ソメイヨシノが終わり次は八重桜の季節。
4月13日、豊洲にて
(E-M10m2 + 14-150mm)
日付: 2019年3月10日
場所: 新宿文化センター
指揮: 末永隆一
演目: 「田園」、エルガー1番
前日のBeseeltesの演奏会がガラガラだったのに比べると結構客の入りが良く、8割近く客席が埋まっていたように記憶している。
「田園」ではまず演奏の水準が高いということに感銘を受けたのだが、曲が進むと表現が平板に感じられ、この大好きな曲を十分楽しめたとは言えないまま演奏終了。
しかしエルガーは驚くほど素晴らしかった。まずもって、聴いているとどういう曲なのかが良く分かる演奏だった。演奏者の理解が深いから曲の良さが伝わってくるのだろう。とても入り組んでいて複雑な全体をこうも楽しめたのは意外であり、オケの高度な安定性にも感銘を受けた。いやはや、学生の楽団がここまで音楽的な高みを体験させてくれるとは、、、
プログラム冊子によるとこの演奏会は、3年前に卒団し大学院修士2年の学生が、大学を去る前にもう一度仲間たちと演奏したいと企画したものであり、学部生から社会人までが集まって作り上げたのだそうだ。何かこういう人たちは仕事をしながらも音楽への奉仕を続けて行きそうな予感がする。
一か月以上も前に聴いた演奏会。とても好感の持てる演奏会だった。
細かいところはかなり忘れているので、思い出す限りでの感想です。
自分のブログを検索してみたら、このオケを聴くのはもうこれで三回目であり、その度に良い気持ちになって会場を出ていたのだった。
日時: 2019年3月9日(土)13:30
指揮: 佐野智彦
ピアノ独奏: 中山大地
演目: モーツアルトピアノ協奏曲27、ハイドン協奏交響曲&太鼓連打
会場は国立オリンピック記念青少年総合センターとあり、学生時代の合唱団で演奏会前の強化練習をしたことのある場所だった。あの場所にコンサートホールなどあったのかな、と半ば首を傾げつつ、場所の割りに交通の便が悪い青少年総合センターに到着。敷地に入ると「ああ、こんな感じの場所だったな。」と感じたものの、敷地内の建物はとっくに立て直されておりピッカピカ。当時のくすんだ印象は全く無かった。演奏会場も然り。こじんまりながらも機能的で感じが良かった。演奏会前のプリコンサートで弦楽四重奏が奏でられ、その演奏者の背景には緑の葉が揺れ、解放感を醸し出していた。その上演奏の音程もかなり良くて、これまでに聴いてきたプリコンサートのうちでは出色の出来であり、これだと本番の合奏はどんなに素敵だろうかと楽しみになった。
モーツアルトピアノ協奏曲の演奏は堅実な演奏の独奏者で安心して楽しめた。それにしても伴奏のオケが生き生きしており、目が覚める思いで最後まで楽しんだ。やはりこのオケは大好き。
ハイドンの協奏交響曲は何回かFM放送で聴いたことがある程度。独奏者はオケのメンバーから出ていた。楽器それぞれの響き方が全然違うのに掛け合いで独奏部を繋いでいくのは無理なのではないか、という感想を持った。鋭い響きで音源が極めて特定しやすいオーボエとポワーンと音が広がるファゴット、それと音域が大きく異なるヴァイオリンとチェロ。この二組の掛け合いが多いという印象であり、この組み合わせでは低い音を出す方の楽器が実際の場所より3~5m後ろで鳴っているように感じられた。これは作曲家の計算違い?
「太鼓連打」では固いバチによるバロックティンパニーだったように記憶しているのだが、のっけからいとも簡単に引き込まれてしまい、クライマックスでは体が無意識に動き出すような、まさに有頂天になって踊り出すような感覚で楽しませていただいた。こんな楽しいハイドンを聴いたのは初めて。とてもとても嬉しかった。
次回は6月30日にベートーベンの2と7を演奏予定という。都合が合えば是非とも聴きに行きたい。今回も含め驚くほど聴衆が少ないのが不思議な、その度に「もったいない」と思う楽団であるから、次回こそもっと盛大な拍手に包まれるところに居合わせたいと思う。
アニメ「ピアノの森」がいよいよ終盤に。
来週は地方選の速報番組のため定例の放送ができず、再来週に二回分を纏めて流すという。クライマックスというべき回がこのように右往左往させられるとは残念だが、それでもべつに構いませんよ。
来週日曜からEテレで再放送がスタートすると聞き、これで見逃した回を見直せる、と喜んでいる。
ストーリーはいかにも漫画なのだけど、小さい頃から漫画は好きだったし今でも好きなのだから気にならない。
登場人物がピアノ演奏する場面で流れる演奏はかなり名の売れた演奏家のものであって、錚々たる顔ぶれと言い換えてもいいくらい。ショパンコンクール会場で協奏曲を伴奏するオケに付いても本物に担当してもらっている、とらららクラシックで紹介されたように記憶している。
ストーリーはあまり気にせず、素晴らしい音楽とともに映像の世界に浸れる、という点で、「未完成交響楽」とか「オーケストラの少女」とかに通じているのかもしれない。
アニメの中で「おー、急に演奏が変わった!」とか「まるで森の空気に触れているかのような聴き心地だ。」というようなセリフが何回も出てくるのだけど、それと実際に流れている音を聴いての感想とのずれが面白いこともある。まあ大方は音の変化に気付いていなくて、自分はやはりボーっと聴いているのかなあと思ってしまう。
再放送が始まったら、今度は主人公を取り巻く出身地域や町の人々の設定をじっくり見てみようと思っている。
日時: 2019年3月30日13:30
場所: すみだトリフォニー大ホール
指揮: 森口真司
演目: ペールギュント1、シベリウス7、ニールセン「不滅」
FAFとはブラームス3番冒頭の「F As F]というモチーフに託されたという"frei aber froh"から取られているそうだ。「自由に、しかし楽しく」。自由なら自ずと楽しそうなものだが、あいだに「しかし」という語句が置かれているところに引っ掛かりを感じる言い方だ。
入場料2000円は私が毎週末土曜と日曜に演奏会を聴きに行くにはちょっと苦しい値建てだけど、翌日曜は折しも花見に最適の日でありそちらに行くことを考えれば何とかなる。心貧しき私はこのくらいの出費になると演奏がそれに相応しかったかどうか、などとつまらない聴き方をしてしまう癖があり、その点がちょっと心配だったけれど聴いてみればそんなことは全く忘れてしまう素晴らしい音楽会だった。
ペールギュントは曲に沿った実に抒情的な演奏。とても良かったと思うけど、ガンガンと盛り上がって終わる曲でないから、拍手はそこそこで奏者の出入りが始まった。
シベリウスはここのところかなり楽しめるようになっていたつもりだったので楽しみにしていたが、元は「交響的幻想曲」と名付けられていたという解説の通り、交響曲らしい?形式感、長大さやドラマは感じられず、聴く準備に失敗し、以前シベリウスの交響曲に持っていた「もやもやしている間に終わってしまう。」という印象で終わってしまった。
最後の不滅になると雰囲気がガラッと変わり、これは伝統的なクラシック音楽に根差した曲だなあと驚いた。相当ひねくれてはいるがモチーフが明快であり、それが展開されていく様を聴いていると、これは私が楽しめる範囲の曲であると感じられたっぷり楽しめた。狂暴とも思える響きはたぶん戦争が背景にあるからなのであって、楽しむなどと言ってはいけないのかもしれないけれども、存分に曲に浸ることができた。弱音から最強音までの幅が恐ろしく広く、オケの力が凄い。私がこれまで曲に持っていた印象は吹っ飛び、まるで初めて聴いたような印象を持った。こういう音量は自宅でながらオーディオで聴いていても体験できないものだ。改めてそう実感した。つまり、自宅で聴いていても分からない曲なのだ。
熱狂的なブラボーが飛び交った。でもそういう性格の曲なのかなあ。
あれだけの熱演をした後だからアンコールは無いな、と思っていたらフィンランディアが始まった。もちろん安定した熱演が繰り広げられ、感心するばかり。観衆の反応も大変なものだったけれど、私としてはそんなに好きな曲ではなく、不滅の印象が掻き消された気がしてちょいと残念だった。
次回は7月に劇場支配人序曲、ベートーベン2、シベリウス2。アンケートにアドレスを書けば招待券を頂けると書いてあったけれど、曲目重視の観点から私は遠慮した。かと言って、この日の演奏に満足しなかったからでは断じてない。
3月21日14時より東京文化会館大ホールにて。
往復はがきで申し込み、抽選をくぐり抜けて招待券を頂いた都民交響楽団第127回定期演奏会は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」とブラームスのドイツ・レクイエムだった。
招待券を引き換えてあてがわれた席は4階席(4R席)。よく聞こえる席だった。しかしながら電気の力による昇降機は無いのであって、中学・高校当時、5階席であってもワクワクして軽々席に至っていたのは遠い昔のこと。熟年割引を使える歳となると登るのが結構大変だ。
「火の鳥」にはそれなりの感想を持って聴き終えたはずなのに、今となってはどんな演奏だったか思い出せなくなってしまった。良い演奏だったのは確かなのだが。
ドイツ・レクイエムは学生時代に合唱をやっていた頃一度、生で聴いたことがあり、それ以降ずうっと、この曲は素晴らしいのだ、と思い込んでいたのだけれども、FM放送やLP、CDで聴いていると必ず途中で席を外してしまうばかりであり、最近では「ことによるとそんなに傑作ではないんじゃないか」とさえ思っている曲だ。演奏が始まり合唱が出てくると、階段状に段々と音が上がって行くに従いぐぐっと迫ってくるものがあった。そして、聴くのが疲れたかなあ、と思う頃にバリトンの独唱が入り、見事だったソプラノ独唱も続いた。しかし終盤になるとやはり聴き疲れてしまった。私の素人判断だと、合唱が曲に没入し過ぎバランスを乱したためかも。特に女声はガンガン歌っていた印象で、これだと女声パートの半分も居ないテナーを追いやることになる。合唱の強さはオケをも呑み込んだ感じで、オケが聞き取りにくくなってしまった。
というわけで、今回の演奏会をもってしても私の「ドイツ・レクイエム」に対する疑念?は払拭されなかった。
ラテン語の典礼文をテキストにしている他のレクイエムと異なり、ここでは作曲者がルター派のドイツ語聖書からピックアップした断片が用いられている。合唱をしてミサやレクイエムを歌ったことのある身としては、典礼文であればだいたいの意味を知っているのだけど、この曲の歌詞はじっくり読まないと意味が取れず、それで曲の良さを十分に理解できないのかもしれない。音楽を聴いている限り、解説に書いてあったように恩師シューマンと自らの母の死から受けたショックが音楽化されたよう思える曲だけれど、今度この曲の鑑賞にチャレンジする時はテキストを意識しながら聴いてみようと思う。
今日はマーラーを聴けるとあってサントリーホールに行ったのだが、当日券はもう有りませんと案内され、びっくり。当演奏会のチラシには「本チラシを当日券売り場にお持ちいただくと、1枚で何名様でもおひとり様につき○○円にてチケットを販売……」と書かれていたので、てっきり悠々と購入することができると思い込んでいたのだ。ほー、みなとみらい21交響楽団ってのは人気があるんだな。今後は気を付けなきゃ。
以前に学生オケの演奏会でこういうことがあり、開演ギリギリまで待ったら空席があって入れたのだから、今回ももしや、という思いが交錯した。しかし、今日は寒いし、ギリギリまで外で待っても入場できないかもしれない。もし入れたとしても、このホールだと最後まで空いている席は見物用で音楽鑑賞には適さない席の可能性が高いだろう。そう思ってあっさり退却した。開演前のロビーで食べようと思って用意しておいたサンドイッチは外のベンチにて。しかし侘しかった。
追記: 今ほど楽団のサイトを見たら、入場券の販売が好調で十分な当日券の枚数を確保できそうもないことが書かれていました。あとの祭り。知らなんだ、知らなんだ。
日時・会場: 2019年3月17日14時より、杉並公会堂大ホールにて
演目: ニールセン3、コダイ「孔雀は飛んだ」変奏曲、シベリウス5
指揮: 三河正典
チャレンジングな演目に惹かれて聴きに行った。ニールセンの3は最近他で聴いて好感を持った曲、コダイは何回か聴いて、分かり易いような分かりにくいような、良く分からない曲という認識。シベリウスは有名な2以外は良さが全然分からなかった作曲家だが、ここ一年で少しずつ楽しめるようになってきているつもり、というような状態で演奏会に臨んだ。
ニールセン3「広がりの交響曲」が始まり、まずは音量の大きなオケであることに気付かされた。しかし豊かに押し寄せてくる音塊の何処に主旋律というか、聞こえるべき声部がどれなのか分からない。確かこの前この曲を聴いた時には分かり易い曲だと思ったのだから、おかしいのだろう。しばらくすると左に座っていたご婦人の肩が私に当たるようになった。眠って姿勢が崩れたものと思われる。もう少し経つと私もうとうとし夢見心地に。ハッとして目覚めてからは最後までちゃんと聴いたけれど、気付くと右のご婦人もこっくりこっくりし始めていた。やっぱ意味を読み取りにくい大きな音が続くと集中力が続かないんだ。
この調子だとつらいかも、と思っていたコダイは結構楽しく聴けてほっとした。
そしてシベリウス5。何回かCDで鑑賞に挑戦しながら、もわもわした音が続いているうちに終わってしまうという印象しか持てなかった曲だ。演奏が始まってしばらくすると、木管の醸し出すリズムがびっくりするほど軽やかで、シベリウスでこんな軽いリズムの演奏をしていいのかなと疑問に思いつつ聴く。すると、それが曲の演奏全体に及ぼす因果関係は分からないまま、曲の表情がくっきり見えてきたのである。そして大いに楽しんで演奏が終わった。この曲を聴いて楽しめたのは初めて。いやー、とってもありがたかった。興味を持った曲をじっくり味わいたければ生の演奏を聴くのが一番だなあと今更ながら思ったのでした。
このオケは全国高等学校選抜オーケストラフェスタなどに参加したメンバーを中心に2006年に設立されたそうだ。8月に福島で第3回福島公演、来年3月にすみだトリフォニーで第14回定演を開催する予定だそうだが、依頼公演で福祉施設や地方での活動にも力を入れているとのこと。頑張ってるなー!
2019年3月16日14時、タワーホール船堀大ホールにて
指揮: 右近大次郎
独唱: S見角悠代、T長尾隆央、B渡部智也
主催: 18世紀音楽研究会
(東日本大震災8周年追悼公演)
初めて天地創造を生で聴いた。最近合唱を聴く機会が減っていたこともあり、フレッシュな印象を受けることができた。オケはHPによるとアマチュアで、現代楽器を使用。でもロジャー・ノリントンの薫陶を受けた指揮者が繰り出す響きは古楽仕様であり、それ自体はハイドンのオーケストラ曲を聴くときの私の嗜好に合っていて嬉しかった。しかしながら今回の演奏会でのオケはちょっと弦がもぞもぞするところがあって、調子が出なかったように聞こえた。
この日一番調子が良く聞こえたのはソプラノ独唱。細い声ながら良く通り、音程も歌いまわしも他より抜きん出ていた。
合唱も良かったけど、ソプラノ、アルト声部が各20名を越えていたのに男声は合わせて14名しかいなかった。たぶん賛助のビッグボリュームによりテナーパートは必要な部分で聞こえていたけれど、7~8名が声を振り絞って出す音と女性パートが20名超で出す音では性格が違ってしまう。バスパートは殆んど聞こえなかった。
思うに市民文化活動としての合唱は消えゆく存在だろう。趣味でやっている合唱団は年寄りばかりのところが多い。そして男声の少なさは今回の合唱団と似たようなものだ。音楽学校の声楽科から歌いに来てくれれば良いだろうけど、バイト代無しの好意で来てくれなければ今回のような低料金で(1000円)公演は難しくなるのでは。
天地創造は3部から構成されており、第1部、第2部が終わると休憩があって、気分を変えられるのが嬉しかった。その反面、休憩を挟んで次の部を聴いていると、また同じようなことを繰り返している、と思えて来た。そう言えばハイドンの交響曲もそんなところがあって、どの曲も(全部知っているわけではないが)同じパターンで構成されている。交響曲の同じパターンにはすっかり慣れていて好きなことに変わりはないけれど、このオラトリオのように一つのステージの上で繰り返されるとちょっときつかった。各部の最後に歌われる「賛美」の曲のテンポが速すぎると思ったこともあって、意外にもあまり楽しめないまま会場をあとにすることになった。
私の他の趣味であるお花の撮影が季節柄大忙しとなっており、3月に入ってから三つも素晴らしいアマオケのコンサートを聴いておきながら、感想書きが滞ってしまっている。これでは私自身が目的としている今後のための演奏会資料が欠けてしまうではないか! それで何とかそのうちの一つを済まそうとして書き始めました。
日時・場所: 2019年3月3日14時、杉並公会堂にて
演目: 序曲「ローマの謝肉祭」、ベートーベン8、同6
ぼんやりしてたのか、序曲は主部の結構聞いたことのあるテーマが耳に残ったくらいで、きびきびした演奏に浸りながらもあっという間に終わった。
ベートーベンの8は15年くらい前にかなり好きだった曲だが、最近はあまり良いと思わなくなっていた曲。しかし、とても良い演奏、と思いながら楽しむことができた。生で聴くことがあまりなかったせいか、今回の演奏がとても新鮮であり、迫力も楽しめた。
「田園」でもそうだったのだけど、プログラムに書かれた奏者による楽曲解説が私の鑑賞の手引きとして大変役立った。ともするとプログラムの楽曲解説というのは楽章ごとにアレグロ・ヴィヴァーチェ、何分の何拍子、ニ短調とかいう外枠の紹介が主だろう。しかしここの楽曲解説にそういうのは全く無かった。あくまでも演奏者目線なのがいい。この8番はどの楽章も始まりこそ「古典派」的でわかりやすい印象だろうけども、曲が進むと一癖も二癖もあって大変なんだと言う。ああそうなのかな、と思って聴いていると、何だかこれまでより楽しんで聴けたように感じる。また、この曲は交響曲としての「ベタ」を押さえた上での壮大なコント、と練習時に説明を受けたそうだ。ベタって何のことなのか分からないけれど、ベートーベンの諧謔性に重なる面白い説明の仕方だなと思った。
「田園」はここ数年大好きになってきた曲。1stバイオリンと2ndの掛け合いや業務分担?の仕方が面白くて、この日のように対向配置だと一層聴いていて楽しくなる。弦楽各声部の自立性・自発性も快かった。いやー、この曲はメインステージにふさわしい重量感を秘めた傑作であり、なおかつ同時に明るい曲であるところが素晴らしい。
この楽団は何の後ろ盾もないアマオケだそうだ。日曜の夜目黒の祐天寺付近で練習しており、その後の飲み会が楽しい、とも書いてあった。下戸の私にはおぞましい。それはそうとしても、アマオケを聴きに行って、自分の目の前で演奏してる人たちがどんな方々でどんな活動をしているのか、は気になるところだ。簡単であってもこういう紹介があるのはありがたかった。