こんにちは。窓際族博士課程院生のtyatyaotyaです。
お久しぶりでございます。
紀要論文が書けずうだうだしつつ病んでいるうちに年を越してしまいそうです。
今年度書かなくてはいけない文章の二つ目を書いているんだけど、指導教員の書いてほしい方向性と乖離しているせいで難航してるんだよね……。博論内の位置づけと方向性について研究指導の時に自分の意見は主張しているんだけど、目指していない方向を示されちゃう。他の先生にも相談はできるけど、結局実権握ってるのは指導教員だからなぁって感じです。
書いてほしいものの「先生の中での」要素と順番をフォーマットで提示されて、
指導教員「ここまでしているのに書けないの?これ以上説明できないよ。困ったなー
」
って若干ピキられ始めてる。
私の意見が違うのかなーって思ったりもするけど、他の先生には自分のやりたいことを分かってもらえて意見もらえたりするから、本当に指導教員と合ってないんだと思ってる。
もう今諦めて一旦教員の求めてるやつを書いてみてるけど、「私が」「私の」研究でやることじゃないんだよなと思って激萎えしている……。全然筆が進まん。締め切りもオーバーですわ……。
今まで締め切りだけは遅れたことが無かったのです……。自覚なかったけど今までそれが一定の自信というか、存在意義的なものを自分に与えていたっぽくてですね……。しかし、いつも通り自分を追い詰めてみても、そもそも書く内容が自分の中にあるものじゃないから書けない。で、ただただ無力感と焦りだけが積み重なっていく。
眠れなくなる。
インプット増やして、ジャンル横断して手を広げてみるけど、原稿の文字数は増えない。
先生に頼ろうにも、先立つ「なんか書いたもの」がなければ指導のしようがない。
でも書けない。
そんなこんなでド鬱になってましたね。
学内の紀要なのでそんな焦る必要ないし、スランプ気味なら今回はお流れにしてしまえばいい。
どうせ、学会誌とか外部の紀要とかじゃない。
選ばれし人がかけるような、権威あるものじゃないし。
でも駄目ですね……。
初年度からつまづいているけど、せめてやるって決めていたことはやり遂げて今年度終わりたい。
そんなこんな、指導教員の文句言ってると多分言われそうなのは、
「じゃあ、研究室決める時にちゃんと精査してから入ればよかったじゃん」
ってこと。
特に、私はそのまま学部→修士→博士で同じ大学を受験しているから、「それが良くて入ったんでしょ?」ってなると思う。
私の大学選びとかのもろもろの(消極的)理由は過去ブログ
でもふれたが、
私が今の指導教員の研究室に所属している理由は「内諾までとった希望の先生じゃない先生に割り当てられた」からである。
そんなことある?普通、受験前に内諾取って、面接とかでも指導希望の先生について聞かれたりしないの?って思うじゃん?
そうだよ。その通りだよ。
私の場合、修士までの指導教員が博士の指導資格もってないので、
専攻主任:「博士上がるなら先生変わるからねー
。今までの先生も指導仰いでもいいけど、メインは変わるからねー
。指導教員は自分で選んでもいいよー
。内諾とっておいてねー
」
って受験前に言われてた。
んで、専門と方法が近くて、今までに色々相談したことがある、自分の研究についてある程度わかってる先生に内諾をとった。
先生方の性格含め研究室の方針とかもろもろよく知ってるのが、内部進学のいいところよな。
試験の時も、それをもとに希望の指導教員欄を書いた。
結果、今の教員になった。
な、なんじゃそりゃー![]()
え、なんで?内諾もとったし、そもそも決めていいっていってたよね?
(現)指導教員:「職員会議で決まりました。今まであんま絡みないけどよろしく
」
なにそれ?いや、専門も方法もかけ離れてるから、ほぼ話したこともないが!
こっちに選択権ないなら「決めていいよ」って最初から言わないでもらえます?内諾までとったのに?
ほらほら、(旧)指導教員も知らないって言ってるよ。ハブられてるの?報連相ちゃんとせい。
もともと希望してた先生は副査だってさ。聞いたら、「指導教員の先生の方が、ためになると判断されたのかも」って。
ふーん![]()
まあ決まっちゃったもんはしょうがないから、ちゃんとやりたいこととか方向性の共有とか関係構築とか頑張ったつもり。
でも、なんかこっちの話きいてないんだよな。
前の研究指導の時間で話したことが、次の研究指導の時間にまた戻って来ちゃうかんじ。
暖簾に腕押し。意味なし。
時間いっぱい自分の家族の愚痴とか延々と一方的に話されて終わったり。たぶんこっちの研究とか興味ないんだと思う。
文献とか紹介してくれることも無い。
専門全然かぶってないから、こっちの専門で王道の本とか理論とかも知らない。
批評とか修正とかしない。
なんか、他の先生には「全然順調です~、私の指導のおかげで~
」って言ってるらしい。
だから、他の先生には「指導教員の先生にめちゃくちゃお世話になってるんだって?頑張らないとね」みたいなこと言われる。
現実との大幅な乖離![]()
挙句の果てに、チャッピー(チャットGPT)登場。「先生も概ね同意です」ってふざけてるのか?
なんかこう、指導に対する信頼がダダ下がりな訳よ。
これ、どうすれば正解だった?
副査の先生にも、旧指導教員にも指導は仰いでいる。
でも、結局GOを出すのも、評価を決めるのも指導教員。
今の大学を受験したのは消極的理由。でも、ちゃんとできる範囲で環境は準備したつもりだった。
今の状況になるなら、落ちる前提でも外部チャレンジしたよ。
今となってはもう遅いけどね……。
だから、たまに論争になってる「研究室入る前に方針調べないから失敗する」って話題にはちょっと思うところがある。
環境は全部主体的に決められるわけじゃないし、それが可能な人は有名大学に絞ったとしても「恵まれた」「一部の」「上位層」しかできないこと。つまり生存者バイアスだと思うわけ。
希望を出しても、いつも全部通るわけじゃない。
どうにもならないことは、実際あるのが普通だと思う。
それを全部自己責任論に押し込めるのは発展性がないし、ただの思考停止じゃない?
現実的でもない。
自分の状況と似たような話では、「教授の的外れな指摘」の活かし方についてついったで言ってる人がいた。
うろ覚えだけど、それはそのまま指摘されたとおりに修正するのではなく、「何を教授は意図したのか」をメインに考えるというものだった。
例えば、指導教員に「ここをこういう例に書き換えろ」という指導を受けたが、自分はそれを的外れだと思う場合、意見をまるまる飲み込むのではなく、「なぜ先生は「この例を加えろ」と指導したのか」という部分をくみ取るということ。
それは、言いたいことを伝えるには要素が不完全だとか、読んでてなんか違和感があるとかが原因で、それを解消するにはどうしたらいいかを「あくまで」先生は提案しているだけ、ととらえる。
先生を激ナメしてるように見えるかも。
でも、他者からの指摘を全部まるまる受け入れるのではなく、あくまで自分で取捨選択するっていうのは普段から求められることで、それを指導教員に対してもやるって話だと思う。
最初の話に戻るけど、
「先生の方向性通りに書かないといけない」
っていう状況は、指導をうまくいかしきれていないんだろうね。
今自分が示すやりたいことは、指導教員から見るとズレて見える、もしくは不足がある。
だから、指導教員的には「OK」が出せない。
でも、自分の研究のことを一番わかっているのは自分自身。それは変わらない。
特に今の指導教員の指導はまだ一年たってないし。
だからこそ、指導を素直にそのまままるまる実行する=最善とは限らないんだと思う。
違和感ポイントを具体的に落とし込んで、よりブラッシュアップしたものにできれば結果オーライ。
アドバイスは加工して、ちゃんと生かせる形にして受け止めること。
指導教員と喧嘩しても意味ないからな。
よし、言い聞かせたぞ。
年始に卒論修論博論の追い込み勢と一緒に缶詰して、なんとか形にしてだすぞー!
おー!![]()
では皆さま、良いお年を~![]()


