皆さんこんにちは。

本日は、「多様な社会で生きていくスキル」というテーマで書き留めたいと思います。

 

敬愛する友人のリコメンドで、「非常識の教え」という工藤勇一さんが書いた書籍を読みました。この方は、麹町中学校の校長を務めている方で、その型破りな教育手法で注目を集めておられる方です。

 

基本的に工藤校長は、教育は他者から強制されるものではなく、生徒自らが必要性を感じて自ら主人公として学ぶことが大切であり、人のせいにせず、最終的に自立して生きていくことができるような育成をすることと語りかけています。

その中で、自分と他者との協働をする際に捉えておかねばならないこととして、「アクションを起こせば人は反発するのが現実であると教え、そこから発想をスタートさせることが重要」とおっしゃっています。

 

日本では、学校教育だけではなく社会人組織においても、協調性が大切にされ、風を読む式の同調圧力を強く感じることもあります。私自身もどちらかといえば、組織運営で体育会式の歩調を合わせた状態を、意識せずに「良し」としているところもあります。

但し、人間は人間の数だけ違いがあり、同調圧力を上手く吸収できる人間もいれば、不得手な人間も、また反発する人間もいるのも事実です、

ですので、「対立は起きて当たり前であり、対立が生じたときのコミュニケーションの手法と感情のコントロールこそが重要」と捉えることをスタートにすべきと、同書籍の中で

工藤校長は言われています。

 

人間は、他の動物と比べて、「前頭葉」という新しい脳の部分が大きく、そこで高次の脳機能である、学習、計算、ロジック、感情や情動の抑制などを行っていて、心理的な安定が得られないと前頭葉の働きが低下するそうです。

基本的な人間関係の上で、「相違」が常にストレスをもたらすとすれば、相当に心理的なストレスがかかり続けることとなり、人間らしい活動が抑制されてしまいます。

「相違」に対しどのような認知・行動をするか、すなわち「相違」に対して自らの基準に引きよせ相手を納得させることに固執するのか、あるいはお互いの意見を理解して、互いが納得できる判断を協調的に模索するのか、この2つの差異は、積もり積もって人間成長の面でとても大きな違いとなって表れてきます。

 

自分が発した言葉に対し、相手方がどのように感じるだろうか、という他者理解、言葉を代えれば「優しさ」となるのでしょうが、この他者理解が対立回避には前提となりそうです。他者を理解するためには、それだけ自己理解を深めなければなりません。

改めて、内省の大切さを教えていただきました。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.5.9 #076