秋・『花を聴く人・・』
一冊の古いスケッチブックがある・・
珈琲の香りが漂ってくるようなその色で化粧をほどこし
いくつもの季節を見送った・・
はじまりのページに描かれているのは絵ではなく
捨てられた子猫のように小さく震える
片仮名の「ア」の一文字である・・
その日、その人は探しあぐねていた道標に出会った・・
星野富弘・ 画家・詩人
1946年・群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生を受ける
1962年・県立桐生高校に入学・器械体操部に席を置く
1970年・群馬大学教育学部保健体育科卒業
四月に高崎市立倉賀野中学へ校体育教師として
赴任する
それから僅か二ヶ月後・・
人生を揺らした運命の日が訪れた
梅雨のさなかには珍しく青空が顔を覗かせ、爽やかな風が
吹いていた
体操部のクラブ活動で鉄棒の模範演技をしていたが
着地に失敗して頭からマットへ落下した!
(いつもの事だ・・)と何も気にせずに、ひっくり返っていたが
何か様子が違う
首から下の感覚がない!
生徒たちも異常を感じて駆け寄って来た!
(腕があるんだろうか・・?)
生徒に頼んだ
『手を持ち上げてくれないか・・』
意味が分からず不思議そうな顔をして横から(何か?)を
持ち上げた
『もう少し高く!』
目の前にあるのは紛れも無く鍛えられた自分の太い
腕だが、風の気配をそよとも感じない!
(大変な怪我をしてしまったぞ・・)
父と母の青ざめた悲しげな顔が浮かんだ・・
群馬大学医学部附属病院に運び込まれた
ベッドの周りを大勢の医師が取り巻き、深刻な顔で
何かを話していた
その日、両親は親戚の家に田植えの手伝いで出かけて
いたが、急を告げられ最終便に飛び乗り駆けつけた・・
『頑張りなよ・・体力があるんだから・・絶対に治るから・・』
息子の頭を撫ぜた母の手からは田圃の土と草の
匂いがした・・
診断は「頸髄損傷」
首は七つの骨の積み重ねで支えられている
この部分は様々な神経が張り巡らされている
落下の衝撃で骨間が大きく離れてしまったのだ!
頭蓋骨に穴を開けて鈎で引っ張り上げて修復する手術
が行われた
麻痺のため筋肉が動かなくなり、普段の半分も空気が
吸い込めなくなっていた
喉に人工呼吸器が取り付けられた・・
40度を超える熱が続いた!
壮絶な一週間が過ぎた
廊下で小さな話声が聞こえた・・
『今日、明日が峠らしいよ・・』
家族の泣き声が胸に響いた・・
(死にやしないよ・・)
心の中で叫んだが、涙は次々と溢ては流れていった
天井の電球がシャンデリアのようにおぼろに滲んだ・・
ラジオからは大阪万博の実況中継が流れていた
幸いだったのはスポーツで鍛えられた彼の肉体、分けても
心臓が驚異的な生への執着をみせて、奇跡的に命を
つなぎ止めた・・
二年が過ぎた
不自由な角度から僅かに覗ける窓の景色が
たったひとつの散歩道であった・・
養護学校から実習生として働いていた篠原さんは、献身的な
介護をしてくれた
その日も、床ずれ予防のため身体を横にしてくれた後、
彼女は思い出したように何気なく言った
『そのままの姿勢で字を書いたらどうでしょう・・』
サインペンにガーゼを巻いて口に喰わえさせ、顔の前に
スケッチブックを近づけた
紙とペンが寄り添った・・
支える彼女の腕が小刻みに震えた!
横から覗き込んでいた母も歯を食いしばった・・
浮かんだのは水草のように揺れている「ア」の一文字であった
その時の思いを後に語っている
『小学校に入る少し前に初めて自分の名前が書けるように
なった時のように嬉しくてたまりませんでした!
嬉しさの余り電信柱にも名前を書いて回ったのを
思い出しました・・』
ひとすじの明かりが灯った・・
文字を書く速度がだんだんと早くなっていくと、その傍らに絵
を置きたくなった・・
(何が良いだろう・・)
目に触れたのは大人しく彼を見守っている花瓶に飾られた
名も知れぬ花であった・・
最初はモノクロの花ばかりだった
(色がないと何だか可哀想だ・・こんなに綺麗なのに・・)
水性のカラーペンで線を描き、その上を水を含ませた筆で
なぞると、ほんのりと薄化粧をほどこされた美しい花が
生まれた・・
一冊の「聖書」がダンボール箱に眠っていた・・
大学の一年先輩で、今は牧師になるために神学校で学ぶ
米谷さんから送られたものだ
事故の直後に見舞いに訪れ
『今の僕に出来ることはこれだけだ・・』
と云って渡してくれた・・
触れるのには何故か抵抗があった
(あいつは苦しくて、とうとう神様にすがりついたのか・・)
と思われるのが嫌だったのだ・・
学生時代の寮生活を思い出していた・・
食事の前に米谷先輩はいつも何かに向かって感謝の
祈りを捧げていた・・
その姿は静かで神々しくさえあった
その中にはどんな世界があるのだろうか・・?
いつしか最初の扉をめくっていた・・
想像を遥かに超えた世界であった
紡ぎ出された癒しの言羽は、ここちよく心の斜面を
転がった・・
神が、不自由な身体を抱き上げてくれて、自分の伝えたい
ことを優しく聞いてくれるような気がした・・
教えと救いのその世界の水底に静かに沈んで行くのを
感じていた・・
1974年、病室で洗礼を受ける・・
ある日の午後、ひとりの清楚で物静かな女性が彼のもとを
訪れた
『私は前橋キリスト教会に通っている渡辺と申します・・』
後に彼に寄り添う花人である・・
会社に勤めながら、日曜には教会で聖書のお話を
聞いています・・と静かに語った
その教会は米谷先輩も通っていたところであり、その縁で
彼を知った・・
持参したミカンを丁寧に剥いて食べさせてくれた
彼の口元に運ぶ手つきがとても自然で心地好かった・・
『長い間父の介護をしていたからでしょうか・・』
恥じらいを宿して微笑んだ
その日から彼女は毎週土曜日の同じ時刻に病室を
訪れた
母の手伝いをしたり、彼の身の回りの世話を甲斐甲斐しく
してくれた
いつしか彼も母も彼女の訪れを楽しみに心待ちをするように
なった・・
外来病棟の二階の廊下がお気に入りの場所であった
西の突き当たりが大きなガラスで、その向うには鮮やかな
黄金色を身に付けた銀杏並木が風にざわめいている
屈託の無い世間話が途切れた・・
『渡辺さん・・結婚しょうか・・』
自分でも思いがけない言羽がこぼれた・・
『・・・・・』
車椅子の後ろの彼女は見えなかったが沈黙だけは
聞こえた・・
『私も考えていたんだけど・・今はまだ・・はっきりと返事は・・
でも・・そのことは神様に祈っているわ・・
二人で祈りましょう・・』
後ろから温かい手のひらが顔を包み込んだ
1979年に前橋で初めての個展を開く
そして9月には夢にまで見た故郷の我が家へ帰れることが
決まった!
あの日から9年4ヶ月の季節が流れていた
『もう星野さんの顔は見たくないからね・・』
おどけて別れの言葉を贈る看護婦たちだが微笑み
ながらも涙は溢れていた・・
玄関の花壇には赤いサルビアが揺れていた・・
様々な出会いがあった
事故で片腕を失った暴走族の少年に車椅子を
押してもらった・・
裕福で幸せそうだった人が、話してみると心寂しい
日々を送っていた・・
お金も学歴のない身体の不自由な人が病室を
明るく照らす人気者だったり
かけがえのない触れ合いであった
故郷は大きく変わっていた
国道や村道が整備され、新しい家が立ち並び
箱根に向かう観光バスが絶え間なく走っている
だが故郷の山々や、質素な農業を営む両親の素朴な
生活の佇まいは昔と同じであった
桐生市から妹が子供を連れて遊びに来ていた
二人で庭に出て紫陽花を眺めていた
『俺、渡辺さんと結婚するから・・』
ぽんと言羽を渡した・・
『えっ!渡辺さんって何時も来てくれるあの人・・』
『うん』
『本当に・・本当に渡辺さんが来てくれるの・・」
車椅子の後ろに回った妹は・・
『良かった・・渡辺さんなら、もう・・本当に・・』
声を震わせた・・
額紫陽花の紫が風にそよいだ・・
1981年の春、二輪の花は結ばれた
ミカンの出会いから8年の季節が流れていた・・
前橋キリスト教会の礼拝堂は鮮やかな花々で
埋めつくされていた
星野さんが一つの作品を紡ぎ出すのに十日から十五日の
期間を要する
創作時間も一日二時間が限度である
筆に付ける水や絵の具の量を細かく指示し、それを
奥さんが別の紙に塗り、風合いを確かめながら
作品を創って行く・・
気の遠くなるような細かい作業である
ある主婦から送られた手紙に忘れられない言羽がある
『子供というのは、必ずしも赤ん坊の姿を持って生まれて
くるとはかぎりません。あなたがた夫婦が心を一つにして
力を合わせて作り上げたものなら、それが絵であれ文章で
あろうと、あなたがた夫婦の立派な子供です。』
1991年に故郷の草木湖のほとりに
「村立富弘美術館」が誕生した
二十年目には来館者が600万人を超えた
今もなお、心の癒しを求めて訪れる人達が後をたたない・・
僕たちも、ひと足先に春を覗いて見ましょうか・・