馬場の端には装鞍所が設けられ、流鏑馬に出場する7頭の馬が待機していた。
射手を乗せて走る馬もいれば、介添奉行を乗せて走る馬もいる。介添奉行は南部流鏑馬に特有の役割だとされているので、実は介添奉行の愛馬こそ、南部流鏑馬の隠れた主役なのかもしれないのだ。
朝の日差しを浴びて、どの馬もとても気持ち良さそうだ。しかし観客の顔を見ると、一瞬だけキリっとした目付きになり、これから彼らにとっての戦いが始まることを理解しているようだ。
中には長年の相棒に愛撫されてうっとりしている馬や、優しい眼のままで闘志を表に出していない馬もいる。馬其々、性格は千差万別。思い思いの過ごし方で本番を待っているのだ。
遠野郷の流鏑馬は、1335年に遠野南部家第4代の南部師行が盛岡南部氏の失権を機に、八戸の櫛引八幡宮の祭事を主管するようになったことに伴って始まったのだとか。後に盛岡南部氏が復権した後も、流鏑馬だけは遠野南部氏が奉納し続けた。このことから、遠野の流鏑馬こそが南部流鏑馬の本家なのだ。
7頭の馬たちは、そんなことをわかっているのか、いないのか……。