イヤハヤ…

3日間利根川下流地域を調査(笑)してみたわけですが、素人なりに考察してみます。

まず感じたのは、広大な流域全体が平らな一枚板のように見えることです。

(まっ平らな水田地帯がどこまでも続いている)

似たような地形は全国にありまして、私の知る限りでは本州瀬戸内や琵琶湖東側も全く同じです。このような地形は、大昔に水の底だったのが干上がって出来上がったと想像します。
こんな広大な面積を人為的に平らにすることは不可能で、水面こそは自然界唯一の水平水準器だからです。

1万年以上続く縄文時代は現在よりも海面が高く、内陸にまで海岸線が入り込んでいました。縄文貝塚(食べた後に捨てたアサリの貝殻の集積所)は内陸に分布していますが、内陸にまでアサリを輸送したのではなく貝塚のそばにまで海が迫っていたと考えるのが自然です。

すでにこういった着想は先人により十分調査されていて、利根川流域でも平野部ではなく山裾に沿って貝塚が並んでいるのです。つまりかつての利根川流域平野は冠水した場所で、人々は山裾に住んでいたのではないでしょうか。

この周辺を見回っていてもう一つ気づいたことがあります。
冒頭で一枚板のように平らだと申しましたが、完全ではなく低い段差が方々に見られるのです。特に道路際・線路際に1m未満の段差があり、その左右はそれぞれほぼ水平になっています。


写真では分かりづらいですが、こじんまりした森のすぐ手前に線路があり丁度低い段差面がこちらへ見えています。

こういった段差は縄文海水面が徐々に下がっていくのに合わせて干拓が進んだ痕跡ではないかと想像しました。

人為ではなく自然に段差ができる場合もあります。海岸段丘・河岸段丘といわれるものです。


これは銚子の突端・犬吠崎につながる君ヶ浜という海岸ですが内陸へ向かって階段状の地形になっています。これも海水面が段階的に下がっていった際にできる地形です。

利根川流域平野がかつては水の底であったことが実感できました。それと鹿島神宮・香取神宮との関連を次回は考察してみようと思いマス!