2022年に福岡に住む実母が亡くなり
今頃になって母を思い出すことが多くなった。
コロナで見舞いも叶わなくてさみしい思いをさせたね。
施設の皆さんとお花見をしている母の写真は笑顔いっぱい。
葬儀の時、その写真を姪に見せてもらった時、
楽しそうな様子に嬉しささえ感じた。
亡くなって時間が経った今、
母の笑い顔を思い浮かべ孝行できなかったことを悔いる。
ごめんね。お母さん。
お花見一緒に行けなくて。
眉毛が変だったのは、動きにくい手で私のためにお化粧したからなのね。
そう。
あの日まだ少し元気だった頃、
福岡に会いに行ったとき、母は喜んで迎えてくれた。
ファンデーションを塗り眉毛を描き、紅をさしていた。
不自由な手で眉を描いたらしく左右が違っていたっけ。
紅もはみ出していた。
気づかないふりしたけど、歓迎の気持ちが伝わってきてたよ。
ありがとね。
あの時、笑いながら優しく描きなおしてあげたら良かったかな。
博多座に北島三郎の舞台も観に行った。
サブちゃんはやっぱり歌が上手かね!
山本陽子さんが登場した時には座席から身を乗り出して
うわぁ きれいかねー
テンションも上がるよね。
年取ると物忘れがひどくて・・と嘆く母に
嫌なこと忘れられていいね。と言うと
それがね、良いことも忘れるのよぉ。
切ないのに一緒に大笑いしたっけ。
幼い頃、(小学校に入る前)母は私と兄を連れて家を出た。
海辺の町で過ごした記憶がある。
何故家を出たのか、
何故戻ったのか
生前、答えてくれた。
父には連れ子が二人
母には連れ子が一人
父母の間に生まれたのが私。
一緒に住んでいた祖母や親戚との折り合いが悪かったらしい。
唯一親切だった叔母の説得で帰ったそうだ。
私は籍を入れてもらえず小学1年生の時に父の姓に変わった。
鈍感だったのか、苗字が変わることは何でもないことだった。
かなり古い時代で田舎でもあったから当時の母の辛さは想像するだけで胸が痛む。
ひとつ聞きそびれたことがある。
母は高知県津野村の出身だけど
何故、佐賀県に来たのか。
私の実家は兄の住む福岡だけど
生まれたのは佐賀県伊万里市です。
何故伊万里に来たのかな。
父との出会いも知らない。
そういえば
学歴も知らない。
聞いたところで別に何てことはないけれど。
私はもっと母と話したかっただけなんだろうな。
母の人生は波乱に満ちていた。
でも波乱万丈じゃない人はいない。
お母さん、
今頃になっていっぱい思い出してるよ。
おかしなもんだね。