9月は、書道師範になるための資格試験が実施されます。意欲的にチャレンジされる生徒さんが増えてきて、本当に有り難い限りです。
試験では「うまさ」(書技法の錬度)が問われます。全身のエネルギーをいかに筆先に通すか、日々の取り組みが「本来の書」に向かっているものか、受験生の書への向き合い方が試されます。
ただ、ふたば書道会の書道師範試験においては、「うまさ」だけでは足りません。前提としての「かしこさ」(書古典の知識など)も問われます。要するに、書を「書ける」だけでなく、書を「語れる」ことも必要なのです。
書けずに語れることもありません。同じく、語れずに書けることもありません。しかし、いま行われている一般的な書道教育のやり方(書き方ばかりを教えるシステム)では、どうしても「書ける」ばかりに偏りがちです。
例えば、いまのサッカースクールで、「蹴り方ばかりを教える」ことをするでしょうか。少なくとも、息子たちが通っていたクラブチームでは、「蹴らないサッカーの練習」も大切にしていました(基礎体力向上トレーニングはもちろん、戦略についてのミーティングなど)。それは、蹴り方ばかりを教えても、サッカー力が向上しないことは明白な事実だからです。
書道教育においても「書かない書道の稽古」(基礎体力や知識戦略などの向上の機会)を欠いてしまえば、本来的な上達を図れないどころか、「本当の書のたのしさ」に触れないままに、書を通り過ぎていってしまいかねません。
「語れない」≒「書けない」を再生産し続け、「お手本がないと書けない」を増やすばかりの書道教育で、果たして、いいのでしょうか?