今日1月17日で阪神淡路大震災から
早くも29年です。
元旦の能登の地震の時、
実家におりましたが、
思わず阪神大震災の時を思い出しました。
いろいろ思い出すことはあるのですが、
当時すでに、働いており
福祉職場でもあったので
被災した方との関わりもありました。
その時のことを少し書きたいと思います。
ライフコーチの小国里恵@京都です
40代、50代の方が
《自分ともう一度生きていこう》と
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当時私が配属されていた職場は
一般の方も宿泊できる部屋を
いくつか備えていました。
なので、震災からしばらくして
神戸からの被災者の方たちを
受け入れすることになったのです。
(その間、通常営業はストップです)
ですが、その準備としてあることが始まりました。
それは宿泊室の「備品の撤去」です。
花びん、床の間の掛け軸、絵画など。
テレビにいたるまで。
単なる殺風景な部屋になりました。
おまけにレストランで提供される
お食事の器も
陶器からプラスチックに
「わざわざ」変わりました。
当時管轄していた行政からの指示でした。
驚きでした。
それをそのまま受け入れている上司にも
当時、猛烈に腹が立ちました。
別に定員を超えて大量の方が
来られたのではないのです。
普通に受け入れられる人数だったにも
関わらず、です。
元気な方はそこから神戸や大阪の職場に
通われていました。
もちろん、被災者はお金を払ってこられる
通常のお客さまではないので、
まったく同等のサービスを長く提供することは
無理がでてくるかと思います。
ただ、誰よりも傷つき、その時もっとも
心安らかに過ごしてもらうことが必要な人々に
元からあったものを取り除いて、
「わざわざレベルの低い環境にする」のが
私にはまったく理解できませんでした。
それはまさに、被災者仕様、でした。
非常事態の現場ではもちろんそうなるでしょう。
でも、離れた場所では時間も資源もある。
おかしくないですか?と抗議したものの、
転職したばかりで
ヒラ職員の私の言うことなど一蹴されました。
せめてもの気持ちで、
職員有志で花と花瓶を持ち寄り、
毎日お部屋に届けに行ったことを覚えています。
そこで多少のコミュニケーションもとれました。
被災者の皆さんがお帰りになる日には
私たち職員と全員でお食事もしました。
神戸の海
あの震災が起きた年は
「ボランティア元年」と
言われた年でもありました。
誰もが、あまりに大きな出来事に遭遇し、
どうしていいかわからず、
それでもなんとかせねばと
右往左往していた頃。
その後、個人で被災地に支援物資を
持っていったりしました。
当時は憤慨していただけだったけど、
私も立場変われば、
どんな判断をしていたかわからないなと
今では少し冷静に振り返ります。
ただ、どうか、これまでに培われた、
いろんな場面でのいろんな知恵が
「能登」の地でも活かされていることを祈ります。
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