モチベーターコーチ金子剛「自由なら無敵」ブログ -670ページ目

節煙・禁煙テク

「一服したいなぁ~」って時、



スーーーーーッ



と、深呼吸をしてみる。




これが、かなり効果的だった。

一度、ゆっくり、深~く呼吸すると、煙草を吸いたい気持ちが消える。




平本あきお氏 に教わったテクニックのひとつです。


自由な状態とは

自由・・・ということは、「自らに由る」ことであり、他者に依存していない状態だと思う。


「煙草から自由」ということは、煙草がなくても良い、ということだ。


じゃあ、煙草を吸わなければ、「煙草から自由」か?

というと、それだけじゃ足りないと思うのだ。



もっと突っ込んで考えると、仮に、煙草が有っても良い、ってことじゃないだろうか。

つまり、どちらでも構わない状態、それこそ自由だと思う。


無くても平気。有っても平気。


吸わなきゃ吸わないで、過ごせること。

隣りで誰かが吸っていても、邪魔に思わないこと。


無かろうが有ろうが、それに僕自身が左右されない・影響されないってことだ。



煙草に限らず、そんな対し方が出来たら、僕の自由度は益々高まると思うんだ。

煙草自由度の報告

先週の11月9日(日)から減り始めた煙草だが、レポートしておくことにした。


元々一日ひと箱、20本吸っていたのだが、


10日(月) 8本

11日(火) 5本

12日(水) 6本

13日(木) 3本

14日(金) 4本

15日(土) 2本

16日(日) 2本


と、こんな減り方だ。

一日で消費していた量を、今は5日持ってしまう。


今までは、風邪ひいたり、熱を出してても、一日に何本かは吸っていたので、この数字は我ながら驚きである。


更に驚いているのが、いわゆる「禁断症状」がないことだ。

日に2本でも吸ってるので、そのせいかな?

理由はわからない。結構、不思議だ。


不自由な煙草 ~その2 購入と在庫~

煙草に限ったことではないが、その何者かに対して自由でいられる。 これが大切なんだ。



今年から自動販売機での年齢確認用のシステムTASPOが導入された。

これも業者側からすれば、苦肉の策だと思う。

ただ、お客の立場からすれば、面倒なのも事実だ。たった一枚のカードとはいえ、それを携帯して無いと販売機で買えないというのは不自由だ。



僕は元々、心配性っぽいところもあり、沢山じゃないまでも「買い置き」があると安心するタイプだ。

逆に言えば、手持ちの煙草の残り本数が減ってくると、何となく落ち着かない。


これも結局は煙草を手元に十分な数だけ持っていないと、自分の自由度が下がるということだ。


禁煙や節煙が第一義でなく、煙草から自由でいること。

煙草に振り回されず、自由なスタンスで対峙していたいのだ。



先週の日曜から 何となく始まった節煙生活も1週間経った。


不自由な煙草 ~その1 喫煙場所~


煙草から自由でいたい。



そう思い始めたのは、煙草や喫煙することの不自由さが増えてきたからだ。



喫煙場所を選ぶこともそうだ。

どこでも吸える訳ではないから、それだけで自由度が低い。

また、喫煙の許された場所でも、子供がいたり、食事をしている人がいれば、心苦しい。楽しめない。

閉じ込めらたような駅や空港の喫煙スペースは、ニコチン補給はできても、開放感には程遠い。


遠い昔、初めて屋外くもり晴れくもりで煙草を吸った時、紫煙がゆっくり広がっては消えていくのを見て、ちょっとした開放感を覚えた。



僕が子供の頃、テレビドラマでも煙草は大人の男達の必須アイテムだった。


カッコ良く煙草に火を点けて、紫煙をくゆらせる。

ちょっと煙たそうな顔をして、足元に落とした煙草を踏み消す。


煙草のポイ捨て、そんな行為すら非難されない時代だったのだ。



携帯灰皿を持ち、決められたスペースで吸う。

煙草の持っている性質上、これは楽しむ立場の者にとって、最低限のマナーだ。


そんなことは当たり前だが、自由度が少ないのも事実だ。

不自由度の高い煙草。

そこから自由でいたいと思ったんだ。