Takaoの闘うブログ

Takaoの闘うブログ

肉食獣系ドラマーTakaoが吠えますよ!ワン!

湿度は当たり前のように高く&梅雨寒もない今年の6月

 

 

 

皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

 

 

 

そんな6月9日

ボスとコジローを連れて奥日光へ馬

 

 

 

中禅寺湖を左手に見ながら走っていると鮮やかな花が!

 

 

 

それはサクラソウ科のクリンソウ

花言葉は『幸福を重ねる』ラブラブ

 

 

 

そして湯ノ湖をグルッと1周足あと足あと足あと

 

ウグイスやホトトギス

 

そしてエゾハルゼミの鳴き声

とても癒やされますなぁ

 

 

 

途中、寄り道して小学5年の日光移動教室以来の湯滝へ

 

 

滝のマイナスイオンと玉コンとユズ味噌団子ラブラブ

 

 

 

1周した後はいつもの足湯で

 

足の疲れをほぐしたのです

 

 

 

 

 

そして13日はアジサイを愛でに大平山のあじさい坂へ足あと足あと

 

 

 

 

去年と比べると花が多い感じ

 

 

 

花言葉は『移り気』や『浮気』など叫び

 

 

 

一方で『和気あいあい』や『家族』や『団らん』などの花言葉もあるのでホッと一安心わんわんラブラブ

 

 

 

今年は上まで行かなくてもいいよね!と言いながら

ついつい

あじさい坂から約1000段の足あと足あと

大平山神社まで

やっぱり登っちゃいましたヽ(^。^)丿

 

 

 

そんなご褒美に大平山3大名物を!

 

こでらんねぇぇぇえキスマーク

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで23日は霧降高原へ足あと足あと足あと

 

 

 

そこには黄色い花が!

 

 

 

そう!それはニッコウキスゲ!

 

今が時期なのをすっかり忘れてたけど

 

クリンソウの時と同じで

 

こうして見られるって嬉しいですな

花言葉は『日々新たに』

なんか胸にグッとくるなぁ

ボスも絵に描いたような笑顔

 

眼下には雲海

 

 

 

そして駐車場へ着くとあれよあれよと言う間に霧が

タイミングばっちりヽ(^。^)丿

 

 

 

そして大笹牧場へ行き

 

メンチカツと

思ったより小振りなラム肉串とソフトクリームを食べたのですキスマーク

 

 

 

 

 

 

ほんの少し日常から離れるだけで

こんなにも癒され元気になれる

 

 

 

そんなまとまりのない投稿でした(_ _)

一昨日の16日に行われた任期満了に伴う沖縄県議会議員選挙

 

 

 

結果は玉城デニー県知事を支持する県政与党(オール沖縄)が議席を4つ減らしてしまい20議席

 

 

 

自民党を中心とした県政野党が議席を4つ増やし28議席で16年ぶりに過半数を獲得してしまった

※共同通信は17日、16日に投開票された沖縄県議会選で辺野古移設に反対する勢力が過半数獲得を確実と報道したが実際の結果は異なり、誤報だったと発表した※

(NHKニュースより)

※最終的に反対24議席と容認24議席の同数となったというがこのグラフの書き方だと…※

 

 

 

 

 

 

共同通信の発表を受けてメディア各社が報道した内容(誤報)は、なんか腑に落ちないんだけど、とりあえずそれは置いといて

 

 

 

ここで大いに残念なのが今回の投票率のこと、、、

 

 

 

なんと過去最低の45.26%叫び

 

 

 

約55%の人たちが投票に行かなかったんだぜ!!!

 

 

 

ただ単に『無関心』なのか?

 

 

 

それともただただ『面倒』なのか?

 

 

 

それともいくら民意を示しても、いくら反対しても、聞く耳を持たない政府に対しての『あきらめ』なのか?

 

 

 

そんな『無関心』や『面倒』や『あきらめ』が南西諸島の軍事要塞化を加速させてしまうって想像出来ないんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

この結果を遠くの他人事だと思っている我々だってそう

 

 

 

でも切っ先は確実に我々の喉元にあると知るべきだろう

 

 

 

 

 

 

その時が来てから

いくら泣き叫んでも遅いのにね

 

 

 

 

 

 

パンドラの箱を開けたような世の中だけど

 

 

 

片隅に微かに光る『希望』を俺は強く信じている

小山のシネマロブレに映画『生きる』を観に行った3月10日

 

 

 

その時、映画の予告で流れた言葉に胸が震えた

 

 

 

それは「危ないので道を開けてください」と言う自衛隊員に対して「道はいつでも開いてるよ 平和の道を塞いだのはあんたたちじゃない」って白髪の女性の言葉

 

 

そんな三上智恵監督のドキュメンタリー映画『戦雲(イクサフム)』

 

 

 

ここでの上映は5月31日からだったので忘れないようにカレンダーに○をつけて心待ちにしていた

 

 

 

そして6月2日(日曜)ボスを連れてシネマロブレへ足あと足あと

舞台は沖縄本島、宮古島、与那国島、石垣島の南西諸島

 

 

 

国防の名の下、そこに暮らす島民の声を聞かずして進められている島の軍事要塞化

 

 

 

台湾に最も近い与那国島に2016年3月、自衛隊の駐屯地が作られ

 

2022年11月、島にタイヤ仕様の戦車が運び込まれる

 

糸数健一町長は議会にはかることなく『町長権限』だとミサイル部隊の配備を受入れ、地対空誘導弾PAC3が運び込まれることになり、与那国空港も戦闘機が使えるように滑走路が延長するための予算がついた

 

 

 

 

 

与那国島の次に自衛隊の基地計画が進んだ宮古島

 

すでに航空自衛隊の基地がある野原(ノバル)

 

その向い側に2017年11月、ミサイル基地着工

 

2019年3月、宮古島駐屯地完成

 

間もなくミサイルや火薬を保管する弾薬庫を作る計画が進む

 

島民は抵抗運動を続けるが、その数は警察を怖れて日に日に少なくなり抵抗むなしく弾薬庫を備えた保良(ボラ)訓練場は完成

 

その保良訓練場に2023年7月、射撃訓練場が作られ集落まで響き渡る銃声に抗議の声を上げる

 

 

 

 

 

石垣島はミサイル基地の予定地である4つの集落の強い反対運動により、なかなか計画は進まなかったが、ある日、住民の目を盗むように防衛局の測量が行われているのがわかり騒然となる

 

その状況に地域の若者たちが立ち上がり『石垣市住民投票を求める会』を発足、2018年に住民投票の実施を求めるため1万4千筆を超える署名を集めたが、石垣市議会はそれを否決し、市の『自治基本条例』から住民投票の条文を削除

 

2019年3月、石垣駐屯地の建設が始まる

 

2023年3月、石垣駐屯地が開設、その2日後には石垣港にミサイルも到着し、住民たちの抗議の声を聞かず、石垣島の繁華街を通り基地に運び込まれた

 

そんな石垣駐屯地の入口で「こんなこと、みなさんの本意じゃないでしょう」と自衛隊員に語り続け、冒頭の「危ないので道を開けてください」と言う自衛隊員に対して「道はいつでも開いてるよ 平和の道を塞いだのはあんたたちじゃない」と声を張ったのが『いのちと暮らしを守るオバーたちの会』会長の山里節子さん

 

映画のタイトルは山里節子さんが歌う島歌(とぅばらーま)の歌詞による

 

 

 

 

 

そんな各島々に配備されたミサイル網を統括する拠点としての運用がはじまる沖縄本島うるま市にある勝連分屯地

 

中城湾港で繰り返し行われる軍事訓練

 

沖縄市の弾薬庫建設の決定

 

那覇で実施されたミサイル飛来を想定した避難訓練

 

沖縄本島の各地が急速に軍事化へと向かっている

 

 

 

 

 

俺が2014年9月に初めて奄美大島に行った時

 

泊まった名瀬の民宿のお母さんから、奄美大島に自衛隊の駐屯地ができることを聞かされたんだ、、、

 

お母さんは「いったい奄美はどうなるんだろう、、、」そう不安を口にした

 

2019年3月、その奄美駐屯地は完成

 

今年の4月、奄美に行った時にすれ違った多くの自衛隊車輌

 

加計呂麻島へ渡る際、古仁屋港にポッカリと浮かぶ大きな潜水艦を見た時にゾワゾワって身の毛がよだったんだ

 

 

 

 

 

自衛隊の一番大事な

 

そして自衛隊にしか果たすことの出来ない任務はわたしたちの国

 

日本を防衛すること 

 

つづいて

 

政治や経済、社会のあり方を

 

ほかの誰かに強制されるのではなく

 

わたしたち自身で決めていくためには

 

わたしたちの国の独立を守らなければなりません

 

そう防衛省のHPには記されている

 

 

 

私たち自身で決めていく=国家の主権は我々人民にある=それが『民主』のはずなんだけど

 

 

 

果たしてそうだろうか?

 

 

 

議会にはかることなくミサイル部隊の配備を受入れた糸数健一与那国町長の『町長権限』は民主なのか?

 

 

 

1万4千筆を超える署名を否決し、市の『自治基本条例』から住民投票の条文を削除した石垣市議会は民主なのか?

 

 

 

政治や経済や社会のあり方を、ましてや国防さえも我々の代表であるべき政治家が他の誰か(アメリカや国内外の資本家や投資家)に忖度するのが民主なのか?

 

 

 

2020年12月、辺野古を埋立てる土砂を船に積む現場にて

 

1分でも1秒でも良いから辺野古の埋立てを遅らせることが目的とダンプの出入り口を牛歩する人たち

この声を聞くことこそ民主じゃないのか?

 

この時点で40回も訪沖して反対運動に参加している大阪のオジサンといろんな話しをした

 

 

 

現場を離れる際

オジサンと再会を約束したのに叶えられていない

それが胸に引っ掛かってる

 

 

 

その時に書いたブログ

拙いですが(_ _)

 

 

 

 

 

太平洋戦争で本土決戦に向けての時間稼ぎの場所として捨石にされた沖縄

 

 

 

国は再び南西諸島を捨石にする気なのだ

 

 

 

それに対して俺は微弱ながらも強く抗議します!!!

 

 

 

 

日本は憲法9条を遵守し!

 

 

 

我々は憲法25条に則り生存権を主張し!

 

 

 

国は憲法25条に則り国民の生活保障の義務を果たすべきである!

 

 

 

 

 

あぁ

毎度のことなんだけど思いの半分も書けていないや、、、

 

 

 

 

 

そんなこんなで映画『戦雲』が多くの人に観られますように

そして多くの人たちが他人事でないことに気づきますように

 

 

 

そんな願いを込めて(_ _)

ここにあるのは異常事態だってことを1人でも多くの日本国民が知るべきだと強く思うのです

 

 

 

ぜひ!ご覧あれ(_ _)

おひさです(_ _)

 

 

 

何だかんだと忙しく&ネタも薄くて更新出来ず叫び

 

 

 

まずは今月初め、益子の陶器市へ行き足あと足あと足あと

 

 

 

別の日、大洗にタコ釣りに行けば220㌘の小ダコなのでリリースし

 

 

 

さらに別の日、ネモフィラを見に『ひたち海浜公園』へ足あと足あと

 

 

 

 

またある日はタケノコを採ってチンジャオロースをこさえ

 

 

 

 

先々週、出張先の福島県は郡山駅前で酔っ払いながらトラベルカホーンを叩きまくったのです

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで長い前振りでしたが本題ですヽ(^。^)丿

 

 

 

26日の日曜日

軽トラのジョセフィーヌに乗っていつもの某所へGoGo馬

 

 

 

この場所は数年前までヒルの『ヒ』の字もなかったのに、今じゃ足を踏み入れるとすぐに長靴に取りつくほどヒルだらけ

なので今年は長靴の上をヒルが入れないようにガムテープで巻き&その下にはガムテープの粘着側を表に巻いて(白い所)ゴキブリホイホイならぬヤマビルホイホイに!

 

 

 

そして飽和食塩水を胸ポケットに入れて

 

いざ!

 

 

 

ウワバミソウを採り始めると、さっそく1匹のヒルがヘコヘコと長靴に取りついてきた

そんなヒルに食塩水をプシューとかけると慌てて逃げてった

 

 

 

てな訳で長靴全体に食塩水をかけると、今までなら次から次へとヒルがよじ登って来てたのにまったく寄り付きもしない

凄い効き目しっぽフリフリ

 

 

 

これで安心!と採るのに集中し

 

 

アッと言う間に終了しっぽフリフリ

 

 

 

様子を見にもう1つのポイントへ向かう馬DASH!

 

 

 

あるはあるんだけどまだまだ細い

ここで今年生まれた子ヒルが右側の長靴に取りついてきたんだけど、登れずにコロコロと落ちていった

 

 

 

左側も見てみるとやはり子ヒルがヘコヘコと『だが!』  

そんな様子をヨウツベでド~ゾキスマーク

 

 

 

なんか塩に触れて慌ててる感じがするよね

 

 

 

もうヒルなんて怖くない!!!

 

 

 

これで去年断念したチタケのポイントにも行けるぞぉわんわんクラッカー

 

 

 

 

 

そんなこんなで家に戻りインカの目覚めを収穫し

 

 

 

ウワバミソウを下処理し

 

 

 

 

この日の晩飯ド~ン!

ウワバミソウのペペロンチーノ

 

ウワバミソウのダシ醤油漬け

 

インカの目覚めの小芋甘辛味噌炒め煮

 

新タマネギのコンソメスープ

 

スーパーで買ったホタルイカ

 

題して『狩猟採集民の豊かな旬ごはん』わんわん

 

 

 

こでらんねぇぇぇえええぇぇキスマーク

 

 

 

こでらんねぇぇぇええぇぇぇぇえぇぇキスマーク

そんなウワバミソウ2024でした(_ _)

タイムラグがありますが、、、

 

 

 

奄美大島番外編ですヽ(^。^)丿

 

 

 

思い入れが強く、熱くなってしまいますがお許しを(_ _)

 

 

 

 

 

 

一村(イッソン)さんを知ったのは今から8年前

 

 

 

帰りの奄美空港の売店で1冊の本を手にした時からだ

その本がこれ!

 

 

 

表紙のソデ(内側に折り曲げてるところ)には一村さんの写真とともにこう書いてあった

 

 

 

田中一村(タナカ・イッソン)日本画家 1907年 栃木県生まれ

 

7歳で米邨(ベイソン)の号をもらい、神童と騒がれる

 

1926年、東京美術学校(現東京芸大)入学

 

同期に東山魁夷(ヒガシヤマ・カイイ)らがいた

 

だが結核を患い、父の病気も重なり、わずか3ヶ月で中退

 

1947年青龍展に入選するが、翌年川端龍子(カワバタ・リュウシ)と意見を異にし、以後中央画壇との接触を断つ

 

1958年奄美大島へ第一歩を記す

 

5年間大島紬の工場で働き、3年間は絵に専念するという生活を繰り返す

 

1977年没

 

 

 

栃木県下都賀郡(現栃木市)生まれで奄美大島で没した一村さんと、現栃木市民で奄美大島が好きな自分を重ねてしまい「これは何かしらの運命かも」って感じになってしまったのです

 

 

 

あの日以来、ことある毎に一村さんのお墓参りに行ったり

 

 

 

一村さんの企画展があれば見に行ったり

 

 

 

本物かどうかあやしい一村さんの絵をヤフオクでポチったり、、、

 

 

 

ずっと悔やんでいたのは、8年前のあの時に国道58号線で何度も『田中一村終焉の家』の看板を見ていたくせに、一村さんって誰だろうって調べもせず素通りしていたってこと

 

 

 

それから月日は流れ流れて8年振りの奄美ぃしっぽフリフリ

 

 

 

そんなこんなで名瀬にある一村さん終焉の家へ馬DASH!

 

 

 

着いたしっぽフリフリ

 

 

 

 

 

ここは御殿のようです

ここならまたいい絵がかけそうです

そう喜んでいたという一村さん

 

 

 

だけど

この家に移り住んでわずか11日後の昭和52年(1977)9月11日、夕ご飯の支度をしている時に心不全で69年の生涯を閉じた

 

 

 

実際の終焉の地はここから少し離れた国道58号線沿いの現・陸運局敷地内であり、その後、この家は現在の名瀬市有屋38-3へ移されたのです

一村さんが亡くなってからもうすぐ47年、朽ちた終焉の家、なんかポツンと取り残されてるような寂しさを感じたのでした

 

 

 

 

 

 

翌日は田中一村記念美術館へ足あと

 

ここでは一村さんの生涯で唯一中央画壇で認められた作品『白い花』を、また中央画壇と決別する切っ掛けとなった作品『秋晴れ』を見ることができて鳥肌全開

 

 

 

感動マックスのまま園内を歩く足あと

俺の中でアダンの実=一村さんなのでこれだけで涙が、、、

 

 

 

 

 

 

 

そしてそして翌日の最終日

 

 

 

朝食後に土盛海岸へ足あと

 

一村さんが愛した奄美

 

その力強い生命の輝き

 

ありがとうございました(_ _)

 

 

 

 

 

 

そして栃木に戻った翌日

 

一村さんが眠る栃木市の満福密寺へ足あと

 

 

 

これは8年前、初めての墓参り時の写真

 

朽ちた代々墓に誰かが供えた奄美のと思われる貝や珊瑚

 

 

 

なんか一村さんのすべてを物語ってるようで、これを見た瞬間ボロボロと泣いちゃったんだよね、、、

 

 

 

そして今のお墓がこれ!

たしか初めての墓参りの翌年に行ったら新しくなっててガッカリしたんだけど、千葉に住む一村さんの親族から今後のことで住職に相談があり、新しく一村さんの墓石を中心に広い場所に移されたそうな

 

 

 

今でもお墓には貝や珊瑚がお供えされていて

 

 

 

 

今回は俺も土盛海岸で拾った貝と珊瑚をお供えしたのです

 

 

 

 

 

 

 

 

熱砂の浜

アダンの写生

吾一人

生きているうちに世に認められることはなくとも後世に残る作品を描きたいと昭和33年(1958)に50歳で奄美大島に渡った一村さん

 

 

 

えかきは我儘勝手に描くところにえかきの値打ちがあるので

もし御客様の鼻息を窺って描くようになったときは

それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます

※昭和40年頃 知人への手紙より※

亡くなる4ヶ月前の一村さん(田辺周一さん撮)

 

 

 

 

 

 

千葉に住む親族が一村さんの遺骨を満福密寺に納骨した際

 

一村さんはまったくの無名であり

 

住職は遠い奄美で暮らしていた『田中孝さん(本名)』という貧しい絵描きさんとしか聞かされなかったという

 

 

 

 

 

 

その2年後の昭和54年初冬

 

奄美で遺作展が開かれ

 

その作品たちは見る人に深い感動を与え

 

遺作展の驚きと感動は次第に広がっていった

 

 

 

昭和59年暮れ

 

NHK教育テレビの日曜美術館で『黒潮の画譜』と題して放送

 

野にあって、これほどの作品を描いた一村とは何者か?

 

にわかに世間の注目を集め

 

その生き方にも関心が寄せられはじめた

 

 

 

誰よりも自分の才能を信じ

 

 

 

誰よりもその生涯を絵に捧げ

 

 

 

そして

 

 

 

誰よりも孤高に生きた画家 田中一村

 

 

 

 

 

 

その作品は日本の宝であるといって過言ではないし

 

 

 

その作品はこれからも見る人を魅了していくことだろう

 

 

 

 

 

 

ビロウとアカショウビン(昭和37年)

 

 

 

アダンの木(昭和48年頃)

そんな田中一村展が『奄美の光・魂の絵画』と題して東京都美術館にて9月19日~12月1日まで開催します!わんわん

 

 

 

もし興味がありましたらお越し下さいませ(_ _)

いきなり本題ですヽ(^。^)丿

 

 

 

先月の28日

9時20分の上映に合わせて小山のシネマロブレへ足あと

 

 

 

 

その映画は『オッペンハイマー』

第2次世界大戦時、アメリカの原子爆弾の開発プロジェクト(マンハッタン計画)を率いて世界で初めて原子爆弾の開発に成功したドイツ系ユダヤ人の理論物理学者であるJ・ロバート・オッペンハイマーの物語

 

 

 

彼は自らが作り上げた物(原爆)が広島や長崎で使われ多くの人を殺してしまったことを後悔し、戦後は核兵器の使用に懐疑的となり核軍縮を呼びかけ水爆の開発に反対の立場を取ったことにより、その後、ソ連のスパイ容疑をかけられ危険人物とされFBIによる厳しい監視下に置かれ1967年2月18日永眠(62歳)

 

 

 

2022年12月16日

米エネルギー省のグランホルム長官は、オッペンハイマーを公職から追放した1954年の処分は『偏見に基づく不公平な手続きだった』として公的に謝罪した※このことは映画で触れていない※

 

 

 

 

 

 

第2次世界大戦時、ドイツは原爆開発成功寸前であり、それを知ったアインシュタインはアメリカのルーズベルト大統領に『早急な原爆開発』を進言

 

 

 

これが切っ掛けとしてマンハッタン計画がスタートし、白羽の矢が立ち開発のリーダーを務めたのが後に『原爆の父』と呼ばれたオッペンハイマー

 

 

 

日本でも京都大学(湯川秀樹さん他)や理研(武谷三男さん他)により開発が進められてたからね、、、

 

 

 

何が言いたいかというと

 

 

 

紙一重の状態で誰が『原爆の父』になってもおかしくなかったし

 

 

 

もしアメリカよりも開発が早かったらドイツや日本がどこかに原爆を落としてたはず

 

 

 

 

 

 

その後、核兵器の使用に懐疑的となり核軍縮を呼びかけ水爆の開発に反対の立場を取ったオッペンハイマー

 

 


1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹夫妻の部屋を訪れ、夫妻の手を固く握り「自分が研究したことが原爆となって罪もない日本人を殺すことになってしまい申し訳ない」と涙をポロポロ流し謝罪したアインシュタイン

 

 

 

核抑止論に警鐘を鳴らし、核の廃絶と軍備をなくすことを繰り返し訴え続けた湯川秀樹

 

 

 

核の平和利用(俺は断固反対)に希望を持ち、原子力平和利用三原則の原型となった『公開・自主・民主』)を提唱した武谷三男

彼らに共通するものは核開発に携わった者として、それらが政治主導で進むことへの危惧だったと思うんだよね、、、

 

 

 

どうでしょう?

 

 

 

 

 

 

ずっと言い続けてることだけど、原子炉内で核分裂させるのが原発で空中で核分裂させるのが原爆である

 

 

 

つまり原発=原爆でしょ?

 

 

 

いくら『平和』って言葉をつけたって『核の平和利用』は『安全』でも『安心』でもないのはもう知ってるでしょ?

 

 

 

 

 

 

東京電力は先月26日に新潟にある柏崎刈羽原発7号機の原子炉に核燃料を入れた

 

 

 

ただ再稼働に必要な地元の同意が得られず再稼働の見込みは立っていない

 

 

 

地元の同意が得られないのはわかっていたはずなのに、どうして原子炉に核燃料を入れたのか

 

 

 

狂気の沙汰である

 

 

 

 

 

 

映画を観終わり表に出ると夏日の下で子供たちが水遊びをしてはしゃいでいた

この何気ない日常こそ『平和』であり、それを守るには我々1人1人の意識が必要だとあらためて感じた12時37分なのでした

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで映画『オッペンハイマー』おすすめですわんわんラブラブ

※ちなみにアインシュタインさんは少ーーーし、湯川さんと武谷さんは名前すら出てきませんので悪しからず(_ _)※

3日目ですヽ(^。^)丿

 

 

 

朝の天気予報

あとは昨日のような偏西風がなければ悪くないだろう

 

 

 

てな訳で宿を飛び出しGo&Go馬DASH!(4:37)

 

 

 

最終決戦の地は笠利港!(4:48)

 

常夜灯の下にはいろんな魚が集まっている

 

 

 

そんな魚を狙ってアオリイカは明かりの外側に潜んでいるのだ

 

 

 

風は昨日ほど強くないし、時合い的にもバッチリだ

なのに一向に気配を感じない、、、(5:22)

 

 

 

俺の気持ちが『殺気』となって伝わってるのかもしれない

 

 

 

そう思って他のことを考えたり

あえてなにも考えないようにする

 

 

 

そう!これは修行なのだ!と

そして!竿に違和感を感じた!!!

 

 

 

オーーーーーーーーーーーーーーーーーーンクラッカー

 

 

 

でも軽い

 

 

 

なんだと思ったら

 

小さな小さなテナガダコ(もちろんリリース)

 

 

 

がっかりした反面、やる気になった

 

 

 

足あと

 

 

 

朽ちた船に老兵を感じるセンチメンタルな僕

 

 

 

 

そして!

時は今 時は今とて 時過ぎて   

 

 

 

チーーーーーーーーーーーーーーン(6:35)

 

 

 

 

ありがとうございました(_ _)

 

 

 

 

 

 

 

宿へ戻り朝飯を食べ

 

 

 

食後に土盛海岸を徘徊し足あと

 

 

 

 

 

空港の売店でボスへの上納品『ミキ』を買い

 

 

 

いよいよ別れの時

ありがとう!

 

 

 

加計呂麻島!

 

 

 

ありがとう!

 

 

 

奄美大島!

また500円貯金からはじめて再びリベンジだ!!!

 

 

 

また会おう!

 

 

 

アミーゴ!

 

 

 

 

 

おしまい(_ _)

2日目ですヽ(^。^)丿

 

 

 

草木も眠った3時過ぎ時計

宿を出て真っ暗な道を進む馬DASH!

 

 

 

宿のマスターに聞いたところアオリイカは大島海峡(奄美大島と加計呂麻島の間)が良いとのことなので、まずはフェリーが発着する瀬相港側を目指す馬DASH!

島の約95%が山林の加計呂麻島

 

 

 

そんな山林を切り通した暗い道を走っていると、沖縄諸島の妖怪キジムナーが出てきそう、、、

 

 

 

きぃぇえぇぇ!何かが動いたぁぁぁぁぁぁ!とビビったら大きなリュウキュウイノシシでしたぶーぶー

 

 

 

てな訳で瀬相港の突き当りを左に曲がり三浦方面へ

 

 

 

そのまま三浦を通り過ぎ、行き止まりの実久(サネク)まで行ってUターン馬あせる

 

 

 

そして再び三浦まで戻り!

 

 

 

ようやくイカ釣りスターティンしっぽフリフリ(5:07)

ピョロロロロロ ピョロロロロロと良く響く聞いたことない鳴き声が正面の山からだけではなく、すぐ真後ろから聞こえる

 

 

 

なんだ? なんだ? なんだ?とエギを投げる

 

 

 

だんだん明るくなってきた(5:21)

すると鳥たちが朝の訪れを待ってました!とばかりに鳴きだした

 

 

 

その時の様子をヨウツベで!

ヨウツベ内の説明で書いたんだけど、ピョロロロロロの正体はアカショウビン

 

 

 

ポッポッポッはリュウキュウコノハズク

 

 

 

その他、いろんな鳥たちの鳴き声がまるで島全体を包んでいるかのよう

 

 

 

とても素敵な朝だ!

 

 

 

これでアオリイカが釣れればもっと素敵な朝になるだろう

 

 

 

生まれたての太陽が俺にパワーを!!!

しかし チーーーーーーーーーーーーーーン

 

 

 

次にGoGo馬DASH!

 

 

 

 

着いたは知之浦しっぽフリフリ

 

 

 

相撲の土俵と鎮守さまの鳥居(_ _)

奄美地方には相撲が深く根づいているのがわかりますなぁ

 

 

 

足あと

 

 

 

今回、加計呂麻島で初めて見るアオリイカの墨の跡!

それは誰かがここでアオリイカを釣った証し!

 

 

 

イケイケ!!!

だけど チーーーーーーーーーーーーーーン

 

 

 

その後も移動を繰り返すが

 

 

アオリイカの反応は皆無で、、、

 

 

 

瀬相港の『いっちゃむん市場』でパッションフルーツのソフトクリームを食べる

こでらんねぇぇぇえええぇぇキスマークラブラブ

 

 

 

そして11時発の古仁屋港行きのフェリーで加計呂麻島をあとに

🚢DASH!

 

 

 

古仁屋に着き再びAコープへ足あと

 

 

 

ここには売るほどアオリイカがいるのにね、、、

 

 

 

お昼に食べたAコープのカツ丼は涙の味がしたとですしょぼん

こでらんねラブラブ

 

 

 

 

 

 

長くなるけどもう少しお付き合いを(_ _)汗

 

 

 

 

 

 

奄美のメイン道路である国道58号線をGoGo馬DASH!

 

 

 

マングローブの森を通り過ぎ馬

 

 

 

笠利町にある『田中一村記念美術館』へ足あと

これも番外編で書きますね(_ _)

 

 

 

馬DASH!

 

 

 

そして宿に荷物をおろしてラン&ガン

 

 

 

笠利港

 

 

 

屋仁港

 

 

 

喜瀬港

この日は17時25分が満潮で夕まずめと重なって最高のタイミングだったんだけど、偏西風の強いヅラ飛ばしでチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン

 

 

 

 

 

 

いよいよ明日は最終日

 

 

 

潮は中潮で満潮は5時49分

 

 

 

悪くないだろう

そんなこんなで美味しい地魚とビールで前祝いして、奄美大島の夜は更けていったのです半月

 

 

 

 

 

 

3日目!最終日に!

 

 

 

つづく(_ _)

まずこの話しの始まりは2ヶ月前に遡る時計

 

 

 

約3年じっくりと貯めた10万円貯金箱

時間をかけた割に満タンではないけど仕方ない、、、

 

 

 

1まぁぁあぁぁい 

2まぁぁぁあぁぁぁぁぁぃ

 

 

 

と数えると全部で7万5千円也!

よし! これなら行ける!!!

 

 

 

ハマグリの編で使ってしまったけど、再び(_ _)

 

 

 

時は天正10年(1582)

 

 

 

かの明智光秀さんが主君の信長さんを討つ数日前に詠んだ句

 

 

 

ときは今 あめが下(シタ)しる 五月哉(サツキカナ)

 

 

 

時は移り令和6年(2024)俺は詠む

 

 

 

ときは今 アオリ釣れてる 奄美かな

 

 

 

てな訳で4月19日!GoGoヒヨコDASH!

 

 

 

8年振りの奄美大島だぁしっぽフリフリ

 

 

 

そしてレンタカーでGoGo馬DASH!

 

 

 

今回の目的の1つである田中一村さん終焉の家

これは番外編で書こうと思います(_ _)

 

 

 

馬DASH!

 

 

 

 

今回狙うのは8年前のリベンジでこのアオリイカ(ミズイカ)

※古仁屋港のAコープにて※

 

 

 

往復の乗船券を買い

 

 

 

 

初の加計呂麻島に上陸ですしっぽフリフリ

 

 

 

馬DASH!DASH!DASH!

 

 

 

集落の入口ではこんな絵に描いたようなユリや

 

 

 

樹齢何百年なんだろう?

ガジュマルがお出迎え

 

 

 

小さな港へ行くとオジサンがのんびりと釣りを

俺「何が釣れるんですか?」

 

 

オ「おぉメジナだよメジナ」

 

 

 

とビニール袋に入った魚を見せてくれたんだけど、それはどこをどう見てもオオモンハタ

 

 

 

いろんな意味で面白かったので話しをしながらオジサン観察

 

 

 

まずリール用の竿に釣り糸ではない赤い糸を結んでいて、ウキはつけてるんだけどオモリとのバランスなんかお構いなしでウキは横を向きっぱなし、、、

 

 

 

先ほど見せてくれたオジサンいわく『メジナ』は夏日なのに氷もなくビニール袋で地べた

 

 

 

ある意味凄い!

 

 

 

ある意味で野生だ!!!

 

 

 

横に目をやるとアカウミガメ

 

 

 

 

そんな野生のオジサンとアカウミガメ

 

 

 

そんなこんなでオジサン観察は程々にイカ釣りスターティン!(16:05)

 

 

 

 

 

そしてだんだん黄昏れてくる

 

チーーーーーーーーーーーン

 

 

 

 

 

 

足あと

宿へ帰りお風呂に入り

 

 

 

古仁屋で買った海鮮巻きとカップラーメンとビールを飲んで

明日のためにとっととオネムとなりましたぐぅぐぅ

 

 

 

 

 

 

2日目に!

 

 

 

つづく(_ _)

つづきですヽ(^。^)丿          

 

 

 

箱入り息子のコジローがめずらしく先頭に足あと足あと足あと

 

 

 

 

そしてミツマタの小径へ(13:33)

 

 

 

グググ~っと下る足あと足あと足あと

 

 

 

グググググ~っと下っていくと足あと足あと足あと

 

 

 

ようやく森の妖精がお出迎え!(13:44)

それは中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされるミツマタ

 

 

 

そんなミツマタのアップ!

う~ん愛らしいドキドキ

 

 

 

森の妖精とボスの妖精

 

 

 

 

森の妖精を食べようとする俺(もちろん食べません)

※ちなみに花を含め全体が毒※

 

 

 

時期的に少し遅いらしいけど

ずっと会いたかったから満足満足

 

 

 

今いる場所が第2群生地で、第1群生地はさらに下らないとならない

 

 

 

俺「ボス!どげんしよ?」

 

 

ボ「聞くまでもなか!」

 

 

 

てな訳で第1群生地を目指す足あと足あと足あと

 

 

 

そして第1群生地着しっぽフリフリ(13:57)

ここからグルッと1周634mの遊歩道へ!

 

 

 

凄い!!!

 

 

 

 

 

 

この焼森山のミツマタは、戦時中に紙不足を危惧した地元の人たちが紙の原料にするために植えたのが始まりだとされている

戦後、その存在が忘れられていたミツマタが再び発見されたのは、なんと!半世紀以上経った平成17年(2005)に地元の茂木中学校建設に使う木材を伐り出した時なんだって

 

 

 

そして、木を伐り出したことにより山に光が入るようになり、ここ焼森山のミツマタは一気に数を増やしたそうな

そんな、人の手が入ったことにより甦ったミツマタ

 

 

 

これが日本の宝である『里山』のあるべき姿なんだと強く!強く!思わざるを得ませんわんわん

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで戻りましょう足あと足あと足あと(14:26)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻ったどぉしっぽフリフリ(15:16)

 

 

 

歩行距離7.5キロ足あと

 

 

 

歩行時間は休憩を入れて3時間48分時計

 

 

 

ボスもコジローもお疲れちゃんでした(_ _)

 

 

 

そんな軌跡をヨウツベで!

ありがとう!鶏足山!

 

 

ありがとう!焼森山!

『Takao's 日本ナペンダ・ハパ低山』の5座目に登録決定わんわんラブラブ

 

 

 

 

 

おしまい(_ _)