東京国立近代美術館で5月10まで開催中の「下村観山展」に行ってきた、当日券2,000円、ゴールデンウィーク中の5月5日に訪問、10時過ぎに到着、チケット売り場に数人の行列ができていた、この展覧会は、出品作品点数約150件、関東では13年ぶりの開催、下村観山には今まで興味があったわけではないが、NHK「日曜美術館」でこの展覧会が取り上げられていたのを見て、行ってみようと思った
下村観山(本名は晴三郎、1930年、53才で死去)は紀伊徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれ、橋本雅邦に学んだのち、東京美術学校に第一期生として入学し、卒業後は同校で教鞭を執ったが、校長の岡倉天心とともに辞職し、日本美術院の設立に参加した
狩野派、やまと絵の筆法を習得して若くから頭角を現した観山は、2年間のイギリス留学を通して幅広い視野を身につけ、画壇を牽引する存在へと成長する、さらに、日本の古画や中国絵画の研究の成果、本人のルーツでもある能を主題とした絵画制作、時の政財界人とのサロンのようなネットワークも構築した
観山の画風の変遷をAIに聞くと、古典的線描 → 朦朧体的実験 → 西洋写実との融合 → 古典回帰による精神的簡潔さ、ということになる、その立ち位置は大観のように「革命家」として語られることは少ないが、むしろ日本画近代化のなかで「古典性を壊しすぎずに近代化する」ことに成功した画家と言えるとのこと
展覧会会場の構成は次のようになっていた
第1部 画業をたどる:生涯と芸術
第1章 若き日の観山(1873–1902 誕生・上京~修業時代~日本美術院への参加)
第2章 西洋を識る(1903–1905 イギリス留学)
第3章 飛躍の時代(1906–1913 帰国~日本美術院再興前夜)
第4章 画壇の牽引者として(1914–1931 日本美術院再興~死没)
第2部 制作を紐解く:時代と社会
第1章 何をどう描いたか―不易流行
第2章 なぜこれを描いたか―日本近代と文化的アイデンティティ
第3章 作品の生きる場所、作品がつなぐもの
館内は大部分の作品が写真撮影可能であったのは評価できる、また、それぞれの絵の説明は文字が大きく、見やすくなっているのも評価できる、そしてその説明の中に作品制作年に加え、その時の年令が書かれているのが大変参考になる情報だった、見る人の立場に立ったパネルにしている創意工夫が感じられた、他の美術館も見習ってほしい点だ

一方、室内が暗くて作品リストを参照するのが難しかった
今回の展覧会では、作品を拡大して鑑賞できるビクセンの4倍単眼鏡が有料で貸し出しされており、これを利用している人が目立った





それでは自分が気に入った作品を示し、写真をとれたものは添付したい
第1部
第1章
「雨の芭蕉」1890、葉に隠れている小さな鳥たちがかわいい

「閻維」1898、右から2番目が観山、全体はもっと大きい絵

「蓬莱山の図、巌に日之出図(観山)・月之出図(大観)」、撮影不可
朦朧体で書かれた絵であり、観山と大観の差が面白いと思った、自分は大観の月之出図の方が良いと思った、描いてある山の稜線が素晴らしい
「春秋鹿図」1902、撮影不可
第2章
「ひまわりの聖母(ラファエロの模写)」1905、32才、やはりすごい技術だ

「行旅図」1904

「倫敦之夜景」1904

第3章
「驟雨」1908、35才、先日観た原節子主演の同名の映画があった

「雨中鷺」1908

「唐茄子畑」1911、写実的だ、絵のサイズのイメージだけ

「鵜」1912、日本画と西洋画の融合、撮影禁止、日本画のたらしこみ技法が素晴らしく、右隻の丘の上の鵜は観山、左隻の飛び立って小さく見える鵜は早世した菱田早春
第4章
「弱法師」1915、重要文化財
前期のみ展示のため、今回は展示無し、テレビで注目作品として取り上げていただけに観れなかったのは残念、この作品は、能の演目「弱法師」の盲目の主人公・俊徳丸が、彼岸の夕日に向かって極楽浄土を祈る「日装観」という修行を行う場面を描いたもの、横浜・三渓園の臥竜梅から着想を得ており、能楽的な雰囲気の中で、厳しい流浪の末に悟りを得る俊徳丸の心情を表現したもの
「魚籃観音」1928、55才、顔がモナリザみたいだ

第2部
第1章
「毘沙門天 弁財天」1911、これも絵のサイズ感のみ

「猿猴」1914

「竹林七賢」1915、観る人が少ない時を狙って撮影

「獅子図屏風」1918、撮影不可、大きな絵


第2章
「蒙古調伏曼荼羅授与之図」1899、25才の時の絵

「弱法師」1918-19、撮影不可、重要文化財の「弱法師」の下絵
第3章
「天台登山図」1920

「三保虹」1925、50才、撮影不可
作品数が余りにも多く、1時間45分くらい鑑賞したけど疲労困憊した、これだけの作品を1回の訪問で観るのは不可能だ、チケットは再入場不可となっているが可能にしてもらいたい、再入場する人は限られていると思うので、展覧会の収支には影響しないのではないか、いつもは常設展も観るけど、この日は観る気力が残っていなかった、やっぱり午後に来るべきだったかもしれない