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TAKASHI BLOG

移ろい行く日々の中で思ったことを心のままに描いていこうと思います
presented by takashings since May 19th 2006

meow mew

東京。
雪が降る。
しかし、いつの間にか冷たい雨に変わっていた月曜日の昼。


ここんとこ、昔の写真を眺める機会が増えた。
明らかに自分の写真は今の容姿とは変わらず、
周りの友達は明らかに年をとったなって思う。


そして、iTunesの中に落としてある音楽もたまに眺めてみる。

ランダムで再生される曲。

自分の好きなバンドは本当にたくさん解散していった。
今でも残っているバンドなんて数えるほどだ。

そのバンドのメンバーも今でも活動している人もいれば、
完全に音楽とは縁のない生活を送っている人もいる。


たまに会いたくなる。


昔ライブハウスでいろんなことを話した人たちが
そういう場所で会えなくなる現状。
音楽でつながっていた人たちは今どこにいるのだろうか。


ちょっと悲しくて、寂しく思う寒い夜。




でも、普段の生活でも同じだ。

自分とその人をつないでいるものがなくなったりしたら、
その人ともう会えなくなってしまうかもしれない。

そう思うと寂しい。

だから、思わないようにしたり、
それ以外のつながりを見出そうとする。



人と人とをつなぐためには
やっぱり何かが必要なのだ。


料理だったり、
iPhoneだったり、
漫画だったり、
音楽だったり、
はたまた仕事だったり、
趣味だったり、
もしかしたら、それが宅配便の不在票でもいいし、
感情だってなんだっていい。


人をつなぐためには何かが必要なのだ。





なんとなくだけど、
これから自分がしていく仕事とか
したいな、って思うことは
そういうなにか人と人をつなぐ"縁"とも思えるようなことを
していくのかもしれない、とかって漠然と思った。


少しでも誰かと誰かをつなぐ何かを作ったり、
何かしらのことをしたり、
もしかしたら、何もしなかったりするかもしれない。


漠然とだけど、
そういう風に思った。
思ったからなんとなくだけど、記してみた。
cloud like whale

空に鯨が浮かんでいた。
東京の空。
日曜日。

晴れのち曇り。

今日はたくさん話をした。

けっこう深い話。


個人的にはとてもいい1日になったと思う。


話すことで初めて知ったこともあれば、
再確認っていうか、確かめられたこともあった。


その中で思ったことがあった。



世の中の人達っていうのは、
変わった人を排除するような傾向があると思う。

変な癖がある人、
嗜好が人とちょっと変わっている人、
普通の人とは違っている趣味を持っている人。


そういう風に"普通"と違ったようなことっていうのは、人の目を引く。

それが良い目なのか
悪い目なのかはわからないが、
それは珍しい目で見られるわけで。


人っていうのは、そこで自分とは違う、
つまりは変わっている人っていうカテゴライズをする。
「あいつは変わっているよ…」なんて人の目を蔑む人まで出てくるでしょう。



でも、個人的に思うんだけど、
そういうなんか人間の根底のものじゃなくて、
取るに足らないことばかりで人を判断するのは違うと思うのだ。


そういうことでその人の何がわかるんだろうか。


人間っていうのは本当に難解で、
何を考えているかなんて簡単にわかりはしない。
その人の心を読み取るなんて超能力がない限り不可能なのだ。


結論的には、そういうちょっとした取るに足らないことばかりで
人を判断するのはなんか違うんじゃねぇ?って話でございます。



まあ、こんなことを言っておりますが、
自分も同様に今まで変わり者扱いされてきたわけです。

だから、こういうことを言ってもなんか変な感じかもしれないけれども、
悲しいけれども、そういう風に自分のちょっとした情報だけで
変わった人扱いをする人はそこまでの人なのだ。


そういう人たちにはそういう目でしか人を見ることしかできないのだ。



本当にその人のことを知りたいのであれば、
もっとその人のことを知ることをしなくてはいけない。
(もっとも、そこまで興味があればのことだけれども)




人は見た目じゃない。
目で入る情報が全てじゃない。
上辺だけで人を判断するな。

なんかいろいろと書いたけれども、
視覚的にハッキリと見えるものの情報だけで
すべてを語るのは良くないんじゃないのかね?


とかってことを思った日曜日。









空が青く流れていた。
Shinjuku western tower


土曜日。
東京の街。

世間は休みだ。


しかし、この春に卒業する学生にとって、最後の春休みとなっております。


今日は学校の友達とご飯を食べに行きました。

まあ、お互いの話をしたり、
ちょっと愚痴をこぼしたり、
未来に対してのことを話したり。

あっという間の時間だった。


いつの間にか時間は経っていた。



こうなりたいよな、とかってよりも、
お互いに自分自身の中にある芯を確認したような時間でした。



そりゃ未来に対しての不安はある。
確実に生きられる未来じゃないからね。


そん中でどんだけ長く自分の仕事をしていけるのか。


もしかしたら、2年後は全く違う仕事をしているかもしれない。
もしかしたら、5年後も同じ仕事をしているかもしれない。

まったく未来なんてわからないものです。




でも、思ったことは一生懸命にやること。

面倒と思ったことは後回しにできても、
そのしっぺ返しっていうか、ツケが回ってくる。

もちろん、ただただ一生懸命にやってもダメかもしれない。

だから、ちゃんと考える時間も時々入れて。


うちの内定先の会社の社長が言うには、
「仕事は楽しく、一生懸命、自分の為にしてほしい」と
会社説明会の時に言っていた。

一昨日行った会社説明会の手伝いをしに行った時にも
就職活動の学生に対して同じことを言っていた。


あまり自分自身、このことを踏まえて仕事をするって想像ができないから、
そうだよな、って頷けない部分があるよ、確かに。

仕事をまた春からすることに対して不安はあるけど、
自分自身の未熟さを踏まえての前進をすることができる、っていうのを
またできることが嬉しい。


ちゃんとまた社会に入って、いろんなことが待っている。

それだけでも十分幸せじゃないか。
仕事したいよ。

いろんなことが待っている社会がちょっとそう思うだけで
不安は緩和されて、なんとなく前向きに倒れられそうな気がした。


っていう1日の終わり。
sky and cherry blossom

もうわずか。
あと少しのことばかり。

例えば、
今の住んでいるところも
学生っていう身分も
周りの環境も。


3月は別れの季節なんだな、と改めて思う。

2年前もこんな感じで考えたっけな。

仕事を辞めてまで学生になって、
新しい仕事に就きたいって考えていたのは
本当に今から思えば、浅い考えだったと思う。

今だから言えるけど、やっぱり浅い考えで
いろんなことが予測不可能なことばかりの2年間だった。

思い描いていたものはやっぱりすぐに崩れて、
時間と焦りに追われてばかりで、
時に大切なものも見失ったり、
自分自身で答えも出せなくなったり。


ちょっとセンチメンタルになる季節はやっぱ3月。


4年前にはサンフランシスコにいた。
ちょうど今の時期ぐらい。

懐かしいな。
あれからもう4年が経ったのか。


また行きたいな、サンフランシスコ。



あれだけ嫌だった海外が少し好きになれたのも
サンフランシスコの空気があったからだと思うし、
自分を大きく変えたきっかけになったとも思う。


今までの道のりの中で無駄なものはなかった。


この2年の中でも同じだ。
何一つ不必要なものはなかった。


全てが財産だ。



そういう風に深みにいろいろと考えると、
またセンチメンタル。



今日の写真は、
3年ぐらい前に撮った(はずの)写真。

もうすぐ春だ。
これだけ東京は冷たい風が吹いているけど、
もうちょっとで桜舞う季節。
ready for sail

本日、内定先の会社説明会のお手伝いに行って来ました。

ボランティアみたいなことだったんだけど、
普段は経験できないようなことだと思って、
お手伝いしてまいりました。

去年は夏だったけど、今年は春先の内定先の会社説明会。

今年は開発職と総合職で分かれて説明会を実施したみたいです。
なので、自分としては、後輩がこの中から…と思うと、
ちょっと不思議な気持ちでした。

自分は今回、受付の担当を任され、
会場にやってきた学生の名前チェックをしていたわけですが、
気になった点をいくつか。


・ぼそぼそと名前を言う人が多かった。
・「私服で参加OK」と書いてあったためか、スーツの人が少なかった。
・説明会を聞いている態度が悪い学生が多かった。
・身なりがなっていない人が数名。(髪がぼさぼさとか)
・ひじをついて話を聞いている人がいた。
・机の上にiPhoneとイヤホンを置いている人がいた。



と、自分からしてみれば、ありえない人が何人も。

しかも、それが偏差値の高いような大学在籍者ばかり。
(ちなみに、自分の今いる学校の生徒はいなかった…)


また、質疑応答の時間に関しても、ほぼ質問をするような人はおらず。


かなり個人的にはガッカリした時間でした。
少なくとも、去年に関しては、もっと勢いのあった説明会だったはず。


会社説明会というものを客観的に見て、かなり愕然としました。

予約を入れても、何の連絡もせずに来ない学生もいるっていうことも
普通のことと人事の人から聞いたのもけっこう衝撃的だった。


この超就職氷河期と呼ばれる現代でさえ、
これまでに就職に対してのマナーであったり、
意気込みというものが感じられないものなのか。


かなり愕然。


ガキじゃないんだから、そのぐらいできるだろ?っていうことが
できていないのが普通っていう現状を目の当たりにしました。

人事の人とか本当に大変なんだな、とちょっと同情の気持ちを覚えました。




話は変わって、ここ最近ニュースで流れている
「大学入試のネット投稿・カンニング騒動」ですが、
ついに犯人の予備校生が逮捕されたようですね。

◆NewsSource
・日本経済新聞
センター試験結果に不安か 逮捕の予備校生

・毎日jp
入試ネット投稿:「合格したかった」 京大志望、試験不調


しかし、この予備校生もなぜカンニングしたのでしょうか。という事情は
この際、置いておきます。

そもそも、カンニング行為はいけないこと、
不正なことというのを本人は知っていたはずです。
おそらく、携帯電話の使用などは試験開始前に注意されるはず。


合格したかった、と本人は言っているようですが、
そんなことまでして入りたい大学ってなんでしょうか。

仮にカンニングまでして合格して何がそこにあるのでしょうか。

オレにはわかりません。

オレは実際過去に第一志望の大学に落ちました。
もちろん、悔しかったです。
だから、第二志望の大学の試験をめっちゃがんばりました。

これはオレの考えなんだけど、
大学なんて正直どこでもいいと思うんです。
勉強できる環境を選ぶものなんだと思っています。

勉強できる環境なんて人それぞれです。
そこに行って、こういうことをしたい!って思ったら行けばいい。

行きたくもない大学なんて行かなければいい。


そして、カンニングしてまで行く大学ってなんでしょうか。


不正をして勝ち取る合格とはなんでしょうか。
そこに価値というものはあるのでしょうか。
誰が得をして、誰が嬉しいのでしょうか。


メディアは煽ります。
この予備校生をこれでもか!ってぐらいに痛めつけます。
それがこの日本だからです。

だから、しばらくはこの予備校生に対して
十分過ぎるバッシングの嵐が巻き起こるでしょう。
ネットでの批判もあることでしょう。


こんな彼のことがかわいそうでしょうか。
どう思いますか?


自業自得な部分はあります。
許されないことをしたからです。
もしこれが発覚しなかったら、合格していたかもしれません。

そうなれば、他の必死で勉強してきた学生が浮かばれません。


オレはこの予備校生のしたことを許せません。
逮捕されて当然だと思います。
それは他の学生が必死で努力したものを潰そうとしたからです。
カンニングというもので他の学生が実力で勝ち取った合格を不正に奪おうとしたからです。




学生って何を学ぶのでしょうか。

自分が高校生だった頃。
自分が大学生だった頃。

こんなことは考えられませんでした。


こんな時代になったことはやっぱ悲しいです。
誰かの気持ちをこんなにも簡単に潰せるようになってきているこの時代が。