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takacciの「見た・観た・聴いた・読んだ」

音楽に関すること、観たこと、読んだことへの感想などを書いていきます。(文中敬称略) 2019年4月より別サイトで掲載していた写真の記事も同居させましたが、20年7月に元に戻しました。

本ブログの無断転載はお断り致します。

9月17日(月祝)、かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールにて

指揮: 吉川武典

曲目: ブラームス交響曲第3番、ベートーベン交響曲第7番

 

ついにかつしかシンフォニーヒルズの中に入ることが叶った。モーツァルトホールは小規模オーケストラが公演を行うのに良さそう。1300人強を収容できるそうだ。今回は青砥から歩いたのだが、下町の普通の住宅街にいきなり大きな建造物が聳えている、という感じの唐突さがあった。

 

ブロカートという耳慣れない言葉、プログラムによるとドイツ語で「錦」を意味するそうだ。この楽団の母体、電機大学が在った場所が錦町だから付けた名前とのこと。そんなら錦町フィルでも良かったのに。

 

ブラームスの3番が始まると、フレーズの最後まできちんと丁寧に演奏する姿勢に強く惹かれた。実はこの曲、あまり好きでないブラームスの交響曲の中でも一番苦手な曲だった。なんか聴いていると悲しく寂しくなってくる。そしていたたまれなくなって聴くのを止める。ということで殆ど聴くことの無い曲になっていた。若いころは、自分にもいつかこういう曲を良いと思える時期が来るのだろうか、と思っていたものだ。それがこの日はこの曲を楽しんでいた。(年取ったか!) 映画音楽に使われたことのある第3楽章では、それまでの楽章と全く雰囲気が変わり、純然たるムード音楽、或いは感傷的な場面に流れる映画音楽のように、今本当にブラームスの交響曲を演奏しているのか、と思うほどリラックスして楽しんでしまった。

この前々日には別の演奏会でブラームスの第2番聴いて感銘を受けた。そしてこの日はそれにも増してブラームスに惹かれた。何ともしっかりした楽団、素晴らしい統率力の指揮者だ。指揮者はN響トロンボーン奏者の吉川武典氏。そしてプログラムのトレーナー陣を見るとびっくり。何と15名の「パートトレーナー」のほぼ全員がN響の方々だ。豪華なコーチ陣である。しかし逆に、しろうとでも長年こういう方々に鍛えてもらうとここまで来れるものなのか、と感心しきりにもなった。但し、その中で気になったことが一つ。第一バイオリンで、メンバーの2/3近くが賛助出演だったことだ。これが何を意味しているのか、、、、

 

濃厚なブラームスを堪能した後のベートーベン7番は残念ながら楽しめなかった。ブラームスと演奏順を交換したらどう聞こえたのだろうか、と思うのだけど、演奏する方から考えると7番の方が重みがあったのだろう。

因みに、私はベートーベンの交響曲が好きながら、7番は繰り返しのしつこさが我慢できなくて苦手にしている。この日この演奏会に出掛けた主な動機は、「ベートーベン7番を好きにならせてもらうような演奏に出会えるかもしれない。」と思ったことだったのだ。私のこの目論見は外れ、逆に、期待外だったブラームスで大いに目を開かされて大喜び、という結果になったのである。

9月15日(土)、いつものように幾つかのチラシの中から場所、曲目を参考に聴きに行く演奏会を決めた。(正直に言うと入場料も判断材料) 横浜シティ・シンフォニエッタ20周年第34回記念演奏会である。鶴見区民文化センターサルビアホールにて。演目は

・モーツアルト 魔笛序曲 

・同 ホルン協奏曲第1番

・ウェーバー 小協奏曲

・ブラームス 交響曲2

 

アマオケの演奏会をほぼ毎週末聴きに行くようになってだいぶ経った。そのおかげでこれまで足を運ばなかった地域への出入りが始まり、ずいぶん多くの知らなかった街を歩くことが出来て楽しかった。その中でもこの日の鶴見である。鶴見駅に生まれて初めて降り立ち駅前を歩いた。ローカル色豊かな駅前だった。ホールは駅からすぐの場所にあり、とても行き易い。こじんまりして使い易そうなホールであり、今日のような小編成のオーケストラの公演には丁度良さそうだった。しかし外見上は駅前の雑居ビル風であり、本当にこの上にコンサートホールがあるの?と心配になるくらいだった。

 

さて開演。演奏が始まっているのにホールに入って来たのが居て、通路から私の前を通って空席に座ろうとするお年寄りだった。隣りの人の膝に引っかかったのか、私の方によろけて来て、演奏中にもかかわらず「すいません」としっかりした声で謝った。ステージに聞こえたのではないだろうか。魔笛序曲の序盤、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが掛け合うようにテーマを繰り出してくる箇所だったと思う。第一と第二でリズムが半拍近くズレたような気がした。しかし私の前では爺さんが通ろうとしていたので舞台が見えなかった。何が起こったのだろう。或いは私の気のせいか。

そして、隣りに座った彼はしきりにごそごそと音を立て続け、用紙に何かを書き付けているようだった。(アンケート用紙?)  せっかくオケがきびきびした良い演奏をしているのに集中して聴いていられない。残念至極だった。無料の演奏会だからこういうのがまざって入ってくるのだろうか。或いは腹を立てる私が神経質なのか。結局、魔笛序曲と続くホルン協奏曲2曲が終わるまで我慢し続け、休憩時間に他の席へ逃げ出した。

 

モーツアルトとウェーバーの協奏曲では指揮者の大貫ひろし氏がナチュラルホルンを独奏。モーツアルトとウェーバーの曲の間にナチュラルホルンに付いての解説が入り、15分くらい話していた。これは長過ぎたと思う。しかし、想像していたようにべダル無しで音階を作るのは至難の業であることが実際に良く分かった。

 

モーツアルトのホルン協奏曲ではホルンの音量がオーケストラに埋もれてしまうことが多かった。弦楽奏者の人数を2/3か半分くらいにしないと釣り合わないのではないだろうか。ウェーバーになると音程の苦しさは一層増し、それに比べ悠々と正しい音程を発しているオーケストラと反りが合わなくなったように聞こえた。古楽器は古楽器アンサンブルの中でやった方が良さそう。

 

席を移って聴いたブラームスの2番はとても良かった。アマオケで聴くブラームスの交響曲にはがっかりすることしかなかったので期待していなかったのに、出だしから「あれっ!?」と思うほど良い感じを受け、徐々に徐々に引き込まれていった。楽器群の粒が揃っていて、ブラームスの息の長い、しかし音色が多くの楽器の出入りによって目まぐるしく変わるメロディーラインが美しく聴こえてきた。おー、随分上手な人たちが集まったオーケストラなんだ。ブラームスの魅力をたっぷり味わい、良い気分で家路につくことが出来た。ありがたや、ありがたや。もっとオーケストラとしての演奏を聴きたかった、というのが正直なところだ。次回3月の第35回は独奏のない曲ばかりなので聴きに行きたいところだが、会場が鎌倉では遠くて無理。観光に引っ掛けるにしても週末の鎌倉なんて(しかも3月後半!)人混みで身動きできないんじゃないだろうか。

 

 

先週末(9月8日)、幾つかのアマオケのコンサートの中から、場所が遠すぎず、好きな演目が含まれている演奏会を選び、この演奏会を聴きに練馬文化センターに出掛けた。

 

プログラムを読むとこのオケの母体に言及されており、2004年秋、立教交響楽団卒業生が中心となって発足した楽団、と書かれていた。なるほど母体大学の所在地から楽団の名前を付けたんだ。

 

しかし待てよ。この母体となった楽団と言えば、50年近くも前に立教のチャペルで聴いたマタイ受難曲やモツレクで演奏していた楽団ではないか!(当時私が所属していた合唱団の指導に来てもらっていたのは立教聖歌隊隊長であり、その方の誘いでチャペルコンサートを聴きに行っていた。)そうするとその当時の団員も居るのかな。そう思って舞台を眺めてみたが、そんなに年配の人は居ないようだった。しかし懐かしい。あの古色蒼然とした響きを思い出す。

 

一曲目のロザムンデ序曲が始まるとなかなか手際のよい演奏。響きはアマチュアのものであり、舞台上の人数とプログラムに記されている団員の人数が一致しているところを見ると、賛助を入れず自分たちだけでやっているように思えた。曲は好きな曲ではなく、ピポポー・ピポポーと鳴るテーマが耳に残りつつ終わる。

 

二曲目はモーツアルトの40番。これを目当てに来場したのである。すると聞こえてきたのは超特急。こんな速いテンポの40番は聴いたことなかった。びっくりびっくり。16分音符のパッセージなど私にはほとんど聞き取れなかった。ちゃんと弾けてたのかなあ。疾風怒濤のうちに演奏は終わった。

 

ラストはシューマンの「ライン」。これは普通のテンポだった。去年あたりからようやくシューマンの交響曲を楽しめるようになったつもりだったのだが、この日はゆったりとしてしまったのか、終始うとうとしていた。

先ずは江東区の住民として、付近を流れる川に付いて、その成り立ちを概観できたことが、この本を読んで大変ありがたかった点だ。江戸時代に行われた利根川東遷と荒川西遷という大土木事業のことがざあっとではあるが紹介されており、現在の川筋を理解するのに大いに役立つ。これに更に中川の成り立ちや、明治以降の荒川放水路開削の説明が付いていればなお嬉しかっただろうけれども、この本の守備範囲は江戸時代末期のお台場建設のところまでとなっている。

 

逆に古いほうは、昭島市の多摩川河川敷で発見された160万年前のクジラの化石の話から始まっている。その辺りが当時海だったことの証明とのこと。ナウマンゾウの化石の話も面白い。詳しくは本を参照して頂きたいが、ナウマンゾウとは日本列島固有のゾウだったそうで、遅くとも65万年から42万年前に出現し、1万5千年前頃絶滅した種類だとのこと。

紙面の関係でごく簡単に触れられているのだろうけれど、さすがに最新の情報が描く太古の江戸湾周辺の地形、海岸線の変遷は面白い。

 

青戸、奥戸、亀戸、今戸、花川戸、江戸、松戸、と水辺に多く見られる地名の中の「戸」は「津」が転じたものとのこと。恥ずかしながら知らなかった。

 

他にも江戸城築城前後の開発が進むさまなど盛り沢山の歴史が書かれていて、読み応えがあった。

 

ただしやたら校正漏れのような文章が見受けられたのは残念。私が読んだのは初版だから、今後の版では改善されることを願う。

 

9月2日(日)、豊洲シビックセンターホールにて

 

指揮: 山上紘生

ピアノ独奏: 嘉屋翔太

曲目: ベートーベン ピアノ協奏曲1番、交響曲1番

 

前日のオーケストラ・ハモンに引き続き、素人が集まってやっている雰囲気とは違う楽団の演奏を聴くことが出来た。アマチュアが半年間時間を掛けて難曲を弾き込んでいく、というやり方の楽団ではなさそう。

 

曲は両方とも好きな曲であり、しかし生で聴くのはたぶん初めてだったので、私は食い入るように聴き、終始楽しませていただいた。特に協奏曲の方で、独奏者が余裕をもってバランスよく演奏していたのが印象的だった。前回の第1回では多少固くなっていたのかな。

 

楽団の編成で弦楽器は小さめの編成ではあったが、それにしてもコントラバス1本だけということにちょいと驚いた。でもボリューム的に大丈夫だったし、終始オケを支えていたので素晴らしいと思った。

 

指揮者・独奏者とも6月の第1回演奏会の時と同じ人だった。プログラムに出ている今後の演奏会の予定を見ると、次回第3回は11月であり、そのあとも割りと短い間隔で演奏会を開き、来年3月31日には第6回となる予定だ。その間、ピアノの嘉屋君(都内有名受験校3年生)はコンチェルトで3回登場予定であり、指揮者は毎回山上さん(藝大3年)となっている。3月31日の第6回演奏会は「嘉屋翔太さん卒業記念プログラム」が演奏される予定という。また、ウィーンフィルやフォルクスオパーから友情出演の独奏者が続々来演する、と書いてある。この楽団の方々は一体どんな人たちなのだろうか。アマチュアオーケストラと自称しているけれど、だいぶ普通のアマオケとは雰囲気が違う。

オーケストラ ハモン

9月1日(土)、東京芸術劇場にて

演目: ウェーベルン「夏風の中で」とマーラー6番

 

芳醇な音色と響きのマーラー第6番を堪能した。このレベルの演奏になると、素人の私が上手だとか何とか言うことは出来ない。私が「凄く上手だ」と思っても専門的に聴くとそうでないのかもしれないし、或いはその通り良い演奏だったのかもしれない。よって、ただただ自分なりの感想を口にするだけとなる。

 

そういう風に腹を据えたうえでならこういう印象を持ったと言える。心地よい盛り上がりであっても、続きすぎるとありがたみが薄くなるのではないかと。強音がとてつもなく大きな音に聞こえるためには、その前に充分静まらないといけないのでは? こんなことを感じながら聴かせて頂いていた。豊かな響きにお腹がいっぱいになっていて、それでも美味しいご馳走が続いて出てくる感じ。

 

ウェーベルンの曲は大学在学中に作曲された曲とのことで、とても明るく爽やかな小品だった。作曲家の意外な一面を知ることができた。

 

それにしてもどんな方々が集まった団体なのだろう。楽団のHPによると、アメリカ留学中に高校生、大学生のオーケストラ活動を取り巻く環境の良さに感銘を受けた初代コンマスが、タングルウッド音楽祭に参加した際出会った指揮者佐藤俊太郎から助力を受けて初回演奏会を開いた、と書いてあり、創立10年目の挨拶文には「アマチュアとはいえ・・・・」という文言も見受けられるのだからアマオケなのだろうけど、なんかアマチュア離れした楽団に思える。

 

次回第40回記念演奏会はR.シュトラウスばかりを取り上げるそうで、これはちょっとパス、となりそうだ。

副題: オルバースのパラドックスと宇宙の姿

 

宇宙は無限で星の数も無限であるのなら夜空は明るいはずである。しかし現実には暗い。この逆説はオルバースのパラドックスと呼ばれていて、夜空を見上げる人々を考えこませてきた謎だそうである。

 

私は、星の数が無数にあったとしても、宇宙に漂う星間物質や暗黒星雲も同じくらいあるのだから、暗いのは仕方がないんじゃないの、とそれ以上は考えてこなかったのだが、この題名の本を図書館の書架で見掛け、ぐっと心を惹かれた。おー、これで長い間すかっと割り切れなかった疑問が解決するのではないか!

 

内容はとても整理されていて読み易い本だった。光・電磁波の話から始まり少しずつ問題の核心に近づいて行く。

 

私が想像していた宇宙が暗い理由(前述)には、そういう理由ではないという説明が早々に示されていた。宇宙塵というのは天文学的スケールで見れば多量に存在し、確かに恒星や銀河からの可視光を吸収しているが、それを赤外線という形で放出しているから宇宙を暗くする要因とは言えないのだそうだ。可視光を確かに遮っているのだから暗くする要因だろうと素人は考えたくなるのだが、赤外線にしろX線にしろ、電磁波として地球に届くものをこの本では「明るさ」の一種として捉えているように思えた。それにしても可視光以外の形で地球に届くものと「明るさ」・「暗さ」との関係が十分に説明されていない気がした。(→ これについては著者であられる津村さんから解説のコメントを頂いたので是非参照してください。津村さんありがとうございました。)

 

宇宙から夜空に届く「明るさ」を個々に足し上げて夜空の暗さを計算すると、ディズニーランドをろうそく3本で照らすのと同じくらいだそうである。これは分かり易い。

 

そして最後に宇宙の暗さの理由が示される。たった数ページの説明であるが、私は合点した。(そんな気がした。) 長年のもやもやが晴れてすっきりできた。おススメの本である。

日曜日はYAO管弦楽団第13回定期演奏会に行ってきた。

場所・宮前市民館、指揮・水戸博之

曲目:禿山の一夜、ペールギュント第1組曲、シベリウス2番

 

会場の市民館は駅から徒歩10分と書いてあった。これは近い、軽く歩ける距離だ、と思い歩き始めたら、何と、急坂を10分登った丘の上の会場だった。折しも気温は35度を越えており、途中で「無事に登り切れるのかな」と心配になるくらいだったし、到着後も10分ほど汗が止まらなかった。これはバスを使った方が良かった。

 

しかし、驚くほど素晴らしい演奏だった。ムソルグスキーが始まって、すぐにただならぬ弦楽合奏の気配に引き込まれ、えっ、これがYAO!?と驚いた。この日はシベリウスを眼目に置いて来たのであって、前半のステージは普通のアマオケの演奏をどのくらい楽しめるかな、という気持ちでおっとり構えていたのに、いきなり禿山はこんなに魅力的だよ、と揺さぶられ、目を覚まされた思いがした。ペールギュントでは何とも言えない抒情性に浸ることができた。シベリウス2番も確かこういう調子で存分に楽しんだのだが、終楽章が私の好みより少し速めだった以外、なぜか具体的にここが、あそこが、という辺りの記憶がない。こちらの集中力が多少落ちていたのだろう。

 

指揮者・水戸博之は素晴らしい指揮者だと思う。楽曲の魅力をフルに引き出すし、要所要所を揃えるジェスチャーが明確で分かり易い。(大きな動きは観るに値するものだったが、そちらに気を取られると音を聞き損なうので、出来るだけ見ないようにしていた。) こういう指導者とともに一年近くじっくり同じ演目に取り組むとこうも上手くなるものか。でも数年前、同じ組み合わせで聴いたベートーベンの7番では終楽章の一部で旋律が消えてしまうハプニングがあったのだから、全体が年々ぐんぐん上手くなってきているに違いない。

 

団のHPを見ると自己紹介の中に「創設時はオケ初心者が多かったYAOは確実に成長してきました!」という一節があったが、ここ数回連続して演奏会を聴き続けてきた私はこれにおおいに賛同する。オケの進歩に付いて行けなくなる団員も出てくるのではないか、と心配になるほどだ。

 

プログラムによると今回の出演者の1/3ほどは賛助出演者。賛助出演者というのは手弁当で手伝いに来てくれている人なのだろうから、演奏会を含め運営経費を担っているのは出演者のうちの2/3? だとしたら団員の負担は大変だろう。楽団は一口2000円の支援金を募集しているけれど集まりは良さそうもない。入場無料をありがたく甘受している私としては、心苦しいながら、ほぼ毎週聴きに行かせて頂いているアマオケの一つ一つにそうそう寄付できるわけでもない。だったら少額でも入場料を設定した方が良いかもしれない。そうすると今度は聴きに来る人が減ってしまうのだろうか。

 

この日、宮前市民館ホールの2階は閉め切ったうえでの1階席(530席程度)の入りは6割程度。見事な演奏に接し、私は一生懸命に手を叩いたのであるけども、全体としての拍手の迫力は全然足りていなかった。残念であるし勿体ないことである。クラシック音楽が好きでも演奏会に足を運ばない人は大勢居るだろう。身近なところで気軽に聴けるアマチュアオケはこんなに上手になっているのだから、是非聴きに行くことを勧めたい。実際に聴く音楽はスピーカーから出てくる音とは全く違いますよ。

8月12日(日)、めぐろパーシモン大ホールにて

 

前日に全日本医科学生オーケストラのフェスティバルでバルトークの「管弦楽のための協奏曲」(バル管協?)を堪能したばかりであり、さあてこの日はどうしようかなあ、と、i-Amabileでこの演奏会の記事を眺めていたのである。それでも、二日連続であろうがバル管協という素晴らしい曲を別の楽団で聴くというのも豪華で贅沢な感じがして、多少起こった行く気を持って更に記事を眺め回す。すると2曲目にベリオの歌曲をやる、と出ていた。ベリオの曲は聴いたことが無いけれど、その妻だったメゾソプラノ、キャシー・バーベリアンのウィット・コンサートのレコードを繰り返し愛聴していた私は、キャシーが折に触れ歌っていたというベリオの曲を聴けるチャンスだと思った。楽団の名前がほんわかとした平仮名の名前で、入場料も無料。ということは・・・? 少々心配もあったが、夏の暑さで私の他の趣味はみな中止状態であるため、時間は十二分に有りありで、目黒に向けて出発した。ちなみに、「みなととなみ」は前から読んでも後ろから読んでも港と波、とのこと。

 

プログラムによると、あまり演奏されることの無い名曲を中心に、年二回、その都度メンバーを募集して高い水準の演奏を目指す楽団であり、指揮者は当団の代表で、会社勤めの傍ら日曜指揮者として長らく活動している方と書いてあった。えーっ、そういう人がベリオやバルトークを指揮するのー? そんなこと出来るのかなあ。

 

演奏はコルサコフの「ロシアの復活祭」序曲から始まり、これはお見事だった。上手なアマチュアオーケストラってたくさんあるものだなあ、と感心するばかり。上手でないアマオケを探す方が難しいかもしれないな、とさえ感じる。(あくまでも個人的基準による評価です)

 

ベリオは私には難しすぎた。プログラムに対訳の歌詞が掲載されていて事前に読んでおいたのだが、その平易な内容に安心したにもかかわらずベリオの音楽は気難しい印象だった。キャシーだったらどんな歌い方をしたのだろう。でもキャシーはもう居ない。

 

バルトークは素晴らしかった。前日聴いたオーケストラに比べると弦楽奏者の数は2/3くらいだったが、みなさんとても良い音楽家で、伴奏に回ろうが聴かせどころだろうが、自発性を感じさせる表現を取り交ぜて聴かせていただき感激。半年ほど合奏練習をしてきて培った仲間内の親密性っていうのはこういうところに現れるものなのかな、とぼんやり考えながら聴かせていただいた。前日の演奏会で少し物足りなく感じた管楽器と弦楽器の音量バランスだが、こちらでは丁度良く、楽器群同士が競い合うように協奏するこの曲の魅力をたっぷり味わえた。

 

二日連続別のアマオケでバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴く、というチャレンジは、このように大満足して終了。ラッキー、ラッキー!

 

なおこの楽団は次の演奏会から有料にするとのことだが、アンケートに連絡先を記入すれば次回の招待状を送ってもらえるそうなので申し込んだ。次回のシェヘラザードは好きな曲ではないけど、ブリテンの「四つの海の間奏曲」は大好き。来年一月の演奏会が楽しみだ。

8月11日(土)夕方、サントリーホールにて

 

医療系のアマチュアオーケストラは何回か聴いたことがあって、どれもしっかりした良い演奏だった。それならこの演奏会も良いだろう、指揮者は広上淳一だからどんな演奏になるのか面白そうだ、曲目も「火の鳥」とバルトークの「管弦楽のための協奏曲」が入っていて興味深い、と考え、アマチュアにしては少し高めのチケットを購入した。

 

私はアマオケを聴きに行く場合、どのような成り立ちの楽団なのか、を知りたくなるので、さっそくプログラムを拾い読み。すると、北は北海道から南は鹿児島までの医科系学部に所属する学生が集まり、直前の一週間に集中的な合宿練習をして仕立て上げる演奏会であることが分かった。今回は山梨県で合宿してきたそうだ。

これはびっくり。もちろん個々人の練習はたっぷりしてきただろうにせよ、複雑の権化であるような演奏曲目を、アマチュアが、たった一週間の合奏練習を通して演奏会を開くなんて! 指揮者はどのような手を打って練習を指導し、今宵どのような演奏が目の前で展開されるのか、ちょっとスリリングだ。恐らく指揮者自身またはその影武者が地方に出向いて部分練習などを指導したのではないか。(この点に関し出演者の方から、「影武者による事前練習などはなく、完全に個人で仕上げてきてから合宿に臨んでいます」とのご指摘をいただきました。凄いですね。さぞや濃密な合宿練習なのでしょう。)

 

オーケストラには名前は無くて、全国のオーケストラ活動をしている医科学生が集まって合奏するフェスティバル、ということのようだ。

 

演奏は(少なくとも素人の私に聞こえてくる限りにおいて)見事だった。パート間のバランス良好、表現もきちんと聞こえた。

最初のウォルトンの戴冠式行進曲、二曲目のバレエ組曲「火の鳥」と、曲の合間に団員の部分的入替があって、参加者の数が一オーケストラの人数を大きく越えていることが分かった。この二曲とも私は殆んど聴くことの無い曲なのだが、どういう音響が魅力で、どういう構成の曲なのかが良く分かる演奏だった。短時間にここまで仕上げるとは!

 

こうなると最後の「管弦楽のための協奏曲」に弥が上にも期待が高まった。そして演奏はとても良かった。最後までたっぷり楽しんで聴けた。でもここまで大好きな曲であると、私にも「こうであって欲しい」というこだわりがあり、そういった面では多少物足りなさも残った。強く胸を揺さぶられるようなショックは全体を通して受けなかったし、弦のボリュームに比し管楽器群が目立たなかったように感じた。普段は弦に遠慮して弱めに吹いているであろう方々は、こういう厚めの弦楽合奏の時には存分に吹きまくって良かったのでは? ただし私の席が2Fであり、ホールの響き方が足りなかったせいなのかもしれない。

 

それはそれとして、全体的にじっくりと楽しめる良い演奏会だった。今回の主管は東京女子医大室内楽団だそうで、さぞやご苦労されたことと思う。その実行委員長の挨拶文の中に印象的な事柄が書かれていた。37年前にこの動きが始った頃、まだメールやインターネットの普及していない時代に、電話と文通だけで全国の医療系学生奏者が集まったそうだ。数人しか奏者が居ない大学から集合してくる方々にとって、オーケストラの中で演奏できる機会があったのはどんなに素晴らしかったでしょうか、と書かれているのを読むと、なにか、群響誕生からの成長物語に似た、いかしたストーリーができるのではないか、と感じられた。

卒業生には医者が多いのだろう、プログラムに掲載される医院等の広告の多さを見るにつけ、随分助けてもらってるんだろうなあ、と想像したくなるのだが、広上さんの挨拶にもあったように、将来人の命を預かる立場に立つ方々が頑張って良い音楽を作り上げることはとても意義深いことに違いない。