しゅーと善人説 Part1からつづく

 

義実家が、しゅーと、しゅーとめ、夫、義妹の4人家族であることは、以前

お話ししました。

 

毎年、ゴールデンウィーク、お盆、正月には、義妹家族が帰省するのが、義実家の

恒例行事となっており、当時、まだ小学生だった義妹の娘2人(以下、孫に統一)と

会えるのを、しゅーと、しゅーとめどちらも楽しみにしていました。

 

しゅーとは、当時から8時頃には床に就く生活をしており、孫が遊びに来ていても、

それは変わりませんでしたが、小学生の孫たちが、きゃあきゃあ騒いだり、

走り回っても、

「おうい、眠れないから静かにしろよ」と言いながらも、本気で怒った様子もなく、

やっぱり孫は可愛いんだなあ、と微笑ましく思っていました。

 

かといって、先にも書きましたが、帰省した孫たちに、特段の大盤振る舞いの

ごちそうをするわけでもなく、それでも、割引品よりは少し良い肉や魚を

用意してもてなしていました。

 

なので、「大盤振る舞い係」は我が家の仕事でした。

義実家の代わりに、カニを食べに連れて行ったり、ちょっとお高めのお店に

連れて行っておもてなしをするのです、もちろん義実家込みで。

 

そんな事が続いていたある年。

今年は、食べに行くのではなくて良い肉を買い込んで焼き肉大会でもしよう!と、

夫と、いわゆる「○○牛」と名のついた(←最近はどこにでもありますが)良い

お肉等を買いに行きました。

 

最高級のお肉等はなかなか買えないけど、それでもちょっと良いお肉を

用意しました。最高級でなくても、義妹家族、とりわけ孫たちは、

「こんなにいいお肉食べていいの?」と

可愛らしい事を言いながら、たくさん食べてくれます。

固いものはあまり食べたがらないしゅーとも、この肉は問題なかったようで、

「おいしい、おいしい」と食べていました。

大きな出費にはなりましたが、なんだかほっこりした気持ちになって、今回の

おもてなしも、無事終えることが出来たなあ、そう思っていました。

 

次の日のお昼までは。

 

次の日は、義妹家族が帰る日です。

車で高速道路を使い、数時間かけて帰るのですが、その際、車の中でも食事が

出来るようにと、帰る前にしゅーとめが、家族4人分のお弁当を作る習慣に

なっていました。

 

そのお弁当のおかずに、前日の焼き肉で、全部食べきれなかった残りが入れられる

事になりました。おもてなしの一環で購入したわけだし、それはいい!と

思っていました。

 

それが!

帰る日当日、お昼頃義実家に行ってみると...

しゅーとめが変な顔つきで、お弁当を作っているところでした。

 

夫:「どうしたの?」

しゅーとめ:「それが...」

 

いつもは夕方の割引シール時にしか買い物に出かけないしゅーとが、今朝は

早くから、珍しく買い物に出かけたというのです。そして、帰ってきて、

 

しゅーと:「昨日の焼き肉の肉は俺が食べるから、弁当にはこの肉を使え」

 

と、朝買ってきたらしい牛肉を差し出したというのです!!

そして、昼食にすました顔で、昨日の焼き肉の肉を自分で焼いて食べてしまった、

と言うのです!!

 

      

 

今まで数々、しゅーとに関するびっくりするような話は聞いてきました。

しかし、今回は私の想像の範囲を超えすぎていて、心から言葉をなくして

しまいました。

今ならば、「あんたに買ったお肉ちゃうむかっ」と内心突っ込みそうですが...

 

それからしばらくは、しゅーとの顔を見るたびに、「孫の肉を盗ったヒト」と

言う文字が頭の中に浮かんでしまい、困ったほど大きな衝撃を受けました。

 

ですから、しゅーとが亡くなった際、皆で悲しんだのは勿論なのですが、

「お義母さん、やっと自由になったね!」とか「もう我慢することないよ」とか、

親類中誰もがそう思い、これからのしゅーとめのお一人様生活での活躍を応援する

気持ちもいっそう強かったのです。

 

その矢先のアルツハイマー発症でした。

そしてそれと同時に、どういう訳か、しゅーとめの、しゅーと観がころっと

変わってしまったのです。

次回に続きます。

しゅーと善人説 Part3へつづく...

 

↓お肉の話ついでに...

   しゅーとめが居ないときに、夫と2人でこっそり食べていました。

   量も多くて大満足!でした!