安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba




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映画『イン・ザ・ハイツ』が、ヒップホップに乗って描き出す人種・文化の 多様性

   ヒップホップをブロードウェイに初めて本格的に持ち込んだ『イン・ザ・ハイツ』(トニー賞最優秀ミュージカル作品賞など4部門受賞)が、やっと映画化され、この夏、日本でも公開されました。とても楽しい映画に仕上がっていました。でもそのわりに話題にならなかったようです。

 

 皆さん、これからでもチャンスがあったら、是非ともご一見ください。遅まきながらお勧めです。

 

(ぴあアプリ版より転載)

 

 

劇団四季『アナと雪の女王』の見どころは俳優 VSテクノロジーの 全面対決

 

  ぴあアプリ版「安倍寧のBRAVO!ショービジネス」8月の回で劇団四季公演、

ディズニー・ミュージカル『アナと雪の女王』を取り上げました。果たして

ミュージカル『アナ雪』日本版はどのような具合に仕上がったでしょうか?

映画版で有名になった歌詞「ありのままで」について、映画、舞台の両方の訳詞を手掛けたた高橋知伽江さん自身の見解も紹介しています。

 

 

https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_78aebdf7-a286-4d85-8f52-04a466e61d2a.html

 

 

(ぴあアプリ版より転載)

川本三郎著「映画のメリーゴーラウンド」書評/連想ゲームで追う〝神の宿る〟映画の細部

  川本三郎さんの新著「映画のメリーゴーラウンド」(文藝春秋刊)の書評を書きました。キネマ旬報からの依頼で同誌7月下旬号に掲載されました。面白くて為になる映画エッセイ集です。それにしても川本さんって、どうしてこんなに物識りなんだろうか。

 

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  川本三郎さんの新刊映画エッセイ集に『映画のメリーゴーラウンド』(ぴあアプリ版連載、文藝春秋刊)ほどぴったりの題名はちょっと見当たらない。読んでいる間のわくわく感と回転木馬に乗っているときの浮き立つような歓びとはどこか似ている。そしてもちろん、そのわくわく感は映画を見る歓びへの誘(いざな)いでもある。

 

  この本の第1章ならぬ〝第1周〟「ウディ・アレンの新作から……ジョン・フォードにつながりました。」はアレン監督『男と女の観覧車』(17)から始まる。冒頭の〝周〟のまたその冒頭でとり上げられた作品が、ニューヨークはコニー・アイランドの大観覧車に因んだものとは!本のタイトルと平仄?がなんとなく合っていて嬉しくなる。

 

 川本さんはこの本のあとがきで「映画の尻取り遊びの本である。」「連想ゲームと呼んでもいいかもしれない。」と書いている。第1周ではいつの間にかこの遊園地名物ホットドッグの話題になる。ホットドッグにはコニー・アイランドという別称があることを初めて知った。こういうトリヴィアを仕入れられるのはこの本の余得でもある。ピーター・ボグダノヴィッチ監督『ペーパー・ムーン』(73)でライアン・オニールの口にする科白に実例があるそうだ。

 

  『ペーパー・ムーン』には、オニールが入った食堂の向いが映画館という設定の場面があるらしい(恥ずかしながら私の記憶にはない)。川本さんは、そこで上映されている映画がジョン・フォード監督『周遊する蒸気船』(35)だとちゃんと押さえている。第1周の落ちはなぜ『ペーパー・ムーン』はモノクロームで撮影されたかにあるのだが、その鍵を握るのはフォード監督である。ご存知ない向きはこの本で当たっていただきたい。

 

  折角だから私も尻取り遊びに参加したい。コニー・アイランド繋がりで私が即座に思い浮かべるのはミュージカル『オペラ座の怪人』の続篇『ラヴ・ネヴァー・ダイズ』である。場面設定は10年の歳月を経てパリ・オペラ座からコニー・アイランドへ。作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの依頼でフレデリック・フォーサイスが執筆した小説『マンハッタンの怪人』に基づく。まだ映画化はされていない。

 

  川本さんは、尻取り遊び、連想ゲームのフックの役割を果たすものにさまざまな〝小道具〟を選んでいる。たとえば本。J・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』はウィリアム・ワイラー監督『コレクター』(65)、ウディ・アレン監督『アニー・ホール』(77)、スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』(80)などに登場するという。

 

  大した記憶力。気になるディテールを見つけたらメモするのか。いやメモしたからといって必要なときに即座に思い出せるとは限らない。私は川本さんの頭脳の構造、記憶の仕組みにすこぶる興味がある。茂木健一郎センセイなら解明できるのかな。

 

 川本さんは著書『映画を見ればわかること』のあとがきで次のように書いている。

 

 「『過去の記憶は、想像力のひとつの形態である』(アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記外伝』岩波書店、清水眞砂子訳、04年)という言葉があるが(正確には『過去の出来事は、結局は想像力の一つの形態である記憶のなかにしか存在しない』)、この年齢になると、新しい映画を通して、むしろ記憶のなかの映画をたどろうとしているのかもしれない」

 

 記憶力と想像力は薄い紙一枚隔てての隣り同士、あるいは表裏一体?

 

  目に見えない音楽も小道具の一種としてフックの役目を担う。チャイコフスキー作曲『ピアノ協奏曲第1番』を繋ぎにエドガー・G・ウルマー監督『カーネギー・ホール』(47)から降旗康男監督『冬の華』(78)、今井正監督『ここに泉あり』(55)へと話題は転がる。いちばん相性のよくなさそうなやくざ映画『冬の華』でいちばん頻繁に使われているとは!抗争で父(池辺良)を失った娘(池上季実子)の一種のテーマ曲として流れるらしい。

 

 父を殺したかたきの男(高倉健)は彼女がこの曲が好きなのを知っている。そして、あるときクラシック喫茶で柄にもなくリクエストし、「今かかっているのがそれです」といわれてしまう。クラシック喫茶というまさしく昭和レトロの空間が目に浮かぶ。

 

 食べもの、本、音楽のほか鉄道、野球、猫、土地など映画に登場するさまざまな小道具、すなわちディテールは、川本さんにとって食パンの耳のようなものらしい。食パンの白い部分よりおいしさが凝縮しているのに往々にして捨てられてしまう、と(『映画のメリーゴーラウンド』あとがき)。

 

 思うに映画制作の現場では監督その他スタッフたちが細部にこだわりを見せることがしばしばあるにちがいない。端的にいえばディテールには創作に携わる人たちの熱い思いが込められているのだ。その熱意が作品の熟成度を上げないはずがない。

 

 あとがきには次のような文章も見られる。

 

 「映画批評というと、どうしても作品論、監督論、映像論となりがちで、そうなるとディテイルを語ることがつまらぬことと切り捨てられがちになる。」

 

 そして「遊びの本ではあるが、私なりにささやかな企みもある」とも。

 

  決して声高に主張してはいないけれど、既成の、一部にまかり通ってきた権威主義的映画評論への不満があって、このような映画エッセイに手を染める気持になったのだろうか。

 

  今、私は何気なしに映画エッセイという言葉を使ったが、先行する映画評論に対するアンチテーゼとしてそのような分野、名称が確立されているとは思えない。川本さんの孤軍奮闘ぶり際立つ。

 

  いうまでもなく、川本さんにはキネマ旬報2001年9月上旬号以来の人気連載「映画を見ればわかること」がある。読者賞受賞8回、5冊の単行本を生んでいる。私は『映画のメリーゴーラウンド』をこのシリーズのスピンオフと見る。「神は細部に宿る」というその信念は一貫して揺らぐことがない。

 

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