1975年のアルバム(その40 Horizon / Carpenters)
1975年のアルバム・シリーズ・・・休んでおりましたが・・・
復活
・・・で、やはり日本での洋楽の中心といえば、当時はCarpenters
前年末から、この年の初頭にかけて、Please Mr. Postmanが世界的に大ヒット
そして前年の日本公演のLive In Japanもリリース
(Live In Japanに関する日記です・・・)
https://ameblo.jp/take-1097-da/entry-12328302553.html
さらには、Only Yesterdayも大ヒット
まだまだCarpenters旋風といった感じの時に・・・
ニュー・アルバムがリリース
タイトルはHorizon
Carpentersの歌は常に一般の生活に浸透しているような感じなので、そんな気はしませんでしたが、なんとNow & Then以来2年ぶりのオリジナル・アルバム
日本のタイトルは「緑の地平線」でした。・・・
Karen Carpenter、Richard Carpenter以外のメンバーとしては・・・
ギターにお馴染みTony Peluso
そしてドラムスにはDerek And The Dominosでお馴染み、当時は多くのレコーディング・セッションに参加していたJim Gordon
ベースにJoe Osborn、テナーサックスにBob Messenger、ハーモニカにTommy Morganなどが参加しています。
プロデュースはRichard Carpenter
24トラックのマルチトラックレコーディングも話題でした。・・・
A面・・・流れるようなピアノの音で、静かにAuroraで幕開け
Richardとお馴染みJohn Bettisの作品、Karenの歌は説得力があります。
「希望の鐘」という邦題もCarpentersらしいでしょう。
これが短く、そしてドラムスの軽快なビートから、大ヒット曲Only Yesterday
心地よい歌のバックには、Jim Gordonのパワフルなドラミング
Yesterday Once Moreのアンサー・ソングだったのでしょうか。・・・
RichardとJohn Bettisによる最後の大ヒットだったかもしれません。・・・
3曲目は・・・Desperado
そう、勿論、Eaglesの「ならず者」です。
なんと「愛は虹の色」という邦題・・・
でもCarpentersに「ならず者」はおかしいかもしれませんね。(笑)
尚、Eaglesが「呪われた夜(One Of These Nights)」で日本でも大ブレイクするのはこの少し後なので・・・Carpentersがやっていることはあまり話題にならなかったような気がします。・・・
Eaglesのオリジナルとの違いは、Tommy Morganのハーモニカがフィーチャーされていることでしょう。・・・
続いて、Please Mr. Postman
何も言うことはないでしょう。
半年くらい前に大ヒットしているものの、アルバムの中の1曲として聴くとまた違った感じもします。・・・
そしてこの面最後は・・・
I Can Dream, Can't I?
1930年代のミュージカルのナンバー
この曲だけバックに参加しているミュージシャンが違って、ジャズのビッグバンド風
それでも違和感を感じないのが、Karenの力量でしょう。・・・
B面に行くと・・・Solitaire
この年色々と話題のNeil Sedakaのナンバー
静かにじっくり聴かせる曲ですが、シングル・カットされヒットしました。
タイトルはトランプの一人遊びですが・・・実はこの当時のKarenの心境だったのかもしれません。・・・
この面は続いて軽快なギターからHappy
割と重厚な曲が多いだけに、この曲は明るく響きます。
3曲目は、(I'm Caught Between) Goodbye And I Love You
この辺りもシングル・カットされるか、と思ったのですが・・・
後で思うとこれもKarenの心境を歌った歌のような気もします。・・・
Karenの歌から始まって盛り上がるLove Me For What I Am
Carpentersはやはりこのような曲・・・I Must Be Free~
これもKarenの心境・・・
流れるようなピアノで、Eventide
1曲目と同じメロディのナンバーでエンディング・・・こちらは「悲しみの夕暮れ」というタイトルになっていました。・・・
このアルバム、日本でも洋楽部門では当然No.1となり、健在ぶりを示しましたが・・・
アルバムより先行リリースされていた2曲を除くと、やはりそれまでのCarpentersに比べたら重いイメージ・・・
さらにはジャケットのKarenも暗いイメージ・・・
でもCarpentersに対してそのようなイメージはあまり考えられなかったわけで・・・
その翌年リリースされたThere's A Kind Of HushでもやはりCarpentersには明るく健全なイメージしか感じられませんでした。・・・
ただこの後、来日公演が延期になったことがあったのですが、それがまさか10年も経たないうちにKarenが逝ってしまうことに繋がることとは・・・
想像もしませんでした。・・・
今回は1975年のことについてのみ記しました。・・・