「素敵な大人に出会った話」"結果は他人が評価するもの"  〜高校3年生編〜 |  職業:作曲家のつぶやき

 職業:作曲家のつぶやき

  作曲家 Takayuki Mitsuhashi の音楽活動を中心に紹介していきます。

今日は、僕が実際に過去に経験した、「素敵な大人に出会った話」"結果は他人が評価するもの"  〜高校3年生編〜 をお送りしたいと思います。突発的な企画なので、続編あるか分かりませんが、暗い話が多いので、何か日本の良い話を書きたいなと思って、書いています。

 

時は遡り、三橋少年が、高校3年生の時の出来事です。17歳か? 話の舞台は校内の合唱コンクールです。クラスの選曲係となっていた私。みんなで何を歌おうかと選曲を考えたが、どうもピンとこない。ならば、自分で作っちゃダメかいな?と、クラスメートに相談したところ、即答でOK。曲は僕が。(← ちなみに人生初の作曲です。)歌詞はクラスのみんなで考えた。

 

お父さんが音楽の先生をやっているクラスメートの家にあったPC内の譜面ソフトを使わせてもらって。(ちなみにその友達が、リポビタンDとコーラを混ぜた飲み物を随時僕に作ってくれて、ありがたかった、、)時には学校に行かずに、ずーっと友達の家で作曲作業させて貰った。譜面を作った後、僕の家にあったMTRっている、しょぼい録音機(同時は高価だったが、、)でパートテープ?(練習のため、カセットテープに各パートのメロディーを歌ったものを自分達で吹き込んで作る)を作ったりして。

 

そして結果はというと、、

 

銀賞(つまり2位)

 

泣いた。授賞式のステージで、ずっと泣いていたのを覚えている。そういえば、客席に戻った後も、ずっと泣いていたな。。先生が肩を叩いて励ましてくれたのを覚えている。クラスのみんなにもたくさん協力してもらって、この結果。誰よりもそのために努力したはずなのに、、申し訳ないな、、情けないな、、悔しいな、、"またダメだったか" 、、そんな感情だったと思う。

 

僕は、中学3年生の時に、音楽大学付属高校をピアノ科で受験した。おそらく一般高校以外を受験したのは校内で僕だけだっただろう。理由はまた別の機会に回すが、とにかく真剣な気持ちで受験して、しっかり落ちた。今考えれば、必要な準備も出来ておらず、当たり前の結果だろうが、僕にとっては、人生で初めて味わった大きな挫折だった。劣等感に苛まれた。なぜなら、僕以外の受験者はたいてい合格していたから。ちなみにこの受験結果は、僕にとっては、単に落ちた、受かったの話では無かった。詳細は割愛するが、「芸術」という言葉の周りにある世界で生きていくのに必要なことは、一般人だった僕には、「才能」や「努力」「情熱」が、その答えだと思っていたのだけど、そのはるか前に、親が子に敷く、「環境」と、必要な「準備」を整えていることが、前提条件だったことに、中3の僕は、初めて気付かされたのだ。そして、話は戻るが、音楽の専門高校でもない、ほぼ素人しかいない高校のイベントでさえも、銀賞。。しかも、そもそも音楽家を名乗れるのかどうかも怪しい大人に審査されて。

 

さて本題。

 

僕は、そういった入り組んだ感情を、とある時、高1からお世話になっていたバイト先のお肉屋さんで、可愛がって頂いていた料理長に愚痴ったことがあった。

 

「あんなに努力したのに、またこんな結果だった。評価の仕方も意味が分からん」みたいな内容だったと思う。

(肉を切るまな板を洗いながら AM9:00)

 

そうすると、その人は、職人らしい顔つきと、いつものように優しい笑み、そして、いつもと違う、少し鋭い目つきで僕に言った。

 

「三橋、結果は他人が評価するもんなんだぞ。自分じゃないんだぞ」と。

 

正直、物凄く心に沁みた。何かが腑に落ちた、そんな感覚もあった。きっと、言ってくれた相手の人間性もあったと思う。偉ぶらず、怒るでもなく。でも言葉に重みを感じた。だから分かった。この人の言っていることは、おそらく本当だと。

 

思えば、小中高と、町中の普通の環境で育ち、評価されることといえば、足が速いとか、勉強ができるとか、面白いことを言えるとか、そんな感じだった訳だし、そのいずれも、僕は割と出来る方だったが、初めて、「環境」とか「親」とか「金」っていう、ちょっと自分の力ではどうにもならんこと、大げさに言えば、世の中は、生まれた時から不平等に出来ていることを、初めて思い知った一幕、二幕だった訳で、つまり、井の中の蛙が、入り組んだ「現実世界」に、中三で初めて遭遇し、ちゃんと打ちのめされて、解決策も見出せない、計算が合わない鬱屈した状況に、見事に答えを見出してくれたのがその料理長の言葉だった。

 

「三橋、結果は他人が評価するもんなんだぞ。自分じゃないんだぞ」

 

本当に的を得た言葉だったと思う。そして秀逸だと思う。この言葉は、単に審査というシステムのリアルを表現しただけでなく、世間は、そこに至るまでの生い立ちやプロセスではなく、結果だけを見て評価するという「現実」を、その意味合いに含んでいるからだ。「俺はこんなに頑張ったのに、、」は、仕事という土俵の上では通用しないのだから。

 

結果的に、この料理長以外にも、何人かの素敵な大人に背中を押しまくって貰って、僕は何とか自身の目標だった音大に入り、過去の挫折と劣等感は、幸運にも上書きされた訳だが、当然というか、むしろというか、音大というなかなか特殊な世界に入ったことで、またまた、世間の「すんげー感じ」に色々と思いをはせる訳だが、自分にとって風向きが悪い状況でも、逸れずに、我慢しながら、ついにはその不利を受け入れてしまう、みたいな芸当が出来るようになったきっかけをくれた言葉のように思います。

 

何より、当時おそらく40代だったかと思われる料理長が、バイトの高校生相手に、そういった職人の「心」を真剣に語ってくれたことに感謝しかない。

 

そして、大学最後の年に、自主企画したオーケストラコンサートに、チケットを買って足を運んで頂いた、、涙

たまたま客席の近くをウロウロしていた僕に、小声で「みつはしー」と声をかけてくれたその顔は、またいつものように優しかった

 

僕は今、41歳になりました。僕から見た世間、世界に対するイメージへの答えは(暫定ですが、、)

 

「だいたいはくだらない。でも一部、本当に素敵な人や素敵な音楽、素敵な世界はある」 です。

 

そして、素敵な人は必ず存在する。と僕が信じることが出来るのは、そういった大人達に出会ってきたからなんだと思います。