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高をくくる

 

   

 

一月に入ってから最初の土日の過ごし方は

ある大学のスクーリングの手話通訳に出かけるというものだった。

スクーリングとは、普段通信教育式で授業を受けている人たちが

ある機会に大学に来て集中講義を受けるというものらしい。

 

その際に聴覚障害を持った受講者に対して

大学側が設置するのが手話通訳であるようだ。

これが大学の中で処理しきれず、僕にお鉢が回ってきたのが、

この一月の土日である。

 

この大学がかなり遠い。

何度か足を運んだことはあるものの、

まだ通いなれるといったようなことはなく、

僕は3時間以上前に家を出た。

 

電車を乗り継ぎ、バスに乗ってやっとの思いで辿り着く。

実はスクーリング通訳に来るのはこれで二度目である。

今回の授業内容は「情報化する社会」。

 

これからIT系に進む僕にとっては決して無駄になりえない授業になる。

手話通訳のために来ているとはいっても、ここで授業を聞いて知識を増やすというのも

僕の楽しみ方のひとつになる。

 

ここでのスクーリング通訳は基本的にペアで行われているようだ。

僕の今回のペアは、同じ団体のスタッフである女性だった。

しかしながら、あまり話す機会を今まで持ってこなかった女性である。

2日間のペアを通して、何か話すことが出来たらいい……と思いつつ、

女性と二人というシチュエーションに対して、どこか怖気づいているのも実際のところだった。

 

しかしながら、団体の代表である以上、メンバーとコミュニケーションをとることや

色々な考え方を、会議外で知ることも重要である。

 

ドラマやCMでよく見る、屋上で缶コーヒーを渡しいているイメージだ。

2日間を通して終わってみれば、少しばかり言葉を交わせた気がする。

協力した費用として交通費と時給が出たのは

僕にとってありがたいことになった。

 

 

   

 

朝は毎日うどんを食べてしまっている

なんでだろうか?

うどんは確かにおいしいが習慣のように食べているというのも

何とも奇妙な話で社会に入った後僕は独り暮らしであるので

そこの部分がどうなってしまうかとても不安である。

 

昼は因みにみかんだった。

夜もミカンだった。

 

その結果、口の中に口内炎が出来てしまった。

なんでだろうか。

これが所謂、栄養の方よりなのだろうか?

みかんは完全栄養食だなんていう親の意味の分からない言葉を

信じていたぼくにはおそらく野菜が足りなくなっているのではいか

と、僕はひそかに思った。

 

新年初の会議だった。

みんなは相変わらず元気のようだ。

 

頑張ってくれ。

 

 

   

 

お正月にかこつけて何もしない日々。

そういえばお年玉というものがあったのを忘れていた。

今日も神社に行く。

今年に入ってから三回目になる。

中々信仰心が強い奴のようになってはいるが、

実はお金は投げていなかった。

 

最後のお年玉をもらう。

結構なお値段。

これで春にしたいことが大体できるようになるのではないだろうか。

 

春の過ごし方に非常に迷っている。

苦しい。

苦しみなんていらない。

最後は楽しく過ごしたい。

しかし人生とは何かを捨て、何かを得るような、

残酷な選択を迫られる方が多いのだと感じている。

 

何も持っていなかった高校生の頃。

何も同様に苦しませるようなことは無かったのかもしれない。

持ってないなら捨てる必要も、ないからだ。

苦しいな。

重いな。

人生は重いし、自分がうまくなりたいことは全くうまくならないし、

僕の才能なんて欠片も感じない。

 

これで、こんなので

社会に出ていいのだろうか。

 

なんでこんなに手が動かないんだろう。

嫌だな。努力を否定されているみたいで。

 

 

   

 

手話を言語として位置付けるという

今推し進められている条例。

地方によっては差があり、法学部の後輩はその辺りについて

熱く議論しているのが見受けられる。

日本でも水面下で推進していることから就職活動でも

たまにこれをアピールしたりもしたのだが、全く効果はなかった。

 

これについてよく見かけるのは

手話言語条例が広まり、健聴者が手話を教えるようになると

手話という言語が失われるという意見である。

 

手話を母語としない日本語対応手話者が教えることで

日本手話の衰退に拍車をかけるということらしい。

 

TwitterをはじめとしたSNSでこれが嘆かれているし、

いくつかの手話に関わる団体でも日本手話を発信するという理念のもと

活動していることがある。

大して学生の手話サークルではやはり数として

健聴者>難聴者・ろう者であることからか、

それとも単に難しいからなのか、日本語対応手話一色であって

バランスが悪い。(因みにこれはあくまで近畿圏の話である)

 

もう両方必須であることを言語的に定めた方がいいんじゃないか?

そう思った13日の朝。

 

 

   

 

今日も特に予定はない。

年末年始は周りの学生が忙しい。

故郷から出てきた学生も沢山いるだろうし、

思えば、学生のうちから独り暮らしを始めて、

自分の知らない土地で経験を積んでいくというのはとてもいいし

立派なことだと思う。

学生のうちは責任も少ないのだから、体調不良への対応も柔軟にできる。

自分の範囲で処理できるというのはいいことだ。

社会人はきっとそうではないだろう。

 

暇な朝を過ごしていたら、一階から声が聞こえた。

どうやら幼馴染の一人が東京から帰ってきていたらしい。

しばらく話した後、僕は神社に向かった。

 

神社では巫女をしている知り合いがいる。会いたかった。

話は出来ないが、神戸プリンとキットカットを渡そうと思った。

去年よりも巫女姿が似合っている気がする。

 

コスプレとして巫女姿になっている人というのは聞くが、

巫女服を着たいからと言ってすぐに巫女に応募する彼女の行動力を

僕は、心からすごいなと思っていた。

 

くじは大吉、7番だった。

 

 

   

 

遂に年は開けてしまった。

2018年。このままいくと僕は大学生を卒業し

社会に出ることになる。

社会に出ることになるばかりか、住み慣れた土地を離れて

単身、東京という土地において独り暮らしを開始することになるだろう。

 

正直不安しかない。

僕の友達というものはまた出来るのだろうか。

恋人というものは出来るのだろうか。

今まで社会人や大人という概念と自分とは圧倒的な隔たりがあった。

学生と社会人の違い……。

与えれる側から責任をもって何かを産出する側へと変わる。

 

僕はこれからまた年齢を重ねていく。

訳も分からず生命活動を維持するためになんらかの食物を食べて

身体は成長する、もしくは老化していく。

見た目はどんどんと大人になっていく。

 

僕の生きる上でも目標は子孫だ。

子孫が居なければ僕の生まれた人間としての役割は不達成になってしまうと

考えている。それが一番わかりやすいからだ。

しかしながらそのためには特定の誰かと一生を添い遂げることをしなければならない。

僕は結婚とか、生涯の相手を見つけることが出来るのだろうか。

周りを見れば高級レストランで高い食事をしながら

高いプレゼントをするようなカップルがちらほらしている。

正直そんなことを望まれても僕にはあんまり分からない。

そして、なにより見た目的な問題でもこれから異性に好かれるだろうかと疑問である。

 

学生で居たい。

幼稚園の次は、小学校。

小学校の次は、中学校。

中学校の次は、高校。

高校の次は、大学。

そんな流れがなんとなく周りから伝わってきて

これまでの人生を歩んできただけの僕がどうしてこの先、

誰かになにかを与えてあげられるだろうか。

 

経済ってなんだろう。

なぜ日本には数えきれないほどの企業が存在して

経済を無理やり動かそうとしているのだろう。

分からない。僕は分からない。

日本だけじゃなくて、地球において人間が経済活動を始めて

生活を成り立たせるようになった理由が分からない。

その前はどんな時代だったんだろう。

その前と比べて生活はよくなったのだろうか。

僕はお礼を言うべきなのだろうか。

 

 

   

 

2017年ももうすぐ終わる。

今年は苦しくて、更に涙を流した1年間だった。

苦しみで足が止まった事の方が多くて、人で出会う喜びではなく

人と別れた悲しみの方が胸を締め付けるような嫌な部分の多い1年間だった。

 

でもこれはきっと僕にとっての贅沢なんだと思う。

自分にとって大切な価値のあるような人に出会ったからこそ、

その人と別れるような機会がおとずれてしまったときに

必要以上に自分の一部を引き裂かれたような気持になってしまう。

 

そして、去年は自分の団体を心から愛したけれど

それが他の人の手に渡った事も大きかったのだろう。

自分が3年間望み続けたものを失うことが苦しかった。

 

就職活動も不器用だからうまくいかなかった。

でも、僕の周りの人々は実は器用だったし

やはり魅力を持っている人々だから採用試験へは次々と突破していったし、

難しい公務員試験に受かったり、

大企業に就職したりして

僕は何者の主人公よろしく、みんなを嫉妬したと思う。

 

そんな状態でもうひとつの団体の代表になったことで

なんとか自我を責任から支えようとすることが出来た。

一度はやめようと思った団体だったけれど、

僕はこの団体の代表をすることが出来てよかったと思う。

曲がりなりにも代表として力を入れることは出来たし、

みんなも僕を代表と呼んでくれる。

そして、中途半端にやっていた手話をさらに進化させるきっかけになった。

 

学生時代最後の夏休みだからと

最終面接も近いのに大阪から三重まで歩いたりもした。

みんなからバカにはされたけれど、足を痛めたけれど、

そういう事をしたという行動力とか、歩く力とか、

自分が実際にそれをやったという気持ちが、体に変化をもたらすんだと

僕は知っているから。

 

4回生はつらい。

授業はないけれど、もうみんなと一緒に同じ時間を

過ごしていく機会がないから……。

 

せめてもの救いは今年出会った新入生のほとんどは

良い子たちだったこと。

4回生の自分にとっても眩しいくらいだし

これからきっと頑張ってくれるだろうと思える子であること。

それがかつて僕の愛していた団体であるかどうかは分からないけれど

人生にとって何か自分の居場所を見つけるというのはとても大切だと思う。

それが彼らにはきちんと見つられていると感じる。

だから、心配ないし、大学生活もきっとうまくやっていけるんだろうなって、思える。

そんな彼らを見ている、見せてもらっていることが幸せだった。

自分が直接彼らと関わっていける期間が短くて

彼らの印象に残る立場にないのは残念ではあるけれど。

 

僕は大学生活において団体の中で頑張り、

2人の人からバトンを受け取った。

団体を考える気持ちを受け取った。

そして、僕のバトンを受け取ってくれる人は

結局いないんじゃなかろうか。

 

前を走っている人はいた。その人たちを頑張って追ってきた。

同じところを走っている人も少なからずいた。

後ろをだれも走っていなかった。

 

悲しい。

虚しい。

でも、もういいんだ。

それはきっと自分勝手な、傲慢な考え方ということが

心の中では分かっているから。

 

 

 

卒業論文の提出日は近い。

新年になったあととはいえど、日数で言えば、

もう20日もないのだから。

 

頑張って卒業論文を進めると

あとなんとか600字くらいのところまで詰める事が出来た。

しかしながらそれが僕の限界ともいえるところだった。

どうしてもそこから先へは進めない。

参考文献も追加してほしいといわれたものを追加できない。

図書館が今の時期は開いていないからだ。

 

明日は去年祝ってなかった後輩の誕生日ということで

僕はこの日、遅くまで起きてスタンバイしていた。

Lineに動画をあげるのは時間がかかるけれど、

別のトーク画面に挙げたものを転送するやり方ならタイムラグは0になる。

その方法でやろうとしていたが、

慣れないことをやろうとしたことでなんと1分ずれてしまう。

 

時間ピッタリ作戦失敗。

後輩はそれでもたぶん喜んでくれたと思う。

寝た。

 

 

 

 

僕の家を舞台とした冬の合宿が始まった。

進行は一日目から困難だった。

正直早く終わらせると勇んだものの、

目標時間を過ぎてしまったし、進行資料も意味を成したのか分からない。

みんなに申し訳がない。

 

それにこの合宿中一番苦しんでいたのは

来年度もスタッフを続けるであろう、ある3回生の男である。

自分の手話が伝わらないどころか、笑いものにされる時の感覚は

恥ずかしいどころか、屈辱のようにさえ感じられる。

同じ経験をした。

だから僕は自分の手話を一度捨てたんだと、思い出される。

彼は今同じ経験をしているし、苦しんでいるのだろう。

助けてあげたかった。

助けてあげたかったが、その役目は、僕が果たすべき役割なのかは

正直微妙なところである。

 

恩情のようなものは要らないと僕なら思うだろう。

彼の心中を慮ることは今の僕にはできない。

幸い、彼自身は団体の代表経験も、女性経験もあるような人生経験豊富な男であるがゆえに

僕よりも自身を支えてくれる仲間たちは多いのではないだろうかと予想する。

きっと乗り越えてくれると今は信じるしかない。

 

ならばその原因を僕はどう除いてあげられるか。

助力の仕方が問題になるところだ。

僕は醜悪だ。

やり方によっては反感を買いかねない。

 

合宿中の力不足な僕はいつまでも治らなかった。

結局、終了予定時間を30分ほどオーバーしてしまった。

これが業務なら残業代が発生するし、他のスタッフも疲れてしまう。

消化していない議題もある。

 

そういえば代表とはなんであるかと、僕は聞き忘れていた。