職業:作曲家のつぶやき -2ページ目

 職業:作曲家のつぶやき

  作曲家 Takayuki Mitsuhashi の音楽活動を中心に紹介していきます。

お久しぶりです。相変わらず、のらりくらりやっている三橋です。

 

気づけば、前回の更新から10ヶ月くらい? 色々なことがあったのだろうが(目まぐるしくて覚えていないが)とりあえず、先日会社の決算を迎え、今期もなんとか滞りなく税金を納めて参りました。それに少し関連して、2点、真面目に愚痴りたい。

 

●インボイス問題

このブログを見てくださっている方々の多くは、会社員をされている方も多いかと思うのですが、経理にでも携わっていなければ、この「インボイス」って、きっと無関係なんだろうと思います。これはざっくりと説明すると、年収1000円万以下の個人事業主に関係するもので、売上が1000万に満たない事業者は、大変だろうから消費税は免税してあげようという今まであった優しい制度を、改悪する動きであった。ざっくりの説明になるが、これまで通り免税状態をキープすると、取引先(発注元)の消費税負担が増える(損をする)仕組みであり、なんというか、意味不明な連帯責任というか、そういった税制に変更したのだ。

 

この意味不明な連帯責任ってのがポイントで、例えば私の会社は免税の枠から外れているので、関係ないと思いきや、ものすごく関係している。なぜなら、うちの会社は、免税業者ではないが、元請けとして、たくさんの下請けの免税業者さんと取引があるからだ。実際、インボイスに登録している取引先、していない取引先が混在しており、まずは、急に増えた消費税負担に関して、自社で負担するのか、下請けに、報酬を減らす形で負担して貰うのか、折半するのか、そんなことから思考がが始まり、また、決算になれば、消費税計算が当然複雑になり、それに向けた日々の会計登録の方法も変わった。今までの請求書の形も変える必要があった。今までであれば、等しく扱われていたので、要は、振り込んだ記録さへ残っていれば経費として認められたものが、わざわざ、あんな紙切れ(インボイス/適格請求書)を添付しなければ、経費として認められなくもなってしまった。通販の会社さんなども、お客から、いちいちインボイスを発行してくれと言われて、きっと頭を抱えていることだろう。

 

何が言いたいかというと、真面目に仕事して、申告して、免税でもなく、税金を納めている会社が、なぜそのような負担を被らなければいけないのか?という点に尽きる。売り上げの低い自営業者から、それでも税金を搾り取りたいと政府が考えたのだろうが、であれば、「免税を撤廃する。」それだけで良かったじゃないか。批判を恐れたのか、半端な制度を作って、真っ当にやっている会社の税負担と、それ以上に事務負担を増やしていることに関して、もし想像できていないのだとしたら、やっぱり、役所の人や政治家って、頭悪いのかな?と思ってしまう。会社員だったり、お金もちだったり、きっと、会社の経理のこと、自営業者のこと、やったことないんだから、想像できる訳も無いが、なんか、そんな人たちに、勝手に税制を変えられると思うと、なんだか失望である。もう少し、現場を知っている人間が、そういった制度を作って欲しいものである。という訳で、私は、免税業者でないが、インボイス制度には反対です。理由は、事務負担が、あまりに大きいし、単純に、ただでさへ無駄に複雑に思えるこの税の仕組みを、またまた複雑にしてしてしまった点に尽きる。会社員やお金もちは、そもそも税金の処理は税理士なりに丸投げなんだろうから、それにも気づける訳もないかと、これにも失望。

 

impress business media によれば、インボイス導入による消費税収増は「年間2,480億円」一方、この制度により増えた経理事務負担の人件費の試算は、年4兆956億円と16倍以上のコスト増だそうだ。年間2480億円を得るための事務作業で、年間4兆956億円を払う。なんとも無駄であるし、さすが、お役所仕事。とも言える。(ある意味期待通り)自営業者のみならず、会社経営者も、怒っていいところでは?と思う。それだけ、政府のせいで無駄なコストを払う羽目になっているのだから。

 

●政治資金(裏金)の問題

まだまだ記憶に新しい、政治資金規制法を巡る問題。これも腑に落ちない。一応、今回の不祥事を受けて、規制法は改正されたし、肝になっている連座制(政治家と会計責任者が連帯で責任を負う)も導入とのことだが、この連座制は、なんちゃって連座制であり、結局はザル法であるとの指摘も多い。さらに許せないのが、納税の問題。あれだけの大金(裏金)を、申告もせずに口座に何年も入れておいて、延滞金や追徴課税、重加算税などのの話は結局聞かれない。

 

ちなみ話だが、一般企業でも、毎月税金を納める必要がある。私の会社でも、少なくとも源泉徴収税なるものを、毎月計算して、納める必要があるのだが、忙しすぎてその入金を忘れてしまうことがあった。するとどうなるか、1ヶ月半くらい経った後に、通知が届き、急ぎ連絡の上納税するわけだが、その数週間後に、しっかりと延滞金の請求が来るのである。それもなかなかな額だ。ざっくりの記憶だが、例えば10万円程度の納税がうっかりミスで1ヶ月半ほど遅れたとして、その延滞金は確か5000円程度。

 

10万に対し、約1ヶ月で5000円ですよ!!5%ですよ!!もちろんルールですからね、払いましたよ。自分を戒めつつも、2度、そういったことがありました。

 

さて、ここで問題です。数千万もの申告漏れ(仮にうっかりミスとしよう)があり、それが数年にわたり口座においてある状態。うちの会社の例と比較してみよう。

 

仮に1000万の申告漏れがあったら、その人は、たった1ヶ月の期間で約50万。1億の申告漏れなら、500万。

それが、1ヶ月どころではなく、数年に渡るということは、金利の理論で言えば、それこそ10倍とかでは効かないはすで、更にそれが悪意があれば、重加算税とかになって税率が上がってもおかしくない。

 

だが、どの政治家も、責任を感じて納税しましたという記事は目にしない。政治家ってなんでもありなのか? そして、動かない税務署にも呆れる。君らは、結局は、強いものには立ち向かわないんだなと。「公平感が全くない。」これにも失望である。個人的には税務署の人、嫌いじゃなかったが、今回のことで、僕の中での嫌悪レベルは上がってしまった。

 

一生懸命、ホワイトに経営しているのが、馬鹿らしくなる国って、健全ではないと思う。何かDXだ。お前らが仕事増やしてるだけだろーがよ。と言いたいのである。

 

追伸、NISAを推進している政治家本人が、株を1つも持っていないという事実もわろた。そりゃ、資産家で生まれれば、株なんぞに興味が無くても不思議ではない。これにも失望。

 

以上、愚痴でした。

 

皆さん、まさかのもう年末近いですが、お元気でしょうか? 三橋は、先月からの締め切りがあれこれ、だいぶ落ち着き、こうして夜な夜なアマプラ見たりブログを書いたりしています。映画の音楽やストリングスコンサートアレンジ、ロックな歌ものなど、忙しくも楽しくお仕事させて頂いておりました。

 

忙しくも「楽しかった」のには理由があって、半分は、単純にクライアントさんの人柄が好きだからっていう、感謝感激ありがたすぎるラッキーなのですが、もう半分が、自分の音楽の感覚に、また一つ大きな変化が生まれたからだ。

 

ちなみに、この大きな変化っていうのは、あくまで主観の話なので、側から見たら、「あなたの音楽、何か変わったの?」と思うレベルなのだろうが、、僕自身にとっては、5年くらいに一度訪れる、大きなギアチェンジといったイメージだ。Windows 98 から 2000になったような印象でしょうか、、

 

僕は比較的、自分の音楽を客観視できる方で、特に、自分が、自分が目標としいる技術のレベルに至っていない時などは、はっきりと分かる。あー、出来てないなあと。どこが悪いのか分からないから出来てない訳なので、どこが悪いのかは分からないのだが、「出来ていない(達していない)こと」だけははっきり分かる。

 

そんな私なのだが、ずーっとくすぶっていたバランス感覚が、やっと一定量整ったというか、、ドラクエで例えるなら、村の中での修行を終え、防具や武器、回復アイテムを揃えて、いざ、洞穴へ向かう。そんな状況に近いかもしれない。修行を終えたというよりも、修行はもう終えなければならない。そういった感覚でもある。

 

音楽は、きっと一生かかっても味わい尽くせない、無限に近い深みがありそうだが、残念ながら、人生は有限である。技術をどれだけ高く積み上げられるかは、基礎となる土台の面積がどれだけ広いかに比例すると僕は考えてきたし、エリートでもないので、その分、基礎的な能力の切り上げは重要視してきたつもりだが、その部分について、自分に納得サインが出る、そんな感覚が、昨年、ある曲の制作中に訪れたのでした。「よし、これで、戦える、これで戦おう。」と。

 

なので、これからは、徐々に、「音楽を勉強している」という感覚から離れて「自分がこうしたいから、自分がこう思ったから」という能動的な気持ちで、「様子見」ではなく、「主張」と、「だってこうしたいんだもん」を盛り込んだスタイルに、徐々に変化していきそうだし、そうしていきたいなーと初めて思った出来事であり、「種まき期」を終えて、「収穫期」に移り変わる感覚? 第1章が終わって、2章が始まる感覚? 箱根駅伝で、三角コーンを折り返した感覚? 夕食で出された好物のハンバーグ本体をとっておいて横の人参とか、きのことか先食べて、いよいよハンバーグにいく感覚? そんなようなイメージだろうか。  

 

この感覚が自然と訪れるタイミングを、予想して狙った訳でもなかったが、42歳。折り返すには丁度良い? 早いか遅いかで言えば遅いんだろうが、僕にとってみれば、船に間に合っただけで十分ありがたいと思っていたりするので、そんな感謝の気持ちを持って、行けるところまで、音楽の神様に行かせて貰えるところまで、頑張りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、僕が実際に過去に経験した、「素敵な大人に出会った話」"結果は他人が評価するもの"  〜高校3年生編〜 をお送りしたいと思います。突発的な企画なので、続編あるか分かりませんが、暗い話が多いので、何か日本の良い話を書きたいなと思って、書いています。

 

時は遡り、三橋少年が、高校3年生の時の出来事です。17歳か? 話の舞台は校内の合唱コンクールです。クラスの選曲係となっていた私。みんなで何を歌おうかと選曲を考えたが、どうもピンとこない。ならば、自分で作っちゃダメかいな?と、クラスメートに相談したところ、即答でOK。曲は僕が。(← ちなみに人生初の作曲です。)歌詞はクラスのみんなで考えた。

 

お父さんが音楽の先生をやっているクラスメートの家にあったPC内の譜面ソフトを使わせてもらって。(ちなみにその友達が、リポビタンDとコーラを混ぜた飲み物を随時僕に作ってくれて、ありがたかった、、)時には学校に行かずに、ずーっと友達の家で作曲作業させて貰った。譜面を作った後、僕の家にあったMTRっている、しょぼい録音機(同時は高価だったが、、)でパートテープ?(練習のため、カセットテープに各パートのメロディーを歌ったものを自分達で吹き込んで作る)を作ったりして。

 

そして結果はというと、、

 

銀賞(つまり2位)

 

泣いた。授賞式のステージで、ずっと泣いていたのを覚えている。そういえば、客席に戻った後も、ずっと泣いていたな。。先生が肩を叩いて励ましてくれたのを覚えている。クラスのみんなにもたくさん協力してもらって、この結果。誰よりもそのために努力したはずなのに、、申し訳ないな、、情けないな、、悔しいな、、"またダメだったか" 、、そんな感情だったと思う。

 

僕は、中学3年生の時に、音楽大学付属高校をピアノ科で受験した。おそらく一般高校以外を受験したのは校内で僕だけだっただろう。理由はまた別の機会に回すが、とにかく真剣な気持ちで受験して、しっかり落ちた。今考えれば、必要な準備も出来ておらず、当たり前の結果だろうが、僕にとっては、人生で初めて味わった大きな挫折だった。劣等感に苛まれた。なぜなら、僕以外の受験者はたいてい合格していたから。ちなみにこの受験結果は、僕にとっては、単に落ちた、受かったの話では無かった。詳細は割愛するが、「芸術」という言葉の周りにある世界で生きていくのに必要なことは、一般人だった僕には、「才能」や「努力」「情熱」が、その答えだと思っていたのだけど、そのはるか前に、親が子に敷く、「環境」と、必要な「準備」を整えていることが、前提条件だったことに、中3の僕は、初めて気付かされたのだ。そして、話は戻るが、音楽の専門高校でもない、ほぼ素人しかいない高校のイベントでさえも、銀賞。。しかも、そもそも音楽家を名乗れるのかどうかも怪しい大人に審査されて。

 

さて本題。

 

僕は、そういった入り組んだ感情を、とある時、高1からお世話になっていたバイト先のお肉屋さんで、可愛がって頂いていた料理長に愚痴ったことがあった。

 

「あんなに努力したのに、またこんな結果だった。評価の仕方も意味が分からん」みたいな内容だったと思う。

(肉を切るまな板を洗いながら AM9:00)

 

そうすると、その人は、職人らしい顔つきと、いつものように優しい笑み、そして、いつもと違う、少し鋭い目つきで僕に言った。

 

「三橋、結果は他人が評価するもんなんだぞ。自分じゃないんだぞ」と。

 

正直、物凄く心に沁みた。何かが腑に落ちた、そんな感覚もあった。きっと、言ってくれた相手の人間性もあったと思う。偉ぶらず、怒るでもなく。でも言葉に重みを感じた。だから分かった。この人の言っていることは、おそらく本当だと。

 

思えば、小中高と、町中の普通の環境で育ち、評価されることといえば、足が速いとか、勉強ができるとか、面白いことを言えるとか、そんな感じだった訳だし、そのいずれも、僕は割と出来る方だったが、初めて、「環境」とか「親」とか「金」っていう、ちょっと自分の力ではどうにもならんこと、大げさに言えば、世の中は、生まれた時から不平等に出来ていることを、初めて思い知った一幕、二幕だった訳で、つまり、井の中の蛙が、入り組んだ「現実世界」に、中三で初めて遭遇し、ちゃんと打ちのめされて、解決策も見出せない、計算が合わない鬱屈した状況に、見事に答えを見出してくれたのがその料理長の言葉だった。

 

「三橋、結果は他人が評価するもんなんだぞ。自分じゃないんだぞ」

 

本当に的を得た言葉だったと思う。そして秀逸だと思う。この言葉は、単に審査というシステムのリアルを表現しただけでなく、世間は、そこに至るまでの生い立ちやプロセスではなく、結果だけを見て評価するという「現実」を、その意味合いに含んでいるからだ。「俺はこんなに頑張ったのに、、」は、仕事という土俵の上では通用しないのだから。

 

結果的に、この料理長以外にも、何人かの素敵な大人に背中を押しまくって貰って、僕は何とか自身の目標だった音大に入り、過去の挫折と劣等感は、幸運にも上書きされた訳だが、当然というか、むしろというか、音大というなかなか特殊な世界に入ったことで、またまた、世間の「すんげー感じ」に色々と思いをはせる訳だが、自分にとって風向きが悪い状況でも、逸れずに、我慢しながら、ついにはその不利を受け入れてしまう、みたいな芸当が出来るようになったきっかけをくれた言葉のように思います。

 

何より、当時おそらく40代だったかと思われる料理長が、バイトの高校生相手に、そういった職人の「心」を真剣に語ってくれたことに感謝しかない。

 

そして、大学最後の年に、自主企画したオーケストラコンサートに、チケットを買って足を運んで頂いた、、涙

たまたま客席の近くをウロウロしていた僕に、小声で「みつはしー」と声をかけてくれたその顔は、またいつものように優しかった

 

僕は今、41歳になりました。僕から見た世間、世界に対するイメージへの答えは(暫定ですが、、)

 

「だいたいはくだらない。でも一部、本当に素敵な人や素敵な音楽、素敵な世界はある」 です。

 

そして、素敵な人は必ず存在する。と僕が信じることが出来るのは、そういった大人達に出会ってきたからなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、品川近視クリニックなるところで、目の検査をして貰いました。小さい頃から視力には恵まれて、なんの苦労も無かったが、視力周りの能力はだいぶ衰え、負担がだいぶ増えてしまい、なんとかならんかと、以前、コンタクト屋に行き、検査後、購入したものの、つけた時の変化があまりに微量だったので、結局使わずにいました。


でも、世間ではよく、視力の改善で世界が違って見えた!!なんてことも言われてるじゃないですか。


自分はもともと、裸眼で、1.5くらいから、現在、0.3付近まで落ちてきたわけで、そこで人生初のコンタクトやら眼鏡やらをつけたら、世界がボヤけた世界から、クックリの世界に戻るかもと思うじゃないですか?? しかし、微量だったんですよね。。なんだ、変わらないなと。


そこで、今回は、ICLおよび、レーシックを検討してみようと思って、重い腰を上げた次第。


なので、今日、検査を受ける前の心情はと言えば、期待値低め。感度しないくらいの変化なら、手術は止めようと決めていた。


さて、実際検査してみたが、正直、前回のコンタクトレンズ屋の片隅で受けた検査とは、まるで精度が違っていた。色んなレンズを試す中で、様々な変化が見られ、次第に、世界が変わっていったのだ。これこそ、、


明らかな変化、感動やないか!!! 品川近視クリニック、やるやんけ!!! やってくれるやんけ!!


と、おもた。


更にブラボーなことに、検査の担当の方に、すんげー素人質問を投げまくっても、分かりやすーく答えてくれて、ワシはもう、感動。


今の自分の状態がやっと分かったって感じで、前回のコンタクトの時と違い、やっと自分の症状と、手術や眼鏡等で手に入る、メリットと、更にデメリットまで教えてくれて、、


俺は思った。おい!!!品川さん!!この世知辛い世の中で、コロナ禍で痛んだこのビジネスワールドの中で、腐った資本主義世界の中において、こんなにも患者目線で考えてくれるなんて、、、気がどうかしてるのか!!


バリに感動しました。それとと王者の余裕なのか 笑 それとも、医者としてプライドなのか!!


いずれにしても、大満足でした。


誰にとっても目は大切だと思うし、少なからずメスをいれたり、削ったり、不安ですもんね。


他の事柄でもそうだが、大小色々あるにせよ、やっぱり、利益とか、成績とか、ノルマとか、あるんだろうなー的な空気が裏に蔓延している商売が増えたなー、と思うことが最近益々増えたし、こいつ、全く俺という人間を見てないなぁ、ただの客なんだろうな。と思うことが多い今日において、こうして、個々の話を聞いてくれる王者の姿勢は素晴らしいと思いました。


担当していただいた方がたまたま素敵な方だった可能性もありますので、あくまで個人的、素人的感想ですが、とにかく、僕は、視力の件、企業としての姿勢の件、両方に感動しました。。ブラボー。


The Brevity of Life

Everyone theoretically knows that all people die sooner or later. We also often hear related phrases from the lyrics of songs or books such as “the brevity of life”. However, I believe that only a few people might be able to have opportunities to consider their moments to die seriously especially for people in young generations. Then, to be honest, I am also such person as described above. 

In Japan, there are alike phrases such as “short life and merry one”. or “live long and frugal life”. In my opinion, I am relative to choose latter one or I may have a mixed feeling in other words, balanced choice. Some people may try to control our longevities by getting healthy cuisine or excising regularly. 

However, the most uneasy fact is that a study says most outcome of our lives contingent on our genes not our habits and efforts. If this is definitely true, the only option  we can do is just accepting realities.

Simultaneously, I also understand that the preparation to concede negative realities in front of me is by no means easy. Thus, I can not conclude this question yet.







頭がぐるぐるして眠れないので、ブログを書こうと思ったのですが、実はこのブログを書く前に、2つ記事を書いたものの、なんとなく最後まで書ききれないまま、納得いかず消しました。なので、これが3つ目の日記です。

 

前の2つのトピックも含め、今回は、人生において大切なものとは何か? みたいな、割と大きな話題を考えていました。死を迎える時に後悔しない生き方とは何か? みたいな本も、読んでみたり。

 

人生において何が本当に大切なのか?それに答えは無いとしても、それを考えることは、健康な時でも、誰でも1度くらいはあると思うのです。そして、それは、様々な煩悩、欲、世間体やプライド、不安と恐怖や単に忙し、それらによって、本質が見えにくくなりがちなのが人間だと思うのだが、一つ、自分の素直な心と率直に意見交換をする方法論の一つとして、自分が死を迎える瞬間や、その周辺の日々をできる範囲でリアルに想像してみること。これが、有力であろうと思う。どんな場所で、どんな人達に看取ってもらいたいだとか、その時までに、これだけはやっておきたいだとか、人それぞれ、色々あるのだろうと思う。ちなみに、現実問題はどうかというと、過半数以上の人間は、後悔をたくさん抱えながら、死んでいくそう。納得の人生で、笑顔でGo。みたいな人生を送れる人は、そう多くはないそうだ。(書籍の中の緩和ケアさんのお話によれば)

 

また他方では、「人が生きることの意味って何だろう?」ということも、同時に頭に浮かんだ。何故なら、死を考えることは、どう生きるかを考えることとイコールでもあるから。そして、大概の人は、こう答えているようだ。

 

「人が生きる意味なんて無い。」なぜなら、生きる意味を考えて、設定してしまうと、その設定通りに生きなきゃいけなくなっちゃうからと。窮屈だからと。そしたら、サボったり、夜更かししたり、遅刻したり、そういった人生の楽しみを無くしてしむからと。

 

なかなか深いなと思った。こういう考え方に、現に自分も救われる。

 

 

一方で、こう答える人もいた。

 

「人が生きる意味なんて無い。ただし、生きる意味を作ることはできる。人間だから」

 

つまり、生きることに意味など無いが、自分でそれを意味付けしてしまうことは出来るよねって考え。僕は、どちらかと言えば、こっちの考え方をしがちだ。英語で言う、「Should」 的な発想が多いかもしれない。

 

音楽はこうあるべきだ。

人はこうあるべきだ。

社会はこうあるべきだ。

芸術はこうあるべきだ。

人生はこうあるべきだ。

 

ざっと書きなぐった項目だが、恥ずかしながら、割と本気で、それぞれの「こうあるべき」は、自分にとって大切な項目だ。つまり、例えば、僕の音楽がどうだろうが、社会には何の影響も無い訳(社会的、世界的には意味がない)だが、僕自身が勝手に、意味付けや理想論を設定しているだけとも言える。

 

だから、生きることに意味があるのか? という質問は、僕にとっては、美しい音楽を作ることに意味があるのか? という質問と同義っぽくなって、そうなってくると、答えは、断然、「Yes」なんですよね。

 

何でですか? ともし誰かに質問されたら、きっとこんなことを答えるんだろうな。

 

美しいものの近くにいる時だけ、僕の心の中の「ズボッと空いてしまっている穴」が、何か優しい感情によって埋まっていく感覚があるから。普段、ずーっと、心にズボッと空いてしまっている穴がある僕にとっては、そういった"優しい感情" 無しに、生きていくことは、相当しんどい。

 

ちなみに「美しいもの」っていうのはどういうものかっていうと、例えば、僕の作曲の師匠は(男性だが)美しい。美しい音楽を奏でるし、何より人間性に僕は惚れた。高校生の時、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」を、一瞬で埋めてしまった人だ。嬉しくて、僕は自然と心が躍ったし、他人のピアノの音を聞いて、初めてボロボロ泣いた。それくらい、音が優しかった。僕も、こうなりたいと思った。

 

あとは、例えばバイオリンとかの弦楽器。あれは美しい。ずるいくらい美しい。最近流行りのITだ、AIだ、メタバースだ、Chat GBT?GPTだ。それらぜーんぶ合わせて得られる幸福感の、2000倍くらいの幸福感と私は思う。自身が書いた弦楽器の音を、指揮台の位置で聞いたあの瞬間もまた、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」を、瞬く間に包み込んでしまう。美しさ、繊細さ、悲しみ、それらの感情の機微の全てを代弁してくれるような包容力と繊細さとバネ。あの空間にいると、こう思う。あー、知性と感性のある「人間」で良かったと。そのお陰で、こんなにも大量の幸福度を得られるのだから!と。僕は、たぶん、弦楽器がこの世になかったら、音楽家になりたいとは思わなかったと思う。これからも、そんな、素晴らしい楽器とともに数十年間の苦楽を共にしてきた演奏家さん達の力を借りて、美しい作品を残せる作曲家になりたいと、今でも強く思っている。

 

そんなこんなで、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」問題を抱えている僕としては、どうしても、そのズボッと空いてしまっている穴を埋める手段として、美しいものや感情、感性に触れる。という方法論しかないということが、このブログを書きながら分かってきた w  だから、ちゃんと諦めずに音楽家、頑張ってんだろうな、、

 

という訳で、僕の人生にとって、大切なものとは? というお題に戻った場合、答えば、「美しいものや感情、感性に触れること。」となりました。

 

これから、そういった世界の中に身を置けるかどうかは、自分の成長次第。成長できればチャンスはあるだろうし、運も味方するかもしれない。成長できなければ、そこは諦めるしかないのだろうか。

 

今実は、一生懸命取り組んできた、大切なプロジェクトの結果待ちとなっている状態です。勝率の分は良くはないですが、勝てる可能性は残している状態。もし音楽の神様が、僕に手を貸してくれたなら、僕は、新しい扉をまた一つ開けることになります。正直とても大切な扉です。とっても重たかった扉でもありました。泣くと思います。

 

一方で、もし音楽の神様が、僕に手を貸さない選択をしたなら、、 まず、努力を怠った自分を認めるのでしょう。そして、この失敗を、次の成長へ繋げたいと願いつつ、ため息をつきながら、ある時気づく。結構深刻なレベルで、心のガソリン、別名やる気が、ほとんど残っていないことに。でもそれでも、まるで呪われた人間のように、何かに吸い寄せられるかのように、空っぽの人間のハズなのに、また次の戦いに向けて、歩き出し、走り出し、最後はやる気なんてアピールしちゃうんだから、君は偉いよ。と言ってやりたいくらい、多少心配もするが、こんなような、ともあれ、never give up の姿勢は、僕は嫌いじゃないので、そんな自分にも期待。

 

結果は、良かった時のみ報告しようと思います!

 

と、話少し外れてしまいましたが、お陰様で、この記事はアップできそうです。割と本音も書けたし楽しかったなと。そして、寝ます。

 

 

 

 

 

①be liable to, be apt to 〜   しがち

 

There is a Japanese famouse maxim which weak dogs are liable to roar. 

 

Young children are apt to be attracted by products with vivid colors such as pink, red and blue.

 

I am liable to use Seven Eleven because they are located in my neighborhood.

 

I am apt to buy cooked food at convenient stores for my everyday meals because cooking is bothersome.

 

 

 

 

②be in relative to, be in proportion to 〜  に比例する

 

As a professional composer, I believe that the reward for musical production should be relative to levels of composition skills.

 

A study says that the whole income through our lives are be in proportion to academic background of our parents.

 

I hope that the quality of songs is relative to the level of personality and humanity of composers who compose them.

 

A study says that basically, our efforts are not in proportion to results because we also have to consider our innate talents which strongly affect our abilities.  

 

さて寝よう。

 

Unfortunately, It was decided that I have to restart English study in order to get back things left behind. 

 

Therefore, at least three months, I would write and upload my English essays as many as I can write on my Blog because I have to get used to writing well-organized essays in English for several types of English examinations. 

 

Actually, it would be tough but at the same time, this study would be the last time for me. I want to enjoy English through real conversations like American novels and movies, should I finish examination. I will do my best until I reach my goal.    

今、病院の隔離部屋で、ブログを書いている。(←大袈裟に書いてます、、)

 

コロナ前は、毎年恒例行事だった、「季節の変わり目 扁桃炎にかかって、市販薬で戦うが、やはり勝てず、結局、抗生物質を貰いに病院にかかる流れ問題」

 

コロナで徹底された、マスク、手洗い、うがい。

ここ数年は、ありがたいことに、恒例行事は行われておらなかったが、、

 

以下の理由により、いつもの扁桃炎が帰ってきました。

 

①季節の変わり目温度乱高下問題

 

②電気代高騰を受け、電気代が、驚愕の値段だったので、つい、デロンギとエアコンを止めがちになったチキン野郎

 

③ぜい肉ばっかりで、ちゃんと機能しない保温能力低下問題

 

④WBCで調子こいて叫びまくってた問題

 

とりあえず、いつもの流れで、薬局で大量に市販薬を買い、コンビニで、栄養剤、果物、おにぎり。

 

勝てそうな感じもしたが、やはり私が見込んだ扁桃腺。そんなことではくたばりません。子供の時から共に過ごしてきた扁桃腺。

 

お医者にさんに、「そんなに頻繁に腫れるなら、早く手術でとっちゃえば」

 

と言われても、僕は、幼なじみであり、ともに風邪や扁桃炎の痛みを分かち合ってきた私と扁桃腺を手放そうとは思わなかった。例え自分が楽になれるのだとしても。愛着です。

 

話は戻りますが、

 

(ちなみに、今、診察は終え、調剤薬局で薬待ちです)

 

そんなこんなで、一晩で一旦落ち着いたのですが、また次の日ぶり返し、そして今日、やはり、余計な頑張りは不要と判断し、病院へ行く決意をするが、私の頭の中には一抹の不安が。

 

それが、コロナ疑いである。いくら私が、私と扁桃腺君との、数十年の友情を語ったところで、当然、いつもとは病院の対応は変わりそうだよな、めんどうだな、、と予想しつつ、近所の総合病院へ。

 

すると入り口に、「発熱外来は本日終了」の張り紙。うーん。多分扁桃炎で押すのは無理そうだが、熱がある方は、ともあれ受付で申告しろとの案内があったので、お尋ねした。「熱あって、扁桃炎だと思うんだが、、」とお伝えしたら、ダメかもしれないけど、一度申し込んでみろと言われたので、ダメもとでトライ。

 

まず、問診票がいつもの2倍くらい

 

(待つ)

 

その後、指につける、なんか酸素濃度でも測るやつだろうか、、

 

(待つ)

 

ドクター、待合室へ登場。コロナでどうのこうので、コロナの検査を受けて貰うことは出来るか?

 

と聞かれ、"Of course" と、ネイティブ仕込みの発音で扁桃、いや、返答。←うそ

 

川崎仕込みのネイティブ発音で「勿論」と答えたが、なんと、結果が出るのが明日だそうで、結局、今日は、受診不可 = 抗生物質貰えないと言われ、結局、今夜辛いなら意味ないなと思い、ドクターさんに、このルールの感じって、どこの病院へ行ってもきっお一緒ですねと尋ねると、クリニックとかなら、もしかしたら早いカモと。

 

各病院、それぞれのルール設定があると思うのだけど、やはり、それなりにデカければデカい程、他の患者さんを守るためにも、ハードルが色々と必要なんだろうという想像力が欠けていたようだ。

 

という訳で、以前、耳の病気の件で、冷たく扱われた腹いせに、診察券、ビリビリに引き裂いてゴミ箱に捨てたって、二度と行かねーかんな、こんな、患者の痛みや不安に寄り添おうとしないクソクリニックが!!!!! 俺の顔がデフォでふざけてる顔だからってな、心は真剣なんじゃ!そもそも、俺を誰だと思ってんねん!作曲家やぞ!

(でも本当は知っている。わしの事なぞ、知ってるやつが奇跡的。誰だ、ミハシって)

 

と、あくまで心の中で唱えた近所のクリニックへ電話して、(←意志弱い。プライド皆無)ことの経緯を話したら、かるーいテンションで

 

今、熱そんなに無いんですよね?と私に質問。

 

37.4度ですとあちらへ扁桃、いや返答。

 

すると、一言、大丈夫ですよーー。と私へ扁桃。

 

心配だったので、総合病院でのことの経緯を説明。コロナ検査受けないで大丈夫なのかとあちらへ質問。

 

逆に、受けたいんですかー? と言われたので、

 

"Never" と、特に「v」の発音に気をつけながらあちらへ扁桃。(←うそ)

 

いいえ。と答えた。

 

そしたら、また軽いテンションで、待合室、別に用意するので、受付で声かけて下さいとのこと。

 

そうして、冒頭の、隔離部屋へ辿り着く。他の患者さんがある程度優先されたっぽく、暇なのでこれを書き始めています。

 

結果、ドクターがきて、喉痛いの?と聞かれ、めっちゃ痛いです。と扁桃。

 

ガリガリ君の棒みたいなやつで、私の幼馴染を確認。速攻で、扁桃炎だね。と言われ 笑

 

受診は、1分もかからず終了。みごとに、今夜、私をハッピーにしてくれる数種類のドラッグを合法的に入れることに成功。

 

祖母仕込み、薬を受け取った薬局にいる時点で周りの目も気にせず、「食後」ってさっき、カウンターで説明受けたばかりやろ!!ということも強い意志で跳ね返し、速攻、薬を突っ込む技を導入。

 

こうして、晴れて、私の、扁桃炎祭りは、有終の美へと向かっていくとおもわれ。

 

それにしても、

 

①総合病院の受付の方、

②看護師さんその1(問診確認)

③看護師さんその2(酸素濃度検査?担当)

④イケメンドクターと、その付き人看護師たち

 

これだけの人に、ミハシはご迷惑をおかけし、彼らの仕事を増やし、ただ働きさせてしまった。。

 

ごめんなさい総合病院。ごめんなさい、チームイケメンドクターの皆さん 

 

全て、私の無知が原因でございます。

 

お陰さまで、わたくしは、今夜の餌にありつけました。

 

それにしても、市販薬と処方薬で、さすがに圧倒的な差がありますね。

 

僕と大谷選手の急速ほど、ほど、天と地ほどの差はないかもだけど、ある意味、目に見えて効くか効かないかくらいの差はある。

 

(薬のせいか、だんだん眠くなってきた)

 

会計終えて、もう30分以上、薬局の椅子でこのブログを書いている。帰ってさっさと寝ろよって話だと思うので、そうします。 

 

(おそらく、このブログの執筆にだいぶ頭を使ったので、体温は、また上がったかと思います。)

 

ちゃお

 

 

気温の差激しいですが、皆さんお元気でしょうか?

 

三橋は、先日約1年ぶりに、(確か)4回目の予防接種へ出向き、一晩はしっかり寝込み、今はすっかり元気になりました。

 

さて、今日は、103歳になった祖母の話をしたいと思います。僕にとっての祖母は、母みたいなものでした。両親が共働きだったこともあり、日々の買い物、お出かけ、授業参観、小学生の頃の、日中から夜にかけてのほとんどの記憶は、祖母との思い出なのである。

 

大正生まれで、その時代では(おそらく)珍しく学がある女性ということもあり、スパルタで、礼儀や挨拶、しつけにも厳しく、 たくさんの怖かった思い出がたくさん。

 

例えば、テストは90点以下だと、正座させられ、「何でこれが出来ないの!」と、よく泣かされていた。奥の部屋で、楽しそうにドラゴンボールを見ている姉二人を羨ましく思いながら、僕は、テレビを見れずに泣いている。あっちの部屋からは、「手に入れろ!ドラゴンボール!!」って、メロが始まっているのに見れない悲しさ。テストで60点くらいを取ってしまった時なんかは、恐ろしさのあまり、帰り道の排水溝へ、テストを丸めて捨てた時もあった。挙句に、バレる訳もないのに、小学生の私はバレたらどうしようと、ビクビクしていたのも、良い思い出。思えば、周りの人間が、テストで20点とか、低ーい点を取ったりした時に、祖母のように怒るではなく、「すげーじゃん、なかなかその点取るのも大変だよな、ある意味才能だよな w」と、笑いに変えてしまう今のこの性格も、そんな、祖母から受けたスパルタ教育のおかげで、その反動として手にいれたナイスな性格のようにも思う。

 

続いて思い出はピアノ。小学生の私は、学校から帰宅し、その後、親友の孝一君と遊びたいのだけれど、祖母にはルールがあって、ピアノ1時間。漢字書き取り1ページ。を終わらせないと、家を出れない仕組みとなっていた。ピアノは音が出るので、ごまかしようが無いのだが、私は、漢字の書き取りに関しては、時に日付を変えるだけだったりで、誤魔化していた記憶がある。また、ある日、風邪をひいていて、体調が絶不調にも関わらず、泣いている私に、すんげー不味い漢方みたいな薬を飲ませ、腕をつかみ、無理矢理ヤマハ音楽教室へ、連れて行っていた祖母。子供ながらに、習い事も、体調悪いくらいで休んじゃいけないんだなと、思ったような気もする。当時は、単なる恐怖政治だが、そんな、スパルタの力で継続させてくれたおかけで、結果的には、今、なんとか音楽家をやれている基礎を作ってくれたと思うと、やはり感謝しかない。怖かったけど。

 

続いては、社会人としての、最低限マナーのお話し。そんなこんなで、祖母に連れられ、祖母の買い物に付き合い、祖母の歯医者に付き合い、祖母の交友関係にも付き合い。みたいな中で、色んな人に出会う訳だが、祖母は常に、「ちゃんと挨拶しなさい」「ちゃんとしなさい」「ちゃんとしないさい ✖️10」みたいな、スーパー古いタイプの祖母だったが、おかげで、私の体にこぶりついている、小さい時の「人前ではちゃんとしなきゃいけない精神」。今となっては、使い分けも覚えてしまうし、普段あまり使うことは無いし、友人、知人の中では、なるだけ「ダメな自分」を見せていたいくらいの性格なのだけど、やっぱり生きていれば、ちゃんとしなきゃいけないこともありますよね。そんな、ちゃんとしなきゃいけない時には、スイッチを切り替えて、背筋を伸ばして、目を見て、大きな声で挨拶。みたいなことが、自然に出来ることも、結局は、祖母が築いてくれた基礎のおかげかなとか。

 

小学校の時なんかは、学級委員に立候補しなさいとかね、そんな人だったし、実際、学級委員は常連、生徒会とかやってたのも、元々は祖母の差金だ。でも、大勢生徒がいる中の一人ではなくて、その大勢をまとめる立場の一人という位置から見える世間の景色は、ある意味で、労働者的な目線に加え、経営者的目線のようなものも培えたので、大人になって、仕事を受ける立場、頼む立場、両面のバランス感覚だとか、オーケストラ70人相手に、指揮者1人で立ち向かう関係性だったりのバランスを、また小さい時から身につけられたのは、大きかったように思う。ある時期、英語の全日の学校に通っていたのだが、私はその時、その校舎で唯一の特待生に選ばれたが、その決めては、面接官の次の質問だったように思う。

 

「あなたは、クラスをまとめる能力を持ち合わせているか?」

 

というような質問に対して、私の答え

 

「むしろ、今までそういったポジションにしかいなかったので、必要と思えば、勿論やりますよ」

 

と答えたら、特待生になれて、ついでに年間の学費が1割ほど安くなった。おばあちゃん、あたなのスパルタによって費やしたカロリーは、とうとうお金となって、換金されましたよ、ありがとう。

 

最後に、私は、生まれつき気が小さく、気が小さく、とっても気が小さい人間だ。勇気を持って大胆に動くことは、よっぽどで無い限り皆無だが、逆に、悪いことも出来ない性格でもある。結局、人を騙すことも出来ないし、人を踏みつけて上に上がって。。みたいな考え方もない。このブログでも、世の中に対して、偉そうに吠えてみたり、「くだらない」と、毒ついたりしてますが、結局は、根っこには、真面目に、地道にしか生きれない自分がいて、なんというか、結局根本は、幼い頃に作り上げた、自分という人間性から、大きくは変わっていないのだ。

 

そんな風に思う歳になって、祖母が103歳と聞くと、そうかー、結局はね、結果的にはね、あの祖母がいて、自分が居るのかと。そう思うと、とりあえず、103歳→200歳くらいまでは生きていてくれたら、なんか嬉しいなと思った今日この頃。

 

PS   ごくたまーに、昔の友達に会うこともある訳だけれど、そんな時、「おー久しぶり、元気にしてっか?」の定型句の後に、「あのおっかねーばーちゃんも元気か? w」と言ってくれる男友達が数名いるんだが、それもなんだか嬉しくなる。