皆さんこんにちは。
本日は、「目に見えないものを見ようとする努力」というテーマで書き留めたいと思います。
先日も少し触れましたが、デジタル化の流れは今後一層加速するものと想定されています。定型労働の多くは機械が行う、そんな時代がそう遠くないうちに到来するとも言われていますが、機械が行うべきか人間が行うべきかを峻別するために、「仕事」がお金と数字のみで測られるようになっていくのでしょうか。
少し前に、「職人が握った寿司と、機械が握った寿司とで味は変わるのか」という話がありました。本来の寿司の定義まで話が深くなると自信はありませんが、私はこの2種の寿司の味は異なると思っているタイプです。職人は、カウンター越しにお客さんの顔を見ながら握るのですから、そこには過去からの会話や共有するものがあって、その上で提供されるものが職人が握る寿司です。(初めてのお客さんの場合には、共有できているものは少ないでしょうけど・・・) 「感情」という、機械には持てない、そして人間だけにしか所持を許されていない大切なものがその中にはある、というのが、私が異なると思っている理由です。
仕事を効率化・合理化することは、目標達成、利益確保のために大切な手段ですし、そのためにデジタル化は欠かせない手段です。でも、組織や企業の本来の存在意義は何なのか、その点から考えていくと、存続させるための工夫・手段が目的化してしまっては、大切なものを見失うことにも繋がりかねませんね。
企業活動においては、従業員は基本的には報酬を得て働いていますので、そのコストに対する行動・アウトプットは何らかで測られることは必要です。そしてできる限り数値化する努力も間違っていないと思います。これは、教育機関であっても同様に考えられると思います。
けれども、数字には表れない思考・行動もありますし、その部分が最終的な人間の判断に大きく関与すると私は考えています。
先ほどの寿司職人の話でいえば、機械が握ろうとも、職人が握ろうとも、栄養素のデータ、カロリー計算などでは差が無いでしょう。でも人間は、カウンター越しに会話を楽しみながら食べる寿司と、機械が握った寿司とでは、味に違いを感じるもの。
この目に見えない世界を排除するのではなく、見えないけれども見ていこうとする努力が大切なのではないかと思います。
ある企業では、他者に対する評価を、「いいね!」で行っているとのこと。それを360度評価にも活用している、とのことでした。評価された方は、そのマークの数が多くても、何に評価されたかわかりませんよね。
評価を受ける側も、アウトプットされた成果とともに、たとえ目に見えなくても、その過程を一番観ていてほしいのではないでしょうか。
デジタル化が進めば進むほど、これからの組織や企業の差別化は、こんなことろから生まれるのではないかとも思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2020.2.11 #050