前回、しゅーとめは相変わらずですよ~、とお話ししました。
 しかし、やっぱり全く病状が進んでいないわけではありません。

 一番変わったのは、トイレ事情でしょうか。

 

 一緒に暮らしていた頃は、背骨を圧迫骨折しててもトイレで用を足すことを譲らなかったのですが、今はおむつを手放せない状態になりました。しょうがないこととはいえ、一抹の淋しさを覚えます。

 

 また、あんなに素直だったしゅーとめが、何かちょっと不安なことがあったりした(のだろう)後、面会に行くと、「やだやだ」みたいに駄々っ子みたいな反応をすることも増えてきました。

 

 そんな変化もありますが、基本、ご機嫌で毎日を過ごしているしゅーとめです。

 

 そんなしゅーとめを、通院のため、たまに連れ出すことがあります。

 そんな時くらい、以前のようにドライブしたり、テイクアウトでスタバのコーヒーを飲んだり、わずかな時間ではありますが、外出好きなしゅーとめが喜ぶだろうイベントを考えては実行します。

 

 先日は、チョコレート好きのしゅーとめに、久しぶりに食べさせてあげよう!というイベントを企画しました。

 施設でも、三時ごろおやつを食べたりしているようなので、全くお菓子に触れていないわけではなく、チョコレートも食べているんだろうとは思います。

 

 ただ、自己満足なのですが、同居していた頃「美味しいね~」と言いながら3人で糖質ゼロのチョコレートを食べていたのが懐かしく、また、3人で食べたかったのです。なので、その自己満足企画を実行しました。

 

 通院を終え、スタバのコーヒーを飲み、とうとうチョコレートの登場です。

 例の金色の包み紙を少し開けてあげて、しゅーとめに手渡します。

 

 私:「チョコレートですよ、どうぞ」

 しゅーとめ:「(一口食べて)美味しいねえ~」

 

 同居していた頃はもっと早く食べていたのに、今日は大事に大事に食べている気がします。ゆっくり楽しんでいるのでしょう。

 

 3人で「美味しいね」と楽しんだところで、チョコレートの包み紙(=ゴミ)を回収しようと、「それ、もらおうか?」と言いました。

 

 すると、しゅーとめはいいと言います。

 まだ、手渡す気分でないのだろうと、またしばらくしてから声をかけ、断られる、を繰り返すこと3回。

 

 さすがに私もおかしいな、と思い、声をかけるのをやめて、しゅーとめの様子を見ていました。すると、しゅーとめは、金色の包み紙を丁寧にたたみ始めました。

 そして、たたんだ包み紙を大事そうに握りしめています。

 よっぽど美味しかったからか、大事に取っておきたかったのでしょう、しまいには袖口に仕込みだしました。ポケットを見つけられなかった時のしゅーとめの最終手段です。

 

 直前の会話も覚えていないことが多いのに、ちょっと前に食べたチョコレートの包み紙があんなに大事なものだって覚えてるんだなあ。

 

 その後、施設に到着し、職員さんに付き添われながら帰るしゅーとめの袖口から、包み紙が落ちましたが、しゅーとめは気が付きません。

 

 結局ゴミになってしまった包み紙ですが、ああやって、しゅーとめの頭のどこかには宝物として残るんだろうなあと、なんかほのぼのとうれしくなった一日でした。

 

 

 

 

 

 

前回の投稿からだいぶご無沙汰してしまいました。

お久しぶりです。

 

コロナも落ち着き、いつでもしゅーとめに会えるようになりました。

しゅーとめも相変わらず元気です。

今日は、しゅーとめの相変わらずな様子についてお話したいと思います。

 

しゅーとめの社交性が高いことはお話ししたことがあるかと思いますが、そのおかげか、いつもどなたかが相手をしてくれる施設に入ってからも、それほどアルツハイマーの進行を感じることはありませんでした。

 

記憶周りが弱くなっているなあ、というのは感じますが、相変わらずニコニコ笑顔のしゅーとめが、我々を迎えてくれます。

 

しゅーとめ:「どうしたの(=何しに来たの)?」

 

主人の実家に顔を見せに行った時と全く同じ反応。

我が家にいるかのような施設へのこのなじみよう、さすがです。

 

お義母さんの顔見に来たんだよ~、とか何とか言いながら、しゅーとめの個室で面会します。

 

しゅーとめ:「(私たち)どこ行くの?」

 

コロナの時、1人ずつしか面会出来なかった時には言わなかったのですが、2人で面会に行き、3人で顔を合わせると何故か言うようになった「どこ行くの?」。

明確な記憶はなくても、何か残っているとしか思えない発言です。

てか、相変わらず外出好きだね、お義母さん...

 

今から仕事に行くからここで待っててね~、と言うと、「ここにいたらいいの?」、「じゃあ待ってま~す」と素直な反応。

 

大体こんな会話の繰り返しで面会を終えるのですが、ごくごくたま~に、しゅーとめの愛するチョコレート(糖質0)を持って行き、みんなで食べることがあります。

3人で生活していた時に食べていたのが懐かしくて、また一緒に食べたくなるのです。

 

先述しましたが、記憶の衰えは感じるのですが...

荷物からチョコレートを出した瞬間から、何故かしゅーとめの視線はそれに釘付けになります。

 

しゅーとめ:「何それ?」

 

何それ、とか聞きながら、すでに何かの食べ物だ、と察知しているような顔つき。

相変わらず、食べ物に対するアンテナは健在です。

 

チョコレートを渡すと、一生懸命、でも大事そうに美味しそうに食べています。

生活形態は変わってしまいましたが、しゅーとめは全然変わっていません。

 

いつまでもこのままでいられるといいなあ。

 

 

 

しゅーとめがアルツハイマー患者であることもあり、どうしてもそれ系の

話題は気になってしまいます。そんな訳で、NHKの認知症に関する取材や

ドキュメンタリーなどを録画して見る機会が増えました。

 

その中で、何となくもやもやとした気分になった番組がありました。

タイトルは忘れましたが、コロナの間に、施設に入っている認知症の両親と

面会出来なくなった家族の葛藤や、気持ちの変化を追ったドキュメンタリーでした。

 

何が気になったかというと、全く面会できなかった期間が明け、○ヶ月に1度、

15分だけ等、少し規制が緩くなった際、面会に訪れていた家族の対応です。

 

「おばあちゃん、A子だよ~、覚えてる~?」

「お母さん、娘のB美だよ」

「これ、孫のCちゃんがおばあちゃんにって書いてくれたよ」

 

違和感を感じました。

何にって、記憶をなくしていく病気を患っている人に、記憶を確かめるような、

または、覚えていることを前提とした会話をしていることにです。

* 番組の編集上、そこだけクローズアップされたのかもしれませんが。

 

どうして、入所者が楽しく過ごしているかどうか聞かないんだろう。

どうして、覚えてもらえていないことにそんなにショックを受けるんだろう。

そりゃ、気持ちは分かります。共感できない訳ではないのです。

 

でも、患者さん本人も、「家族すら忘れている」と言う事実を突きつけられて、

ショックを受けるだろうことは想像出来ないものでしょうか?

胃ガンの闘病者に「なんか痩せたね、ご飯食べてる?」とは言わないでしょう。

それと同じことのように思えるのです。

 

親子なんだから、家族なんだから、そこはいくら何でも忘れるはずがないと言う

誤解?とか思い込みがあるのか、「覚えてもらっていない」事実を受け入れるのを

苦労している人たちの姿が、そこにはありました。

 

これは、他の病気ではあまりない現象なのではないでしょうか?

そう言う意味でも、これからどんどん増えていくと言われているアルツハイマー

患者への対応は、あまりにも知られていないんだと言うことを、改めて

認識させられた番組でした。

 

実際に介護している家族でもとまどうのです、急に対応しなくてはならなかったり、

アルツハイマーの人のお見舞いなどをする人などは、全くイメージのわかない状況

だと思います。

 

もっともっと、どんな病気なのか知ってもらう必要があるなあと、改めて

思いました。

 

 

コロナの影響で、施設に入ったしゅーとめとは、基本的に会うことが出来ません。

我々夫婦は偶然、医療行為を行う関係上、2週間に1回の面会を認められています。

 

しかし、それ以外の親族、とりわけ県外に済んでいる義妹は、この2年ちょっと、

しゅーとめの声すら聞くことが出来ていません。

 

しかし、とうとう会うことが出来るのです!

と言っても、面会禁止が解除になった訳ではありません。

 

しゅーとの法要がある今年、それにに出席するために帰省する義妹家族が、

せめて窓からしゅーとめの顔を見れないかと、施設にお願いしてみました。

すると、時間は短いけれど、思いがけず直接会わせていただけるとのこと。

コロナも少し落ち着いてきたこともあり、良いタイミングにも恵まれました。

 

さて、2年ちょっとぶりの再会当日。

すでに、家族の顔を覚えていないであろうしゅーとめですが、相変わらずの

社交性を発揮し、あね孫、いも孫と手を繋ぎ、楽しそうに会話を交わしています。

しかし、そこはアルツハイマー、会話の内容を覚えられないので、

 

しゅーとめ:「今からどうするの?」

しゅーとめ:「どこへ帰るの?」

 

と繰り返し、そろそろお開きかな~、くらいの時間になりました。

 

ところで、我々がしゅーとめと面会し、別れるときはいつも、

 

主人:「仕事に行くから、ここ(施設)で待っててね」

 

と言います。それに対し、しゅーとめは素直に、

 

しゅーとめ:「ここで待ってるね」

 

と言いながら、施設のドアを入ると、すでに我々のことを忘れたかのように、

振り向きもせず、いそいそと施設の方に連れられて姿を消します。

 

ところが、この日は違ったのです。

我々と同居している間、常に義妹のことを気にかけていたしゅーとめです。

認識出来ていなくても、何か本能的に分かったのでしょう。

 

いったん施設の方に連れられて姿を消しかけたのですが、再び、ドアの所まで

戻ってきて、車が見えなくなるまで、手を振っているではありませんか。

 

新しいことを覚えられなくなったかもしれません。

でも、やっぱり記憶が忘れ去っている訳ではないのです。

状態に波があって、調子の悪いこともあるけれど、しゅーとめはやっぱり、

しゅーとめのまま、全く変わっていないのです。

 

ここのところが、アルツハイマーの誤解されているところだよなあ、と

改めて実感させられた日でした。

 

 

あけましてあめでとうございます。

なかなか更新出来ない日が続きますが、頑張って続けようと思います。

 

お正月、と言うことで、懐かしく思い出したことがあります。

しゅーとめが作ってくれたお雑煮です。

私が、現在住んでいるあたりは、味噌仕立てのお雑煮を食べます。

嫁いできて、しゅーとめのお雑煮を始めて食べたときは、衝撃でした。

 

お雑煮が濃くて甘くて美味しいんです!

そして、味噌とお餅がこんなに合うとは!

 

 

私の育ったところは、すまし汁のお雑煮だったので、初めて味噌仕立てのお雑煮を

食べたのですが、しゅーとめのお雑煮にすっかり魅了されてしまいました。

それ以来、毎年毎年、しゅーとめのお雑煮を食べるのが、私の密かな

楽しみでした。

 

それから、約20年。

 

数年前から、アルツハイマーを患ったしゅーとめは、お雑煮を作ることが

出来なくなり、我が家でお雑煮を作るのは、私の仕事になりました。

何度か作ってきましたが、なかなかしゅーとめと同じものは出来ません。

 

元々、出汁の味がしっかり効いた方が好みである私は、しゅーとめが

使っていたであろう程、味噌をたくさん入れることが出来ないのです。

そして、それはそれでまあ、美味しいお雑煮だと我ながら思っています。

 

それでも、しゅーとめのお雑煮は、そんな私の好みを超えてしまうくらい、

美味しいお雑煮でした。

 

今年もまた、しゅーとめの真似事みたいなお雑煮を作りながら、しゅーとめの

お雑煮が食べたいなあ、と、懐かしく思うお正月を迎えました。

 

今年もまた、よろしくお願いいたします。