歴史の裏 -3ページ目

石破さんの10万円問題

 歴代内閣もやってきた?

 

 石破茂首相が3月3日夜、首相公邸で開いた自民党衆院1期生議員15人との会食の際、1人10万円の商品券を配布したことが問題化し石破内閣の支持率は急落している。石破さんは以前にも商品券を配ったことがあると認め、違法性がないと強調しているが、これは政治家と庶民の感覚がかけ離れていることの象徴的出来事だ。庶民は物価高にあえいでいるのに、政治家は会食の際、10万円程度の「お土産」を持たせるのが常識だと思っているようだ。実はこのことについて複数の議員がこれまでもやってきたことだと認めている。なぜ表面化したのだろう。これについてのメディの追及が中途半端という気がする。

 一つは石破さんの党内基盤が弱く、石破さんからもらったことを快く思わない議員たちが返上したのか。もう一つは、1期生議員が先輩に聞いたところ、これまでもらった議員たちは高級紳士服のお仕立券などと証言している。それなら50万円以上だろう。それなのに自分たちは10万円の商品券。あまりに低さに愕然としてみんなと相談して(議員たちは相談を否定している)「馬鹿にするな」と突き返したのかもしれない。いずれにしても、自民党の裏金問題が大問題になり国会が紛糾して国民の耳目が集中しているこの時期に石破さんのあまりにも不見識さにあきれるばかりだ。

 石破さんはポケットマネーで賄ったと言っているが、官邸機密費から支出したのではないかとの疑念がぬぐえない。というのは、官邸機密費は年間約15億円で(民主党内閣を含め)各年度ほぼ全額支出している。それも年度末の3月にほとんど使い切る。領収書がいらず、支出内容も公にしなくてよい。機密費が国会対策に野党へ渡っていると言われるから野党は追及できない。メディが官邸機密費からは支出しているかどうかを追及すべきだ。

エスカレーターで

  押しのけて前に出る人

 

 きのう(3月13日)午後1時半ごろ、都営地下鉄三田駅で浅草線から三田線へ乗り換えるため下りのエスカレーターに乗った。エスカレーターは普段は歩かないが、乗り換え時間が短かった。左側はいっぱいで列ができていたので、右側を歩いて下った。私が先頭だったので、左側の列の先頭を追い越したから(誰でもそうしているように)左側に出て下った。すると、後ろ左側から私を押しのけて前に出る人がいた。

 50~60代の人だった。右側が開いているのになぜそんなことをするのか、意図が分からない。私がこけてけがしたら傷害罪になるし、損害賠償も請求される。

マイナ保険証

 勝手に間違える

 

 きょう(3月10日)、妻が通院している大学病院へ付き添いで行った。食後にお腹が痛むので、整腸剤を追加処方された。妻を待合室に待たして病院前の薬局へ行った。マイナカードを登録器に差し込み、暗証番号を打ち込んだが、表示に●が出ないので、もう一度数字を打ったら「暗証番号が違います」という。やり直そうとしたら、私が数字を打ち込む前に機械が勝手に●を表示し「暗証番号が違います」となった。そばで見ていた若い女性店員が「私もやったことあるんですが、もう一度間違えると、これ(マイナカード)が使えなくなりますから取り消しましょう」と言ったので取り消した。

 これって何なんだ。紙の保険証は病院へ月初めに提示すれば、その月はもう提示しなくてよいのに、マイナ保険証は受診のたびに登録しなければならないうえ、薬局でも毎回登録しなければならない。不便極まりないうえ、機械が勝手に作動して「暗証番号が違います」と言いやがる。コンピュータが狂っているのだろう。まだ実働的ではない。

 1月16日のこのブログで書いた「耳栓が詰まった」の際、受診した耳鼻咽喉科の受付から「初めてですから保険証も見せてください」と言われった。「エっ!」という感じだった。マイナ保険証って何なの? 医療機関さえ信用してないんだ。

米寿の祝い?

  フキノトウ

 

 きょう(2月16日)リビングから窓越しに庭を見たら、フキの葉の下に薄緑のもっこりした物が見えた。庭に降りていくとブロック塀の際にあるフキの下にフキノトウが芽を出していた。全部で14個。妻が酢味噌にすると言った。明日は88歳の誕生日。この年になると誰も祝ってはくれないから、自然が祝ってくれたのか。夕食は手巻き寿司とフキノトウの酢味噌で前夜祭だ。

 去年は1月23日にフキノトウを見つけた。あまりの早さに驚いたが、今年は24日遅れで、通常なのか。年々早くなるようだが、今年は立春の後に寒が戻って遅くなった。季節感はどうなっていくんだろう。

日米首脳会談

  呼びつけられ番号2

 

 石破茂首相は2月7日(日本時間8日未明)にホワイトハウスでトランプ大統領と初めて対面会談した。初回としておおむねうまくいったようだ。日米関係の新たな黄金時代と位置づけ同盟関係強化を確認したという。トランプさんは金もうけしか頭にない人だから、安倍晋三さんは戦闘機105機を買わされ、石破さんは対米投資を8000億ドルから1兆ドルに増やすと言わされた。戦闘機の買い取りは日本だけ損するが、対米投資の増額は日本側も利益を得られるからまあまあの成果だね。

 具体的なことはこれからで、何を言い出されるか分からない。アメリカ(トランプ)が損すると思ったら、関税引き上げを言ってくるかもしれない。トヨタや日産のカナダやメキシコの工場のアメリカへの移転を迫られるかもしれない。USスチールも買収ではなく投資だと言い換えたものの、USスチールは経営が行き詰まって日鉄が買収することになったのだから、経営実態をどうするのか。不明なことが多い。

 日本のメディアはトランプ氏と会談した首脳はイスラエルに次いで2番目だと喧伝しているが、これって呼びつけられ番号2番ということではないか。各国の首脳は新任すると他国へあいさつに赴くが、「世界の王」であるアメリカ大統領は就任すると、各国首脳を次々呼びつける。各国首脳は呼びつけに嬉々として応じ、「一番だ」「2番だ」と言ってはしゃいでいる。本来なら、新しくなったんだから「お前の方があいさつに来たら」と言えばいいじゃないか。こんな大時代的朝貢外交に疑問を感じない世界の指導者はホントにおかしい。

耳栓が詰まった?!

   耳鼻科に駆け込んだ

 きのう(1月15日)右耳の補聴器が聞こえなくなった。耳の中に挟む垢取りが詰まったようだ。取り外して刷毛で掃除して垢取りに耳栓をかぶせたが、やはり聞こえない。補聴器を外したところ、耳栓がない! 耳の中に耳栓を置いてきたようだ。7年間補聴器をつけているがこんなことは初めてだ。指で触ると、耳の中に何か突起がある。一生懸命出そうとしたが、出てこない。妻に「取ってくれるか」と言うと、「怖いから耳鼻科に行きなさい」と言う。それもそうだ。素人が無理したらかえって押し込んでしまう。行きつけの耳鼻咽喉科へ電話したら休日だった。もう5時15分を回っている。早くしないと診療が終わってしまう。テレビで相撲を見ていたが、それどころではない。慌てて近くの耳鼻科を検索すると、10分ほどの直近の駅近くにあった。電話すると、5時45分までに来いという。急いで着替えて出かけた。歩けるかと思ったら案外歩けそうなのでタクシーを呼ばず歩くことにした。

1週間歩けなかった
 実は6日前の9日、朝起きると、急に左のお尻から足にかけて激しい痛み。痛くて歩けない。横になると少しは楽になるので痛み止めのトアラセットを飲んで横になった。血圧が170以上に上がり、脈も速い。9、10の両日はずっと寝ていた。よく眠れる。一日中寝た。11日になって大学病院へ行ったが、脊柱管狭窄症が原因で「加齢によるものです。治りません」とつげないお告げ。数年前から坐骨神経痛があり、駅のホームやバス停で立っていると痛んだ、座ると治る一過性の痛みで整形外科からもらっている痛み止めも数日に1回飲むだけだった。今回のように歩けないほどの痛みは初めて。9日から外出せず、病院へはタクシーだったから、10分歩くのに不安はあったが、歩けた。

何もしないで3400円
 閉院間際の耳鼻科は混んでいた。問診票にびっしり書いて待つ。約1時間後に、女医さんが耳を覗いて「中に耳栓はありません」という。そんなことはない。耳栓がなくなっているんだ。女医さんが「顕微鏡で見ましょう」と言って耳の中を見せてくれたが、なるほど耳の穴がよく見える。「落としたんでしょう」と言うので、あー恥ずかしい! と帰ってきた。何もしなかったが680円(2割負担だから本当は3400円)取られた。家に帰ってソファーの下を見たら耳栓が落ちていた。
 でも、1週間歩けなかったのに、お陰で歩けるようになったのだから680円は安いものだと思った。耳栓が耳の中に入ったままで大変だと思ったから足の痛みは吹っ飛んだのだろう。人間なんて勝手なものだ。

 

寺社詣で

 タイパ、コスパが悪い

 正月に初詣する人が多い。テレビでは連日、人気寺社の様子を放映している。明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師がビッグ3で参拝者は毎年300万人超え。押すな押すなの大混雑、賽銭箱にたどり着くまでに2時間、3時間待ちもザラにあるという。コスパ、タイパが騒がれる今時、そんなにしてまで初詣をするのって何の得があるんだろう。何のために寺社へ詣でるのか。さっぱり理解できない。参詣している人たちに聞いてもきっと返事できないに違いない。「みんなが行くから」「毎年やっているから」「遊びのつもり」「なんとなく」なんて言うかもしれない。

神の力は何に由来するのか
 テレビの旅番組やバラエティでリポーターは寺社があると、賽銭を投げてお参りする姿を映している。彼らはお参りすることの意味は何なのかなんて疑問を感じないらしい。ただ、習慣でやっているのだろう。寺社に詣でて何か願い事をする人もいるようだが、コイン1枚投げて願いが叶うとは思っていない。気休めに過ぎない。寺社があれば賽銭を投げて手を合わせるのが日本人の習性のようだ。もし、教会に賽銭箱があればそこにも投げ入れるだろう。その寺社に何が祀ってあるのかなんて知らない。百歩譲って、願い事が叶うとすれば、なぜ叶うのか。宗教だから科学的に立証しろとは言わない。だが、せめて神様や仏さまはなぜみんなの願いをかなえられるようになったのか、どういう原理でその力を得るようになったのかくらいは考えてほしい。

祈る対象が重要
 仏教では大宇宙の命と小宇宙である自分の命が呼び呼ばれて自己の中にある仏性が湧現すると説く。それは祈りによって実現する。とすれば、祈る対境によって呼び出される命も変化する。祈る対境(本尊)が非常に重要で、「イワシの頭も信心から」とはならない。今年は巳年なので蛇が珍重されているが、知らなくても蛇を拝めば蛇の命になる。狐を拝めば狐の命になる。

 テレビで神田明神を取り上げていたが、祭神の一人は平将門。天慶の乱を起こした張本人である。戦いの神様だ。それを拝むことは修羅(勝他)となり、他人に勝とう勝とうとする命が増強、プーチンやトランプ、習近平のような独裁者への道を歩むことになる。拝んでいる人は、そんなことは念頭になく、近くに蛇が祀ってある神社があれれば蛇を拝んで帰ってくるに違いない。その人は 戦い好きな畜生(後先のことを考えられず目先のことだけに囚われる)に近づいてしまう。そいうことを知らずに習慣で拝んでいるのだろうが、実は恐ろしいことをやっているのだ。
 

働き方改革

 時間で測れない職業


 世の中は働き方改革でかまびすしい。2025年問題は団塊の世代が大量に後期高齢者になり国民の4人に1人は後期高齢者となって労働人口が激減することだが、それに働き方改革が加わり、医療、介護、運輸、建設業などで人手不足が深刻になる。かつて日本は「24時間働けますか」などのコマーシャルがあったように、「働くことが美徳」で「休むことは悪い」という風潮があり、人間性を無視した社会だった。これを改善する方向に進むことは結構なことだが、中には時間では縛れない職業も多い。このことを無視すると、人間としての生き甲斐を配慮しないことになる。具体的に見てみよう。

先生はどこまで仕事か
 今、一番問題になっているのは学校の先生だろう。今の先生は忙しすぎる。生徒の管理に時間を取られ、本来の「教育」がおろそかになっているのではなかろうか。そのうえ、教員手当によって時間外勤務手当が支給されないため「働かせ放題」の状態。これは根本的に改めなければならない。だが、教員に対し一律に時間外手当を支給するのはどうなんだろう。授業の準備はどこまでが労働で、どこからは任意なのか判断できるのだろうか。アンチョコだけで済ます先生もいる一方、熱心な先生はとことん調べ、生徒に分からせるため図表などを用意する。子供に毎日日記をつけさせ、それにきちんとコメントを書いてくれる先生もいる。また、ベテランなら1時間で済む準備も新米は何時間もかかる場合もある。単純に時間外手当を出していれば、出来の悪い先生ほど時間外手当が多いことになり矛盾が生じる。

学者や営業マン
 こうしたことは学者や研究者、企業の開発担当者にも言える。彼らはどこまでが仕事でどこからが私的時間なのか。ノーベル賞をもらった人の体験では休日の散歩中やふろに入っていた時にひらめきがあり、それがノーベル賞に結び付いたという。それは私的時間と言えるのか労働時間なのか。会社の営業職も同じだ。成約寸前にまでたどり着いた商談で「時間ですので」と打ち切れるだろうか。しかもそのまま続けても成約にこぎつけられるという保証はない。芸術的仕事をしている人はもっと極端だ。いつひらめくのか分からない。ひらめくまで呻吟しているのは労働時間なのか。遊んでいる時にひらめいたのは私的時間なのか。政治家もそうだ。選挙民と雑談して政治的要求をされることも多い。どこまでが仕事でどこから私的時間なのか分からない。

事件を目の前にした記者
 メディア関係者もそうだ。電通の女性社員が過労自殺したりNHKの女性記者が過労死したり、長時間労働が問題になっている。NHKの記者は1カ月の時間外労働が200時間を超えたという。しかし、日本中にそんな取材記者はゴロゴロいる。大事件や大きなニュースに取り組んでいる記者たちは1日3~5時間しか眠らない生活を続け、その間休みも取らない。大事件の取材中はまず休めない。休んだら事件が分からなくなる。アメリカ・ボストンの小さな地方紙がカトリック教会のタブーに挑んだスクープの記録「スポットライト」はピュリッツァー賞を受賞、映画化されアカデミー賞も取った。この中で女性記者は夫や子供のいる家に何日も帰れず、ホテル住まいで資料をあさる。どこの国でもこうした記者はいるが、彼らが過労死したという話は聞かない。
 休みの日に目の前で大事件に遭遇し「私は休みだから取材しない」と言う記者がいたら記者職に向かないから早く転職した方がいい。休みの日に家族で行楽中、世間に知られていないイベントに遭遇することもある。何年に一度という催しでその時しか出会えないなら、家族に詫びを言って取材するだろう。それは仕事時間なのか私的時間なのか。時間外手当を請求できるのか。だから取材記者にははっきりとした休憩時間や休日はないと考えた方がいい。
 こうした職業は自己裁量性が大きいので、働き方改革を適用すること自体無理ではないか。働くということは時間を切り売りすることではない。人の生き甲斐と密接な関係がある。その視点を見失うと、おかしな方向へ行ってしまう。

 

2025年の年頭に

 「殺すな」が至上の価値

大変革期にある世界
 世界は大激変期を迎えている。ロシアによるウクライナ侵略は2022年2月から満3年になろうとしている。パレスチナでは2023年10月のハマスによるイスラエルへの急襲を受け、イスラエルによる大虐殺が続き女性や子供を中心に4万5千人以上が殺された。いずれも解決への道筋が明らかになっていない。アメリカでは自分さえよければいいというトランプ氏が大統領再選。韓国では尹錫悦大統領がどうトチ狂ったのか、戒厳令を発令したものの逆に弾劾されたうえ現職大統領として初めて逮捕される事態になった。シリアでは親子2代にわたって国民40万人以上を虐殺してきたアサド政権が反政府勢力ハヤト・タハリール・シャム(HTS)によってもろくも崩れ去った。フランスでは首相不信任が続き、ドイツも政権も不安定。

右往左往する日本
 日本も例外ではない。元日に能登半島で大地震があり、同じ地方に9月には大雨被害。文字通り踏んだり蹴ったり。被災地の人たちはどれほど苦しめばいいのか。8月には日向灘を震源とする7・1の地震に伴い南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を出し、日本中が一時緊張した。
 政治の世界では裏金問題を引き金に長年続いた自公政治に10月7日、国民が厳しく断罪、少数与党となってきわどい政権運営が続く。2013年から続いた異次元の金融緩和が終わりを告げ、株価は乱高下した。明治維新以来約80年で第2次大戦の終戦を迎えてから80年、大きな曲がり角に差し掛かっている。こうした事態に政官財もマディアも、失われた30年を言い募るだけで有効な手段を見いだせず弥縫策ばかり。今こそ政治を国民の手に取り戻さなければ日本は崩れる一方である。

生命には仏性がある
 世界的には地球温暖化が深刻さを増し、プラスチックをはじめ海洋汚染が人間の命に異様な影響を与え始めている。宗教、人種などに基づく差別や格差も目を覆うばかり。ITやAIなどの新技術が世界の有様を変えており、経済は長期的に低迷している。今年は何が起こるのか見通せない。
 今、唯一言えるのは「殺すな!」ということ。いかなる理由があっても人を殺し戦争を起こしてはならない。プーチンもネタニヤフも習近平も金正恩も、仏教で説く修羅界(勝他)に落ち入り、常に他人に勝ろうとしておごり高ぶり曲がりくねって、自己中心的になり人を殺すことに抵抗を感じなくなっているのだろう。それは自由主義も社会主義も関係ない。人間生命そのものに由来する個人の命の問題だ。
 仏教は性善説も性悪説も説かない。人間の命には悪も善もあり、環境との関係で命は悪にも善にもなると説く。しかし、すべての人の命の奥底には何物にも遮られない自在自由で力強く、善悪を超越した清らかな「仏性」という命があり、偉大な力を秘めているという。世界中の人がこの仏性に目覚めた時、真の平和が実現できる。

  だから、生命には尊厳があり、かけがえのない存在である。その意味から私は死刑に反対であるが、例外として多くの人を殺す人、戦争を起こす人はすべて死刑にすべきであり、人類の意思でそれを表明すべきだと思っている。

流行語大賞

  流行語大賞こそ「ふてほど」だ

 話は少し古くなるが、今年のユーキャン新語・流行語大賞は「ふてほど」だそうだ。12月2日に発表された時、「何それ!?」っていう感じだった。その後周囲の人に聞いてみた。聞いた人は老人ばかりだったが、分かった人は1人もいなかった。
 TBS系金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」からだという。宮藤官九郎の脚本で、阿部サダヲが主人公役。1986年と2024年をタイムスリップしながら主人公が、価値観の違いに戸惑いながらも奮闘する姿をコミカルに描き、コンプライアンスに縛られがちな現代を風刺して話題になったそうだ。へぇー! ドラマを見てない人には分からないではないか。こんなものが流行語大賞だって。
 流行語大賞は「現代用語の基礎知識」を出版している自由国民社が毎年、話題になった事柄や言葉を一般公募する。その中から11月5日、候補30発表された後、トップ10を選び、更に大賞を選ぶ。大賞は票数が多かったと思っている人がいるようだが、実は専門家や選考委員が議論して選ぶらしく、選考基準や選考方法については発表していない、不透明なものだ。たぶん、専門家とか選考委員は一般庶民とは違う生活をしている雲の上の人たちに違いなく、庶民とは全く別のベクトルで選んでいるのだろう。その結果が「ふてほど」なのだ。
 なるほど流行語大賞こそ「ふてほど」にふさわしい。