こんにちは。窓際族博士課程院生のtyatyaotyaです。
おひさしぶりです![]()
無事学内論文構想発表もおわり、夏休みの研究指導(を受ける)計画も先生と一緒にたておわりました!
ここからは期末試験で試験監督バイト三昧→夏休み突入ですが、もう半期終わってしまうのか……。
ほとんど病み散らかして、停滞して、迷走していただけで終わってしまった……。
研究の方向性に関する迷走は自分で悩んで、先行研究つきあわせて決めるしかないのですが、病んでる時間と停滞する時間は本当に無駄なのでやめたいですね。
半学期博士生やってみて思ったことは、結局院生って「学生」だけど自己プロデュース能力ありきだなってこと。
指導教員がマイクロマネジメントするタイプだとまた別なのかもだけど、決まったカリキュラムに沿って先生の言うことを聞いて「勉強」するイメージだと院生はうまくいかないと思う。
一応指導教員が指導方針とか決めることになっているけど、そもそも指導生と教員の専門ちがうと研究の話はあんまりあてにならなかったり。指導してくれる先生のメンタルコントロールが必要だったり。
で、自分のことに精いっぱいになれない。
もちろん院生は自分以外にもいるから、専攻での院生の役割(学部生指導とか、教室運営とか)、研究科での役割(合同運営のイベントとか)、院生間の関係構築(後輩のめんどう見る!)ももちろんある。
先生とうまく行ってない子の修論計画つくるの手伝って他の先生に相談に行かせるとか、本当はやらなくてもいいことかもしれないけど一応先輩のしごとだもんね?
あと、先生方からのこまごました仕事を片付ける。
そういうのをうまく回しながら自分の研究もちゃんとペースメイクして進める。
……ところまではうまくいかなかった!ごめん!
でも、とりあえず迷走からは抜け出したから許してほしい……。
で、構想発表は卒業生もこれるんだけど、そこにお世話になった先輩が来てくれたのね。
その人は博士には進まずに就職したんだけど。
うちは零細大学院なので、なんでここで博士うけたのって話になって。
博論ちゃんとかきたいなら、あんまりいい環境じゃないから他学受ければよかったじゃんって。
それはそう。
じゃあなんで零細大学院にそのまま内部進学したかって、結局のところ
自分に自信がないから
だよなって。
この理由はナチュラルに本学に失礼だが、いいわけをすると、私が院生で面倒見てもらえるのはここくらいかなって。
これも失礼か。
いや、ナメてるわけじゃないんです。
小さいころから、「おっとりした」「容量の悪い」「ふつーに勉強できない」子でした。
頭いい子なんて評価うけたことなかった。
将来を期待されるようなこともなかった。
だからこそ、多分親は教職取るのを大学行かせる条件にしたし(資格をもたせたかった)、大学受験塾とかにも行かせなかった(兄弟にお金かけたかった)。
だから、勉強できない自信あるし、いい成績とったことない自分が「院進みたい」って思うようになると思わなかった。
自称進の授業受けて、学部も指定せずに自分の成績で受かるとこで一番高い偏差値の大学に入学した。
当然、文系私学の偏差値あんまり高くないところ。
入ってくる学生の属性もいろいろ。まじめな子もいるし、典型的なモラトリアム満喫型の子もいる。
その中で、うっかり友達になった子たちが「まじめで勉強できる、容量いい子たち」だった。
つまり、内申で入ってきた子たち。
ちゃんと高校でそこそこ先生方の覚えよろしく、成績も上位をキープし、ある程度の人生設計もできてる子たち。
もちろん、そんな子たちが遅刻とか、自主休講とかするはずもない。
試験前は集まってみんなで勉強。
授業の席はもちろん最前をとりにいく。
先生ともスルっとなかよくなって、「せんせぇ~、この前の小テスト難しかったぁ。これとこれ参考文献読んだけど、これ読むときどうやって理解してったらいい?」みたいな+αを積極的に獲得しにいくタイプで、成績もSかA+。
どうあがいても自分とは根本から違う子たちだが、一緒にいるうちに「大学での勉強の仕方」が身についたのか同じような成績がとれるようになった。
レポートで高評価を取ると、先生の覚えがよろしくなる。
実習のグループワークは案外先生が見てるし、やる子たち・できる子たちのグループにいれてもらうとフリーライダーもあまりいない。ちゃんと進む。
その子たちは当然、早期選考でいい就職先をみつけてスムーズに就職した。
教職の方が大変で時間もとられていたから、正直あんまり学部生時代は学科の勉強に比重を置いていなかった。
でも、生まれて初めて、勉強たのしー、成績もとれる落ちこぼれじゃない、実習たのしー、発表たのしー状態に。
テストも憂鬱じゃない。
もっと勉強したくなった。
学部生時代のゼミの指導教員の先生は、あんまり生徒に院進進めるタイプじゃなかった。
「へえ、まあがんばってください」くらい。
別に研究計画とか積極的に添削してくれるタイプではなかった。
でも指導教員としては好きで、専門被ってないけど積極的に勉強して常にアンテナはってくれるいい先生だった。
この先生のゼミなら、ちゃんと修論かけそうって思った。
教職の勉強じゃなくて、ちゃんと社会学が勉強したかった。
博士も進学することにしたのは、そこからずっと勉強(研究)たのしいからかな。
でも、「零細大学院に」居続けることを選んだのは、積極的意味でも、消極的意味でも「環境」。
「こんな自分が」勉強たのしー、研究たのしーってできるのはここだからっていう。
他学でやっていけるほどの選ばれた人間にはなれないし、現状もそうではない。
研究者として大成するわけがない。
実際ごらんの通りの有様ですし。
そういう、ちゃんとした「ふつーの研究者」「ふつーの博士」からちょっとはずれた、でも「博士課程にはきてみただけ!」っていうので終わりたくない、不定形のいきものが博論書ける場所としてロックオンしたのがここってことなのかなぁ……。
本学……、かわいそうに……。
あとは論文ハイですね。
論文書くのキモチー!もう一回書きたい!→はあはあ、論文書くのくるしい、つらい、これ書き終わったらもう二度と書かない!→書き終わった!じゃあな!もうこないからねー→論文書くのキモチー!もう一回書きたい!(最初にもどる)
みたいな。
博士生歴半学期が言語化できるのはこんな感じかなあ。
進んで「零細大学院おすすめです!」ってことはまずありません!
研究に専念できる環境ではもちろんないし、設備も不十分、助成制度も貧弱です!
院生数も少ない、先輩もいない、互助制度もない!
有名な先生ほぼいない、就職先あっせんとかももちろんないし、学校名のブランディングももちろんされてない!
できるなら、有名大学、お金持ってる大学に行きましょう!
院生いっぱいいるとこ!
あとは、習いたい先生がいる学校!
でも、私が今ここに通ってるのはこういう理由だよっていう備忘録です。
2年目とかになるともうちょっと言語化できるようになってるかもね!