真・遠野物語2 -7ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

馬場の端には装鞍所が設けられ、流鏑馬に出場する7頭の馬が待機していた。

 

 

 

 

 

射手を乗せて走る馬もいれば、介添奉行を乗せて走る馬もいる。介添奉行は南部流鏑馬に特有の役割だとされているので、実は介添奉行の愛馬こそ、南部流鏑馬の隠れた主役なのかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

朝の日差しを浴びて、どの馬もとても気持ち良さそうだ。しかし観客の顔を見ると、一瞬だけキリっとした目付きになり、これから彼らにとっての戦いが始まることを理解しているようだ。

 

 

 

 

 

中には長年の相棒に愛撫されてうっとりしている馬や、優しい眼のままで闘志を表に出していない馬もいる。馬其々、性格は千差万別。思い思いの過ごし方で本番を待っているのだ。

 

 

 

 

 

遠野郷の流鏑馬は、1335年に遠野南部家第4代の南部師行が盛岡南部氏の失権を機に、八戸の櫛引八幡宮の祭事を主管するようになったことに伴って始まったのだとか。後に盛岡南部氏が復権した後も、流鏑馬だけは遠野南部氏が奉納し続けた。このことから、遠野の流鏑馬こそが南部流鏑馬の本家なのだ。

7頭の馬たちは、そんなことをわかっているのか、いないのか……。

 

一夜明け、二日目の遠野まつりの舞台は遠野郷八幡宮に移る。流鏑馬や神事の後、郷土芸能団体が芸を披露しながら馬場を周回する馬場めぐりが最大の見せ場だ。

 

何時もよりやや早起きし、眠い目を擦りながら、宿の朝ごはんをいただく。

塩鮭、たまご焼きに幾つかの副菜と、素朴な朝ごはんだ。だが、普段忙しい東京の生活に慣れてしまった我々には、旅先でこのような食事がいただけることがとても嬉しい。

 

 

身支度を整え、御主人の車で八幡まで送っていただく。今日は他にも外国の客の応対をしたりと、普段よりも慌ただしい中で此処まで来ていただいた。御主人に礼を言い、今回は此処で別れた。

 

 

あまり知られていないが、八幡宮の駐車場にある赤い立派な鳥居ではなく、340号沿いにあるこちらが一の鳥居だ。

鳥居の脇には祭事の幟が掲げられている。

 

 

御主人と別れてすぐに、通りを上って来る威勢の良い声が聞こえたので見に行くと、神輿が運ばれて来たところだった。神輿は昨夜街外れの伊勢両宮神社に一泊し、今再び戻って来たところなのだ。

 

 

 

神輿を見送った後、我々も参道を歩いて本殿へ向かう。薄曇りの空模様だが、並木に日が射して美しい影を地面に映している。

 

 

こんな参拝客も来ている。

 

 

二の鳥居の前は意外に混み合っていなかった。まだ朝早いので客が集まっていないのか、もう馬場の中に居るのか……。

 

 

参道にも未だ人は多くない。これから盛大な祭りが始まるのに、のんびりとした雰囲気だ。

 

 

馬場では流鏑馬の準備が行われており、神職たちが的の設置を行っているところだった。

 

 

流鏑馬の本番こそ人気が高けれど、このような場面にまで注意を払う人はあまり多くないのではないだろうか。ひとつひとつの準備にも意味があり、無駄な工程など無いのだ。

 

 

とはいえ流鏑馬が始まるまでにもたくさん見るべきものがあるので、今は未だ場所取りはせずに境内を歩くことにした。

 

もう今日の終わりの時間が迫る中で、続いて駒木しし踊りを見学。これは角助という人が掛川から持ち帰って伝えたもので、遠野郷の鹿踊りの中でも元祖とされている(駒木にある「元祖角助の墓」は遠野遺産に指定されている)。

 

 

 

 

遠野に伝わる数多の流派の鹿踊りの中でも、最も起源が古いとされる駒木しし踊りが、こうして250余年の時を経て夜の駅前で踊られているとは、さしもの角助も想像だにしなかったのではないか。現代に生きる我々が今日、この光景を見たということに意味がある気がする。

 

 

 

 

 

やがて夜の鹿踊りの時間が終わり、民話通りは嘘のように静かになった。鹿たちがいなくなった通りには、激しい踊りの最中に抜け落ちたカンナガラが落ちており、それを残った人々が拾い集めて道を綺麗にしている。

この、遠野まつりのパレードが終わった後の光景が好きだと呟いた人がいたが、よく理解出来る。

 

 

我々も街を離れ、宿に戻ることにした。

秋とはいえまだ暖かく、この興奮を少し覚ましたい気分なので、松崎まで歩いて帰ることにした。ふたつある早瀬橋のうち、下の方が松崎まで出るには近いのだが、こちらはバイパスからは遠く、この時間になると明かりも疎らだ。遠くに見えている灯りは、上早瀬橋からバイパスに出る道の信号や街頭だろうか。別の世界のように遠くにある。

 

 

バイパスを横切り、もう蛙の声も聞こえなくなった田圃の中を歩いていると、遠くの街の灯りが闇に隔てられて、決して届かない夢のように見えた。

 

 

最後の坂を上って振り返ると、街の灯りがさらに遠くになり、道に一本だけある街灯が現実世界の終端を示しているようだった。

 

 

部屋に帰り着いた我々は、軽くシャワーを浴びた後布団に入り、長かった今日にあった様々のことを思い出しながら喋っていた。

しかしそれもやがて眠気に飲まれ、意識は夜の闇に溶けて行った。

 

遠野まつりの夜の部では、民話通りに集った芸能団体による共演会が行われる。

昼の部と同じく、各地の鹿踊りや南部ばやしなどの団体が各所で芸を披露するのだが、時間が短く全ての団体を見ている余裕は無い。そこで、我々は特に目当ての団体を厳選して見学することにした。

 

通りの中央付近には東禅寺しし踊りが来ていると聞き、向かうことにした。

今まさに、たくさんの鹿たちが集い、激しい演舞を披露しているところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の闇の中、明かりは僅かな街灯と提灯くらいのもので、普通に歩いていても暗いと感じる状態だろう。

そのようなところに東禅寺の白い衣装と漆黒の九曜紋が浮かび上がる様は、まさに霊妙。日常の一角にだけ冷たい空気が流れ込み、神々が降り立って姿を見せているかのようだ。

 

 

 

 

 


鹿の激しい動きはこの闇にあって人の目では捉え切れず、流れるような幾筋もの光と化す。一挙手一投足を逃すまいとじっと見詰めていると、やがて自分もその光に溶けて行くようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この光は百年の昔に遠野から発せられたものだろうか。遥か広大な宇宙を旅して、今まさに我々の目に届いたのだろうか。今よりも遠野の闇が深かった頃、神々の姿は人々の目にどう映っていたのだろうか。コンクリートに囲まれた現代に生きる我々には、最早想像する以外に知り得る手段は無い。

 

長丁場の祭りを朝から見学し続けていた我々は、ひと息入れるために駅前のカッパの店を訪ねた。カッパ独りでは遠野の人口に匹敵する見物客を捌き切れないのか、メニューが何時もよりも絞り込まれていた。

我々はソフトクリームをひとつずついただき、短い時間ではあるがカッパと談笑してから店を出た。

 

 

 

この後は、定宿の御主人が駅前まで迎えに来てくれることになっている。

建物から出ると、其処には夜の出番を待つ鹿頭が並んでいた。中の人たちは何処に行ってしまったのだろうか。

 

 

 

陽が沈むか沈まないかという時間帯になり、迎えの車が来てくれた。暮れる遠野盆地を抜け、高清水の中腹にある宿へ向かう。

 

 

 

今週末は県内外からの見物客で満室のようだが、多くの人は夜まで祭りを見学してからゆっくり車で来るつもりなのか、未だ我々以外の客は到着していないようだった。

エントランスで暫し話し込んだ後、一度部屋に移動。

 

 

日が暮れてから晩ごはん、夜の部のパレードに出掛けることにしているが、未だ時間があるので少し休める。

一度荷解きした後、CocoKanaで食事したときにいただいていた結婚祝いを開封して見る。入籍してから嫁と一緒に遠野の知人たちに会うのは初めてなので、方々から祝いの言葉を掛けていただいたり、こんな贈りものまでしていただいた。

勿論、第一には嫁への心遣いをいただいているわけだが、俺も俺なりに遠野に通い続けた8年弱が間違ってはいなかったことを感じられ、遠野に出会わせて下さった神様と遠野の全てに感謝する。

 

 

贈りものは、真紅の花皿だった。かなり良いモノではないだろうか。刺身や一品料理など、一寸良いことがあった日の食事に是非使おう。

 

 

そのうちに空が暗くなり、再び街に下りる時間になった。

我々は駅前まで送っていただき、Deんに入った。独り身の頃から何度も助けられている女将は、俺の遠野のボスに他ならない。

何時ものカウンター席の端に案内していただき、サワーで乾杯した。

 

 

お通しはピーマンと炒りしらす。お通しが美味い店は、本当に良い店なのだろうと思う。

 

 

旅先では肉ばかり食べがちなので、サバときのこのサラダでバランスを取る。俺は冷静にバランスを取る判断が出来る男だ。

 

 

そして名物の唐揚げ。以前から何度も明言しているが、Deんの唐揚げは唐揚げに理想のかたちがあるとしたら、それに最も近い唐揚げだ。

初めてこの店を訪れ、宗教上の理由で唐揚げが食えない人以外は、何を置いても先ず発注して見るべきだ。

 

 

さらに、メニューを眺めていたらピザがあるのを発見したので、発注して見る。ただのピザではなく、遠野の食材が散りばめられた、遠野でしか食べられないピザだ。

チーズ、そしてザーピー好きの俺が今までこれの存在に気付いていなかったとは不覚だ。期待通り極めて美味い。

 

 

これだけ美味い料理が尽きることなく出て来るのだから、幾らあまり酒に強くない俺とて気付けば何杯かグラスを空にしていた。段々と頭がふわふわして来るわけだ。

 

 

締めにチャーハンをいただく。素朴な味が、酒に塗れた後の身体にとても優しい。

 

 

食事を終えて何時頃街に出ようかと思案していると、夜の鹿踊りの門掛けが店の玄関で始まった。丁度居合わせた客の子供が鹿の姿を見て大泣きしてしまい、ボスのお母さんが頑張ってあやしていた。

もの凄くカオスな情景だが、同時に懐かしい遠野の夜の情景だとも思えて、これから少しだけ続く時間が楽しみなのだ。