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高をくくる

 

 

東京に住宅探しに来てから2日目。

1日目の夜は父親の会社の事務所の鍵を車の左タイヤから拝借して、そのカギで見知らぬマンションに入って位置やを過ごした。

全く知らない部屋ではあったが、過ごし心地は悪くない。1Kマンションとはいっても僕の生活するスペースとして恐らく申し分ない程度の広さということなのだろう。

 

朝起きてみると3時だった。

あまり寝付けなかった。しかしながら寝心地自体は悪くない。

僕は関東かつ、今自分がいる位置を中心に色んな大学の手話サークルに連絡した。

連絡はしたが、中々いけなかったり、連絡が返ってこなかったり、

活動内容が見学に相応しくなかったりと上手くいかず、結局いけずじまいだった。

仕方なく、一日中部屋でPCを触る時間が続く。

 

とはいってもさっき言った通りで居心地が悪いわけではない。

一人暮らしの夢が広がるような感覚。

僕はインテリアや部屋のレイアウトを定めようと、

それに関連した写真や、グッズなどを検索したりした。

 

時間が経って、僕はこの場所をあとにすることになった。

鍵は僕の財布の中に入れておくこととする。

住宅探しは終わりだ。

翌日からは一泊二日間の旅行の予定である。

僕はそのマンションの駅から友人の住む東京の片隅へと移動することにした。

 

夕食として高田馬場駅で降りてその辺りの定食屋でご飯を食べる。

この時から少しながら過食が始まることになったのである。

僕はその後、10時頃に友人の家に辿り着いた。

就職活動中から何度か泊っていることから、いつの間にか案内なしでも

この建物まで来られるようになっていた。

 

とはいっても相手は社会人である。

金曜日で仕事納めの彼は一週間溜まったごみを捨てたり、

掃除をしたりとなにやらせかせかしていたようであった。

 

翌日から旅行。

僕にとってはこれが最後の卒業旅行になるのだろうか。

僕は敷かれた布団の上に雑魚寝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

またこの場所にやってきた。

東京。

相変わらずなぜかエスカレーターの乗る場所が左右逆で、電車の乗り方に自信がなくなるような人々がごったがえした土地である。

 

またしてもここに来たのは家を探しに来たからだ。

ここまでやって卒業できなかったらどうしよう。

後戻りはもうできないところまで来てしまった。

どうか、卒業できますように……などということを願う時点で間違っているのだが。

何とかするしかない。

 

思えば最近博打のようなことばかりしている。

しかしながら、意味のある博打ではなく、単に準備不足の博打は、若い奴らのいう「ワンチャンあるで!」に近く、正直言って自分が情けなくなる。

 

飛行機で今回は東京にやってきた。

早い。1時間もたたずに大阪と東京を渡ることが出来るとは。

PCで資料を作っている間についてしまった。

 

久しぶりについた東京から数駅移動し、エイブルの事務所を訪ねた。

名紙を渡され、自分から提案したアパートと、担当の方が選んでくれたアパートを比較検証した。

担当の方が勧めてくれたのがいくつか。

正直自分で頑張って探したアパート達は殆どが申し込まれてしまい、見る事すら叶わなくなっていた。

さて、次は自動車を走らせることになった。

中々目的の場所までは遠かった。

1時間以上車に揺られた。僕は多少酔ってしまった。

 

1つ目に内見に来たのはアパートだった。

築は30年前後だったろうか。

郵便受けがボロボロでボルトが外れていたような気がする。

中に入ると、広かったが異臭がした。これはトイレのにおいだ。

よく駅で異臭がするトイレスペースがあるが、そのにおいがその部屋からたちこめていた……気がした。

しかしながら、この部屋は広い。2LDKである。

それがあいまってこの環境を生み出しているのだろう。

広さを得ようとすれば何かを失うのは当たり前である。

しかしながら、僕は2LDKも一人暮らしで使うだろうかと考えたが、使わない気がした。

ルームシェアをするならばまだ話は分かるのだが……。

 

話を聞くには内見候補の部屋が広いタイプのアパートは

大体同じ雰囲気だという。

正直車に乗っていた時間が予想以上に長くて、少しナイーブになっていたのもあり、

僕は同じタイプのアパートの内見を断ることにした。

 

次に来たのはマンションだった。

10階ほどある新築のマンションで、さっきのアパートと比べてしまうとレベルの違いが感じられた。

高級ホテルと小屋くらいの印象の違いがあった。

僕は入って目に入る郵便受けに惹かれてしまった。

白と黒の郵便受け。

なんだか僕のカッコつけの好奇心をくすぐられる。

 

カーペットがひかれた清潔感漂う廊下。

最上階の角部屋という環境。

部屋自体は狭かったがそれを余りあるかっこよさが胸を締め付けてくれた。

 

僕はこの部屋を申し込むことに決めた。

さて、この選択は後々僕にどんな影響を与えるのだろうか。

今日の選択はきっと僕の人生に関わる事だろう。

 

 

   

 

毎月の手話サークル運営も終わりが近づいている。

僕の運営しているサークルでは毎回レベル別講座なるものがあり、

参加者の学びたいレベルに合わせて、参加できる講座を選択できるシステムがとられている。

 

種類は三種類だ。

レベル①か、レベル②か、レベル③。

今回僕が担当したのはレベル②だった。

進行速度は比較的遅く、情報保障もしながら進むタイプの講座である。

 

取り扱ったのはろう者の手話特有表現。

NHK「みんなの手話」でも以前放送があった。

教えてほしいという意見メールの影響によるものかどうかは分からないが、とにかく助かる。

 

ろう者特有表現ということは日本語化するものが難しい表現である。

そもそも手話と日本語が別であるという話から始めなくてはならない。

だが、自分の話をするにしてもそれを明確に認識し始めたのは3回生の後半からだったように思う。

口話が日本語ではない時点で、その手話表現は日本語とは呼びづらくなってくる。

自分が日本手話をしているわけではないのだが、それでもサークルにおける手話が

日本語によっているかどうかくらいは判別がつく。

 

総じて日本語に対応させた手話が多いのは

大学の手話サークルの教え方によるものだろうか。

 

   

 

僕の人生は七転八倒。

恵まれた家庭に居たはずなのだが、少なくとも財政的に恵まれた家庭に居たはずなのだが、どうしても僕という人間が愚かなせいで、僕という人間の人生に迷惑をかけている。

 

僕という人間の人生は間違いなく自分のものなのだが、

それを判断してきたのは僕なのであり、

瞬間瞬間の責任は僕にある。

 

これまで愚かな選択たちの責任はその時々の僕にあり、

それはすなわちその選択たちの総体が僕を形作っている。

 

愚かなものを積み重ねても結局愚か者しか出来上がらない。

最低だ。

 

なぜこんな最低なことばかりを繰り返したのか。

それは恐らく僕が人間としての経験を積み重ねなかったからである。

 

あともう少しちゃんとした人間だったら?

あともう少し小学5年生の時に人と関わろうとしていれば?

諦めずに部活に取り組んでいれば?

 

自己肯定感がもう少しあったからもしれないし、自身をもう少し持てたかもしれない。

そうすればもっと幸せにできた人が居たのに。

最低だ。

 

僕は人のことを余裕のある時はずっと幸せにしたいと思う。

でも、それは余裕のある時だけだ。

そして、僕にその時はほとんどない。

スキルが、実力がないからだ。

 

こんな僕を認めてくれる居場所も、人も、もう見出せない。

人間は正直だ。

そしてまた自分も人間だ。

僕もまた実力のない人間が嫌いで、努力をしない人間が嫌いで、自分に自信のないやつが嫌いだ。だから自分が誰よりも嫌いだ。殺してやりたい。

 

タイピングを練習するために結構前から寿司打というサイトを利用させてもらっている。寿司が流れてきて、そこに表示されている文字を打ち込むことでスコアを重ねていくアプリだ。

 

かなり最初に教えられていた悪癖を直すために貢献してくれた寿司打だったけれど、僕は最近これを打つたびに思い出が溢れてくるような気がして、手がなんだか集中が乱されてくるような気がしてしまう。

 

最後にはパソコンを放り出したくなってしまう。

ああ。

なんでこんなに思うように打てないのだろうか。

なんでミスタイプをしてしまうのだろうか。という通常ではありえない速さの自己嫌悪が一気に頭の中を駆け抜けていく。

それはこうやってWord画面にブログ内容を打っている今も決して変わらない。

僕は実際のところ画面を打っていないときの方がミスタイプが少ないのだ。

 

これはどういう効果があってこうなっているのだろうか。

手に感覚が集中しているからだろうか。

良くマンガで目が潰されたから他の感覚が鋭敏になるような話を聞くが、

感覚のシャットアウトはそういうところに、他にリソースをさけるというような副次的な効果があるのだろうか。

 

 

 

何もすることがない事が逆に良かったりする。

連絡が早くできたり、対応が早くできたりする。

学生時代は急に予定が舞い込んだりすることがたまにあり、

そんな機会を逃したくないという理由で僕はアルバイトに対して

いまだに躊躇をする場面が多かった。

 

単発のアルバイトをたまにするくらいなので

実際僕はなにもしてあげられないことも多い。