昨日、和歌山県高野山、御廟の雪道を

灯籠の灯を頼りに歩いていたのが夢の

よ様です。

色々な感情の動きが重なり日帰り。


最終の新幹線、東京駅からのJR、

京王新線と乗り継いで運良く

帰宅出来ました。


ドアツードアで七時間かかるので

日帰りは無理とずっと思ってきましたが

できるものですね。


新大阪では数年ぶりに会う友達が

出迎えてくれて駅地下食堂街の穴場の

レストランでご馳走して貰っちゃい

ました。


ハンバーグが三つも入って美味しかった

ので、これからはそこで待ち合わせる

事にしました。


結婚して最初に買ったマンショで

子育てしたママ友ですから

長い付き合いです。


会える人には空白があってもまた

会えるんですね。


二時間話して高野山に向かうことに

しました。

この日の朝に思い立って新幹線に

乗ったのです。


御幸辻の尼僧さんの宿舎に留守電を

入れておきましたが早朝から

お出かけのようでした。


高野山で修行したお寺の住職とは仲良しだし、泊めて貰えるし。


友人は、もし、どこもダメなら

家に泊まりなね。待ってるらね。

夫も年取ったけど😃と言ってくれて

難波まで一緒に行ってくれました。


途中で尼僧さんからショートメールが

入り、NHKに取り上げられてから

忙しくなって民泊の方には

手が回らないみたいで

宿泊出来ませんでした。


高野山でピカ一の尼僧さんでしたので、

やっと大きく認められて良かったなぁ

とおもいました。


雪道の高野山の御廟までの道は

バスの一の橋から二キロ。

修行のときには下駄だったので

階段の雪道でよく転んだな。

とか思い出しながら、

各大名が競って建てた五輪塔の

間の道を灯籠の灯を頼りに

幽玄の世界を歩きました。


御廟に着いた時には五時になり、

出会った人は3人だけ。


素敵な世界を沢山写メしましたが

古いこちらの携帯に取り込められず

残念です。

Facebookには載せています。


吐く息も真っ白で、靴下がみつからず

足がちゅべたい😃

長靴履いて来たのが正解でしたが。


御廟まではバス停から二キロ、

帰りは団体客が使う事が多い短い道を

通って合計三キロを駆け足で歩きました。


直ぐにバスも来てくれて懐かしい親王院に向かいました。

五時で門が閉まります。

が、修補の最中の鎌倉時代の門から入れて、勝手知ったる裏の方から

勝手口に向かいました。


たのもう~!ではありませんが😀

こんにちは~と大きな声で言ったら、

まだここに来て4ヶ月と言うお手伝いの

ご夫婦と仰る奥さんが対応してくれました。

住職さんの名前を告げて、

会いに来たのですがといったら

「前の住職さんですか?」と言われて

びっくり👀‼️


今のご住職は今日は用事で下に降りて

られるとのことでした。


今、どこに住んでいらっしゃるのか

お尋ねしてもご存じありませんでした。


お茶でも、上がられますか?と仰ってくださいましたがマグカップを2つ持っていて、お茶を淹れる所でしょうか。

折角ご住職もお留守で今日のお仕事も

終わりほっとされている時間ですから

遠慮しました。

優しい奥さんでした。


このお寺は前から雨漏りもあり、

あちこちのメンテナンスが必要でした。


2年前に発起人の方から補修するのに

必要な資金を募り、私も些少でしたが

寄進しました。

その後お礼状と金額の明細が

送られてきましたが私の師僧の

住職の名前が書かれていました。


その後お母さんと住職は辞めますとも、

辞めさせられたとも言えずに

一年前には出ていかれたみたいでした。


私の師僧は早くに亡くなられてしまい、

息子さんが30才になった頃に

住職になられ、師僧換えには

沢山のお金を要求する所も有りますが、

この方は全く要求しませんでした。


大学の冬と夏に分けて百日間の修行。

その時、わからない事は

この息子さんが居間で色々補足して

いつでも教えて下さったのです。


鎌倉か室町時代のお不動さまも

お父様のご住職から拝領致しました。

お経の声も、所作も素晴らしい

お二人でした。


経営は下手でしたし、支える人とも

上手く心を開けなかったのかも

しれません。


まだ若い住職をダメだと思っても、

お寺に縁ある沢山のご住職が今や、

世間的にも立派になられているの

ですから何とか育ててあげようと

手を差しのべずに次の住職を

たてるなんて!


住職が変わった事のお知らせは

受け取ってはいません。


違う住職からのお名前での

お知らせなら寄進しなかったと

思います。


この立派なお寺が欲しい僧侶は

沢山います。

志が立派な人も中にはいるかも

しれません。


私からしたら息子の様な若住職

でしたから、何故他の立派になった

この寺の縁者の住職ももっと

親身になって指導出来なかったのかと

残念でならず、

目の前の根本大塔や御影堂を歩きながら

涙が込み上げてきます。

自分の子供とか孫は可愛いけど

他の子供や孫にまで愛を注げる人は

殆んどいません。


私の知らない色々な人々の感情が

絡み合って住職がかわるという

事態になってしまったのでしょうが。


今、どこかで幸せなら良いなと

思っています。

そして、コロナ禍ではあっても

何故もっと早くに訪れなかったのかと

悔やまれます。


先日の中森ジュアンさんの講座でも

全ては愛をもって接するようにと

力説されていましたが

愛を枯らさずに人々に

分け与え接し続ける事は

難しいです。


出来事を大阪の友人に言いつけたかった

のですが、夜も遅くなり、

携帯の電源も無くなり

蜻蛉返り擦ることになりました。


さっき小さい地震が有りました。


まだパジャマでした😀




あ~終わってしまった♪

舟木一夫コンサート

今日はCバージョン2日目

まだあと2日間有りますが

私は本日で終了


一部は大好きな和物の歌


舞台正面の10段の階段に後ろ向きに

立つ姿にライトが当たり

正面に向き直ったお姿には

会場中の昔乙女のため息😵💨


紺色のお着物に素足に黒い鼻緒の雪駄


帯は白地に縞模様の、多分結び方は

貝ノ口かなと思うのだけれど

あまりにもキリッとした結び方

そして時間が経過しても全く

着崩れせずに、

その、なんと言うか

舟木さんが、舞台を左手右手に

歩く際の

裾さばきの動きが何とも

色っぽくて素敵すぎる~✴️


気付けの人が上手すぎる!


『新吾十番勝負』の主題歌を

歌うことになり、TBSのB1の

レストランで田村正和さんと打ち合わせ

あの頃からずっと、こうやっていました

(片方頬づえを真似てました😀)


田村正和さん、亡くなられたのは

昨年の4月。

もうずっと昔の様に感じますが


本当に美しく素敵な方でしたね


舟木さんの一部の歌は時代物が多く

11曲位ですが

二部はアンコールも含めると22曲

程もあります


勿論全て暗譜です


それを10日間も🎵


一部の歌は変わります

全部で330曲にもなりますね


毎年この時期は新橋演舞場での

お芝居が多かったのですが


最近は歌だけでは有りますが

右手の振りの動きだけでも

お芝居を見ている様な気になります


今日は特にお着物姿での立ち姿が

素晴らしかったと感じました


着物の時には袂から白いハンカチを

美しい所作で取り出してトントンと

汗を拭き、また袂にしまいます


二部のタキシードの時には汗を

やはり、トントンと拭きますが

テーブルにポン!と置きます


ちゃんと分けてるんだ😃


『高原のお嬢さん』はいつにも増して

情感溢れる歌い方でしたね


残雪の時には五段辺りから

大変軽やかに降りてこられました


今日の席は右手3階の1扉の2でしたが

1の方と空いていた見えやすい3と4に

移らせて頂きました


舟木さんは両端にはあまり移動されずに

中央付近に立って下さっていたので

全て良く観ることが出来ました


照明は3階真ん中の後ろに3人か4人の

人が大きな照明器具を右手で動かし

左手で照明の明暗を調節されていました


女性の様に見えましたが


パーカッションのポニーテール君の

事も有るので男性かもしれません😀


3階の袖席は身体を捻るので

ちょっと疲れました


兵庫県から来られた優しい人と

隣り合わせになりました


3日間続けて取っているそうです


お仕事の関係で同じバージョンの

日しか取れないのが

残念だった様でした


若い方に見えました

舟木さんが最初に好きになった歌手

だそうです

彼女は小学生だったそうですから

まだ60代ですね


60代が若いと感じてしまう

今日この頃


お寺の標語に

『大丈夫みんな一緒に歳をとる』

って書いてありました😀


『花咲く乙女たち』も

続々と会場の新橋演舞場に足を

運ばれる姿を斜め前のカフェから

眺めていると、グレーと黒の

ダウンの七分コートの方が殆んど


明るい色のコートの人はあまり

見かけません


素敵な若い女の子3人が信号を

渡っていったので!!と思ったら

会場とは違う方に行ってしまいました


みんな少し前まではあんな風に


素敵な乙女達だったんですよね


腰が曲がっても杖をついていても

舟木さん目指して一直線に

新橋演舞場目指す昔乙女さん達


舟木さんの力は凄いですよね

「薬を飲もうと錠剤(ビタミン剤でも)を

プチっとりだすのは出来ても

5つの内2つはポロッと床に。

掌に脂が無くなってきた」

「舟木一夫もダメだ」と左手で腰を

トントンとしたり😀


でも、皆さん、笑い話と

受け取っています


ファンより先に逝ったりしないでね

と言うのが皆さんの気持ち


3階袖の席は疲れたけど

色々発見できて楽しいことも有りました


舞台中央に白い三角の印が有って、

そこをまたいで歌い手さんは立つみたい


ドラムスが一段高い位置に設置

されていて周りを透明な

パーテーションで区切られていました


歌姫とフルート&サックスの人は

見えない位置でしたが

パーカッションの

ポニーテール君の動きは

よく見えました


こんなお話も

「朝起きた時、急にベッドから

立たないで布団の中で手足をよく

動かしてから

ゆっくり起きるようにと里見さんに

言われました」って!


ファンの方凄いですよね

宿泊代、交通費、コンサート代金

数日間で数十万💰️


舟木一夫という人と同じ時代、

それも最終章に近い頃に

同じ空間で過ごすことが出来るのは

ファンにとって正に皆さんが

仰るように

『ビタミンF』の供給源ですね


『湖愁』歌われないのかな

と思ったらアンコールで🎵


舟木一夫を『高校三年生』へと

導いてくれた松島アキラさんの

大切な歌ですね


舟木さんがご自分色に染めて

歌って下さっています

CDも発売されました