節煙・禁煙テク
「一服したいなぁ~」って時、
スーーーーーッ
と、深呼吸をしてみる。
これが、かなり効果的だった。
一度、ゆっくり、深~く呼吸すると、煙草を吸いたい気持ちが消える。
平本あきお氏 に教わったテクニックのひとつです。
自由な状態とは
自由・・・ということは、「自らに由る」ことであり、他者に依存していない状態だと思う。
「煙草から自由」ということは、煙草がなくても良い、ということだ。
じゃあ、煙草を吸わなければ、「煙草から自由」か?
というと、それだけじゃ足りないと思うのだ。
もっと突っ込んで考えると、仮に、煙草が有っても良い、ってことじゃないだろうか。
つまり、どちらでも構わない状態、それこそ自由だと思う。
無くても平気。有っても平気。
吸わなきゃ吸わないで、過ごせること。
隣りで誰かが吸っていても、邪魔に思わないこと。
無かろうが有ろうが、それに僕自身が左右されない・影響されないってことだ。
煙草に限らず、そんな対し方が出来たら、僕の自由度は益々高まると思うんだ。
不自由な煙草 ~その2 購入と在庫~
煙草に限ったことではないが、その何者かに対して自由でいられる。 これが大切なんだ。
今年から自動販売機での年齢確認用のシステムTASPOが導入された。
これも業者側からすれば、苦肉の策だと思う。
ただ、お客の立場からすれば、面倒なのも事実だ。たった一枚のカードとはいえ、それを携帯して無いと販売機で買えないというのは不自由だ。
僕は元々、心配性っぽいところもあり、沢山じゃないまでも「買い置き」があると安心するタイプだ。
逆に言えば、手持ちの煙草の残り本数が減ってくると、何となく落ち着かない。
これも結局は煙草を手元に十分な数だけ持っていないと、自分の自由度が下がるということだ。
禁煙や節煙が第一義でなく、煙草から自由でいること。
煙草に振り回されず、自由なスタンスで対峙していたいのだ。
先週の日曜から 何となく始まった節煙生活も1週間経った。
不自由な煙草 ~その1 喫煙場所~
煙草から自由でいたい。
そう思い始めたのは、煙草や喫煙することの不自由さが増えてきたからだ。
喫煙場所を選ぶこともそうだ。
どこでも吸える訳ではないから、それだけで自由度が低い。
また、喫煙の許された場所でも、子供がいたり、食事をしている人がいれば、心苦しい。楽しめない。
閉じ込めらたような駅や空港の喫煙スペースは、ニコチン補給はできても、開放感には程遠い。
遠い昔、初めて屋外で煙草を吸った時、紫煙がゆっくり広がっては消えていくのを見て、ちょっとした開放感を覚えた。
僕が子供の頃、テレビドラマでも煙草は大人の男達の必須アイテムだった。
カッコ良く煙草に火を点けて、紫煙をくゆらせる。
ちょっと煙たそうな顔をして、足元に落とした煙草を踏み消す。
煙草のポイ捨て、そんな行為すら非難されない時代だったのだ。
携帯灰皿を持ち、決められたスペースで吸う。
煙草の持っている性質上、これは楽しむ立場の者にとって、最低限のマナーだ。
そんなことは当たり前だが、自由度が少ないのも事実だ。
不自由度の高い煙草。
そこから自由でいたいと思ったんだ。