演奏会からちょっと時間が経ちすぎたかもしれないが、強烈なインパクトがあった演奏会なので感想を残しておきたい。
日時: 10月21日(日)
場所: 川口リリアホール
演目: 「だったん人の踊り」、「だったん人の娘たちの踊り」、「くるみ割り人形」より抜粋、ショスタコーヴィチ交響曲11番「1905年」
指揮: 田部井剛
実は演奏会を聴くために埼玉県まで行ったのは生まれて初めて。でも川口駅は私から見て赤羽の隣りの駅であり意外に近く、横浜方面に行くより便利なことが分かった。ホールはほぼ駅と直結しており便利だ。会場に入ってみると舞台の横幅が広く東京フォーラムの会場のようであり、少しばかり音響が心配になったが、実際の音響は良好だったと思う。
この日この演奏会を選んだのは、第一に、先般ポロニアフィルを見事に鳴らした指揮者目当て。第二に5番以外はきちんと聴いたことの無いショスタコーヴィチの交響曲を体験してみたかったからだ。
「だったん人」の二曲では、期待した通り指揮が隅々まで行き届いていて、やはり好きな指揮者だなと思った。しかし「くるみ割り人形」は組曲に入れられていない曲になると途端に眠くなって一時居眠りし、花のワルツではっと目が覚めた。「白鳥」にせよ「眠れる森」にせよ、全曲版を聴くと私はそうなってしまうのだから、演奏が悪かったわけではないと思う。
ショスタコの11番、プログラムによると「血の日曜日事件」を題材にした標題音楽であり、数々の労働歌が使われていると書かれていて、そのうえ予想演奏時間75分! それならきっと退屈するのではないかと心配になったが、聴いてみるととんでもなかった。緊張感が途切れることは無く、特に終楽章は激しい闘争の描写が延々と続く感じで圧倒された。この楽章は「警鐘」という表題が付けられているけど、聴いている限り徹頭徹尾恐ろしい戦いが繰り広げられているようであり、それも厭と言うほど延々と続けられた。であるから、これは反戦キャンペーンに使える曲ではないか。そうであれば、敵対するメガ大国のトップオーケストラがハイレゾのインターネット中継をして世界に流し、5分くらいずつ交代の演奏で恐ろしさを競ったら効くのではないか、などという、いささか脱線した想いも浮かべつつ聴いたのだった。いやはや凄かった。前半のステージからして、こういうド迫力の演奏会になるとは全く想像できなかった。演奏者の力量に感服!
1957年に初演されたとはいえども現代音楽っぽくなかったのは社会主義リアリズムのおかげか。思いがけずこれだけの体験をすることができて幸運だった。
因みに楽団名のザッツは"That's"ではなく"Satz"。 ドイツ語で文とか文章を表す単語だけども、楽章という意味もあるからこちらのつもりの命名だろう。HPによると駒場高校卒業生が母体のようであり、次回定期は来年10月20日、演目はまだ未定とのこと。
副題: 東京1964/2020
とてもとても面白い本だった。私はこの著者を「菊とバット」、「イチロー革命」などの日米プロ野球の違いに着目した、スポーツ分野の書き手なのかと思っていたのだけど、実際は「東京アンダーワールド」という闇世界をリポートするなど、一歩どころか何歩も日本の実態に踏み込んだ記事を書く、独特の視点の持ち主だということを知った。
表題・副題に拘らず、本書の内容はアメリカの小さな町で生まれてから現在に至るまでの、著者のざあっとした自伝とも言えるものであるが、その大部分を占めてメインとなるのは、若くして府中のアメリカ軍基地に赴任し共産勢力を相手とする諜報戦に携わりながら、東京での生活にどっぷり浸かって行き、当初は在日アメリカ軍の一員として、そして除隊後は英語教師をしながら、戦後間もない東京とその後の変化に立ち会って目にした、私から見ると驚天動地の体験の物語だった。
私がさえない少年時代を過ごしていた東京に於いて、実はこんなことが起きていたのだ、とびっくりすることが実に次から次へと書かれていて、読み始めるとなかなか止められないくらい引き込まれた本だ。
そうは言っても何が面白かったのか全く伝わらないだろうから、面白いと思ったトピックを幾つか挙げてみる。
・府中の米軍基地が携わっていたU2偵察機の情報と偵察戦の実態
・米軍の同僚から得た戦後間もない焼け跡の東京での生々しい実態
・A級戦犯をアメリカに協力するという契約のうえ開放した話
・子供用書籍に「力道山物語」という美談を描かれたほどの男の無軌道な暴れぶり
・赤坂・六本木辺りにあった数多の高級ナイトクラブの裏話
訳者あとがきまで入れると全590ページ。原文英語のセンテンスの長さを踏襲したように一つひとつの訳文が長く、読み易い日本語というわけではなかったし、話題が著者の想いに沿って何度も前後する。中には客観的に見て現実と思いえない数字も出てきた。しかし、そんなことが気にならなくなるくらい夢中になって読んだ。
終盤に現在の生活について書かれており、我が家の近くにお住まいと分かった。そのうち岸辺をジョギングするご夫妻を見掛けることが出来るかもしれない。
10月20日(土)、大田区民ホール・アプリコにて
曲目: メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」、「イタリア」
ドボルザーク 第8番
指揮: 小林幸人
ここのところ「フィンガル」や「スコットランド」の演奏を聴いて感銘を受けているので、この日の数ある演奏会の中から「イタリア」を取り上げているこの会を選び聴きに行った。
「ルイ・ブラス」はたぶん初めて耳にする曲で、良さそうな曲だったが、私なりに噛み砕けないまま終わってしまった。
「イタリア」が始まるとふわーーんと会場の雰囲気が変わり、前の曲が醸し出していたドイツ的雰囲気が一掃された。この転換はとてもとても印象的であり、イタリアという曲名のせいもあるけど、地中海を連想してしまい、イタリアの地に旅行しているかのようにうきうきしてきたのだった。大袈裟な、と言われるだろうけれども、舞台の背面の壁(柱が4本あるように見えなくもない壁だった)が地中海を見渡せるバルコニーのように思えて来て、我ながら戸惑った。茶色い木目の壁の下半分が海のように碧く見えるような気がして不思議に思った。
しかし苦手にしている第二楽章が始まるとうつらうつらが始まり、その後は集中力を欠く聴き手となってしまった。こんな調子ではメインステージはどうなるのだろう。
しかしドボ8は演奏会で聴くと実に楽しめる曲であり、民族舞踊曲や民謡を繋ぎ合わせた曲のようでもあるのにグイグイと演奏に引き込まれて最後までたっぷり楽しませていただいた。やはり大作曲家、ということなのだろう。
たまに(5回前後?)何か音が抜けたように主役不在の場面があったように感じたけれども、繰り返し繰り返し聴くほど好きでもなかった曲なので、その部分が本来ならどんな曲なのか分からず、よって何が起こったのかも分からない。あの楽器かなと思って見てみても「失敗したー!」という顔をしていた人は居なかったので、誰も音を出し損なっていなかったのかもしれない。
このオケを聴くのは今回が2回目。前回書いた感想を読み返してみたら、今回同様ラストステージに感銘を受けて会場をあとにしていた。安定していて素晴らしいことだと思う。次回は3月30日、ベートーベンの8とブラームスの1を演奏する予定だそうだ。
炭素14年代測定法の精度が上がった結果、従来弥生時代の始まりは紀元前5世紀と考えられていたものが500年さかのぼって前10世紀であるとする研究結果が発表された。2003年のことだった。この本では前書きでこの出来事と炭素14年代測定法の原理・並びにその測定法の精度向上がどのようになされたかを説明しており、本文は(新しい区分での)弥生時代の前から説明し始めて古墳時代の始まりまでカバーしている。前書きにも書いてあった通り、この本は新しい区分に基づく弥生時代の通史だった。
古代史の論争を意識し慎重な書きぶりであり、私のような「ちょっと興味があって読んでみたくなった」者には手堅すぎる本だった。弥生時代の各時期を代表する遺跡の名前が次々出てくるが、私はグーグルマップで検索して場所を特定しながら読まなければならなかった。(それでも各遺跡の名前はすぐ思い出せなくなった。)
それでも当然のことながら、今まで思っていたのとは違う弥生時代の姿が提示されていて、勉強になった。上手くまとめて提示することは出来ないので、以下箇条書きに書き出してみる。
・ひと昔前まで時代の指標はその時代の土器の形式で決められていたが、弥生式土器と土師器の使い分けがうまく処理できなくなったので、今では水田耕作をしていたかどうかで弥生時代か否かを区別している。
・東北北部ではかなり早い時代に水田耕作が始まったと認められるのだが、300年ほどするとそれを止めてしまった。
・時代の変遷に伴い出土する遺物は変わっていくのだが、それを検討すると、北九州における鉄製品の出土に先端性が見られるのに、近畿域においてはそうなっておらず、古墳時代の中心となる道筋は「まつりごと」が重要だったようだ。
・水田耕作、金属器の伝搬普及、墳墓の変遷など、弥生・古墳時代を考察するに当たっては、朝鮮半島や古代中国の歴史情勢や遺跡の検討が当然のように求められる。
他にも多々勉強になる点があったが、全部は覚えられなかったのでこの辺で。
10月8日、みなとみらい 大ホールにて
演目: 「メリー・ウィドウからワルツ、エニグマ変奏曲、幻想交響曲
この日は同じ無料の演奏会で「スコットランド」を演奏する会もあり、最後まで悩んだ末、しかし大体においては一週間ほど前から決めていたこちらの演奏会へ。こちらの難点は我が家から遠くて交通費もばかにならないことだったが、他のアマオケで見事な統率ぶりを披露して頂いた指揮者佐々木新平氏を追い掛けたい気持ちと、その「幻想」の演奏を聴いてみたい気持ちが最終的に勝って横浜へ。
メリー・ウィドウのワルツはあの甘美なワルツの旋律を聴けばもうそれで有頂天、という程のポピュラーな曲だけれども、何だかこじんまりとして、あまり乗れていない演奏に聞こえた。今から思うとあの大きなホールでの演奏に戸惑っていたのかなあ。特に木管が目立たないと思った。入場時に頂いた指定券の席が一階の最後部に近かったから余計そう感じたのかもしれない。残響が少なめのホールなのだろう。逆に考えると、このホールだったら「一千人の交響曲」などちょいと騒々しいのを聴くのに丁度良いかも。
「エニグマ」は強音になると「ああ、こういう響きの時代の曲だったんだ。」とすっきりするけど、弱音で繊細な部分は私にとって相変わらず「謎」の曲だった。どんな曲なのか、大体のところが分かって聴けば演奏の良さが分かる曲なのだと思うけれど、普段これを繰り返し聴く?、となると答えは否であるから、今後も楽しめる曲になりそうもない。
メインステージの「幻想」。序奏が終わる辺りから私は演奏に没入できるようになり、最後まで十分楽しませていただいた。テンポや音の強弱に強くメリハリを付ける指揮ぶりだったと思う。演奏できないただの素人が何を言うか、と思われても仕方ないと思いながらも、私はこんなことを思っている。それは「幻想」とかマーラーの交響曲とか、アマチュアには荷が重いと思われる曲を半年なり一年なり一生懸命練習して来ると、演奏会では成功を収める。この辺りまでアマチュアオーケストラのレベルは来ているのではないか、ということを。(そうなのだが、古典派のをやると意外にぴりっとしないことが多い。)
この前日の演奏会でもそうだったのだが、この日も客席に「ブラボー屋」は居なかったようで、「幻想」が極大の盛り上がりで見事に終わったけどブラボーの嵐は無かった。普段嫌っているあの無差別ぶらぼーではあるが、自分が「やったね」と思った演奏にブラボーが無ければ無いで拍子抜けする。しかし自分から声を上げるかとなると、うじうじしてしまうのでした。ただただ拍手を強くしたのみ。
PS....プログラムにはどういうバックグランドの人が集まった楽団なのか書かれていなかったが、後日twitterにより専修・神奈川・横浜国立・横浜市立の4大学の卒業生が中心となって設立した楽団と分かりました。
例により演目、場所、入場料を参考に行きたい演奏会を絞り、本日はめぐろパーシモンホールへ。
演奏: 田部井剛指揮、Paulownia Philharmonic Orchestra
演奏曲目:
・フィンガルの洞窟
・未完成
・運命
どの曲もパート同士のバランスが良く、またしっかりした演奏であり、実に良い音楽に浸れた演奏会だった。未完成の第二楽章は私の苦手とする音楽であり、ここではついウトウトしてしまったけれども、他はどの部分も音楽が生き生きしていた。今日は10月としては記録的に暑い日であり、家を出るまでは「こんな暑いのなら行くのを止めようかな」と思わないでもなかったのだけども、演奏を聴き終えると、来て本当に良かったと思った。「フィンガル」は本当によく出来た曲だ。未完成の第一楽章ではシューベルトの抒情性が胸に迫ってきた。「運命」は私がこれまで聴いてきた中で一番気に入った演奏。いつもであれば騒々しく感じる第4楽章であっても、こういう演奏で聴けるのなら良さを納得できる。若い奏者の皆さんは良い指揮者に恵まれて幸せだ。きっとこの演奏会に至るまで充実した音楽生活を送られたことと思う。
レベルの高い当地のアマオケ界には数多の星が輝いているけれども、そこに新星が誕生したのでは!
ポロニアという楽団の名前は「桐」を意味していて、母体となった桐蔭学園高校の桐から取ったとのこと。その卒業生が進学先などでのつながりをもとに構成した楽団、とプログラムに紹介してあった。
第二回定期は来年秋、同じ指揮者でマイスタージンガー第一幕前奏曲、マ・メール・ロワ、ブラームス2番をやるそうだ。
9月30日(日)、東京文化会館大ホールにて
曲目: マーラー 7番
確かi-Amabileによる演奏会告知ページを見て、えっ、今でも往復はがきによる申込・抽選という方法で定期演奏会を無料でやってるんだ、と驚かされた。と言うのも今から40~50年前に何回かこの方式で同じ招待状を頂き、聴きに行ったことがあるからだ。この楽団、1948年に創立され、1961年、東京文化会館が開館すると同館の事業課が運営に当たってきたが、1999年にその支援を離れ自主運営団体になったそうである。その関係でこういう恵まれたホールで演奏でき、練習の一部をここの施設でできるんだ、と改めて納得。
今回の演奏を聴いてとても満足したから告白できるのであるが、40年以上前にここの招待演奏会を聴かせていただいた時、演奏は如何にもアマチュアであり楽しめるものではなかった。アマチュアでは無理なんだな、と感じ、それでアマチュアオーケストラを(その後何十年も)聴きに行かなくなった。そういうきっかけを私にもたらした楽団だったのである。近年アマオケの演奏をたくさん聴いてきて想像は出来ていたのだが、実際に聴いてみると、いやはや!、やはりレベルの高い演奏でした。
それにしてもマーラーはいいですねー。
当選したはがきをチケットに替えてもらったら、指定された座席は何と!最前列だった。戸惑ったが只の演奏会なのだから仕方ない。マーラーを演奏するオケは舞台いっぱいに溢れんばかりであり、(あり得ないが)もしも一番客席側の奏者が居眠りでもしてバランスを崩したら私の方に落ちてくるんじゃないか、と思うくらいのかぶりつき席だった。こんな席で全体の響きを楽しめるのだろうかと心配にもなった。しかしそこはさすがの音楽専用ホール、目の前のバイオリンが良く聴こえるのは当然としても、他の楽器も良く聞こえて楽しめた。もしかするとこの席で聞こえる響きは指揮者の耳に入る響きに近いのかもしれない。私は大概において少し離れた客席で聴くので、弦楽が金管の咆哮に消されてしまう現象に悩まされることが多い。指揮者もリハーサルの時に客席でバランスを確かめているけれども、もっと後方の席で試したらどうだろうか。
最前列席に座ってがっかりしたことは、もっとも客席側の奏者しか見えないこと。「あー、この楽器、いい演奏しているなー」と思っても演奏しているお姿は見えないのだった。マンドリンの音が聞こえて来ても、どんな表情をしながらどんな姿勢で弾いているのか見えなかった。(代わりに出を待つ拍をカウントする指折りだけが見えて緊張が伝わってきた。)
逆に、この席だからこそしっかりと目撃出来たのは、弦の切れた?楽器を後方に送るリレー。最近テレビの音楽番組で紹介はされていたのだが、初めて目にするその光景に息を呑んだ。
火山学・地球科学・科学教育の専門家である著者による、今後起きると予想される大地震、火山の巨大噴火を警告し、人々に日頃からの準備を訴える書だった。
著者は研究の発表を通して大災害の起きる可能性を公にしてきたつもりだったが、実際に災害が起きると、自分の警告が一般人に伝わっていなかったと痛感せざるを得なかった。そこで如何にしたら広く伝えることが出来るのかを研究する道に進んだという。
東日本大震災の発生を契機に、日本の地盤は1000年ぶりの「大地変動の時代」に入ったのであり、その後各地に直下型地震と火山活動の活発化をもたらしていると書いてある。
地球科学的な時間の捉え方で言うと、南海トラフ巨大地震、首都圏直下型大地震、富士山の噴火などはいつ起きてもおかしくないそうである。ただしこれが数年内なのか数十年内なのか、もっと長い期間なのかがはっきりしない。しかし専門的に考えるととっくに満期の過ぎた定期預金のようなものだそうである。
29000年ほど前に鹿児島湾で起きた姶良カルデラ噴火があるが、これと同規模のカルデラ噴火が阿蘇で起きれば時速100㎞の火砕流が九州を駆け巡り、ウン百万人が最悪の場合犠牲になる、というのを読むと、恐ろしくなって読み進むことが出来なくなってしまった。もちろん予兆を察知することにより犠牲者の数は大幅に減らせるそうではあるけれど、その時になって果たして何割が危機を肌身で感じ逃げ出すのだろうか。著者によると、危機を感じた人が率先して逃げ出すことが大事なようである。
昨日はティアラこうとうで標記演奏会を聴いた。
曲目はレオノーレ3番、ブラームス・バイオリン協奏曲、シューマン2番
今回は曲目でなく指揮者で行くことを決めた。佐々木新平氏は7月に聴いた他のアマオケの演奏会で、その楽曲理解とオーケストラの統率力に魅了された指揮者だったからだ。
序曲レオノーレ第3番では限界に近いくらい緊張感を保ち素晴らしい演奏となった。
ブラームスは元々好きな曲ではなく、有能な指揮者の演奏を聴いて好きになるきっかけを掴めたら良い、と思いつつ聴く。オーケストラは良い雰囲気を作り上げていたと思うが、それでも少々長く感じた。しかしどこに原因があったのかは分からなかった。
最後のシューマン交響曲第2番。この曲は未だ私が理解できていないことから、楽しめたとは言えないし、良さを発見するのにも至らなかった。シューマンは次から次へと新しいアイデアを投入し、素晴らしい曲を仕立て上げたかったのだと思うのだが、その素晴らしい部分同士の繋がり方に無理があって、聴いていても曲の中の現在地というか意味付けが分からない状態になる。この日の良い演奏で、各部分がどのくらい魅力的な曲想に支えられているのかが良く分かった。それでもなお、好きになれなかったということだと思う。
帰宅後持ち合わせのCD(スクロヴァチェフスキ)で同じ曲を聴き直してみた。私が演奏会で聴いた内容は誤っていなかったようである。甘美であり情熱的な曲。しかし実演で聴いたのと同じ場所、第2楽章のスケルツォの後半でやはり居眠りが出てしまった。どうもこの辺りが大の苦手であるようだ。
オーケストラは優秀。今やアマチュアだと言えどもこのくらい演奏できる楽団が多くなり、私が日常的に演奏会に通える社会を実現してくれた。ありがたや。
9月22日(土)、調布市文化会館たづくり くすのきホールにて
曲目
・こうもり序曲
・ライネッケ フルート協奏曲
・グルック 「アウリスのイフィゲニア」序曲
・ハイドン 「ロンドン」
アマチュアの音楽愛好家が手間暇を掛け、こつこつと作り上げている様子がありありの音楽会だった。
「こうもり」は好きな曲であり、演奏も気持ち良かった。バイオリンの音量が小さめのオーケストラ、とも感じた。
ライネッケは独奏者を団員のフルート奏者が務めた。社会人として音楽短大に入学し、今回の独奏はその卒業記念演奏とのこと。音楽好きが高じてここまでやれるとは羨ましい。自分の周りを考えても定年後に勉強をし直す人は増えているが、音楽で専門教育を受け直すというのは大変だったろうと思う。全くの素人が聴いた感想は「独奏もオケもこなれるまでに至っていないのでは。」というもので、マーラーと同じような年代の作品ながら現代音楽っぽい響きがしていた。
後半のステージは、小さめの音量のバイオリンをじっくり聴こうと、席を前の方に移して鑑賞。
あまり聴く機会の無いグルックである。何十年も前に日生劇場で「オルフェウスとエウリディーチェ」というオペラを観たことがあるけれど、その時は「精霊の踊り」以外、専ら退屈していた。今回はそれとかなり違う印象だったが、ワーグナーの改訂版を使用したそうだ。
最後の「ロンドン」は今回一番楽しみにしていた曲。しかし金管が一本咆哮しまくり、只でさえ小さめのバイオリンは前方の方の席で聴いていたにもかかわらず聞こえなくなった。こうなるとどうしようもない。ホルンやディンパニーは適正なボリュームを保っていただけに惜しいことだった。