イヤハヤ…

 
本日は予告通り香取神宮へ行って参りました。
 
■香取神宮・・・千葉県香取市香取1697
 
 
 
参道前の短いお店の通りを抜けると、前回の鹿島神宮と同様の巨大鳥居があります。
 
この巨大感は写真では伝わりづらいですよ。
この鳥居をくぐると緩やかに蛇行する参道ですが、お天気がよくてなんと美しいことか!
境内はこのようになっています。現在地とあるところから登っていきます。
 
参道を上る途中の脇道に鹿島神宮と同様に要石がありました。
由来は同じで、地震を起こすというナマズを押さえ込むという内容でした。
 
参道を登って
 
また鳥居をくぐります。
 
朱塗りの鮮やかな門。写真からは判読できませんが菊の御紋と丸に三つ巴が見えます。
鹿島神宮は五三の桐紋と丸に三つ巴でしたので組み合わせが違いますね。
 
門をくぐり
 
そばに2つ祠があります。
左は天降神社で祭神は伊伎志邇保、右は市神社で祭神は事代主。
伊伎志邇保は先代旧事本紀に「伊岐志迩保命(いきしにほのみこと)山代国造(やましろのくにのみやつこ)らの祖」とあるようですがよく分かりません。
事代主も出自はよく分からないのですが活玉依姫と結ばれており、活玉依姫は鴨玉依姫と大山クイの娘。鴨玉依姫は豊玉彦とクシナダ姫の娘で、大山クイはというと天忍穂耳とイチキシマ姫の息子です。大幡主系と阿蘇系のミックスということになりますか。
 
これは香取神宮の由緒です。
祭神は経津主。これは百嶋神社考古学では経津主=ニギハヤヒ=彦火々出見=猿田彦となっています。
 
さらに巨大な楼門があり、それをくぐると…
 
拝殿前に出ます。左右には樹齢千年を超える杉の巨木が配置されていますが巨大感は写真では伝えられないですねぇ。
 
これが拝殿。真新しい檜皮葺き(屋根に檜の樹皮を敷き詰めてある)と黒々とした柱や梁が鮮やかでビシッとかっこいいです。
本殿の周囲は深い森が取り囲んで、静謐な空間となっていました。
やはり写真では判別できませんが、本殿の軒には五七の桐(桐の葉の数が違う)と菊の御紋と三つ巴の3点セットがありました。
 
本殿を後ろから。千木は外削ぎ。鰹木が多いな!
 
では境内を見てみましょう。
匝瑳(そうさ)神社、読めないですね。匝瑳は外房にある地名で、ここ香取神宮のそばを流れる大河・利根川が太平洋へ出る銚子岬の南方にある場所です。もし香取勢力が太平洋岸を北上してやってきたとして、利根川に入るとなった時に背後から援護する位置にあります。
それが香取の親だということにしてあります。
磐筒男命=八重(速)思兼(ヤタガラス)、磐筒女命=罔象女(大国主の姉)です。もちろん香取大神の親ではありません!
 
こちらには木花咲耶姫が祀られています。
木花咲耶姫は大山祇と埴安姫の間に生まれた娘で、埴安姫は大幡主の妹です。つまり木花咲耶姫は大幡主系ということができます。関東は大幡主系が多いです。
あるいは関東一円で江戸時代に木花咲耶姫が流行したその名残なのか…
正倉院のような建物もありました。
 
これは鹿島神宮。香取と鹿島の密接な関係です。
 
これは6つの神様が集められた六所神社。六所神社と花園神社と別れてますがあわせて6つの神様です。
スサノオ、その隣の久那土神(ナガスネヒコ)、この二人は親子です。大国主は上のコノハナサクヤ姫の兄ですね。雷神が具体名がありませんが、雷とつくのは崇神だと伺ったことがありますがはてさて…
龗(おかみ)神、おかみかみとでも読めというのでしょうか。おそらくは高龗(たかおかみ、たかくらじ)、闇龗(くらおかみ)のことだと思われますが、この二人は高龗=神沼河耳(鹿島大神の父、多氏)、闇龗=神俣姫(イザナギとイザナミの娘にしてスサノオの姉)で、夫婦です。この夫婦の息子が鹿島大神(天忍穂耳=海幸彦)ですので、高龗、闇龗がここに祀られていても自然ですね。
 
さて、祭神が多くて分かりづらくなったので百嶋系譜で神々を見てみましょう。
青が主祭神・経津主、赤が拝殿周辺にあった社、緑がその他です。
経津主だけ孤立してるな…と思ったら右の方、磐筒女と夫婦になっていますね。この夫婦の息子がウガヤフキアエズなので重要です。逆に磐筒男と磐筒女※2を並べられるとこれが夫婦かなと感じてしまうのですが、この二人は夫婦ではないです。変な書き方するな~。
むしろスサノオと神大市姫(=磐筒女)が夫婦でもあります。神大市姫が二股掛けてる…訳はないです。
スサノオと神大市姫の子・辛国息長姫の生年(※1)1846と、彦火々出見(=山幸彦=香取)と神大市姫(=磐筒女)の子・ウガヤフキアエズの生年1830を比べますと、ウガヤフキアエズの方が後に生まれてますので神大市姫はスサノオと別れた後に彦火々出見(=山幸彦=香取)と結ばれている、ということになります。政略的な動きだと思います。
つまり香取神宮における神々の主張は「スサノオと神大市姫」のつながりを消し、なおかつ「彦火々出見と神大市姫」のつながりも隠し、あたかも「豊玉彦と神大市姫」のタッグを主張しているように見えます(夫婦でもないのに)。
神大市姫をここまで使いまわすのは神大市姫にそれなりの利用価値があったと考えれば面白いです。神大市姫は大国主の姉であり、埴安姫(大幡主の妹)の娘なので利用価値が絶大でしょう。
しかも磐筒男が大幡主直系の息子・豊玉彦ですので、完全に大幡主系で固めてるという図式が見えてきますね(事代主も含めて)。
こうやって見ると香取大神(=彦火々出見=山幸彦)は完全にマスオさんですね(笑)! ちょっと香取大神の親が分からないので何とも言えないのですが、この系譜を見る限り他の神様と血のつながりがないですね。優秀な入り婿をみんなで応援してる、といった図式ではないでしょうか。
 
でも一つ疑問があります。
反乱を起こして殺されたナガスネヒコがなんで名前を変えて久那土神としてこんなところで祀られているのでしょう??
謎です…
 
それに、鹿島、香取という風に並び称されることの多い2つの大社ですが、香取神宮は上記のように様々な神を表に出して祀っているのに対し、鹿島神宮はその辺を伏せているのか、それとも表に出して言えないのかちゃんと表明してないです。事情があるんでしょうねぇ…
 
 
※1・・・百嶋系譜の生年の見方はちょっと変わってて、西暦2000年から生年の数字を引くと、その神の生まれた西暦が出るという数字になっています。
 
※2・・・久留米地名研究会・古川清久氏と話しててここ香取神宮の話になった際に「磐筒男=ナガスネヒコ、磐筒女=オキツヨソタラシ姫」だとお聞きしました。これは百嶋系譜とも異なることなのでちょっと私には消化不良なのですが、いずれにしても関東(特に荒川より東側)において思ったよりもナガスネヒコが色濃いということは理解せざるを得ませんね。