久し振りの更新です。(2ヶ月振り)
『いやあ、実に忙しくてさ・・・』なんて事は一切無くて、
ただ単にブログを書くという事に興味を失っていただけです。
別に芸能人という訳でもないし、仕事という訳でもないので
基本的には私の自由なのです。
久し振りの更新なのに早々に毒を吐いておりますが悪しからず。
当ブログは洋楽を紹介する事を主としておるのですが、
前回の椎名林檎含め、最近邦楽をよく聴いております。
私は兄弟の影響で、小学生の高学年の頃から洋楽一色で過ごして参りました。友達がCDTVの話で盛り上がっていても、勿論加わる事は出来ませんでした。
だって私はその曲やアーティストを知らないのですから。
これは当時の我が家のお小遣い制度(小学4年生の私は月400円に)も起因しているのですが、音楽マニアの兄弟が1日中家が揺れる位の爆音で洋楽を掛け続けていたというのが一番の要因だと思います。
いつの日か邦楽のヒットチャートで盛り上がっているクラスメイトをどこか冷ややかな目で見ている自分に気付きました。『何であんな下らない楽曲で盛り上がれるのだろう?』と。
幼心にもそういった環境はとても大きなものです。
お金を稼げるようになった私は、更に自分の好きな音楽を、と思ってバイト代全てをレコード代につぎ込んでいく様になりました。気付けば部屋は小さなレコ屋並みの数のレコードで埋め尽くされていました。それでも私は買い続け理想の音楽を追い求めていきました。それは今でも続いています。
随分と話がそれてしまいましたが、音楽とは私にとってライフワークなのです。一番の関心事であり、最優先される事なのです。
以前のブログにも書きましたが『No Music No Life』という言葉は反吐が出る程嫌いですが、限りなくそれに近い生活を送ってきました。
そんな道を辿りながら、偶然ではあるけれど、最近邦楽に興味を持ち始めました。
最初は『何でだろう?』と思っていたのですが、『結局のところ私は日本人なんだ』という仮の、しかし現時点では確信に近い答えを導きました。つまり琴線は遺伝子レベル(先天性)で日本人独特のものを例外でもなく私の心の中にも存在しているのでは無いか?という事です。
これは断言する事は出来ませんが、およそ円周率にも違わない永遠で普遍的なものではないかと思っています。
しかしこれは悲観すべき事ではありません。むしろ喜ばしい事です。
ブラックカルチャー(Hip Hop)が永遠に日本人の核たるところに刻まれないように、邦楽は洋楽には存在し得ない要素がある、あるいは邦楽ならではの琴線が存在するという事が現実にあるからです。
日本人は洋楽の真似事をしてもオリジンには敵いません。しかし邦楽を外国人が真似てもおよそ敵いません。それはゴッホが北斎の静寂のリアリズムを遂に超えられなかった事が明かしています。
別に何が優れていて、何が劣っているという事を言いたい訳ではありません。
人間には何千、何億といったアイデンティティーというものが存在するという事です。
例えばそれが日本という情報化社会にあって、それでも失われない琴線というものが未だもってして存在し、それはとても美しいという事です。
重複するようですが、およそ20年近く洋楽を聴き続けてきて、改めて自分の中に日本人の血が流れているんだという事を感じたのです。
もう1度言います。
それはとても美しいものなのです。
『いやあ、実に忙しくてさ・・・』なんて事は一切無くて、
ただ単にブログを書くという事に興味を失っていただけです。
別に芸能人という訳でもないし、仕事という訳でもないので
基本的には私の自由なのです。
久し振りの更新なのに早々に毒を吐いておりますが悪しからず。
当ブログは洋楽を紹介する事を主としておるのですが、
前回の椎名林檎含め、最近邦楽をよく聴いております。
私は兄弟の影響で、小学生の高学年の頃から洋楽一色で過ごして参りました。友達がCDTVの話で盛り上がっていても、勿論加わる事は出来ませんでした。
だって私はその曲やアーティストを知らないのですから。
これは当時の我が家のお小遣い制度(小学4年生の私は月400円に)も起因しているのですが、音楽マニアの兄弟が1日中家が揺れる位の爆音で洋楽を掛け続けていたというのが一番の要因だと思います。
いつの日か邦楽のヒットチャートで盛り上がっているクラスメイトをどこか冷ややかな目で見ている自分に気付きました。『何であんな下らない楽曲で盛り上がれるのだろう?』と。
幼心にもそういった環境はとても大きなものです。
お金を稼げるようになった私は、更に自分の好きな音楽を、と思ってバイト代全てをレコード代につぎ込んでいく様になりました。気付けば部屋は小さなレコ屋並みの数のレコードで埋め尽くされていました。それでも私は買い続け理想の音楽を追い求めていきました。それは今でも続いています。
随分と話がそれてしまいましたが、音楽とは私にとってライフワークなのです。一番の関心事であり、最優先される事なのです。
以前のブログにも書きましたが『No Music No Life』という言葉は反吐が出る程嫌いですが、限りなくそれに近い生活を送ってきました。
そんな道を辿りながら、偶然ではあるけれど、最近邦楽に興味を持ち始めました。
最初は『何でだろう?』と思っていたのですが、『結局のところ私は日本人なんだ』という仮の、しかし現時点では確信に近い答えを導きました。つまり琴線は遺伝子レベル(先天性)で日本人独特のものを例外でもなく私の心の中にも存在しているのでは無いか?という事です。
これは断言する事は出来ませんが、およそ円周率にも違わない永遠で普遍的なものではないかと思っています。
しかしこれは悲観すべき事ではありません。むしろ喜ばしい事です。
ブラックカルチャー(Hip Hop)が永遠に日本人の核たるところに刻まれないように、邦楽は洋楽には存在し得ない要素がある、あるいは邦楽ならではの琴線が存在するという事が現実にあるからです。
日本人は洋楽の真似事をしてもオリジンには敵いません。しかし邦楽を外国人が真似てもおよそ敵いません。それはゴッホが北斎の静寂のリアリズムを遂に超えられなかった事が明かしています。
別に何が優れていて、何が劣っているという事を言いたい訳ではありません。
人間には何千、何億といったアイデンティティーというものが存在するという事です。
例えばそれが日本という情報化社会にあって、それでも失われない琴線というものが未だもってして存在し、それはとても美しいという事です。
重複するようですが、およそ20年近く洋楽を聴き続けてきて、改めて自分の中に日本人の血が流れているんだという事を感じたのです。
もう1度言います。
それはとても美しいものなのです。