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高をくくる

 

   

 

もうすぐ僕は大学生を終える。

学生生活のすべてを終了する。……予定だ。

もし単位の不許可があれば、僕は卒業できないが……。

 

とりあえず大学生編を終えるということは

僕にもいつにやってくるのだ、社会人編が。

正直実感もなければスキルもない気がするが、それでも時間は待ってくれない。

なので、その為の活動を「大学→社会人」というタグをつけて残しておこうと思う。

 

まず僕は社会人として東京に行くことになっている。

今までの人間関係を大阪においてきてしまうことになってしまったのが

かなり後悔だけれど……。

 

しかしながら夜行バスを利用すれば6000円くらいで往復できるのではないだろうか。

いやいやそれはさておき、全く違う土地で住むということなら家を探さなければならない。

反対により、何故か1K住宅で住むことは禁止されてしまっている。

よって広い条件のいい部屋という、すなわち家賃が高そうな部屋を求められているのだ。

僕の給料では恐らく高い家賃を払ってしまうと生活が出来なくなってしまう。

 

家探しは難航中だが、少なくとも2月の最初には

東京に行って家を見つけなければならない。

僕の生活はこれからだ。

 

 

   

大学の授業は気付かない間に終わってしまっていた。

卒業論文を提出したし、大学の秋学期の授業は全部終わってしまった。

課題としてレポート×2とデータベースを提出しなければならない。

そのために授業もないのに土曜日に大学に行ってみた。

最近はレポートが手書きからパソコン入力になり

データでのやり取りだけで終了することもある。

 

なのに最後のレポート課題についてはそれを許さず、

印刷して直接提出しなければならないらしい。

 

提出を完了して部室に行った。

それからなにをすればいいかといえば、

僕はデータベースを作成する課題を終了させなければならなかった。

データベースといえばマイクロオフィスソフトの「Access」を用いて作るものである。

しかしながら標準的にパソコンに備わっているアプリの中に

マイクロオフィスソフトはWordExcelPowerPointの三種類しかなかった。

 

大学の新規事業のようなもので

学生は学生である限り「Office365 pro+」を用いることが出来る。

 

よってそれをダウンロードして、作業を進めていた。

 

そこに現れる後輩。

この後輩とはよく会う。

 

そのまま2時間ほど話してその日は終了した。

居る時間も悪くはなかった。

 

 

 

誰かに打ち明けたい気がする。

誰かに。

全く関係のないどこかの人に自分の醜い醜い部分を打ち上げて受け入れてほしいなと思ってしまう。またそれ自体が醜く褒められたものではないと、分かってはいるのに。

 

僕はなんていう人間になってしまったのだろう。

タイミングか、運命か、僕は人間関係を持てば持ってしまうで

周りの人たちを苦しめてしまうのかもしれない。

 

がんばりたかった。

でも自分の欲望を抑えられなかった。

 

なんでこんなことになったのか。

誰かに打ち明けたい気がする。

 

 

 

 

 

僕は手話を学んではいるが、そのプライドはそこまで強い方ではない。

そう思っている。かけた時間と情熱に比例しない柔らかさを持っているつもりだった。

しかしながら今回静かに憤りまで覚えたのは、久しぶりのことだった。

 

この日はある大学の活動に見学に行った。

その大学には手話サークルがない。

大きな団体の中に手話に関連する活動があり、そこに自由に参加できるという制度がとられていた。

団体上の特質とはどこにでもあるものである。

大きな団体ということは団体内の常識や共通概念が

ある程度離れたところで強く根付いてしまうこともあるようだった。

 

まず手話に関する活動といっても

彼らは活動前に手話で会話することがなかった。

そして、企画中に声だけのヤジがとび、

声なしに関しては口を閉じて声を出すという冗談のような状況だった。

 

僕は内心いたたまれない気持ちで見学していた。

つらかった。

 

 

 

 

最近の自分の出費具合に言葉が出ない。

なぜこんなにもお金が無くなっているのだろうか。

 

この日は高校時代の男たちのあつまりだった。

彼らとは全く特別な繋がりなどなく

同じ素晴らしい思い出を共有したということもなく

趣味が一致しているわけでもなかった。

 

ただ共通していた点としては

教室の窓際というか片隅組であるということでの薄い結託である。

 

そんな彼らを呼びかけるA氏。

しかし全く話が進まない状況にやきもきして自分が進めてしまう。

進めなかったからといって恐らく彼らは悲しむことはないだろう。

ないならないで、この集まりにそんなに積極的な価値を見出していない人ばかりである。

 

思えば3年前に三重に出かけたらしいことが記録に残っている。

よく行ったものだ。

当時の写真はものすごいシュールにみえた。

 

彼らと焼肉を食べた。

焼肉の煙を輩出するパイプのようなものは

いつも手話をするときに邪魔に感じるが全員健聴者の状況では

全く問題にならなかった。

なるほど。それが少し違和感だった。

 

彼らは全員無責任で無関心だった。

あるいは無関心だからこそ無責任であるというべきだろうか。

正直ねぎらいの一言でも欲しかったが、

逆に責められた僕は今後彼らのことを手助けしないと心に誓った。

 

   

 

手話エンターテイメント。

大学の手話サークルに所属していると

会話するだけでなく、行事として交流会に参加したり、

手話歌をしたりすることがある。

これはもうサークルとしての伝統的活動で

手話に対する知識0の僕が、最初からこれを教えられていたのだから

当時はなんの抵抗もなく「ああ、そういうものなのか」と手話劇や手話歌に参加した。

 

時が流れてそういった手話エンターテイメントに関しては

抵抗こそ大きくないが首を捻るようになった。

 

なぜ音楽を流すのか?

なぜ効果音を流すのか?

 

なんか楽しいから。

 

手話サークルとはいっても、その聴覚障害者の割合はあまり大きくないだろう。

手話エンターテイメントの捉え方はばらばらだ。

手話劇はもともと会話に用いる手話を表して会話劇にすることもあるだろうが、

手話歌ともなるとどうも勝手が違う。

 

僕も手話歌をする際は手話を表そうなどと思っていない。

というより出来ない。

リズムを重視して手話歌を練習させられるし、

大きさや口話の日本語対応を重視させられるし、

良く分からない。

 

僕自身手話サークルで音楽を流す機会はある。

ろう・難聴メンバーがどう思っているのかはあまり聞いたことがない。

しかしながら流すようになったきっかけは

ろう・難聴メンバーが自ら音楽を流していた事だった。

 

意図として彼ら自身も音楽を楽しむすべは普通にあるということなのか、

それとも健聴者メンバーを楽しませる工夫として用意しただけなのか。

障害も個人によってばらばら。

正確な体感は彼らにしか分からない。

 

手話エンターテイメントは手話言語では、たぶんない。

それは学生の身である僕も重々承知した。

だとしたらあれは何なのだろうか。

もしかしたらとんでもなく筋違いなのでは?

楽しんでいる人も居る。

それは見てきた。

ただ楽しんでいる人も居る、は、楽しんでいない人が居ない証明になりえない。

果たしてその表現方法にはどんな責任が課せられるのであろうか。

 

   

 

「子供を殺してください」という親たち

 

というタイトルの漫画を読んだ。

たまたま目について読む機会があったから読んだのだが

この中では統合失調症や、アルコール依存症の人間が扱われていた。

 

僕の祖父はアルコール依存症で亡くなったし

僕の祖母は統合失調症である。

 

そんな2人とともに僕は思春期を過ごした。

 

思春期が人間の性格やら見た目に与える影響は

かなり大きい。

 

前に自分の写真を見返す機会があったが、まぁ、

とにかく変化の変わりようがすごいのであった。

幼稚園のまま成長しておけば良かったものを……。

 

中学時代僕自身精神的に不安定になっており

引きこもり+独り言+奇行+妄想というマイナス要素のオンパレードだった。

この漫画の登場人物が自分だったかもしれないと思う。

それだけ共感と言うか、共通点を彼らから見出すことが出来たのだ。

 

学校は社会だという。

僕が劇的に代わったのは大学生活によるところが大きいが、

それでもきっかけとなったのは高校時代最後の年である。

誰かが誰かを受け入れてくれる、集団に受け入れられるというのが

どれほどに精神を安らかにさせるのか。

 

自分は誰かを受け入れることが出来るだろうか。

みんなにしてもらったことを、他の求めている誰かに

与えることが出来るのだろうか。

おせっかいのなのだろうか。

人と関わるのが怖いけれど、人と関わっていきたいと思うことが多々ある。

二律背反的な思いを抱えながら生きていかないといけない。

人間は今しか見えない。

所詮未来のことは予想と妄想で成り立たせるしかないのだから。

苦しい。

 

 

   

1年前からひそかに進めていた、卒業論文。

学生として最後の課題にして最大の課題のはずだが、

そんなに大した感慨深さはなかった。

 

印刷して台紙をつける作業がどうしたいいのかと

戸惑ってしまったが、部室を物色していると

レポート用紙に穴をあけるという機械が見つかったので

それを利用した。

 

しかしながら、これを持っていない人はどうしたらいいのだろうか。

 

かなり前になるが履歴書の写真をはる為に

写真をはさみではなくサシで切ったことがあるが

そのような歪なことに繋がってしまうのではないだろうか。

 

卒業論文は提出した。

これで一単位+四単位が僕に入ってくるはず……なのだが

良く分からないことに卒業要件を満たしているのかどうかがあやしくなってきた。

 

大丈夫なのだろうか。

 

因みにこの日、ラーニングカフェと言うイベントで

PPTに関するミニ講座を行った。

 

 

 

 

どんどん空気が冷たくなってきた。

雹が降り始めた。

地面をたたく無数の白い物体を

僕は二階の部屋から眺めていた。

 

   

 

大学の授業も再開した。

今日は卒業論文の訂正というか最終確認の日であった。

卒業論文提出シーズンだからか、大学のパソコンルームは混んでいた。

ゼミの教室に入ると個人指導体制に変わってから会っていなかったゼミメンバーと

久しぶりに顔を合わせることになった。

 

ゼミメンバーは相変わらず哲学的な会話を楽しむ

よくわからないメンバーだったが、いやな人たちでは決してなかった。

卒業論文最終確認と言うからには、1から全部読み上げるくらいを覚悟していたけれど、

そんなことはなく、質問ある?、に対して質問するだけで終わってしまった。

印刷したのに、あまり意味がなかったということになる……。

 

その後の授業にも出席し、

電車を乗り継いで、団体の後輩スタッフのもとへ辿り着いた。

 

今日はこの後輩と飲むことになっていた。

といっても最終的にお酒はいっぱいだけだったけれど。

後輩は現在2回生だ。

今度は3回生になるとはいえ、まだまだ先は長い。

 

こうなると中々話したいことも沢山あった。

どうやったら彼女らの代もうまくいくようになるか。

正直なところそれは大体自主性に任される部分で会って本来ならば

ぼくがどうこういうものではない。

 

面談じみたことをしてしまったが、

笑いありのいい時間になった。

 

しかしながら全く別の件で

僕は気が重くなっていた。

 

大阪をもうすぐたたなければならない。

そのためにひとつだけ、どうしても解決しなければならないことが

僕にはまだ、残っている。

 

それが心を重くしている。