、少し長いのは朝早くからスタートさせているからでしょう、ちょっとやりすぎだと思った、後半は2時間20分、ほぼ毎ホール、ティーグラウンドで待たされた

 

平坦なコースであり、後半のインコースの11番、12番など単調なレイアウトで、隣のホールからボールが飛んでくることもある少し危ないところもあるコースであるが、アウトの7番ミドルやインの17番ミドルなどいくつかのホールが心理的なプレッシャーを感じる印象に残るホールであり、ラウンドして退屈しなかった

 

秋雨が続いているため、フェアウェイは少し湿った感じがしたし、グリーンは柔らかく、ボールマークがいっぱいできていた、他人の作ったマークだが、いっぱい修復した

 

クラブハウスは立派であり、高級感があった、レストランからは7番、9番、18番ホールの景色が見える、風呂は湯船にお湯がなく、シャワーだけの日で、それが余り暖かくなく、脱衣所で少し寒く感じた、トイレや風呂場のお湯や水の水量が絞られていて、蛇口をひねっても勢いよく水やお湯が出ないのは、ちょっとやりすぎだと思った、また、このコースはティーの位置がスコアカードの距離通りであり、フルバックは許可制だがバックティーは自由に使用できたのは評価できる点だ

 

楽しめました、良いコースでした

 

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さて、最近作った料理から、野菜と椎茸・ベーコンのペペロンチーノ

 

美味くできた、いつもの通り塩はまったく使用しなかった

東京都現代美術館で12月6日まで開催中の「多田美波 光、凛とゆれる」展に行ってきた、平日、65才以上料金で1,100円、通常はこの料金でコレクション展も観れるが、今回は展示替え中のため企画展のみ、後日、チケットを持ってくればコレクション展を鑑賞できますとのこと

 

 

多田美波は1924年台湾・高雄生まれ、朝鮮で育つ、高校在学中に朝鮮美術展覧会へ出品し入賞、1944年、女子美術専門学校西洋画科を卒業し、1956年に第41回二科展、1957年第9回読売アンデパンダン展に油彩画を出品、1962年、多田美波研究所を設立、代表的な彫刻作品に、半円球のアクリルにアルミニウムを蒸着メッキし鏡面のように仕上げた《周波数37306505》(1965、東京都現代美術館)やステンレスの屋外彫刻《キアロスクーロ》(1979、東京国立近代美術館)などがある、2014年没、享年89

 

 

生涯でおよそ200点の彫刻作品と、500点に及ぶ建築関連作品を手がけた多田は、美術館という枠にとどまらず、公園、駅、市庁舎、ホテル、劇場など、都市のさまざまな場所に作品を残し、長年にわたり人々の生活空間の一部を形つくってきた

 

多田は、高度経済成長期を背景に普及した工業素材や加工技術を、芸術表現に積極的に取り入れた先駆的作家のひとり、制作の手跡を感じさせない無機質な表面に、光の反射や透過、屈折、揺らぎといった有機的な要素を取り込み、移ろいゆく周囲の環境や鑑賞者の動きと呼応して表情を変える造形を生み出してきた、これらの試みは、空間や環境との関係性を志向し、なかでも、光を単なる効果ではなく造形の中心として据え、美術、プロダクトデザイン、インテリア、建築を横断しながら空間そのものに働きかける実践によって独自の立ち位置を築いた

 

展覧会では多田美波研究所の協力のもと、現存しない作品や建築と不可分な照明作品を一部再制作・再構成し、あらためて展示してある

 

傘傘傘傘傘

 

では、観た順番に印象に残った作品を紹介したい、写真撮影は特に禁止の断り書きがない限りOK、展示室は混んでなく、ゆっくりと鑑賞できたので良かった

 

最初は絵画作品が何点か展示してあった、変電所や炭鉱を描いた作品が多かった、これを観て足尾銅山を描き続けた画家の鈴木喜美子を思い出した

 

 

絵画の中には写真では分かりずらいが、かなり厚塗りで、表面がデコボコしているものや、何かを貼り付けて絵具を塗ってあるものなどがあった

 

 

彫刻作品が何点か展示してあったが、ジャコメッティ―のような作品があった

 

 

紅葉紅葉

 

ここからが多田美波の真骨頂、非常にユニークな造形作品のオンパレードだった、素材となっているのはアルミ、アクリル、ステンレス、ガラスなど

 

 

星空星空

 

途中に大きなスクリーンで多田美波の作品を紹介しているスペースがあり、非常に興味深く観れた、皇居・新宮殿、帝国ホテルなど、かずかずのレリーフ、緞帳(どんちょう)、シャンデリア、ビルのファサード、照明器具に至るまで、私たちの生活空間に多くの多田作品があることに驚いた、すごいものだ

 

その作品の紹介ビデオを見ていて一番驚いたのは、東京芸術劇場の1階席ロビーの壁(レリーフ)である、下の写真参照

 

 

今まで何回かこのブログの投稿でもこの写真を貼り付けたが、これが何と多田美波の作品だったのだ! 知らなかった、いつも「この壁の色合いがセンス良いなー」と思っていた

 

全国各地のホテルやホールなどの建物に、屋外に、この展覧会では展示できない多田美波の作品が多くあるが、それらは先に見たようなユニークな造形のものだけはなく、緞帳やレリーフ、照明など普通にあるものでもそのデザインや色彩感覚の素晴らしい作品が多かったのが印象に残った

 

最後の展示が屋外彫刻であった

 

 

素晴らしい芸術家だと思った

ズートン・ワン ピアノ・リサイタルを鑑賞した、平日、場所は東京オペラシティーコンサートホール、19時開演、20時50分終演、チケットは完売と出ていたが、見える範囲では2階の後ろの方の席などはかなり空いていた、圧倒的に女性客が多かった、また、テレビ収録がなされていたので後日、NHKのクラシック倶楽部などで放送されるのかもしれない

 

 

 

出演

ズートン・ワン(Pf)

 

ズートン・ワン(Zitong Wang、王 紫桐)は、第19回ショパン国際ピアノ・コンクール(2025年)で3位を獲得し、さらにソナタの最優秀演奏に贈られる「クリスティアン・ツィメルマン賞」も受賞した、ピアノ教育者の家庭に生まれ、現在はボストンのニューイングランド音楽院大学院でダン・タイ・ソンに師事している、既に数々のオーケストラと共演しており、また、室内楽奏者としても活発に活動している

 

 

公演のwebサイトによれば、今回の来日公演は全部で7公演あり、全公演でShigeru Kawaiのフルコンサートピアノ『SK-EX』が使われる、このピアノは、河合楽器が「世界一のピアノづくり」を目指して2001年に発表したフルコンサートピアノフラッグシップモデル

 

 

 

曲目

・ショパン:夜想曲第3番 ロ長調 op.9-3

・シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 op.6

・ショパン:即興曲第1番 変イ長調 op.29

・ショパン:即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36

・ショパン:即興曲第3番 変ト長調 op.51

・ショパン:即興曲第4番 嬰ハ短調 op.66「幻想即興曲」

・リスト(ブゾーニ編):モーツァルト「フィガロの結婚」の主題による幻想曲 S697

(アンコール)

・ショパン=リスト:6つのポーランドの歌、第5曲「私のいとしい人」

・同上、第1曲「乙女の願い」

 

ダヴィッド同盟とはショパンが行っていた音楽評論発表のための団体である、この団体は古い芸術観に対抗する論評を展開した、そして、このダビッド同盟舞曲集には「愛するクララとの結婚への想い」という副題がついていて、クララへの想いが高まっていた時期に書かれた曲である

 

そして最後のリストの曲も結婚を扱ったものであり、共通したテーマで選曲したのかもしれない

 

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鑑賞した感想など

  • この日のズートン・ワンはバイオレットのドレスに身を包み登場した、髪の毛を少し染めていた、一礼すると直ぐに演奏を開始した、自分の席は舞台に向かって左側の14列目であったため、演奏する彼女の表情は見えなかったが、ピアノ弾く手元は良く見えた、また、ピアノを演奏する姿も良く見えた、一生懸命演奏していると感じた、すべて暗譜であった、ただ、感情移入型のピアニストではないと思った、お辞儀を深々としていたが、笑顔は一度も見せなかったのが気になった
  • この日の曲目はやはりショパン中心のプログラムであるが、自分はショパンやシューマンはどうもあまり好きになれない、何となく彼らの人生や性格を反映して暗い感じの曲が多いからだ、その繊細さが好きな人にはたまらないのでしょうが
  • だからこの日の曲目で一番楽しめたのは最後のリストの編曲によるモーツアルトの「フィガロの結婚」の主題による幻想曲だ、おなじみの明るいメロディーとリスト編曲ということもあって超絶技法も聴けて良かった
  • この日、会場に入ると、本日の演奏楽器につきまして、演奏者の強い希望でスタインウェイを使用しますとの張り紙が目を引いた、私はピアノを弾けないので、あんまりそれは気にならなかったけど、上に書いた通り、公演会のwebサイトではShigeru Kawaiを使うと発表していたから、何があったのだろうか、Shigeru Kawaiはショパンコンクールで使用したピアノでもあるので、よほどのことがあったのでしょう
  • ピアノに関してもう一つ、前半の演奏が終わって休憩時間になった時、調律師が出てきて調律をやっていた、その調律も後半の演奏5分前を知らせるチャイムが鳴ってもまだやっていた、演奏楽器が突然変わったので事前の調律が今一つ完璧ではなく、実際に演奏してみて気になるところがあったからこそ、わざわざ休憩時間に調律師が多くのお客さんの見ている前で調律したのでしょう、こういうことはたまに経験がある

楽しめました

 

紅葉紅葉紅葉紅葉紅葉

 

さて、最近作った料理から、中華丼

 

 

いつもの通り、塩は使わず、味の素で素材のうまみを強調させる

 

この日は、夜、東京オペラシティで音楽鑑賞の予定、その前にどこかで夕食を食べようと思い、都営新宿線の小川町近くのこの店に行ってみようと思った、神保町近辺に来た時に、小川町から千代田線の新御茶ノ水当たりの人気店を覗くことがあるがいつも行列ができていて諦めていた、この店もそのうちの一つ

 

 

この店は、2024年9月にオープンしたばかりの新しい店、町中華であるがレバー料理を売り物にしている店、今回は初訪問なので一番オーソドックスなレバニラ定食1,100円を頼んだ

 

5時半くらいに到着、店に入ると食券販売機があるので、それで購入、カウンターだけの店であり、全部で10席くらいだろうか、あまり広くはない、カウンターの中は厨房になっているので目の前で調理をしているのが見えるが、フライパンで炒めるところは私の席からは見えなかった

 

スタッフは3人はいただろうか、中国人や外国人という感じだ、10分くらい待っただろうか、レバニラ定食が出てきた、スープがつく、ご飯の量は選べるので少なめにものにした

 

 

さっそくレバニラを食べる、ここのレバーは大きく、厚く切ってあるのが特徴、一つつまんでそのまま口の中に放り込むこともできるが、さすがの私も二つにかみ切って食べた

 

 

味は申し分ない、食べ応えがある、レバー特有のくさみはない、良く火が通っていておいしい、人気が出るのもわかる、しかも、この厚切りレバーがいっぱい入っているのがうれしい

 

 

自分もレバニラを料理するので、レバーの下処理や焼き方をどうするのか興味を持って見ていたが、レバーはお湯に入れて下処理としていた、私も同じ作り方である、もやしやニラを炒めたフライパンにお湯で下処理したレバーを放り込んで炒めていたように見えた

 

美味しかった、一気に食べた

 

食べているときに感じたのは、もやしやニラなどを炒めるときにかなり塩を使っていると思われることだ、町中華はみんなそうだ、その方が味が濃くなって美味しいのだ、我が家は薄味を徹底しているので、外食すると直ぐに塩分の使い過ぎが分かる、たまに食べる分には良いでしょうが、中華料理は塩分が多いので高血圧の人などは注意が必要でしょう

 

 

さて、この店のように昼間は長い行列ができる店でも夕方から夜に来ると空いている場合があるので、夜の公演会に行くときなどにそういう店を狙って行くことにしている、今回はそれがズバリ当たった

 

ご馳走様でした

あるきっかけでモーパッサンの「脂肪の塊・テリエ館」(新潮文庫、青柳瑞穂訳)を読み直したくなった、全部で150ページくらいの中編小説2つだからすぐに読み終わった、記録だと2020年2月に読んだとあるからコロナ禍の直前だ

 

 

訳者による巻末解説では、「脂肪の塊」はモーパッサン(1850-1893)が30才の年に、「テリエ館」はその翌年に、それぞれ発表された、モーパッサンは「脂肪の塊」で一躍文壇にデビューし、次作「テリエ館」で、その地位を確立したとある、そして、なかなかよくできた小説で、いつ読んでも退屈することはないとしている

 

今回改めて読み直してみて、二つある小説のうち、「テリエ館」については特に感動したり、考えさせられることはなく、自分の興味はもっぱら「脂肪の塊」の方だった、それはあらすじもそうだが、「テリエ館」が生体拝受というキリスト教の宗教儀式に関連した小説だということがあるからかもしれない

 

「脂肪の塊」は、1870年、普仏戦争でフランスが負け、プロイセン軍に占領された街ルーアンから市民10人が脱出の馬車に乗り込むところから始まる、乗客には裕福なブルジョワ、工場主、貴族、修道女らに加え脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)と呼ばれる、ふくよかな体型の娼婦がいたが、上流階級の面々は彼女を蔑み、無視していた

 

逃避行の途中の宿駅でプロイセン軍に足止めされ、暗に「脂肪の塊が自分の相手をしてくれたら馬車を通す」と要求される、脂肪の塊は初めは拒むが、足止めが長期化すると早く進みたい他の乗客たちは自分勝手な理由で彼女に説得と強要を重ね、苦悩の末に彼女が要求を受け入れたことで馬車は出発できるようになる

 

再出発の馬車の中で同乗者たちは彼女を再び汚らわしい存在であるかのように冷たく見下し、口を利こうともしない、ショックで食料を持ち込むことさえ忘れた彼女に食べ物を差し出しもせず、さげすむ醜悪な人間たち、足止めをくらう前には彼女が持ってきた多くの食料を分けてもらい貪り食べたことすら忘れて

 

読んでいて本当に同乗のブルジョワや貴族連中の厚かましさに腹が立った、いくつか馬車のなかでの同乗者のことについて引用してみよう

  • 脂肪の塊である娼婦は、ルーアンの街の彼女の家にプロイセンの兵隊が入ってくると、首に飛びついて殺そうとしたところを誰かに離されたという武勇伝の持ち主だが、他の同乗者にはこういう勇敢な人は一人もいなかった
  • 同乗の婦人は、あれはあのあまの商売ではないですか、私たちが困っているのを助けるかどうかという瀬戸際にお嬢さんぶるとは、と言う
  • 同乗のご婦人方の己の身を包む羞恥心の鎧は、ただ表面だけの薄板にすぎない、一皮むけば、いかがわしい情事にわき立ち、興ずる心情がありありと見える
  • 同乗の老いぼれの尼さんは、聖書の中には、俗人の目に罪としか映らない行いを犯している者がかなり多いが、それが神の栄光のため、隣人の幸福のためになされたのであったなら、それらの大罪を平気で許しているのであると述べ、同乗者の一味に百万の援軍をもたらした

この物語は、こうして脂肪の塊の犠牲でやっと難を逃れたところで終わるフランスらしい結末である、日本人のメンタリティーとしては、このあと何かが起こって馬車が襲われ貴族たちが皆殺しにされるとか、ふたたび検問があって今度は金を要求されて他の同乗者たちが財産を身ぐるみ剝がされ悲惨な目に遭うなどの神の裁きが下らないと気持ちが収まらない

 

傘傘傘傘傘

 

さて、当時この小説で描かれているようなことが実際にあったのかどうかはわからないが、似たようなことは戦争が終結した混乱時には起こるものでしょう、先の終戦後、大陸からの引揚げ時にも同じように女性が犠牲になった事例が多く起こったが、犠牲となった人たちが生き続けているので戦後、そのことについて触れるのはタブーで、誰も寄り添おうとはしなかったのではないか

 

藤原正彦著「日本人の矜持(9人との対話)」という本の中で藤原氏が五木寛之氏と対談する、そこに五木氏が見た引揚げ時の悲惨な経験談が書かれている

 

 

五木氏は終戦時に朝鮮半島にいて、38度線を越えて引揚げする脱出行を経験する、トラックで突破する途中で何度も止められ、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して見逃してもらったが、あるところでついにソ連兵に女を出せと言われた

 

「そこでは、結局は元芸者さんなどの水商売していた女性や、未亡人にみんなの視線が自然と集中するのです、そのうち皆のリーダー格の人物が土下座して、みんなのためだ、行ってくれと頼むと、女性は行かざるを得ません、そうやって女性を送り出していった側の人間が、生きのびて帰ってきた、さらにひどいことに、女性が明け方返ってくると、悪い病気をうつされたかもしれないから近寄ったらだめだと、周囲には誰も近寄らなかった、本来は手を取ってお礼を言ってもいいのに、日本人に対する幻滅が強く湧いて、今も後遺症が消えません、引き揚げ体験とは、人間の善と悪を目の当たりにするということでもあった」と述べている

 

五木氏は、自分の引き揚げ体験をミステリー以外、小説に書いたことがほとんどないのは、こうした話を書いて「いい作品ができきた」などと周囲に言われたら、死んでも死にきれないし、女性たちにも申し訳ない、書けない歴史というものがある、と述べている

 

これはどこでも起こる戦争の不条理さでしょう、満州ではもっとひどいことが起きた、そんなことを、モーパッサンの小説を読み返して思い出し、暗澹たる気分になった

 

イタリアイタリアイタリアイタリアイタリア

 

さて、最近作った料理から、ナポリタン

 

 

いつもの通り塩はまったく使わないで作ったが、味は十分美味しかった

 

港区白金台にある荏原 畠山美術館に行ってきた、土曜日、初訪問、荏原 畠山美術館は茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、日本、中国、朝鮮の古美術品を展示している私立美術館

 

 

荏原製作所の創立者である畠山一清氏(1881-1971)は、昭和の初めに旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約3,000坪を購入、明治時代には天覧能が催されたという由緒あるこの地に、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、私邸「般若苑」を造営し、昭和39年(1964)に、その精神と蒐集品を広く社会に広め共有する場として苑内の一角に畠山記念館を開設したのが美術館の始まり

 

令和6年(2024)秋には既存本館をより一層磨き上げ、新たな美の体験や交流を提供する新館を増築した、この新館は杉本博司氏が基本設計を手掛けた

 

収蔵品は、国宝の「林檎花図」「煙寺晩鐘図」をはじめ大名茶人松平不昧の茶道具や加賀前田家伝来の能装束など、国宝6件、重要文化財33件を含む約1300件である

 

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この日は本館で「茶道具と銘をめぐる物語」展を、新館で「上田薫のスーパーリアリズム」展を開催していた、入場料は1,500円、館内はそれほど混んでいなかった、写真撮影は新館の一部についてのみ可能であった

 

地下鉄の白金台駅から閑静な住宅街を10分くらい歩き、警備員が立っている白亜の西洋館のような大きな建物がある角を右に曲がり、少し行くと、美術館の入口がある、これがまた立派な門構えであり驚く、大きな木戸に描かれているのは畠山家の家紋であろうか、資産家の大邸宅の入口という趣がある

 

 

そこを入って雨上がりの濡れた石畳の上り坂を歩いていくと、鬱蒼と茂った庭の木々の先に美術館が出てきた、リニューアルしたばかりであるので、入口やロビーは高級感があり、ロビーの奥には畠山氏の座った姿の木像があった

 

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チケットを買い、順路に従い、まずは本館の「茶道具と銘をめぐる物語」展を観る、先日訪問した東京都美術館のような狭さと混雑さはまったくなく、落ち着いて鑑賞できた、作品数も30点でありちょうどよい、一つひとつの作品をじっくりと鑑賞できた

 

「銘」とは、優れた茶道具に付けられた別名のこと、道具本体や保管用の箱に記されたその名は、茶道具を愛した人々の想いや美意識を現代へと伝える懸け橋となっている

 

 

茶の湯の嗜みがないため茶器や茶道具の良し悪しはわからないけど、じっくりと眺めるとそれなりの良さが感じられた、どれも良いのだけど、いくつか印象に残ったものを書き出してみると(数字は作品番号)

 

6、蕎麦茶碗 銘 蛍、朝鮮時代

10、黒楽茶碗 馬たらい、楽一入作

20、ととや茶碗 銘 隼、朝鮮時代

25、灰器、長次郎作

26、灰器 銘 大笑、長次郎作

27、大師会会記、この会記というのは、開催した茶会で使われた茶器、茶道具、お茶、茶菓など一式を書き出して表にしたもので、名前や銘、作者や工房などが書いてある記録である、すごいものだと感心した

 

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次に新館に移り、「上田薫のスーパーリアリズム―ジャム、アイスクリーム、なま玉子」展を観る、上田薫(1928-2025、96才没)は現代日本を代表する洋画家で、今回は没後1年を追悼した展覧会、上田は写真をキャンバスに投影し、なま玉子が落下する瞬間や、スプーンですくったアイスクリームなど、肉眼では捉えきれない刹那を克明に描き出した、こうした表現は、後に「スーパーリアリズム」と呼ばれ、上田はその代表的な作家の一人として知られるようになった

 

今回は初期の作品から代表作に加え、写実から離れ新境地を拓いた晩年まで60点超の作品を展示している、また、彼を支え続けた葉子夫人の温かなキルト作品も特別公開している

 

 

上田薫は知らない画家だったが興味深く鑑賞できた、作品は写真のように見えるが、傍によって詳細に観ると絵画であることが分かる、千葉市にあるホキ美術館に何回か行ったが、あそこは写実絵画と言っていた、それと同じものなのだろうか

 

 

特に印象の残ったものを挙げてみると

 

6、二人、1969年

13、ナイフのジャム、1975

15、半熟玉子、1975

19、アイスクリームB、1978

20、なま玉子Q、1981

51、ポットの2人、2019、ポットに映った二人(たぶん上田ご夫妻)を描いた絵、晩年の作

58、コドモナノニコワイウミウシ、2021、晩年の作

 


(上田夫人のキルト作品)

 

カエルカエル

 

新館の方も見終わり、本館に行こうとすると、そこには茶話処「猿町café」があった、鑑賞で疲れたので一休みしようと思って入ってみた

 

 

おすすめは「お呈茶」とのこと、これは好きな茶碗を選び、主菓子や干菓子と組み合わせることで、自分好みの一服を楽しむもので頼んでみた、1,600円

 

 

cafeは新館内にあるので新しく、清潔感がある、外光も入ってきて休むにはもってこいの場所であった、美味しい茶菓をいただきながら抹茶を飲み、ゆっくりできました

 

傘傘

 

さて、鑑賞後は敷地内を散策してみた、いかに広いお屋敷だったかが分かる、やはり創業者はすごいものだ、畠山氏は能や茶の湯を愛しており、自分の蒐集品を世の中に広く公開するのは社会貢献と考えた立派な方だ、畠山氏(即翁)の所蔵茶道具の愛蔵印に「即翁與衆愛玩」があるが、この言葉には、数寄者即翁がその蒐集品を独占するのではなく、共に楽しむ精神を見出すことができるとあるという意味、美術館にするのは税金対策もあるでしょうが金持ちに対する税金が重すぎるのだからそれは非難するには当たらないでしょう

 

 

これに比べ、最近の経営者はサラリーマン社長が多く財産も少ないが、趣味がゴルフとワインのウンチク話程度と言う人が多いのは情けない、古今東西の文学や伝統芸能に詳しい人はほとんどいないでしょう、日経の「私の履歴書」や「リーダーの本棚」を読むとよくわかる

 

バスバス

 

このあと、白金台駅から都営浅草線に乗ったら偶然、子育て応援スペースの壁一面にmiffyの絵が描いてある車両だった、「最近はこんなことやってるんだ」と驚いた

 

 

ほとんど誰も見ていなかったけど、隣の車両から乳母車に赤ちゃんを乗せた一人の母親が移動してきて、うれしそうに見ていた

映画「ルックバック」を鑑賞した、平日、2026年製作、99分、監督・脚本:是枝裕和、原作:藤本タツキ

 

「チェンソーマン」で知られる漫画家・藤本タツキが2021年に発表し、劇場アニメ版も大きな話題を集めた同名漫画を映画化したもの、漫画へのひたむきな思いで結ばれた2人の少女の13年間にわたる軌跡を、秋田県にかほ市を中心に撮影された美しい四季とともに描き出した映画

 

 

自信家である小学4年生の藤野 歩(出口夏希、2001)は、学年新聞に4コマ漫画を連載し、クラスメイトたちから絶賛されていた。しかしある日、学年新聞に掲載された不登校の同級生・京本(蒔田彩珠、2002)の漫画を見て、その圧倒的な画力に打ちのめされる、それ以来、藤野は絵がうまくなりたい一心で漫画を描き続けるが、京本との差は埋まらず、一度は漫画を描くことを諦めてしまう、しかし卒業式の日、京本の家に卒業証書を届けに行った藤野は、京本が自分の漫画のファンだったことを知る、漫画へのひたむきな思いで結ばれた藤野と京本は一緒に漫画を描くようになり、かけがえのない時間を積み重ねていくが・・・

 

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観た感想など

  • 同名のアニメが高い評価を得ていたのは知っていたけど、観に行くまではいかなかった、その後、普通の映画となって再び高い評価を得ているので、今度は観てみようと思った
  • 観ていてわからなかったのは、途中で京本が美術学校で学びたいと言いだして藤野のもとを去っていった後に京本に起こったある事件で藤野が大きなショックを受け、そのショックを受けた後に場面転換があり、それ以降に描かれている話が現実なのか妄想なのかが直ぐに分からなかったことだ、ネタバレになるので、これ以上は書けないが、帰宅してから例によってAIに聞いてみてもすっきりしなかった、ルックバックというタイトルがヒントかもしれない
  • 藤野が小学生のころから4コマ漫画を学年新聞にのせて人気があったので、ますます漫画にのめり込んで、自宅でも机に向かったまま食事をする時間も惜しんで漫画を描く、それを親が心配しながらも認めていたのがすごいと思った、親によってはいくら子供が熱中しているからと言って「好きなことなんだから一所懸命やりなさい」とはならないことも多いのではないかと思った
  • その点、朝ドラ「風、薫る」でちょうど同じような場面になっているのが偶然とはいえ面白い、朝ドラでは主人公りん(見上愛)の一人娘、環(たまき、瀧七海)が女学校を卒業するが、絵を描くのが好きで、悩んだ末、母のりんに絵描きになりたいと告白する、りんは親として当然の質問をする、どうやって画家として生計を立てていくとかと、しかし、環の熱意をみて認めるのである、これが実話かどうかわからないけど、テレビの通りだとしたら立派なものだと感心する
  • 藤野が描く漫画がヒットしてアニメ化など仕事がどんどん拡大して、スタッフも多くなり、事務所も大きくなる、そのアニメ制作の場面が多く出てきたけど、昔と違ってパソコンのグラフィック機能などであろうか、紙にペンで描くだけではなく、デジタルツールを駆使して描く時代になったのだなと思った、この制作過程のデジタル化で漫画家は楽になったのだろうか
  • 4コマ漫画もそうだけど、雑誌に連載するマンガも絵がうまいだけではダメで、ストーリーが良くないと売れないのでしょうから、その構想力というのがどれだけあるかで勝負がかなり左右されるのだろうなと思う、この構想力は小説家でも同じでしょう、どうしたら面白いストーリーが想いつくのか、これだけは学校の勉強ができてもダメでしょう、いろんなことに興味を持ち、面白いと思ったことは深掘り、自分ならどうしていくか、将来どうなるか、などどんどん創造力を逞しくしていくのは、一つの能力でしょう
  • また、自分は世の中をこうしていきたいというようなことも漫画や小説を書く動機になっていることもあるでしょう、漫画を通じて差別のない世界にしたいとか、子供に勇気を与えたいとか、これも昨年の朝ドラだけど、アンパンマンの作者である漫画家のやなせたかしとその妻をモデルにした「あんぱん」があった、やなせたかしは戦争体験があり、その悲惨な体験を経て、漫画を通じて、子供たちを笑顔にしたいという思いがあったような気がする
  • 前半の小学校が舞台の場面でドボルザークの交響曲9番の第2楽章の物悲しく美しい旋律が流れていた、つい先日鑑賞した読響のサマーフェスティバルでこの曲を聴いた時に、自分が子供のころ、学校で下校時間になると流れていたあの曲だなーと感じたところだが、やっぱり小学校の場面でこの曲が流れていたのでノスタルジーを感じた

良い映画でした