モチベーターコーチ金子剛「自由なら無敵」ブログ -660ページ目

続・喫煙者でいるメリット?

共有スペースは

禁煙が当たり前の今、

喫煙場所に

喫煙者だけのコミュニティーが出来る


そんな話を先にしました。



ま、

メリットという程じゃないかも

知れないが、

もうひとつ。



今年、個人的に

勉強会に出かけた。

お台場近くのビルが会場だった。


喫煙場所はビルの外だった。

ビル風が強い場所だった。



でも、空は

青く

高く

晴れていた。


『気持ちいいー』



或る時は

田舎の山の中腹で行われた

合宿に参加した。


休憩時間に

宿の玄関に出て

煙草を吸った。


林の中の

砂利道を歩きながら

じゃりじゃり、 ぷかぷか

じゃりじゃり、 ぷかぷか


緑の香りがする煙草だった。



わざわざ、

おもてに出てくるから

めぐり合える

場面もあるんだ。


誰かと話題が盛り上がってても、

雨が降ってても、

風が強くても

わざわざ

煙草のためにでてくるから。



だから、

煙草を吸わなくても、

ちょっとした時間を見つけて

外に出てくると

何か良いことがあると思うよ。



自由の灯り 2

『 自灯明・法灯明 』


この言葉は

忘れられない言葉になった。



ドラマでたまたま

耳にした言葉だから、

一言一句そのまま覚えてる訳じゃない。


まして、


ドラマの上で

幼い正宗に

住職が「方便」として話した言葉だから


もともと

仏陀が意味した言葉

とも違うかも知れない。


ただ、


仏教という

巨大な宗教においてすら


仏教の教義だけが

何よりも

有りがたいとか、

価値が高いのでなく、


自らを灯明として

一人ひとりが

自分の足で歩くこと


それを重んじたのだ。



ま、これは

僕の勝手な解釈

かも。。。


自由の灯り

好きな言葉のひとつに
『 自灯明・法灯明 』
という
仏陀の言葉がある。



この言葉を
初めて聞いたのは
今から20年以上前、
NHK大河ドラマ「伊達政宗」の中で、だ。


幼くして片目の視力を失った正宗に、
大滝秀治さん演じる寺の住職が
話しをする場面。


「人は
 人生という暗い夜道を、
 自らを灯明に
 歩いていく。

 しかし、
 もしも自分の灯りが
 未だ弱く、
 道を照らせないのであれば、

 その時は
 お釈迦様の教えである『法』を灯明として、
 歩いていけば良い。」


というような台詞だった

と思う。




自分の指針が無いならば、

「法」を道標として歩いていく。


自分の羅針盤が明確になったら、

それを軸に歩を進める。



これが『自由』のあり方だ

そう、思ったのだ。



つづく

喫煙をやめるメリット

昨日、

喫煙者でいるメリットについて

書いた。



研修会や展示会、講演会

勉強会、セミナーの類に出た時に、

喫煙者ならではのコミュニティーが

できるのが面白い、

って話をしました。



これと似たケースで

飲み会があります。


たばこを吸わない人が多いとき、

やっぱり同様に

外に出たり、


お客が少なく、空いてる店なら

他のテーブルで

吸わせてもらったりする。



ただ、

何かの話題とかで

盛り上がっている時に

煙草を吸うためだけに

中座するのが

もったいないのだ。



こんな時に

「煙草から自由でいたい」と

思うのだ。


後輩・部下に誓う

幸せだな、わたし。


いつか

君が思えるように

僕は

君を見つづけよう。



君が

何処に向かって

歩きたいのか


君が

何を

大切にしたいのか



見つからずに

君が

諦めかけても



僕は

その存在が

君の中に

確かにあることを

信じて、


君にも

思い起こさせよう。



それが、きっと

この社会で

僕が君と出合った意味。


それが

僕の存在意義。




すぐでなくても

10年後でも

僕が死んでからでも


たとえ

君が気付かなくても


構わないな。