そんなこんなでボッチで信濃路!
いろんな時代をブラタカオ!
いよいよフィナーレとなりました(/・ω・)/
まずは糸静線の断層上を走る電車に鉄チャンではないが萌え

途中、方向を変え諏訪湖の赤砂崎公園に寄ってみる

肉眼では何とか見えるんだけど、、、、
1番高い建物の右側に見えるはマウント富士
ミエルカナ?

縄文海進(温暖化による海面上昇)により海側にいた縄文人が断層によって出来た谷に沿って内陸の諏訪まで歩いてきた道
何回かブログで書いてるけど、俺が住んでる栃木県にも海が入りこんでいた縄文前期(7,000~5,500年前くらい)
これは寒冷化・温暖化を繰り返す地球の大きなサイクルの1つなので「地球温暖化で大変だぁああぁぁぁぁ」と騒いでる人たちやそれにかこつけて「持続可能で環境に優しいエネルギーだぁ!」とか言いながら自然を壊して金儲けをしてる連中は何なんだろうと思うのです
さて!この話をすると長くなるので大本命へ向かって


そして着いたは魁塚(サキガケヅカ)!!!

おぉ、、、感極まりますな、、、

この魁塚とは何ぞやを簡潔に記した案内版!

史跡 魁塚(相楽塚)
薩摩藩の西郷隆盛の指示で武力倒幕のための兵を集め下準備をして、維新政府軍の先駆けとして活躍した人物に相楽総三と同志がいます
新政府になれば年貢が半減になるという旗印を掲げ、中山道を東へと兵を進めましたが、その途中に新政府軍から偽官軍の汚名を着せられてこの地で処刑されました
一八六八年(慶応四)三月三日のことでした
魁塚には相楽総三と七人の赤報隊幹部、道中で命を落とした隊員四人、相楽と親交があった諏訪高島藩士の石城東山(一作)をまつっています
新政府軍に裏切られ汚名を着せられ、処刑された相楽と同志の最後はいたましいものがあります
その後、名誉回復がされましたが、その半世紀も前にかつての相楽の同士と地元の人たちは魁塚を建立し、それ以来、毎年命日に慰霊祭を開催してきております
相楽会とある
まずは、この地で斬首された赤報隊の隊長である相楽総三さんとその幹部7人の墓に(_ _)

そして墓前にどうしてもお供えしたかった1冊の本がある
それが昭和15年3月から同16年7月まで雑誌『大衆文芸』で連載された長谷川伸さんの『相楽総三とその同志』


この本の自序にこう記されてある
相楽総三という明治維新の志士で、誤って賊名のもとに死刑に処された関東勤皇浪士と、その同志であり又は同志であったことのある人々のために、十有三年間、乏しき力を不断に注いで、ここまで漕ぎつけたこの一冊を、「紙の記念碑」といい、「筆の香華(コウゲ)」と私はいっている
約600ページのこの本は長谷川伸さんが心血を注いだことがわかる相楽さんとその同志たちの記録であり、この本を手にしたきっかけは、俺のご先祖様の隣近所に国学者で志士の権田直助さんがいて、その権田さんが相楽さんと深く関わっていたからなのだ!
まぁ権田さんのことはあらためて書くと収集つかなくなるので以前かいたブログをよろしければ⇩(_ _)⇩
ブラタカオ 大山詣り番外編 権田さんとご先祖様と私
https://ameblo.jp/takao-fish/entry-12820632538.html
赤報隊戦死者4人の碑(_ _)

そして諏訪高島藩士の石城東山さんの碑(_ _)

魁塚の碑(_ _)


昭和三年の秋、大典が行われ正五位を相楽総三に賜り、従五位を渋谷総司に賜り、共に国家による栄誉を賜る
内容は、維新のはじめ、倒幕の魁となったものである
とある
この栄誉には相楽さんの孫である木村亀太郎さんの存在が!
ある日、亀太郎少年(13歳頃)が仏壇の掃除をしていると妙な包みが出てきたので中身を確認すると固まった一握りの髪の毛があった
ひと目でそれが血で固まった男の髻(モトドリ・髪を頭上で束ねたもの)だとわかり、どうしてこういうものが仏壇に安置されているのかを母親に聞いてみたところ「お前の祖父は小島四郎将満といった人で変名を相楽総三といい、信州下諏訪という所で賊をはたらいた偽勅使という汚名を着せられて殺された。この髻はその祖父のもので、血は祖父の怨みの血だ!」と聞かされる
それから7、8年経った大正元年(1912)宮内省で働いていた亀太郎さんは下諏訪を訪れ、祖父が処刑された場所に魁塚が建立され偲ばれていることに感激し、これを機に祖父の雪辱を果たすことを誓い、関係文章を集め、当時を知る人たちに話を聞くなどの活動をはじめる
それらの資料をもとに大正7年(1918)と大正13年(1924)に御贈位(ゴゾウイ・名誉回復)の請願書を提出したが採択されなかった
が
亀太郎さんの粘り強い努力が周りの人たちを動かし、昭和3年(1928)新たな請願書を下諏訪町長ととも長野県庁へ提出し、同年11月1日に166名の御贈位が発表され、その中に赤報隊の相楽総三さんと渋谷総司さんの2人の名前が!
これにより、強盗無頼の党と誤伝されてきた江戸薩邸浪士隊を含む相良さんの党から落合源一郎さん、権田直助さん、長谷川鉄之進さん、竹内啓(ヒラク)さん、小川香魚さん、西山謙之助さん、松田正雄さんのトータル9人の贈位者を出したことになる!!!
これで祖父の雪辱は果たせた亀太郎さんだが、亀太郎さんが思う真の雪辱は果たせないまま亀太郎さん亡き今も、、、
それは!
薩邸焼討戦闘で戦死した人たち
野州栃木戦争、出流岩船(イズルイワフネ)戦争で戦死、自死、刑死した人たち
小田原で戦死した人たち
八王子荻野山中で戦死した人たち
信州追分、上州坂本で戦死、自死、刑死した人たち
国を思い、国を憂い、死んでいった多くの関東勤皇浪士たちがその名前もその存在さえも忘れさられてしまうってこと
切ないですな、、、
そんなこんなで今回もまた思いの半分も言葉に出来ず、中途半端感がぬぐえないけど、これにて『ボッチで信濃路!いろんな時代をブラタカオ! 』は終わりとなります(_ _)
最後の最後に

我々1人1人は小さな点であるかもしれないけど、たくさんのご先祖さまによって今の我々があることを考えるとそれは太い線であり、我々1人1人は小さな点であるかもしれないが、長い歴史の中で考えるといろんな線と複雑に繋がっているってこと
ん~
ちょっと我ながら何言ってるかわかんないや
そんなわけで!
終劇(_ _)オツキアイアリガトゴザイマシタ