歴史の裏
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リハビリ入院Ⅵ

   歯医者にかかれない

 

 きのう(5月7日)から歯が痛み出した。部分入れ歯を架けている左下の第2小臼歯。グラグラしているようだ。歯ブラシでマッサージしても痛みは強くなるばかり。入院しているリハビリ病院から横断歩道を渡ったところに行きつけの歯医者がある。そこで治療できないか。歯医者に問い合わせると、あす(5月9日)午後12時15分ならいいという。病院に聞いたとところ、付き添いがいなければ外出は許可できないという。結局、9日の予約はせず、痛みをこらえて退院を待つことになった。

 私は5月13日の退院予定。それも家族の付き添いがなければいけないというので1週間も延ばされた。本当なら退院して一人で生活しているから、外出も一人でできるはず。わずか100㍍離れた場所へ行くだけだ。事故が起きるのを恐れているのだろうが、ちょっと近くに買い物に行くにも病棟の入院階以外に行くにも、スタッフの付き添いが必要、なんとも融通が利かない。言葉は悪いが、拘束なき刑務所のようなものだ。

 退院延期に伴う費用負担もバカにならない。入院している病室は個室で1日13200円。都会のホテル並みだ。これは室代だけだから、ほかに入院費、食事代を込めると、1日2万円近くになるだろう。病状はGW前に退院できるはずだったが、退院は定員3人で早いもん勝ち。GW前後は混んでいて退院できず、その後は家族の都合で退院できない。結局2週間も退院が延期された。退院延期に伴う費用負担は20万円を超えるだろう。

リハビリ入院Ⅴ

  Yさんが消えた!?

 

 リハビリに行こうと病室を出ると、いつも後ろから見守ってくれているYさんがいない。一体何が起きたのか。183㌢、146㌔の巨体が消えてなくなった。宇宙人でも来て、音もなくさらってしまったのか。スタッフが常駐しているステーションに行って「Yさんがいなくなった」と訴えたが、相手は何を言ってるのか分からないという顔をしている。ここで「あ! 夢か」と思った。しかし、普通なら夢が覚めて現実に戻るんだが、ゆうべ(4月24日)はどこまでが夢で、どこから現実なのか区別がつかない。こんなことは初めてだ。寝入りばなだから11時ごろらしい。

 私の夢は、現実の世界ではなく「夢の世界」があって、夢の中で別世界での生活が続く。または自分が出てこなくて映画のように眺めているか、自分が登場しても現実とはかけ離れた別の世界のことが多かった。自分は若くて今はなき母親や姉たちが登場する。不思議と父親や兄は登場しない。今回のように実世界の話は初めてだし、夢と現実がつながっていることも初めてだ。ドラマでこういう場面が登場するが、現実にあるとは思っていなかった。今回、現実にあることを体感した。世の中は分からないことだらけだということを89歳になって実感した。

リハビリ入院Ⅳ

  入院3カ月

 

 1月21日に硬膜下血腫手術のため、入院してから45日後、3月5日に今のリハビリ病院へ転院し、ほぼ同じ時間が過ぎた。このブログ(3月31日付)で書いたように、ここは居心地がよく、まるで極楽。何時までもいたい気分になるが、3カ月も経つと、さすがに家が恋しくなる。妻は1月24日に死去したので、帰っても誰もいないが、4階の病室から人家の屋根ばかり眺めていることに飽きが来る。リビングから草ぼうぼうの庭を眺めると、ホッとする。わずか30坪ほどの庭だが、都心部に近いだけに、周りには庭のある家はほとんどないから、これでも〝豪邸〟だ。カラスも鳩も雀も少なくなったが、メジロやシジュウカラやジョウビタキ、ヒヨドリなど小鳥たちが餌を求めて狭い庭にやってくる。庭に降りると、トカゲが草の陰に走り去るのを見ると感激する。よく、こんな狭い庭で生き延びてきたことよ!

 長年暮らしてきた我が家に帰りたい、帰って普通の生活を取り戻したい、と思うのだ。入院で途絶えていたアゲハチョウの飼育も再開したい。

 

若い友達

 ただ、50日近くになる入院生活で若い友ができた。「リハビリ入院Ⅲ」で紹介したY君とIさん。2人は昨年の同期入社で大の仲良し。一緒に夕食を食べに行ったり、スキーへ行ったり。4月8日に調理訓練で私が作ったペペロンチーノを食べたY君が「とてもおいしかった。(私が)退院したら、家に遊びに行く」と言う。Iさんも同調し、もう1人も加わり3人で、私の特製カレーを食べに来るという。Iさんは「時々遊びに行ってもいい?」とさらに大乗り気。我が家は病院から歩いて5分ほどの至近距離にある。仕事疲れを癒すにはもってこいだ。

 3人とも人懐っこくてかわいい。こんな孫がいたら何でもやってあげたくなる。それが3人もできた。妻が亡くなって我が家は寂しい。リビング、キッチン、ダイニングの他に1階に寝室2つ。2階に3室もあって、泊まっていける。若い友人が来てくれるのは大歓迎だ。

リハビリ入院Ⅲ

  〝孫〟たちと楽しく

 

 3月5日に今のリハビリ病院へ転院した。当時は手足も思うように動かず、体が右へ傾いていたが、訓練の成果が出てメキメキ回復し、杖なしで普通に歩けるようになった。このまま行けばGW前には退院できるかと期待したが、GW前後は退院する人が多い。病院はスタッフが少ないので、退院できるのは 1日3人が限度。早いもの勝ちで、GW前後は満杯。退院には家族が付き添うことが条件。妻を亡くした私は退院後一人暮らしだから、退院も一人でいいじゃないかと言ってみたが、病院側は認めたがらない。退院日に何かあることを恐れているのだろう。結局、息子の都合もあって退院は5月13日に決まった。もう、ほぼ退院できる状態だから毎日が退屈であまりやることがなくなった。

 この病院はスタッフが皆若い。理学療法士も作業療法士も言語聴覚士もほとんど30前。孫と同じ年代だから、毎日孫と話しているようだ。彼らにとってもじい様の年代からは初めて聞く話が多く、面白いようでよく聞いてくれる。理学療法士は昨年入った同期が7人。そのうち私の担当の中心はY君。183㌢、150㌔弱の巨漢。一番仲がいいのがIさん。こちらは150㌢強と対照的に小さい。朗らかで人懐っこいキュートな女性。2人は一緒にスキーや東京ディズニーランドへ行ったり、夕食もよく食べに行くらしい。ミッキーとミニーのキイホルダーやおそろいの犬のストラップを持っている。2人ともスマホにお互いの写真を保存して見せてくれる。今の若い人の付き合い方は分からないが、なんともほほえましい。

リハビリ入院Ⅱ

  PTは優しく厳しく

 

 手術をした病院から今のリハビリ病院へ転院してから早くも40日近い。病気やけがで手術や治療をしてある程度回復した人たちが社会復帰に必要な訓練を受けるために入るのがリハビリ病院。訓練する人たちは理学療法士(PT・Physical Therapist)作業療法士(OT・Occupational Therapist)言語聴覚士(ST・Speech-Language-Hearing Therapist)の3つ。年中無休で訓練してくれる。みんな優しくて親切、丁寧、いい人たちばかりだが、当然のことながら、個性はある。教え方もいろいろ。

 

Y病」って?

 PTは失われた運動機能回復を援助してくれる人。たくさんの人が入れ替わり教えてくれるが、教える人がそれぞれ違うことを教え、ダブることがないのに驚く。歩くときにバランスが崩れているかどうか。私は頭2か所の硬膜化血種の影響で左に傾く。リハビリでかなり良くなった。さらに長期の入院で体力が衰え、初めは歩くことも満足にはできなかった。ここでの筋トレで改善し、ほぼまともに歩けるようになった。階段の昇降も鍛えられ、手すりがあれば昇降に不便はなくなった。自宅から近くのスーパーまでは約530㍍。買い物で往復できるから生活には不自由しなくなった・。

 PTで私担当の中心はYさん。昨年PTになって2年目。23歳の青年。私の孫が25歳なので、孫のようにかわいい。と言っても身長183センチ、150キロ近い巨漢だ。最初に見たときはその体形から30歳過ぎと思ったが、顔を見ると丸っこい童顔で可愛い。今年は新人が入ってくるので、「先輩になる。大丈夫かな」と不安がっている。顔は可愛いが、やることはきちんとやる。ベッドに横になって足を上げお尻の筋肉を鍛える訓練があるが、私が歯を食いしばって頑張っているのに「もっと上がるでしょう」と許してくれない。どういうわけか、彼が訓練に入る日はめまいがしたり、頭がぼーっとなったりする。「Y病か」と冗談を言い、ほかの人が入った時にその冗談を紹介したらカルテに書かれて、PT仲間で評判になっているという。

 

「ふんふん、オッケイ」

  OTは日常の作業を助けてくれる人。担当はWさん。身長170㌢近い、すらっとした女性。マスクをしているから年齢は不詳だが、たぶん20代。腰や肩のマッサージの後、腕や指の動きをさせる。ゴムバンドや手拭い、重りを使って肘を伸ばしたまま腕を上下、左右に伸ばしたり、直径5ミリほどの細い棒を小さな穴に差しこんだり、小豆を箸でつまませたり、細かな作業をさせる。

   料理訓練もやった。前日に約430㍍離れたスーパーまで必要な材料を買いに行き、実際に作った。スパゲティ・ペペロンチーノに一工夫。イタリアントマトを加熱して加えた。わかめのスープと、わかめとレタスのサラダを添えた。自分は食べられないが、食べたスタッフは「おいしかった」「また作ってほしい」と好評だった。

Yさんは間違っても「違う」と指摘はせず手で修正しながら優しく教えてくれる。作業をしていると「ふんふん」と言って、終わると「オッケイ」と言う。

 

優しいお姉さん

 STは音声・言語機能の回復を助けてくれる人。エッセイや小説を音読させたり、ひらがなを漢字にしたり。算数は二桁の加減乗除。漢字しりとりや升目にあるひらがなからヒントの言葉で探した文字を消し、残ったひらがなを綴ると都道府県名になるクイズ、「りで終わる干支」「いで終わる性格」など「〇〇で終わる言葉」。バラバラにしたひらがなを並べ替えて意味のある言葉にするクイズは易しそうで難しい。担当はIさん。朗らかで優しいお姉さんタイプ。やはり20代と推測できる。行き詰まると、ヒントをくれる。最近はSTはあまりやられなくなった。入院した時の知能テストでIQが136だったからだろうか。ちょっと寂しい。

リハビリ入院

 極楽?

 

 今のリハビリ病院に転院してから25日。自由に行動できないことを除けば「極楽」である。阿弥陀如来が説く「極楽浄土」は、心が安定して苦しみがない。周囲には七宝で飾られた木々があって、手に届くところに食べ物があり、水は好む温度になり、水につかると好む位置に水が満たされる。 何不自由ない生活ができるという。この病院はこれに似ている。リハビリは少しはきついが、それ以外は快適そのものの「極楽」。看護師も理学療法士も作業療法士も言語聴覚士もいい人ばかり。何か頼むとすぐやってくれる。至れり尽せり。家族に「極楽だ。ずっといてもいい」と冗談を言っている。しかし、こんな悩みも試練もない生活なんて御免だ。こんな「極楽」になれると、人はろくなものにならない。早く脱出することだ。

新聞を読まない

 新聞読まない

 

 最近は新聞を読まない、テレビを見ない人が増えているという。本なんて実用的なもの以外は読まない。情報はもっぱらスマホ。だから、スマホで検索したもの以外の情報は知らない。誰かが「こうなんだって」と言うと真偽を確かめずに信じてしまう。そして炎上する。怖い世の中になった。

 今入院しているリハビリ病院は若い人が多い。試しに聞いてみると、今世界で起きていることを全く知らない。トランプ大統領の手放題の行動、ベネズエラの大統領拘束やイランの最高指導者殺害、イランへの攻撃、地球温暖化は作り話と言っていることなどを話すと私の話の真偽も確かめず驚いている。新聞だけじゃない。書物もなくなる世の中が来るのか。

 これからの世界はどうなってしまうのか。90近い老人が嘆いても詮無いか

 

長期入院して

長期入院して 

 

リハビリ病院へ転院

 体が全く動かなくなって1月21日に救急車で入院、45日後の3月5日、現在のリハビリテーション病院へ転院した。手術などで入院は6回目だが、いずれも2週間足らず、これだけ長期入院したのは初めだ。これまでは闘病に専念していたので、病院のことまで気が回らなかったが、長期入院でいろんなことが分かった。

 

やることがない

 救急車で運ばれたため、必要なものが全くなかった。後で家族に運んでもらった。病状が落ち着いてから感じたのは回復期にある患者にとって、病院は退屈以外の何ものではなかった。やることが全くなく、ただベッドに寝ているだけ。本を持ってきてもらったが、ベッドの上で一日本を読んでいると、背中や腰が痛くなるから、すぐ寝ころび、読んでいる時間より、寝ころんでいる時間の方が長い。その上、本ばかり読んでいると飽きる。ほかにやることが全くない。

 

すぐ来てくれない

 次に、病院にもいろんな人がいるということ。入院したナースステーションの看護師は「どんな些細なことでも言ってください」というが、実際はナースコールを押してもすぐには来てくれない。場合によっては30分後なんてこともある。私は脱肛で便が出たくなるとすぐ出てしまう。待っている間におむつに中におもらししてしまうことが度々。特に夜中はおしっこの回数が多い。たびたび呼ぶので申し訳ないと思うが、必ず呼んでくれと言われた。実はおしっこが出た直後に便を催すことが多い。そうなると、呼びだした直後にまた呼ぶことが多い。そいう事情はナースステーションに話してあるが、中には「さっきしたばかりじゃない!」という看護師もいる。そうなると「もういい」となる。「水が欲しい」と言っても「そんなことは序の時に言ってくれ」という人もいる。

 

問い合わせない

 8日投票の衆議院選挙。病院で投票できるというので登録した。ところが、当日「選挙は何時にできるのですか」と聞いても、若い看護師が「ここは病院だから選挙はできません」という。「でも登録してある」と言っても、「選挙はできない」と言う。そばにいた年配の看護師に聞いても「選挙はできない」の一点張り。しばらくすると、事務所の人がナースステーションに投票箱を持ってきた。目の前で投票するので、投票の秘密は保たれなかったものの、選挙はできた。ナースステーションの看護師は事務所に聞いてくれようとしない。最近この例に限らず自分の分からないことを聞いてくれない人が多くなった。

 

日程が分からない

 私は現役時代忙しい仕事に携わっていたので待ち時間が耐えられない。せめてレントゲン、CT、MRIやリハビリの時間を知らせてくれればいいのに、突然やってきて「検査です」と言う。病院には「患者は病院の言うとおりにすればいい」という思い上がりがあるのではないか。

 ところが、転院した今のリハビリ病院は、その日の日程をデイルームの映像で表示するとともに書いた紙を渡してくれる。これで何時からは何をするのかが分かり、その間にパソコンを打打ったり、スマホをチェックしたりできる。このリハビリ病院の職員は皆親切でいい人ばかり。些細なことも頼めばすぐやってくれる、至れり尽くせりだ。どういう教育をしているのだろうと感心しきりである。

体が動かない

  体が動かない

 

妻は末期がん

 妻は2年前に腎臓がんが見つかり、入退院を繰り返し末期を迎えていた。初めは病院で死を迎えるつもりだったが、食事などの要因で「こんなところで死にたくない。家で死にたい」と言って家に帰っていた。58年間連れ添ったので、妻の望み通りにしてあげたいと、覚悟を決めた。しかし、12月8日以降、体が思うように動かず、朝食の支度に4時間もかかった。普通なら5分で行ける直近のスーパーまで30分もかかる。妻の介護が難しくなってきたので万一に備え、妻には2か所の緩和病棟を予約しておいた。

 

妻が死去、私は入院

 ともかく年を越えたものの、1月21日になって、体が全く動かなくなった。そのころは息子と娘が毎日のように来ていたので、息子に救急車を呼んでもらって、総合病院へ緊急入院。その後、近くの総合病院へ移動。検査の結果、頭の両側に血種があるので、手術をすることなった。後で、聞くと妻は同じ日に緩和病棟に入院していた。

 私が手術待ちの1月24日に妻が死んだ。葬式は28日だが、私は身動きもままならない。子供たちが手配し介護タクシーで告別式の会場へ行き、告別式に出て棺が焼却炉に入るのを見届けて病院へ戻った。私の手術は翌29日。綱渡りだった。この辺の事情はよく覚えておらず、後で息子に聞いて確認した。息子と娘は妻の病院と私の病院を行ったり、来たり。その間にケアマネや、訪問診療の医師、看護師との打ち合わせに、ずいぶん苦労したようだ。息子は不動産屋に勤めていて極めて忙しく、娘の司法書士の仕事と、ぜんそくの子供の面倒を見ながら、時間をやりくりして頑張った。いい子供たちを持って幸せだと言えよう。感謝している。

 

リハビリ病院へ転院

 手術は成功、快復は医師も看護師も驚くほど早く、45日入院後、3月5日に家の近くのリハビリテーション病院に転院した。ここでも快復は早く、転院時はやっと歩けるほどだったが、今では杖なしで、スイスイ歩けこれなら近くのスーパーまで買い物へ行けそう。この病院も長くはないだろう。ここは職員が皆親切で至れり尽くせり、食堂には自動の飲み物抽出器があって、コーヒー、紅茶、麦茶、麦茶、水・お湯が飲み放題。いつまでいてもいいくらい居心地がいい。退院するのがおしい。

スマホ社会

  老人も

 

 私が主宰する文章とスピーチの教室に新入会員が入った。古希を迎える女性。この教室は前半が前の会に提出した作文に対する私の講評と、1分間スピーチ、それに自分で選んだテーマでのスピーチ。後半は作文を書く。作文のテーマは当番が出す。1分間スピーチは小さな紙に各人が書いたものを伏せておき、裏返したま混ぜ合わせ各人に配る。もらった人は紙を表に返してそのテーマで1分間スピーチする。作文はその場で出されたテーマについて1時間で原稿用紙2枚以内に書く。

 教室は雑談禁止。かなり厳しいので、会員は終わってから会場内にある食堂でお茶をする。そこでの雑談が楽しくて参加する人もいるようだ。新会員もお茶会に参加したが、彼女は隅の席でずっとスマホを見ていて話の輪に加わろうとしない。これでは何のためにお茶会に参加した。子供たちが「遊ぼう」と言って各自スマホを見ていることが話題になっているが、スマホ依存は老人にまで及んでしまったのだろうか。

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