高野睦子の宝石blog

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高野睦子です。

絵を描き続けていてなかなか外の世界へと動き出す気になれませんでした。

が、昨日あたりからムクっと起き出した気分。

 

奇しくも乙女座新月でしたね。

ただただ眠くて、今朝は起き上がれませんでした。

 

新しい私になった気分、というと言い過ぎですが、明らかに自分の何かが大きく変化しています。

それはまだ過程だけど、今までとは何かが全く違うのです。

 

言語化ができないけれど、それができないということすら大切なことのように思うのです。

 

できないなりに今思っていることを書こうと思い立った先はWordPressの方でした。

こちらにも貼っておこうと思います。

 

 

新しい領域

宝石と神話と人間

このブログは本当に久しぶりに更新します。

ここのところ本当に探求に次ぐ探求で、ひたすら潜り続けていました。


宝石学の試験を終えて真っ先にやったのは読書。
これは、神話の世界では一体宝石はどんな登場の仕方をするのだろうか?
どんな立ち位置にいたのか?を知りたかったからです。

 

けれど読んでいても本当に宝石に特化したものに行きつかないのです。
もちろんゼロではなく、女神の涙が琥珀になったとか、太陽神アポロンの二輪車にはダイヤモンドとペリドットが散りばめられていたとか、デュオニソスが妻に送った王冠はその妻の死後、追悼の意を込めて天に投げたものが今の冠座になったとか。

せいぜいこんな程度です。

 

読み進めているうちにはたと気づいたんです。

「神にとって宝石はそれほど大きな役割は果たさないからではないか?」と。

これこそただの装飾品なんじゃないかな。
改めて「宝石は人間が意味づけをしたものだ」と気づくのです。

それは不老不死だったり全知全能の神とは違い、老いて死ぬし、いつだって未完である我々人間たちが、宝石というものにその神の姿を重ねたのではないかと。

または神の姿でないにしろ、自分たちが欲しいものを宝石の先に見て、「そういうもの」にしたのだと。

 

それにしてもすごいと思うこと

当時はもちろん現代のような鑑別技術もありませんし、研磨技術も今とはまったく違います。
ダイヤモンドに至っては、その硬さゆえ加工が非常に難しく、現在につながる本格的なファセット加工が発達するのは15世紀頃からです。
17世紀になると、光の反射を意識したブリリアント系のカットが発達していきます。

それでも古代の人たちはダイヤモンドを特別なものとみなしました。
また、後のビルマでは、戦士たちがルビーを戦いで自分を無敵にする石と信じ、身体に埋め込んだという伝承まであります。

 

これってすごいことだと思うのです。

だって原石だけを見ると、ダイヤモンドってそこまで魅力的でしょうか……。もちろん他の石ころと比べたらピカッとします。

そしてルビー。赤い原石だけを見れば、ガーネットやスピネルとよく似たものもあります。

 

では昔の人は、それらをどう見分けていたのでしょう?

調べてみると、ここでまた面白いことがわかりました。

 

そもそも、今の私たちと同じようには分けていなかったのです。

古代には、ラテン語で「carbunculus(カルブンクルス)」と呼ばれる、「燃える炭」のような赤い宝石をまとめて扱う言葉がありました。そこには、現在ならルビー、ガーネット、スピネルなど別々の鉱物として分類される石が含まれていたと考えられています。

となると、ますます気になります。

 



人間は石の何を見て、そこに意味を与えたのでしょう?

 

そんなことを考えているともう止まらなくなりまして、あれこれと文献を探しまくりました。
 

そうするとまず考えられるのは「硬度」。
ダイヤモンドは、ギリシャ語の「adamas(アダマス)」——「征服されざるもの」「屈服しないもの」といった意味を持つ言葉——に由来するとされていますから、その硬さに当時の人々は驚愕したのでしょう。
それはわかる。

 

あとは「色」です。
例えば紫は高貴な色で、一定以上の身分の人しか纏ってはいけないとか、赤は古代ローマでは皇帝の色とされてビザンティン帝国では皇帝だけが真っ赤な服を纏っていたとか。または教会の最高権力を示す色であり、他との身分を差別化する色だったと言われています。

 

そして青。青は神に近い色。
聖母マリアのマントにも青が用いられています。

 

色に関してはこうした記載がたくさんあるためこの辺にしておきますが、じゃあそもそもどうして赤を見て、青を見てそうなったの??

 

子供か?という状態で「なんで??なんで??」を続けてきました。

 

昔の人は冴え冴えだった

要するに昔の人たちは、今の私たちとは違う形で、世界を感じ取っていたのではないかと思うのです。

 

石の色、硬さ、光、重さ。
空気、匂い、風、季節、動物の気配。

 

それを「エネルギー」と呼ぶのか、「感覚」と呼ぶのか、「象徴」と呼ぶのかは、まだ私にもわかりません。

そうした感覚の鋭さが、生存に今よりずっと重要だった時代でもあったのではないでしょうか。

 

幸か不幸か私たちは安全で便利、快適な世界に住んでいますから、外気の匂いや風の鋭さで何かを感じ取ることはできなくなっているのではなくて「しなくなっている」のではないでしょうか。

子供の頃は学校の行き帰りに感じたこともあった気がするんです、こういうこと。

 

目はスマホを追いかけ、暖かく涼しい室内で過ごす。食べたいと思った時に食べたいものが食べられて、すぐに温かいお湯が出る生活。

もちろん私自身がこんな生活を愛しているから、それがダメって話ではないですよ。
ただ、昔の人がわかって現代人が感知できないとしたら、理由なんていくらでもあるなと思ったというお話です。

周囲に溢れる「モノ」のクオリティが上がれば上がるほど、何かを手放しても良くなったんじゃないかなあ。

昔の人たちの鋭敏な感覚はサバイバルの中で生きてきたからこそ研ぎ澄まされていた部分もあるだろうし、あとは圧倒的に「モノ」が少なかったからこそ精査することも簡単だったのかもしれません。

 

宝石が象徴するもの

そんなことを調べているうちに、とうとうユングの世界まで行きつきました。

 

意識と無意識。ほとんど無意識の領域を説明しているんだけど、夢でそれを探るといったことがたくさん書いてあります。
読みながら「そんなに都合よく夢なんて見るかね?」と思いつつ難解な本を必死で読んでいたんですが、ある日突然、すごく鮮明に夢を見るようになりました。

あまりに強烈だったので覚えているうちにAIに打ち込んで分析させると、これが面白い。
 

私の「無意識」からたくさんのことが炙り出されてくるのです。

ほぼ毎日、それを繰り返しているとだんだんとテーマが移行していくんですね。
 

自分では全く意識していなかったことが、夢と解説により意識化されると、現実の感覚も変化してきます。

 

今の私(まだ過程ですが)は、宝石を以前よりもずっと「象徴」として捉えることが増えました。
そして、人間と宝石との関係はもっと複雑です。

私はこれまで、お見立ての中で「この宝石が、この人に反応している」と感じることを何度も経験してきました。
けれど今になって、その感覚を別の角度から考えるようになりました。

 

「私は、その反応の何を感知していたのだろう?」

 

色なのか、形なのか。
鉱物としての特性なのか。
あるいは、それらが持つ象徴なのか。

 

人間は、宝石のそうした性質の中に何を見てきたのでしょう。
そして、それは私たちの無意識とどのように関係するのでしょう。

 

ここから先は、まだ私の仮説です。

古代の人たちが、今とは違う感覚で世界を見ていたのだとしたら、私たちにもその感覚を研ぎ澄ますことはできるのではないかと思います。同じ人間なのだから。
そういう感覚で宝石に向き合っていくことはとても面白く、自分を知るための旅路になると思うのです。

宝石を調べていたはずなのに、気づけば神話を読み、宗教を調べ、色を追い、とうとうユングまで来てしまいました。
でも今は、それらが別々のものには思えません。
宝石を知ろうとすると、結局、人間を知ることになる。
しばらくこのブログでは、そんなことを書いていこうと思います。

 

 参考文献 「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫
      「西洋シンボル辞典」八坂書房
       プリニウス『博物誌』第37巻
       Gemological Institute of America(GIA)「Ruby History and Lore」

 

 

 

 

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高野睦子です。

散らかっている私の日常

昨日は神話とユングと象徴としての宝石についてのお話を書きました。


もともとは「似合う」という観点からアクセサリーを売っていたのに、気づけばユングって(笑)。

面白いものです。

 

この「派生」についでにもう少し掘り下げさせてください。
一つお断りしておきたいことがあります。これは「私物語」を語りたいわけではないのです。

こうしたことを誰もがやっているはずであり、またはやらずに流してしまっているかもしれない。
けれどやっているうちに何かが生まれるかもしれないという「自分の掘り方」についてのお話ができたらいいなと思っているのです。

 

 

さて、読書は6月末から開始しまして、だいたい3冊ほど同時進行で読んでいます。
じっくり読みたいものはメモをとりながら。流せるものは電車の中で。

 


そんなことをしているあいだになぜか猛烈に絵が描きたくなったのです。

8月に入り、友人がやっている絵画教室に行った日のこと。
「2時間じゃ足りない・・」そう思ってその日の夜から絵を描き始めました。

 

しかしまあ描きたいものが描けない。

このフラストレーションが異常で、どうしたら私が見えているものがそのまま描けるんだろうか?という問いが止まらなくなりました。
 

描いても描いても全然的外れなものが生まれる。
もどかしさで悶えたほどです(それは今も進行形)。

 

それでも毎日毎日描いていて、基本的な知識がないと絵は描けないなという結論に至りました。
もちろん天才はそうじゃないでしょう。見たものをキャッチして描ける人はたくさんいるはず。

 

 

けれど私にはそんな才能がないまま50年以上も生きてきました。陰影の入れ方もわからない、パースもわからない。顔を描いたら目の位置が変な場所にくるし、手をかけば妖怪の手みたいになる。

ほとんどの絵が平べったい絵に仕上がってしまう。

 


埒が開かないので、セオリーを知ることから始めようと思いました。

そこで絵画教室に通うことにしました。うちから徒歩5分。
週一通えるところへ。

とはいえ、先生がべったり張り付いてくれるわけでもなし、講義があるわけでもない。
描いた絵を手直しをしてもらうというスタイルなので、セオリーの勉強は専らYoutubeと本です。

 

 

移動中も顔の書き方の動画を見たり、家にいるときはご飯を食べるのも忘れて絵を描いている。

一体この原動力?源はなんなんだろう?って自分でも不思議なくらい。

 

一つは悔しさだと思う。どうして描けないの?という悔しさ。
これはいままでは「絵が苦手なのよね〜〜」で済んだんだけど済まなくなった。
じゃあなぜ済まなくなったんだろうか?

そんな問いはずっと自分に投げかけていました。

で、わかったこと

私は宝石をお渡しする際にお手紙をお客様に宛てて書きます。
それは私からというより宝石から、という感覚で書いてきました。

 

が、それに加えてその宝石の世界観を絵で表現したくなったのです。

自分がその宝石に見ている世界をお客様にお届けしたくなった。
けれどこれってとてつもなくハードルが高く、さまざまなモチーフが描けないと無理な話なんですね。

原始人が月へ行きたいと思って実践しているというレベルです・・・。

この壮大な夢は生きている間に叶うのだろうか?というのは今の段階では不明です。
かなり危うい。

 

 

自分で好きで描く分にはなんでもいいけど、誰かにお届けするとなると一定以上のクオリティは欲しいわけですから。

となるとですよ、「趣味です」というほど生ぬるくなく、遠いながらもゴールがあるわけなんです。
そしてなるべく早くそうしたいという「期限」もある。

って、この前の試験と同じパターンじゃないか・・・。

 

 

期限と目標があると過集中するというのが私の習性であり、これはもうやめろと言っても止まらないのです。

先日友人に言われました。
「過集中してしまうのではなくて、自らそれを求めていっているのでは?」

 

 

そうかもしれません。
なぜならばこの「過集中」に入ったあと、普段は気づいていない自分の深い部分から、何かが出てくることがあるからです。

 

フロー状態?

いわゆるなんとかハイってやつだと思うんですけどね、これ。
このゾーンに入ると後から必ず何かが出てくるのです。

アイディアなのかやる気なのか自己理解なのか。
そのときによってさまざまですが、源泉につながるという気がしてならないのです。

 

ただ、これに関してはなんでもいいわけではなく寝食を忘れるほど夢中になれることというのがキモ。

夢中になれずに集中するのは苦行ですが、夢中になれることに時間を割けるのはとても幸せなことです。

 

 

今は時間が許す限り絵に割いているわけですが、その間に自分のやりたいこと、感じていること、そして向いている方向に気づくんですね。

 

で、夢中になったこと(ここんとこ)を羅列してみると神話、無意識の世界、夢、そして絵画。ついでに言うとピラティスも案外解剖生理学につながるため、結びついているのです。

 

ここにきて「あれこれ忙しいな」と思っていたのですが実は全てが同じ地下水脈につながっていたんだ、と最近思うようになりました。

地上から見れば、宝石、神話、ユング、夢、絵画、身体・・・。
まったくてんでバラバラに違うことをやっているように見えます。

 

でも私の中では、どうも違わない。

 

宝石を見ていると、その向こうにある意味を知りたくなる。
神話を読めば、なぜ人間はこんな物語を作ったのかが気になる。
夢を見れば、自分の中に何があるのか知りたくなる。
絵を描けば、自分に見えているものをどうにか外へ出したくなる。

 

 

結局私はずっと、「見えているものの向こうにあるもの」を知りたいのかもしれません。

それが私の地下水脈なのかどうかは、まだわかりません。

 

でも最近思うのです。

自分の地下水脈は、最初から地図を広げて探すものではないのかもしれない。

 

なぜかわからないけれど気になる。
やめようと思ってもまた戻ってしまう。
誰に頼まれたわけでもないのに、もっと知りたい、もっとやりたいと思ってしまう。
 

あと、もう一つ。こういうものって、その時点では「役に立つ」ものではないことも多いと思います。

これが案外、一番の難関です。

特に私のように個人で仕事をしていると、「それ、仕事になるの?」「売上につながるの?」という声が自分の中からすぐに出てきます。何の役に立つのかわからないことに時間を使うのは、結構な罪悪感を伴います。

私にとって絵は、まさにそうでした。

 

 

でも地下水脈って、掘っている最中にはどこにつながっているかわからないものなのかもしれません。

役に立つとわかっているものだけを掘っていたら、すでに知っている場所にしか行けない。

 

それでもそんな場所を掘って、また別の場所を掘っているうちに、あるとき「あれ? ここ、地下でつながってない?」と気づく。

だから、もし今、自分のやりたいことがわからない人がいたら、最初から「私のやりたいことはこれです」と決めなくてもいいんじゃないかなと思います。

 

 

なぜか水が出る場所を、とりあえず掘ってみる。

私はもうしばらく、絵という場所を掘ってみます。

 

 

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高野睦子です。

 

みなさまご無沙汰しております。

びっっくり。

気づけば9月ですよ。

 

なんと8月10日が最後のブログ更新・・・。

過去最長の放置。

 

ブログをここまで書かなかったのも初めてだし、SNSもほぼやっておらず。

 

一体何をしていたのかというとただひたすら没頭していたのは読書と絵画。

 

最初は神話から始まったんだけどこれがエスカレートして手に入らない本まで探し、図書館にも通っていたりしていました。

そして8月11日の絵画教室から絵を描きたい熱が猛烈で・・・とうとう地元で絵画教室に通い出し、今ほとんど家にいて絵を描いています。

 

描いていますというか、描けないからひたすら「なんで描けないんだろうか・・」という時間ですけどね。

思ったとおりに書けない。目で見た通りに書けない。

 

というより見方が甘かったということがわかったんだけれど、絵を描く人たちって全く別の視点を持っていたのだという驚愕もあったりして。

 

できないことを夢中でやるって、発見がかなり多い。

そもそもなんでここまで絵にどハマりしているかというと、最初宝石の絵を描きたかったんです。

 

お客様に完成品と共にその宝石の世界観をビジュアルで渡せたらいいなあって思って描いてみた。

が、宝石というのがこれまた難しいお題だったようで・・・。

 

カボションカットならかけるのだけど

 

試行錯誤してほぼ千本ノックですよ(得意なやつ)。

 

ファセットが上手くいかない。立体感がでない・・・。

 

で、デッサンから始めようと思い立ったんだけど、きちんとした直線が苦手だと気づく。

動物なんかは割とゆるっとしたラインだけど箱や瓶などを書こうとするとシャープに書けないのです。

 

それって宝石を書くには致命的だなと思うわけですよ。とかなんとか一人脳内でダメ出しとかしつつ、でも数打てばいつかできるようになるだろう・・・とこれまた得意なやつ(笑)。

 

 

そして先週、うちの弟の愛犬が天に召されました。

15歳。可愛がって可愛がってほとんど一心同体だったから本当に辛いと思う。

こういう時、励ましの言葉も思い浮かばず、絵を描いてみようと思ったんです。

 

 

これが初日。

「描けるのかなあ」という疑念と不安からスタートし、「難しいな」「やっぱり無理だよね」という迷いを伴って書き上げた一枚。

なんとなく犬っぽい形になり、なんとなく面影を感じる・・・かもという程度。

 

 

翌日、改めて絵を見て、到底プレゼントなんてできないこんな絵・・・と思って今度はかなり集中して描き始めた。

それと、絵画教室の先生にコツを聞いたりして。

 

かけた時間も3倍より多いかも。要するに本気度が高かったというわけです。

 

これはそのうち額装してプレゼントしようかな〜。

でもこういうのって数年経ってもし今より絵が上手くなっていたらとても恥ずかしく感じるんだろうな。

 

というか未来に今より絵が上手くなっている私がいてくれることを夢見ている日々(笑)。

イメージとしては星飛馬っぽい取り組み方ですけどね。。。

 

で、ほとんどの時間を絵に割いているものの読書も進行中で、宝石に関する文献をとうとう中世まで遡って調べてみたりしているんだけど、案外ユングの世界に宝石が出てきたりして、面白いなあと思うのです。

 

こうしていると時間がいくらあっても足りなくて、たまに夜眠くなる自分を呪う。

無限に活動できたらいいのにって思うのよね。

 

ちょっと前の宝石学の勉強と違うのは、集中はしているけど気持ちは追い詰められていないので毎日ピラティスに通っているというところ。

 

学校にいきながら「終わったらeverydayピラティスだ!!」と言っていたこともその通りになりました。

もう一つ言っていたのは「終わったら書道を始める」だったけど、書ではなく絵を始めたわけです。

 

理由は明白で、書は白黒の世界でしょ。私は色を描きたいのです。

色だけやらせてくれたらいいんだけどその手前がむずすぎる。

 

というわけでなかなか自分が満足できるゴールが遠そうです。

 

8月は休息ね・・・とむっちーの下半期リーディングで言われていたけどまさに8月は自分の世界に没頭していました。むしろ自分の世界に旅していたという感覚。

快適だった〜〜。

 

あ、ついでにお酒をやめていました。

100%ではないけどお酒を飲む人に夜会う時以外は飲まないというルール。

 

結論としては私はあまり大量に飲まないから、飲んでも飲まなくても何も変わらんということがわかりました😛

「飲まないと次の日がスッキリよね」という方もいるけど、な〜〜んも変わらないのです。

なので禁酒もわざわざしなくていいなと思ったけど、「飲みたい❤️」と思った時以外、習慣で飲む必要もないかなと。

 

こうやってあれこれと価値観が刷新されていく日々。

自分が音を立てて変化していくのがわかるのって、若い頃なら怖かったけど今はもう「おもろ」と思って遠巻きに見ている感じです。

 

そしてそろそろ、試験結果が届くはず。

それが出るまではなんだかんだ落ち着かないなあ・・・。

 

というわけでみなさま今月もよろしくお願いいたします!

 

 

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高野睦子です。

 

 

私たちは日々、生活をしていて、それはもう惰性により流される部分もたくさんあるし、そうではなくて意図・意識的なこともあるわけです。

 

例えば朝起きて会社行って仕事して〜はほぼルーティンとなっているけれど、その帰路で英会話を習うとか本を読んだりするというのはプラスの動きではないですか。

 

そのごちゃ混ぜで生きている。

 

でね、ここからは自己啓発系のことに特化するけど「わかった💡」「そうだったんだ💖」という気づきってあるじゃないですか。いわゆる気付きですよ。

 

そうなんだ!腑に落ちた〜。

つながった〜〜。

 

など。アハ体験レベルの気づきが起きることがある。

 

それは学ぼうとした、探究した、意識的にアンテナを張った・・・そういうことをしたからこそ得られるからとても尊い。

 

しかし、気づいた💡だけでは血肉にならず、一瞬の刺激としてそのうち消えてしまうのですよ。

その気づきを自分のものにするためには、行動と実践と、そして検証をひたすら続けていくことが必要になる。

 

ただ、こうして↑字面に書いているとめんどくさそうに見えるけど、実際はそんな面倒なことじゃなく、気づいたり腑に落ちたことを今度は「本当に??」と疑いや問いを持ちながら、微細に丁寧に見ていく時間が必要になってくるわけです。

 

例えば「人生ってなんて美しいのだろう!」と気づいたとする。シチュエーションはヨガの瞑想会に行ってある日突然開眼した的な雰囲気。

 

しかし、ここで感動しても、その後何もしなかったらそれは思い出にしかならない。

 

人生は本当に美しいんだろうか?と里(ここではホームor日常的な意味)でもひたすら検証し続ける。

ホームで起きた気づきだとしても同じことで、何度も何度も自分に問いをぶつけ続ける。

 

美しいのか?という問いのフィルターをかけると、そうしたものが集まってくるものだし、その集まったものをまたちびちびと検証し続ける。

 

すると「本当に里にいてもどこでも人生って美しいのだ」と腹の底まで落とし込めるかもしれないし、いや、あれは勘違いだった。もっと別の表現になるかも?ということになるかもね。

 

何が言いたいかというと、ひらめきや気づきはただただ「仮説」でしかなく、その仮説を高らかに「気付き」と説くのは尚早だなあと思うわけです。

 

気づきをゆくゆくは血肉に変えるという発想は意外と大事なんじゃないかと思う。

それはすごい大変なことじゃないけど、一朝一夕ではできないことでもある。

 

付け焼き刃的なものはやはり付け焼き刃でしかなく、とても脆くすぐ剥がれちゃう。例としてメッキの方が適切だろうか。

一方、内側から研磨され続けたら、滅多なことでは崩れない。

 

宝石を手にするのもそういう感じで、

わあ!この石素敵でいいことありそう!

これではそこで終わりなんだな。

 

いいことありそうな石をどう育て、石と共にどう育つかは自分次第。

「行動・実践と検証」を繰り返すことがとてもとても大切になるのです。

 

買った時からがスタート、といつも言っておりますが、買った時の初心も忘れないで欲しい。

そして日々、何を「行動・実践と検証」するのか?は常に意識したいものです。

 

付け焼き刃やメッキではなく、本当の研磨された人になるためには日々の意図がやはり最重要な気がする。

 

大きなことじゃなく小さなこと。

ここを攻略できたら、石もとても上手に使えるはずです。

 

 

 

 

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高野睦子です。

 

 

今日は虎ノ門サロンでお客様をおむかえしました。

3年前にフランスに渡ったお客様。

 

 

むっちーのご縁で知り合ったお客様で京都にいらしたのですが、現在はフランスに住んでいます。

めっちゃくちゃお会いしたかったので今日はとてもハッピーです。

渡仏してからのお話をたくさん聞くことができて、感動レベルで心が震えました。

ありがとうございました。

 

思えば、今の私の日常にいる人たちって仕事を通して知り合った人ばかり。

今の宝石もそうだけど前職も含め、仕事を通してのご縁なのです。

 

そして私がその仕事に出会ったのも、自分の意思ではなかったんですよねえ。

「宝石が大好きだったんですね!」ってよく聞かれるんだけど、そんなことは決してなかったんです。

 

宝石好きな人というのはある意味偏愛的で、宝石学の学校に行ってもその偏愛ぶりに驚かされる人ばかりでした。

 

私などそれに比べたらヒヨッコ以下。

ならどうしてこんな仕事をしてるかというと本当に「行きがかり上」としか言えないんです。

 

本来なら「宝石が子供の頃から好きで好きで、いつかこれを仕事にしたいと思っていて、夢を実現してこれを仕事にしています!」って言うのがもしかしたら望まれる答えなのかもしれません。

 

でも残念ながら違うんです。

 

それほど興味もなく、なんなら石より金の方が好きだったしねえ。

けれどどういうわけか石を生業にしているという不思議。

 

やってみて今自分で思うのは、この仕事が合ってるなということなんです。

逆説的なんだけど、それほど思い入れがあるわけじゃないからコレクションにしないし、その人に一番必要なものを忖度なくお勧めできるのも、執着がないからできるのではないかと思うのです。

 

ただ、これはひたすら後付けの理由であり、ならどうしてこうなった?と聞かれると本当に「行きがかり上」としかお答えできないんです。

 

その時々の自分にとっての小さな選択は、「これを仕事にするぞ」なんていう決意もなくて、この瞬間こういうことに惹かれたからそうしてみよっかな〜が積み重なっただけなんですね。

 

けど、最近それが少し変わってきた。

それは仕事をする中で「探求」とか「研究」「実践と実証」みたいなことを繰り返してきたら、どんどん問いが生まれて、それを解明したくて前に進んでいるという感じ。

 

臨床をし続けているという自覚はあります。

 

そんな感じでここまで流れてきて、宝石学の試験だってあれほどヒーヒー言ってたけど、申し込んだ当初はあれほど大変なことにチャレンジするという自覚は皆無でした。

 

そう考えると私の人生って一ミリも計画性がない。

 

というか、あったのは結婚まで。

あの高校に行きたい、あの大学に行きたい。結婚を25までにしたい。みたいな思いはあって、その通りに生きてきたんですよね。

 

けれど、結婚が一つの転機だったのかもしれない。

家族が増えるということは、思い通りにならないことの連続で、思い通りにならないからこそ瞬間瞬間のベストを選ぶということにシフトしたタイミングがあったんじゃないかと思います。

 

それは長期的な計画というより、瞬間を選び取るに変わったため、ゴールはいつも読めないのです。その結果が今(笑)。

 

なので自分の未来も全く読めないんですよねえ。

「こうなりたい!」も実は全くない。

 

これってある意味怖いことなのかもしれないんだけど、私にとってが30年以上これで来てるから、今更怖いも何もないんですけど。

 

で、何が言いたいかというと、その場その場で出会う人とのご縁で今の自分ができているということ。

人との出会いが展開を生んでここまで転んできた感じ。

 

だから出会いがなければ今の私はないし、もっとたどると仕事がなければ今の出会いもなかったということ。

 

で、この仕事も出会いで作られているからやはりご縁以外に何一つなかったということなのです。

 

わかっていたつもりだけど、改めて考えるとすごいことだなあ感動すら覚える。

 

人が生まれてから死ぬまで。

ご縁というものが全てを握っているんだろうと思います。

 

それを繋いでくれるのも人。

 

なんか感謝の念が湧いてくるので皆様、ありがとうございます。

だって現実的にお会いしたことがなくてもブログをフォローしてくださっている皆様もご縁だもの。

 

すごいことですね。いい時代だ。

 

 

 

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