しゅーとめがアルツハイマー患者であることもあり、どうしてもそれ系の

話題は気になってしまいます。そんな訳で、NHKの認知症に関する取材や

ドキュメンタリーなどを録画して見る機会が増えました。

 

その中で、何となくもやもやとした気分になった番組がありました。

タイトルは忘れましたが、コロナの間に、施設に入っている認知症の両親と

面会出来なくなった家族の葛藤や、気持ちの変化を追ったドキュメンタリーでした。

 

何が気になったかというと、全く面会できなかった期間が明け、○ヶ月に1度、

15分だけ等、少し規制が緩くなった際、面会に訪れていた家族の対応です。

 

「おばあちゃん、A子だよ~、覚えてる~?」

「お母さん、娘のB美だよ」

「これ、孫のCちゃんがおばあちゃんにって書いてくれたよ」

 

違和感を感じました。

何にって、記憶をなくしていく病気を患っている人に、記憶を確かめるような、

または、覚えていることを前提とした会話をしていることにです。

* 番組の編集上、そこだけクローズアップされたのかもしれませんが。

 

どうして、入所者が楽しく過ごしているかどうか聞かないんだろう。

どうして、覚えてもらえていないことにそんなにショックを受けるんだろう。

そりゃ、気持ちは分かります。共感できない訳ではないのです。

 

でも、患者さん本人も、「家族すら忘れている」と言う事実を突きつけられて、

ショックを受けるだろうことは想像出来ないものでしょうか?

胃ガンの闘病者に「なんか痩せたね、ご飯食べてる?」とは言わないでしょう。

それと同じことのように思えるのです。

 

親子なんだから、家族なんだから、そこはいくら何でも忘れるはずがないと言う

誤解?とか思い込みがあるのか、「覚えてもらっていない」事実を受け入れるのを

苦労している人たちの姿が、そこにはありました。

 

これは、他の病気ではあまりない現象なのではないでしょうか?

そう言う意味でも、これからどんどん増えていくと言われているアルツハイマー

患者への対応は、あまりにも知られていないんだと言うことを、改めて

認識させられた番組でした。

 

実際に介護している家族でもとまどうのです、急に対応しなくてはならなかったり、

アルツハイマーの人のお見舞いなどをする人などは、全くイメージのわかない状況

だと思います。

 

もっともっと、どんな病気なのか知ってもらう必要があるなあと、改めて

思いました。

 

 

コロナの影響で、施設に入ったしゅーとめとは、基本的に会うことが出来ません。

我々夫婦は偶然、医療行為を行う関係上、2週間に1回の面会を認められています。

 

しかし、それ以外の親族、とりわけ県外に済んでいる義妹は、この2年ちょっと、

しゅーとめの声すら聞くことが出来ていません。

 

しかし、とうとう会うことが出来るのです!

と言っても、面会禁止が解除になった訳ではありません。

 

しゅーとの法要がある今年、それにに出席するために帰省する義妹家族が、

せめて窓からしゅーとめの顔を見れないかと、施設にお願いしてみました。

すると、時間は短いけれど、思いがけず直接会わせていただけるとのこと。

コロナも少し落ち着いてきたこともあり、良いタイミングにも恵まれました。

 

さて、2年ちょっとぶりの再会当日。

すでに、家族の顔を覚えていないであろうしゅーとめですが、相変わらずの

社交性を発揮し、あね孫、いも孫と手を繋ぎ、楽しそうに会話を交わしています。

しかし、そこはアルツハイマー、会話の内容を覚えられないので、

 

しゅーとめ:「今からどうするの?」

しゅーとめ:「どこへ帰るの?」

 

と繰り返し、そろそろお開きかな~、くらいの時間になりました。

 

ところで、我々がしゅーとめと面会し、別れるときはいつも、

 

主人:「仕事に行くから、ここ(施設)で待っててね」

 

と言います。それに対し、しゅーとめは素直に、

 

しゅーとめ:「ここで待ってるね」

 

と言いながら、施設のドアを入ると、すでに我々のことを忘れたかのように、

振り向きもせず、いそいそと施設の方に連れられて姿を消します。

 

ところが、この日は違ったのです。

我々と同居している間、常に義妹のことを気にかけていたしゅーとめです。

認識出来ていなくても、何か本能的に分かったのでしょう。

 

いったん施設の方に連れられて姿を消しかけたのですが、再び、ドアの所まで

戻ってきて、車が見えなくなるまで、手を振っているではありませんか。

 

新しいことを覚えられなくなったかもしれません。

でも、やっぱり記憶が忘れ去っている訳ではないのです。

状態に波があって、調子の悪いこともあるけれど、しゅーとめはやっぱり、

しゅーとめのまま、全く変わっていないのです。

 

ここのところが、アルツハイマーの誤解されているところだよなあ、と

改めて実感させられた日でした。

 

 

あけましてあめでとうございます。

なかなか更新出来ない日が続きますが、頑張って続けようと思います。

 

お正月、と言うことで、懐かしく思い出したことがあります。

しゅーとめが作ってくれたお雑煮です。

私が、現在住んでいるあたりは、味噌仕立てのお雑煮を食べます。

嫁いできて、しゅーとめのお雑煮を始めて食べたときは、衝撃でした。

 

お雑煮が濃くて甘くて美味しいんです!

そして、味噌とお餅がこんなに合うとは!

 

 

私の育ったところは、すまし汁のお雑煮だったので、初めて味噌仕立てのお雑煮を

食べたのですが、しゅーとめのお雑煮にすっかり魅了されてしまいました。

それ以来、毎年毎年、しゅーとめのお雑煮を食べるのが、私の密かな

楽しみでした。

 

それから、約20年。

 

数年前から、アルツハイマーを患ったしゅーとめは、お雑煮を作ることが

出来なくなり、我が家でお雑煮を作るのは、私の仕事になりました。

何度か作ってきましたが、なかなかしゅーとめと同じものは出来ません。

 

元々、出汁の味がしっかり効いた方が好みである私は、しゅーとめが

使っていたであろう程、味噌をたくさん入れることが出来ないのです。

そして、それはそれでまあ、美味しいお雑煮だと我ながら思っています。

 

それでも、しゅーとめのお雑煮は、そんな私の好みを超えてしまうくらい、

美味しいお雑煮でした。

 

今年もまた、しゅーとめの真似事みたいなお雑煮を作りながら、しゅーとめの

お雑煮が食べたいなあ、と、懐かしく思うお正月を迎えました。

 

今年もまた、よろしくお願いいたします。

 

 

こき下ろしてきたつもりはないですが、

  • けち
  • ドけち(強調)
  • 自分勝手

と紹介したことのあるしゅーと。

* 詳細は、しゅーと善人説part123を参照

しかし、訪問リハビリも含めた施設利用を始め、介護に対応した自宅改修、また、

リハビリと言いながらの、毎晩のショッピングモールでの外食等、これらが全て、

しゅーとの経済力の賜物であることは間違いなく、口に出して、

「ありがたや、ありがたや」とまではなくとも、何となく認識していました。

 

しかし、その認識をさらに強くする出来事がありました。

 

それは、アルツハイマーの実母を介護した、50代の独身男性の体験本を読んだこと

でした。

 

その本には、(物理的に)1人で実母と向き合い、症状が進む中、精神的肉体的に

追い込まれていく男性の姿が、綴られていました。

 

我々も、どちらかが1人で介護することになっていたら、こうなっていたのだろうか、

しゅーとめが受け身体質でなかったら、ものすごい口げんかをしていたのだろうか。

 

そんなことを考えさせられながら読んだのですが、1番印象的だったのは、

金銭問題に関する話でした。

 

男性は、1人で介護をしていたため、必然的に仕事に割く時間が取れなくなります。

それは収入が減ることを意味し、ひいては、実母に手厚い介護が出来なくなる、

よって働かざるを得ない、けど働けない...の悪循環に陥ったのです。

 

実際に、介護経験がある私でも、ぞっとするような体験談でした。

と同時に、我が身がいかに恵まれていたか、ひしひしと感じました。

 

しゅーとは(意識していたかどうかは別として)、しゅーとめの介護に当たり、

我々に一切、お金の持ち出しをさせることはありませんでした。

それどころか、介護によるものだったからとはいえ、主人は2度も介護うつで

休職しましたが、その時も、「今無収入だから、切り詰めなきゃ」といった

気遣いどころか、後になって「あの時、実は無収入だったんだわ!」と

気がつく程度のお気楽な生活を送れるだけの蓄えを遺してくれていたのです。

 

今更ながら、しゅーとのすごさに気がつきました。

(我々が)遊びに来る孫のために買っておいた○○牛と名のつく肉を、横取りして

食べたり(←やっぱり根に持っている)、○割引のものしか買ってこない等、

あの行動の全ては、ここに繋がっていたのね!

 

 

ありがとう!お義父さん!

 

...となんか、半分茶化したみたいになってますが、ホントに感謝しています。
そのおかげで、しゅーとめは何を心配することもなく、ニコニコと暮らせているの

ですから。

 

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

 

 

 

今回は、しゅーとの死去と同時に、しゅーとめのアルツハイマー罹患が

発覚し、その数日後には、歩くことさえままならなくなった時の話です。
 

しゅーとが亡くなるだいぶ前から、義両親とも、2階の部屋はあまり
使わないようになっていたようなので、同居するにあたり、自分たちの荷物
(ほぼ着替え)をそこに運び込み、生活を始めました。

 

当時はまだ、ショッピングモールどころではなく、介護生活の模索に明け暮れる

日々でしたが、しゅーとめの歩きも、家の中を伝い歩く程度には回復してきました。

 

回復はしましたが、

しゅーとめ:「私、歩くことすら出来ない...」

と、落ち込んで涙ぐむことも少なくありませんでした。

 

 

そんな頃、夫がこんなことを言い出しました。

夫:「2階のカーテン閉めてくれたの?」
私:「いや、気にしたこともないよ」
夫:「じゃあ、僕が自分で閉めたのかな。あんまり覚えてないんだけど。」

 

当時は、慣れない生活に追われて、夜になったらカーテンを閉める、等という

レベルの些末な家事?は、全く忘れ去られていたのです。

今考えるとぞっとしますが、それくらいバタバタしていたし、田舎だから

済んだ?話でした。

 

しかし、いくらボケボケ夫婦でも、覚えもないのに、2度3度と2階のカーテンが

閉められていれば、何やらおかしいことが起こっている、と感じます。

 

夫は自分ではない、と言います。

私も、カーテンを閉める、と言う概念すら消えてきたくらいですから、

全く身に覚えがありません。

 

そうなると、考えられるのは1人だけ...

しゅーとめしかいないのです。

 

しかし、いつ階段を(しかも昔タイプの階段なので、割と急)上っていたのか...

それより何より、「私、歩くことすら出来ない...」と、涙まで浮かべていた人が、

上りはともかく、あの急な階段を下りてくるなんて!

 

元々、少々被害妄想の気のあるしゅーとめは、「私、○○出来ない」という

思い込んだら本当に出来なくなります。

しかし、今回のように、「あら、2階のカーテン閉めたかしら?」
(多分そう思ったと推測)と気になった途端、その実力を遺憾なく発揮できます。

 

その結果、カーテンを閉めに行ったのでしょう。

 

歩みが衰えていたのは確かなので、良く怪我をせずに済んだな、とぞーっと

する一方で、しゅーとめの「私、○○出来ないの...」は、今後、要注意だな、

と、心に留めることとなった事件でした。

 

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)