本日3回目の記事です。 |  職業:作曲家のつぶやき

 職業:作曲家のつぶやき

  作曲家 Takayuki Mitsuhashi の音楽活動を中心に紹介していきます。

頭がぐるぐるして眠れないので、ブログを書こうと思ったのですが、実はこのブログを書く前に、2つ記事を書いたものの、なんとなく最後まで書ききれないまま、納得いかず消しました。なので、これが3つ目の日記です。

 

前の2つのトピックも含め、今回は、人生において大切なものとは何か? みたいな、割と大きな話題を考えていました。死を迎える時に後悔しない生き方とは何か? みたいな本も、読んでみたり。

 

人生において何が本当に大切なのか?それに答えは無いとしても、それを考えることは、健康な時でも、誰でも1度くらいはあると思うのです。そして、それは、様々な煩悩、欲、世間体やプライド、不安と恐怖や単に忙し、それらによって、本質が見えにくくなりがちなのが人間だと思うのだが、一つ、自分の素直な心と率直に意見交換をする方法論の一つとして、自分が死を迎える瞬間や、その周辺の日々をできる範囲でリアルに想像してみること。これが、有力であろうと思う。どんな場所で、どんな人達に看取ってもらいたいだとか、その時までに、これだけはやっておきたいだとか、人それぞれ、色々あるのだろうと思う。ちなみに、現実問題はどうかというと、過半数以上の人間は、後悔をたくさん抱えながら、死んでいくそう。納得の人生で、笑顔でGo。みたいな人生を送れる人は、そう多くはないそうだ。(書籍の中の緩和ケアさんのお話によれば)

 

また他方では、「人が生きることの意味って何だろう?」ということも、同時に頭に浮かんだ。何故なら、死を考えることは、どう生きるかを考えることとイコールでもあるから。そして、大概の人は、こう答えているようだ。

 

「人が生きる意味なんて無い。」なぜなら、生きる意味を考えて、設定してしまうと、その設定通りに生きなきゃいけなくなっちゃうからと。窮屈だからと。そしたら、サボったり、夜更かししたり、遅刻したり、そういった人生の楽しみを無くしてしむからと。

 

なかなか深いなと思った。こういう考え方に、現に自分も救われる。

 

 

一方で、こう答える人もいた。

 

「人が生きる意味なんて無い。ただし、生きる意味を作ることはできる。人間だから」

 

つまり、生きることに意味など無いが、自分でそれを意味付けしてしまうことは出来るよねって考え。僕は、どちらかと言えば、こっちの考え方をしがちだ。英語で言う、「Should」 的な発想が多いかもしれない。

 

音楽はこうあるべきだ。

人はこうあるべきだ。

社会はこうあるべきだ。

芸術はこうあるべきだ。

人生はこうあるべきだ。

 

ざっと書きなぐった項目だが、恥ずかしながら、割と本気で、それぞれの「こうあるべき」は、自分にとって大切な項目だ。つまり、例えば、僕の音楽がどうだろうが、社会には何の影響も無い訳(社会的、世界的には意味がない)だが、僕自身が勝手に、意味付けや理想論を設定しているだけとも言える。

 

だから、生きることに意味があるのか? という質問は、僕にとっては、美しい音楽を作ることに意味があるのか? という質問と同義っぽくなって、そうなってくると、答えは、断然、「Yes」なんですよね。

 

何でですか? ともし誰かに質問されたら、きっとこんなことを答えるんだろうな。

 

美しいものの近くにいる時だけ、僕の心の中の「ズボッと空いてしまっている穴」が、何か優しい感情によって埋まっていく感覚があるから。普段、ずーっと、心にズボッと空いてしまっている穴がある僕にとっては、そういった"優しい感情" 無しに、生きていくことは、相当しんどい。

 

ちなみに「美しいもの」っていうのはどういうものかっていうと、例えば、僕の作曲の師匠は(男性だが)美しい。美しい音楽を奏でるし、何より人間性に僕は惚れた。高校生の時、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」を、一瞬で埋めてしまった人だ。嬉しくて、僕は自然と心が躍ったし、他人のピアノの音を聞いて、初めてボロボロ泣いた。それくらい、音が優しかった。僕も、こうなりたいと思った。

 

あとは、例えばバイオリンとかの弦楽器。あれは美しい。ずるいくらい美しい。最近流行りのITだ、AIだ、メタバースだ、Chat GBT?GPTだ。それらぜーんぶ合わせて得られる幸福感の、2000倍くらいの幸福感と私は思う。自身が書いた弦楽器の音を、指揮台の位置で聞いたあの瞬間もまた、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」を、瞬く間に包み込んでしまう。美しさ、繊細さ、悲しみ、それらの感情の機微の全てを代弁してくれるような包容力と繊細さとバネ。あの空間にいると、こう思う。あー、知性と感性のある「人間」で良かったと。そのお陰で、こんなにも大量の幸福度を得られるのだから!と。僕は、たぶん、弦楽器がこの世になかったら、音楽家になりたいとは思わなかったと思う。これからも、そんな、素晴らしい楽器とともに数十年間の苦楽を共にしてきた演奏家さん達の力を借りて、美しい作品を残せる作曲家になりたいと、今でも強く思っている。

 

そんなこんなで、「僕の心にズボッと空いてしまっている穴」問題を抱えている僕としては、どうしても、そのズボッと空いてしまっている穴を埋める手段として、美しいものや感情、感性に触れる。という方法論しかないということが、このブログを書きながら分かってきた w  だから、ちゃんと諦めずに音楽家、頑張ってんだろうな、、

 

という訳で、僕の人生にとって、大切なものとは? というお題に戻った場合、答えば、「美しいものや感情、感性に触れること。」となりました。

 

これから、そういった世界の中に身を置けるかどうかは、自分の成長次第。成長できればチャンスはあるだろうし、運も味方するかもしれない。成長できなければ、そこは諦めるしかないのだろうか。

 

今実は、一生懸命取り組んできた、大切なプロジェクトの結果待ちとなっている状態です。勝率の分は良くはないですが、勝てる可能性は残している状態。もし音楽の神様が、僕に手を貸してくれたなら、僕は、新しい扉をまた一つ開けることになります。正直とても大切な扉です。とっても重たかった扉でもありました。泣くと思います。

 

一方で、もし音楽の神様が、僕に手を貸さない選択をしたなら、、 まず、努力を怠った自分を認めるのでしょう。そして、この失敗を、次の成長へ繋げたいと願いつつ、ため息をつきながら、ある時気づく。結構深刻なレベルで、心のガソリン、別名やる気が、ほとんど残っていないことに。でもそれでも、まるで呪われた人間のように、何かに吸い寄せられるかのように、空っぽの人間のハズなのに、また次の戦いに向けて、歩き出し、走り出し、最後はやる気なんてアピールしちゃうんだから、君は偉いよ。と言ってやりたいくらい、多少心配もするが、こんなような、ともあれ、never give up の姿勢は、僕は嫌いじゃないので、そんな自分にも期待。

 

結果は、良かった時のみ報告しようと思います!

 

と、話少し外れてしまいましたが、お陰様で、この記事はアップできそうです。割と本音も書けたし楽しかったなと。そして、寝ます。