歴史の裏
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被団協にノーベル平和賞

  被害者団体の運動に?

 

 日本被団協が10月11日、2024年のノーベル平和賞を受賞した。日本人の平和賞受賞は佐藤栄作氏に次いで2度目だと、マスコミは大騒ぎ、関係者も大喜びだと報道されている。私は何となく違和感を持った。

 世界は核拡大の動きが高まっている時だけに、被団協の受賞は核軍縮運動をしている人たちの励みにはなろう。だが、被団協というのは被爆者の団体。その団体がこれ以上の被害者はなくしてほしいと運動しているわけだ。世界的な影響力は格段に違うが、水俣病や四日市公害の被害者がこれ以上の公害はなくしてほしい運動してきたのと同じ構図。その団体を表彰し、表彰された関係者が喜ぶってどういうこと。表彰すべきことでもないし、受賞を喜ぶというのは次元が違うのではないか。

試食の時の「うーん!」

  上品じゃないよね

 

 テレビのグルメ番組やバラエティ番組で試食の際、タレントなどが「うーん!」と言う。「何これ」っていう感じ。「言葉がすぐに出てこないほど美味しい」とか、味を吟味している様子を示すために使われることが多いようだ。1980年代以降からバラエティ番組で使われ始めたらしいが、今では他の番組でも何か食べるとタレントやアナウンサーが「うーん!」と言うのが普通になっている。

 招かれた家で食事の際「うーん!」と言ったら失礼になるだろう。一流の料亭やレストランでも普通は口にしない言葉だ。とても上品とは言えない。こんな言葉が流行っては日本語が曲がってしまう。料理の感想なら、味や食感、形などについて具体的に「深い味わいですね」「形といい風味といい一品です」などと言ってほしい。

キャスターのCM出演

  不祥事起きたらどうする?

 

 テレビを見ていると報道番組の有名キャスターがCMに出演し、企業や商品をアピールしている。違和感を覚える。もし、その企業に不正があったり、不祥事があったらどうするのだろう。「私がお薦めしていた○○で不正がありました」と解説するのだろうか。

 ニュースをいじる者はCMに出てはいけないのではないか、というのが私の感想だが、普通の人はどう感じるのだろう。

自民党総裁選 別

 高市さんじゃなくてよかった

 

 自民党総裁選でなってほしくない人が何人かいたが、中でも高市早苗氏は最もなってほしくなかったから、次善の選択なら石破茂氏でよかった。

 高市さんは総務相の時、部下が書いた行政文書を「捏造」と言った。大臣として自分の責任はどうなのか。何も言及しなかった。部下が正式に記録したものを「捏造」と言っては部下の信頼は得られない。その他の言動を見ていると、「自分は正しい」という態度が多く、人の言うことは聞く耳を持たず居丈高。権力欲だけはありそうで何を考えているのか分からない。いつもは傲慢な態度なのに、総裁選中だけは作り笑いして不気味だ。こんな人が日本の最高権力者になったら、日本はどうなってしまうのか。

自民党総裁に石破氏

   疑似政権交代

 

 9月27日の自民党総裁選挙で石破茂氏が総裁に選ばれた。予想外だった。石破さんはないと思っていた。特に第1回投票では党員・党友の票は高市早苗氏が109票、石破氏の108票を上回り、トータルで石破氏154票、高市氏181票だったので、議員に人気のない石破氏は決選投票で高市氏に勝てないと思ったが、開いてみると議員票は石破氏189票で、高市氏173票を上回り、トータルで石橋215票、高市氏194票と接戦ながら石破氏が勝利した。

 今回の総裁選は12日に告示、27日投票という長期間だった。メディアの世論調査によると、地方では小泉進次郎氏の人気が高く独走状態だったが、次第に高市氏の支持が上向き、終盤では小泉氏を抜いていた。3つ巴の様相になり、ベテランの政治記者も予想できない状況となったが、結局、小泉氏が脱落して石破、高市氏の争いになっていたようだ。

 裏金問題で岸田文雄首相が辞任を表明して総裁選に至ったが、麻生派以外は派閥を解散したので、派閥に締め付けがなくなったためか史上最多の候補者9人が乱立した。今まで政権内にいたのに、政権とは別の政策を打ち出す候補者もいて野次馬には面白い総裁選だったが、最後は自民党の自浄作用が働いたのか。万年政権党の自民党はまたや疑似政権交代を成し遂げた。なかなか大した政党である。

 過去にもロッキード事件で行き詰まった1974年には弱小派閥の三木武夫氏を首相に担ぎ出し、リクルート事件の1989年には下馬評にも挙がらなかった海部俊樹内閣を誕生させ、「闇将軍」の田中角栄氏は「担ぎ神輿は軽い方がいい」と言い放った。今回は予想外の石破氏が首相になるわけで、この先、どう展開するのか見ものではあるが、年内に解散・総選挙があるだろうから短命内閣になる可能性もあり、将来を狙う若い野心家はかえってホッとしているのかもしれない。

隣人の親切

  困った困った

 

 妻が腎臓がんのため4月23日から6月12日までの50日間入院し、その後も腸閉塞で入院し、通院を続けるなど、闘病生活を送っている。妻が担ってきた家事は87歳の私が全面的に担うことになった。洗濯や掃除はなんてことないが、食事はこれまでほとんど妻任せだったので、メニューが浮かばない。妻が親しくしている近所の奥さんがよく料理を作って持ってきてくれる。ありがたくて感謝しているが、困っていることがある。

 彼女は、野菜は有機農法のもの、肉は人工飼料を使っていないものなど厳選した材料を使っている。料理もレンコンをすりおろしてひき肉と混ぜて蒸したものや、ニンジンのゼリー、カボチャのプリン、シャインマスコットを入れたプリンなどどれも手間暇かけた、私がなかなかお目にかかれない珍しい料理を作ってくれる。

 だが、困ったことに味がいけない。おいしくないという領域を超えて、明らかに「まずい」。どうやったらこんなにまずいものが作れるのかと感心するほどだ。たぶん味音痴なのだろう。一口目は我慢するが、二口目はどうしても進まない。せっかく親切に作ってくれたのに、捨てるのは忍びない。冷凍できるものは冷凍して保存しているが、我が家の冷蔵庫は彼女が作ったもので溢れかえっている。何とか断りたいが、親切心で持ってきてくれるのだから、相手を傷つけないで断わる方法が見つからない。ああ困った困った!!

車軸データの改ざん

 問題は違反の事実でしょう

 

 鉄道会社が、車両の車軸組み立て作業時の圧力を内部の基準値内に収まったようにデータを書き換えていると報じられているが、その扱い方に違和感を覚える。データ改ざんはJR貨物で不正が発覚し、その後JR東海や東京メトロ、都営地下鉄でも不正が行われていることが確認された。よく分からないのは、まるでデータ改ざんが悪いことで、基準値を超えて組立てていることは問題でないような報道の仕方である。

 基準値を超えて圧力をかけるとどうなるのか。どうして基準値を超えて圧力をかけるのか。そのリスクとメリットは何なのか。報道を見ている限り読者や視聴者は分からない。

 

データ改ざんしなければいいのか

 車軸の組み立てにはそれぞれ車内で基準値を決めているようだ。基準を超えて圧力をかけると、車軸や車輪の破損の原因になり耐久性が低下する可能性があるから、基準値超えた場合は一度引き抜いて、再度組み立て直さなければならないが、それをさぼって記録の方を基準値以内で収まったように書き換える不正が長年続いていたようだ。これは列車の安全性にどのような影響があるのだろう。このような不正が長年慣習化していたことを知ると、列車って本当に安全なのだろうかと思う。

 メディアはデータ改ざんを報じるのではなく、違反が行われたことを報じなければならないのに、データ改ざんさえしなければ違反してもいいような報道姿勢である。これは自民党の裏金問題でも同じだ。メディアは不記載ばかり取り上げているが、これでは記載さえすれば、どんな汚い金集めも許されてしまうように国民は感じる。メディアを含めた政治への国民の不満はここにあることをメディア関係者は深刻に反省してほしい。

コメがないって

  コメはたっぷりある?

 

 スーパーの棚からコメが姿を消している。「令和のコメ騒動」だ。6月末ころから民間在庫が減り、コメマ不足が急速に進んだ。根本原因は減反政策。年々10万トンずつ減らしており、年間1400万トンを超えていた生産量が今や700万トンを切り、このままでは先細りする。食糧安保がい合われている時代に逆行する政策だ。ただ、昨年の作況は平年並みだから、今年は米不足にはならないはず。米騒動の理由はいろいろ上げられているが、真相はよく分からない。

 

政府備蓄米を放出しろ

 いずれにしてもコメを買いたくてもないから、買い占めをしようと思わない人も余分に買っておかないとなくなるという恐怖感を覚える。だから、なおコメがなくなる。 農林水産省は「需給は逼迫していない」と言い、日本全体で見れば、必要な在庫量は確保されている、という。それならスーパーの棚にコメを満たせばいいのだ。国の備蓄米を放出すれば解決する。国の備蓄米は合計約100万トンある。100万トンは日本の米の総需要量838万トンの約8分の1にあたる。国は毎年20万トンずつ備蓄し、5年間で100万トン。古い物から入れ替えていき、5年を過ぎた備蓄米は飼料用となるか、一部は学校給食用などとして提供されている。

 夏を過ぎた古米は品質が落ちるから昨年備蓄したコメ20万トンを市場へ出せばいい。今年の作況予想もほぼ平年並みというから、今不足していても最終的には20万トン余るはずである。今年の備蓄を20万トン増やせばいいだけだ。中には値上がりを狙ってコメの買い占めをしているけしからん業者もいるかもしれないが、政府備蓄米が一挙に市場に出れば思惑が外れコメを安く出さざるを得ない。これで「令和のコメ騒動」は一挙に解決する。

 

国民の困窮にそっぽ

 なぜできないのか。国民がコメ不足で困っているのだから備蓄米を出せばいい。自公政権は緊急事態に備え憲法を改正しようとしているが、備蓄米放出なんて緊急事態法をつくらなくてもすぐにやれる。政府にやる気がないだけのことだ。

歩行者へクラクション

 ビク! 心臓止まりそう

 

 きのう(9月5日)家の前の道を歩いていると、「ピー!」と鋭い警笛音。ビクッ!としたから、「鳴らすんじゃねー」と怒鳴った。皆さんも経験あると思うが、道を歩いていて突然警笛を鳴らされたら心臓が止まった感じがする。私は何も悪いことはしてないのに、後ろから来た車が警笛を鳴らすとは何なんだ。

 

警笛吹鳴は道交法違反

 大体、道路でクラクションを鳴らす行為は道交法違反で反則金を払い、減点1なのだ。第54条には、警音器(クラクション)を鳴らさなければならない場合が規定されている。左右の見通しがきかない交差点や曲がり角、見通しのきかない上り坂の頂上のほか、危険を防止するためにやむを得ないときは警音器を鳴らさなければいけない。しかし第2項ではその他の場所で警音器を鳴らしてはいけないとされており、違反者には2万円以下の罰金または過料が科される。だから、すれ違いの時にあいさつ代わりにクラクションを鳴らすのも違法なのだ。車を運転する者は当然のことながら法令を守らなければいけないのに、それが守れないのなら運転する資格がない。

 

「お前退け‼」とは何だ

 私の家の前の道路は普通車がやっとすれ違えるほどの狭い道で、もちろん歩車道の区別はない。こうした道でなぜ警笛を鳴らすのか。前に人が歩いているのだから、後からついてくればいい。駅の改札でもみんな人の後についていくではないか。「俺は図体が大きいからお前どけ」という無茶な人間はいないし、そんなことをしたら総スカンだ。なのに、なぜ道では「俺は体が大きいからお前どけ」と平気でクラクションを鳴らすのか。私の個人的な体験では女が多いように感ずる。

パリ五輪

  なんのために謝る

 

 パリオリンピックが8月12日閉幕した。やはり課題はたくさんあった。オリンピックのための再開発で不法難民の住まいが奪われたり、汚れの激しいセーヌ川で泳がせたり。私が気になったのはメダルが有望視された人が期待に反して敗退した時、「すいませんでした」とか「申し訳ない」と謝ったことと、負けた選手に対するSNSでの過激なバッシングだ。これは、スポーツは何のためにやるのかという根本的命題とも密接に絡み合っていることだ。

 

個人の競争が本筋

 オリンピックは個人やチームの勝負であり、優秀な成績を収めた者に対し、メダルを授与し、その栄誉をたたえるために所属する国旗を掲揚、優勝者の国家を演奏する。あくまで個人の栄誉であって国別の戦いではない。それなのに、日本のメディアは日本選手のメダル獲得数に異常に固執している。だから選手に「日の丸を背負って勝負する」と的外れなことを言わせ、負けると「申し訳ない」と謝る。スポーツ本来のあり方から言うととんでもないことだ。

 

楽しんでやるのがスポーツ

 出す側の組織や団体もメディアもメダルにこだわりすぎるため、選手も期待に応えなければいけないと無理な練習を重ねる。だから女子マラソンの日本記録保持者で期待された前田穂南は本番を前に疲労骨折で欠場してしまった。これでは何のための練習か分からない。やり投げで金メダルを取った北口榛花は無理な筋トレはせず、自分の動かしやすい体に近づける練習をしたそうだ。そして本番も楽しんでいた。これがスポーツのだいご味であろう。テニスの伊達公子さんがプロになってからは練習を休む日があり、その方が調子を持続できると言っていた。過激な練習ばかりがいい訳ではあるまい。時々休みを入れた方が調子が良い場合もある。スケボーの選手たちが味方も敵もたたえ合い励まし合う姿は見ていて微笑ましい。

 「負けてもいい」なんて競技はない。勝つためにやるのがスポーツだから勝つための努力は当然だが、その目的が自分のためではなく「国のため」「会社のため」となったら苦しいだけだ。まして負けた選手をバッシングするなんて馬鹿げている。バッシングする側は自分の瞬間的な思いをぶつけているのだろうが、ぶつけられた方の苦痛かなり激しい。死を選んでしまう人もいる。バッシングする人は自分がされたらどう感じるかという思いを持ってほしい。

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