こんにちは。

本日は、「適応的無意識について」というテーマで書き留めたいと思います。

 

いま、米国の心理学者であるティモシー・ウイルソン氏が執筆した書籍「自分を知り、自分を変える」を読み直しています。この中で同氏は、「人間が1秒間に意識的に処理できる件数は最大40件程だが、無意識的には1秒間に1,100万件ほどの情報処理を行っている」と述べています。

 

心理学の歴史から考えると、フロイトが「無意識の世界」を発見し、ユングも無意識の世界を拡大させて集合的無意識、分析心理学などを発展させました。(「深層心理学」の世界) その後に「行動主義心理学」が全盛になるにつれ、意識とか無意識という概念からは離れて、主に目に見える行動を重視する考え方が主流となりました。つまり、刺激に対して反応する随伴性を主に捉える手法です。

しかしながら、人間は単に刺激に対して機械的に反応するのではなく、刺激に対しての認知(この刺激は好ましいものか、好ましくないものかの感情)を考え、社会的環境や過去の経験にを通して自ら学習したことや、他者の行動から学習したことを現実の刺激に当てはめ、目標・期待を持つことによって行動に対する動機付けを自ら調節しつつ行動に移していくような「認知心理学」が現在では主流となってきています。

 

しかしながら、認知心理学が認知の概念を何とか見える化しようとしても、それが中々難しいのも現状のようです。

それが表題にあるように、人間の日常行動は、意識による自己を制御しているという部分はほんのわずかで、ほとんどは適応的な無意識により行動をしている、ということなのだと、ティモシー・ウィルソン氏は言っています。

 

確かに、「意識して行動を起こす」というのは、そこにエネルギーが必要で、人間は一度に数種類の思考を重ねることは困難ですよね。経済活動に例えれば、意識行動はすごくコストがかかるということです。その逆で、運転に慣れたドライバーは、運転しながら会話もできるし他の思考も可能であったり、スポーツ選手は意識してプレイをするというよりは、忘我の境地で行った方が優れた結果となったりします。これは極めて低コストです。人間が持ちうる資源は限られているので、なるべく低コストで運営できるように進化してきているのです。

 

そうだとすれば、無意識に考え行動する部分で、各々の人間のカラーが決まってくるのだとすると、どうしたらその「無意識」部分の手入れや成長をはかれるのだろうか・・・とても興味がありますが、私の中には答えを出せていません。

少なくても、必要と思われることについては、コストを掛けても意識して行動に移し、それをなるべく無意識で行動に移せるような習慣にする、ということなのではないか、と思っています。「良い習慣は才能を超える」ということですね。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2020.5.16 #077